2節連続のSG優勝が懸かったチャレンジカップ。優勝戦は1号艇「片岡雅裕」に敗れるも、2着に入って再び賞金ランキング1位に。これにより、グランプリはトライアル2ndの1枠が確定。
ボートレースダービーにおいて約2年ぶりのSG制覇。さらに、通算100度目の優勝&24場制覇も達成。
デビュー当初は「あの芸能人と同姓同名」と、話題ばかりが先行していた峰竜太。
それが今や艇界を代表するレーサーとなり、SG制覇&賞金王を獲得し、不動の現役No.1レーサーに。
ネットでも「峰竜太」と検索すれば、ボートレースの話題が上位を占めるほどの存在感となっています。
また、毎年高額賞金を稼ぐ一方で、勝っても負けても涙を流す感情の豊かさから「泣き虫王子」という異名まで(笑)
そこで今回は、峰竜太の競争実績をはじめ、嫁・愛車・アパレルショップなどプライベートを深掘りしていこうと思います。
※以下の記事も合わせてどうぞ。
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競艇の「峰竜太」とは?
峰竜太は佐賀県唐津市出身、佐賀支部のボートレーサー。
高校卒業後、約20倍の倍率を突破してやまと学校(現ボートレーサー養成所)へ入所。2004年秋に卒業後、地元唐津でデビューを果たします。
詳細なプロフィールは以下をご覧ください。
公式画像 | ![]() ![]() |
名前(かな) | 峰竜太(みねりゅうた) |
出身地 | 佐賀県唐津市 |
登録番号 | 4320(95期生) |
生年月日 | 1985年3月30日 |
身長・体重 | 173㎝・52㎏ |
高校時代は日本代表クラスのセイラー


高校時代(佐賀県立唐津西高等学校)はヨット部に所属。
唐津西高校ヨット部といえば、日本でもトップクラスの強豪校。峰竜太は国体のセーリング競技で4位入賞の実績がある他、ユース世界選手権への出場も経験しています。
艇界に入る前から船を操り、波を乗りこなす能力を高いレベルで持っていた生粋のアスリート。
現役では右に出る者がいないともいわれるターンや捌きのセンスは、高校時代に国内外で培った技術が活かされているのかもしれません。
ボートレーサー養成所の成績
峰竜太の同期(95期)には将来有望な選手が多数在籍。中でも特に優秀だったのは「岡村仁・山田哲・山口裕太」の3人。
いつしかこの4人は「95期四天王」と呼ばれるようになります。


養成所内のリーグ戦勝率No.1は岡村(8.09)、峰は2位(7.16)。岡村とかなり差をつけられてしまった峰ですが、養成所チャンプを目指して卒業記念競走に臨みます。
優勝戦には四天王全員が名を連ねた中、峰は4コースから。
2コースからまくりを決めた岡村に一歩届かず2着。惜しくも95期やまとチャンプは岡村に譲るかたちで卒業を迎えます。



卒業記念で1位にはなれなかったものの、期待のルーキーとして注目されていました。
デビュー初勝利は22走目
峰竜太のデビュー戦は、2004年11月に開催された唐津一般戦。
デビュー後の新人は”6コース進入”が暗黙のルール。当然、峰も大外からのデビュー戦となり、デビュー初出走初勝利!とはいかず、惜しくも2着。
そして、デビュー節の全着順は「24533546」。2節目も1着を獲れず、水神祭を達成したのはデビュー3節目。
福岡の年末開催、最終日の一般戦にて6コースからトップスタートを決め、内5艇を一気に飲みこみます。デビュー22走目にして待望の初勝利となりました。
驚きだったのは、初勝利にして3連単配当は1940円(3番人気)。
ちなみに、この配当はデビュー初勝利の選手で3連単歴代最低配当(多分)。未勝利の新人、大外からの進入でこの低オッズはヤバすぎですw
驚くべきことがもう一つ。22走目の水神祭はかなり早い方ですが、95期四天王(岡村・山田・山口)の3選手は…


峰以外は「2走目・4走目・6走目」で早々に水神祭を迎えています。
初勝利まで1年以上かかる新人もいる中、デビュー節に3名が水神祭を達成。当時、大げさではなく”ヤバい新人がデビューしてきた”と話題でしたから。
話題になった「あの俳優と同姓同名」
峰竜太が若手レーサーの成長株として注目を集める中、競艇に馴染みがない人達の間でも「峰竜太という名前の競艇選手がいる」と、各メディアで話題に。
象徴的だったのは、歌手の和田アキ子さんがイメージキャラクターを務める2008年に放映された競艇のテレビCM。
余談ですが、俳優の峰竜太さんは芸名で、本名は下嶋清志(しもじまきよし)。厳密に言えば、同姓同名ではありませんw
峰竜太の年収・嫁・愛車など
最も知りたいであろう峰竜太のプライベート。
その中でも億超えとして知られる年収、超美人と噂の嫁や家族構成など、峰竜太の私生活を深掘りしていきます。
峰竜太の年収(年別獲得賞金)
年度 | 獲得賞金 | ランキング |
---|---|---|
2022年 | 3050万円 | – |
2021年 | 1憶4779万円 | 2位 |
2020年 | 2億5000万円 | 1位 |
2019年 | 1億1800万円 | 7位 |
2018年 | 2億200万円 | 1位 |
2017年 | 1億5300万円 | 2位 |
2016年 | 5600万円 | 20位 |
2015年 | 9400万円 | 5位 |
2014年 | 4209万円 | 37位 |
2013年 | 6444万円 | 13位 |
年度ごとにバラつきはありますが、過去10年の平均年収は「約1億1500万円」。
最も稼いだ2020年に至っては歴代2位の2億5000万円。サラリーマンの生涯年収が約2億7000万円と言われているので、たった1年で同等の収入を得ていることに。
ただ、稼いだ年収の半分弱は税金で持っていかれます。なので、激減した2022年は大赤字だったはず…



これだけ稼いでいる人ってどんな金銭感覚なんだろ?札風呂とかしてるのかなw


1億円超え?の超豪華な自宅
敷地面積も建物もアホみたいにデカく、余裕でキャッチボールできそうな庭(笑)
こんな家ってどんな人が住むんだろう?と思ってましたが、峰竜太みたいな人なんですね…
ネットの情報なので信ぴょう性は低めですが、建設費用は1億円超えらしい。大都市ほどの土地代は掛からないと思うので、ほぼ上物だけで億超えでしょう。
美人すぎる峰竜太の嫁(あかねさん)
峰竜太の嫁さんは、知人の紹介で出会った元保育士「明華子(あかね)」さん。
2010年頃から2年弱の交際を経て、2012年3月に結婚。賞金王決定戦が終わってすぐプロポーズをしたそうです。
以下は明華子さんとの写真。




生まれてから現在まで、こんな可愛い子と接点を持ったことないのだが・・。仕事、自宅、嫁さんなどプライベート全て、次元が違い過ぎて悲しくなってきます。
私はこのぐらいでお腹一杯なので、峰竜太のプライベートをもっと覗きたい方は、ご本人が運営しているYoutubeやSNSをご覧ください。



残念ながら後に紹介する事件以降、SNSの更新はストップしてます。
- Youtube:峰竜太ボートレースch
- ツイッター:峰竜太 @ryuta4320
- インスタ:ryuta.4320
所有する愛車もやっぱり凄い!




峰竜太の愛車は「ベンツ ゲレンデヴァーゲン」。推定2000万円以上するドイツの高級車です。
さらに、ベンツ以外にも複数台所有しており、同じくドイツ車の「ポルシェ カイエン」や、トヨタハイエースなど。


一般人には考えられない高級車だらけですが、年間1億もの賞金を稼いでいるトップレーサー。この程度の買い物は屁とも思っていないのでしょうw
しかも、上記の画像が公開されたのはだいぶ前のこと。現在はさらにグレードアップした愛車に乗っている可能性大です。
トップ層で活躍するボートレーサーってみんな金持ちばっか。以下の記事を見ればそう感じると思います。


破竹の勢いで最優秀新人ゲット!そしてSGへ
デビュー初勝利は同期に遅れを取った峰竜太。しかし、2005年に入ってから驚異的な成長を遂げ、新人らしからぬ大物ぶりを魅せつけます。
デビューからしばらくは大外6コース進入が通例。それでも上位を奪うアグレッシブな走りで、同期だけでなく先輩レーサーをも圧倒。
なんと「デビューから1年間で5度の優出」という、近年では稀にみる記録を打ち立てたのです。
初Vまで1年。しかしV2は同期で一番乗り


峰竜太の初優勝は、デビューからちょうど1年が経った2005年11月。岡村仁はその3ヵ月前に達成しており、初勝利に続いてここでも一歩遅れてしまいます。
しかし、岡村仁はそこから2010年まで優勝できず、山田哲也、山口裕太も同様に苦しい戦いが続きます。
そんな中、峰は翌2006年夏に2度目の優勝を達成し、ようやく四天王の中で頭ひとつ抜ける存在に。
その後も勢いは止まらず、2006年には年間8回の優出、さらにはG3を含む2度の優勝を記録しました。
80人抜きで2006年最優秀新人選手
いつしかファンやメディアは「ひょっとしたら、峰が2006年の最優秀新人選手に選ばれるのではないか?」という点に関心を寄せるように。最優秀新人選手の対象は…
「新規登録の翌年から3年以内の選手」。
つまり、2006年の場合は92期以降の選手から選ばれることになります。ちなみに、峰以外の候補者は後のSGレーサーばかり。
峰竜太の年間成績は、優勝2回・優出5回・1着69回をマーク。他の候補者は誰も上回ることができないまま選考期間が終了します。
合計80選手(92~94期)もの先輩レーサーを追い越し、峰竜太は2006年の最優秀新人タイトルを獲得。



峰竜太と最後まで争っていた岡崎恭裕は、翌2007年に3回の優勝を果たし、峰から1年遅れて最優秀新人選手に選ばれています。
初のSG出場はファン投票で選出
2007年前期からA1級に昇格。
G1開催に斡旋されはじめたばかりで、SGに選出されるほどの実績は残せておらず。そんな状態でもいきなりSGに出られるチャンスがやってきます。
その大会とは、ファン投票で選ばれる「SGオールスター(笹川賞)」です。
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当時はまだインターネット投票が導入されていなかった時代。そんな中、競艇ファンから多くの票を獲得し、デビュー2年半という当時歴代5位の早さでSG初出場を果たします。
予選突破こそなりませんでしたが、初SGで初勝利(水神祭)を挙げて爪痕は残しました。
「95期四天王」SG出場データ
選手 | SG初出場 | SG出場回数 |
---|---|---|
峰竜太 | 2007年5月 オールスター | 77回 (優勝6回) |
岡村仁 | 2012年5月 チャレンジカップ | 7回 (優勝0回) |
山田哲也 | 2011年7月 オーシャンカップ | 19回 (優勝0回) |
山口裕太 | 未出場 | 0回 |
2022年に途切れはしたものの、2011年以降はほぼ全てのSGに出場。グランプリ2勝を含む6度のSG制覇を成し遂げています。
峰竜太が天国と地獄を味わった2009年
2009年は年始から幸先の良いスタートを切ったかに見えましたが、2度目のSG出場が決まった直後に選手生活は一転してどん底へ。
ここからしばらく試練を味わうことになってしまいます。
地元唐津「九州地区選手権競走」で初G1制覇


2009年2月、峰竜太にとって23度目のG1出場となった「第55回九州地区選手権競走」。
G1ではこれまで優出すらなかった峰でしたが、予選は1度も舟券を外すことなく2位通過。準優勝戦も1コースから難なく逃げ切ってG1初優出を決めます。
さらに、予選1位だった平田忠則がイン逃げに失敗して5着に沈み、幸運にも優勝戦の1号艇が峰竜太に転がり込んできたのです。
優勝戦ではインスタートでやや後手を踏みますが、なんとか持ちこたえて1周1マークを旋回。道中も5号艇の伊藤宏に舳先を掛けられる厳しい展開を振り切り、1着でゴール。
G1初優出で初優勝の快挙を達成しました。
この優勝で3月クラシックの出場権を獲得し、いよいよ全国区のSGレーサーにステップアップ!という時期、まさかの出来事が起こります。
違反行為で3ヵ月の出場停止
総理大臣杯(クラシック)を間近に控えた、3月上旬の唐津一般競争。
期間中に同じ佐賀支部の先輩レーサー「西和則(2013年引退)」のプロペラ調整を手伝ったとして、整備規程違反に抵触。峰竜太は2日目後半のレースを欠場し、そのまま帰郷処分となりました。
他選手の整備に関して許されるのはアドバイスまで。
作業目的で手を掛けてしまうと「自分の艇は自分ひとりで整備する」選手義務に背いた行動となるため、重大違反となるのです。


峰には同年5月から3ヵ月の出場停止。さらに、1年間のSG選出除外という重い処分が下され、総理大臣杯の出場権も取り消しに。
出走回数不足によるA1級陥落こそ免れましたが、SG出場は2010年の前半までお預け。しばらく反省と我慢の日々が続くことになります。
悲願のSG初制覇(2017年)
悔しい思いがありながらも、一般戦で地道に1着を積み重ねた峰竜太。その甲斐あって勝率は7点台後半を推移。
2年半ぶりのSG復帰となったのは、勝率上位の選手が選ばれる2010年全日本選手権(ダービー)。
その戦いで初めてSGの予選を突破し、準優進出(6着)の大健闘!翌年のSG戦線へ大きな弾みをつけました。
早速、2011年3月の笹川賞(オールスター)で節間3勝を挙げて初優出5着。メモリアルとダービーでも優出を果たし、賞金王決定戦に初出場を果たします。
そして、待ちに待った瞬間が訪れたのは、2017年7月のオーシャンカップ。SG競走43回目の出場でつかんだ栄冠でした。
「死んだと思いました」危機一髪のアクシデント
初めてSGを獲るオーシャンカップの2ヵ月前、峰竜太はものすごい「厄落とし」を行っていたのです。
福岡で行われた笹川賞(オールスター)初日のドリーム戦。
イン逃げに失敗した峰は、後方を追走中にバランスを崩してまさかのショートカット。レース終了後、事故について以下のように話しています。
峰竜太あわや大事故「死んだと思いました」
あわや大事故!12Rドリーム戦の1周2M、イン戦でまくられバック最後方だった峰竜太(32=佐賀)は、ターンマーク手前で引き波にひっかかり舟がジャンプ、ネトロン(消波装置)を飛び越えてしまった。そこに篠崎元志、池田浩二が突っ込んできた。「死んだと思いました」。峰はそう思ったそうだが、篠崎と池田は瞬時に右ハンドルを切り回避。結局、峰も6着で完走した。「浩二さんと元志に感謝です」。
※2017.5.23 日刊スポーツより一部抜粋
まともにぶつかっていたら最悪の事態も想定された展開。そう思うと、このレースが大きなターニングポイントだったのかもしれません。
2017年オーシャンカップでSG初優勝
歓喜の瞬間が訪れたのは、2017年7月に開催された丸亀オーシャンカップ。
直前の一般開催(唐津)を節間10勝という圧倒的な強さで制し、上り調子で臨んだ自身43回目のSG競争。
前評判はお世辞にも高いとは言えない中、予選をオール3連対で2位通過。準優勝戦はトップスタートからイン逃げで押し切り1着。その結果、優勝戦は2号艇で挑むはずでした。
ところが、予選1位だった篠崎仁志が準優でまさかの6着。
これにより、峰竜太は初G1制覇となった2009年の芦屋と同じ形で優勝戦1号艇を手に入れたのです。
若干遅れたスタートとなりますが、1マークで他艇を振り切ってイン速攻を決めます。そのまま先頭を譲ることなく、悲願のSG初優勝を達成。


2007年にSG初出場したオールスターから約10年。
後輩レーサー達がSGを獲り、先を越されていく中で掴んだ悲願のビッグタイトル。半端なく嬉しかったのは間違いないでしょう!


峰竜太がスーパースターと呼ばれる理由
2017年のオーシャンカップ優勝後、以下のように話しています。



今まで獲り逃した分、いっぱいSG獲ってみんなに認めてもらいたい
こう話した通り、中で抑え込まれていたものが一気に解放されたかのような安定感を見せ、スーパースターの階段を駆け上っていきます。
年間全てのSGレースで予選通過


2018年の峰竜太は、11月のチャレンジカップまで7つ全てのSGに出場。2017年に続いての皆勤となりました。
これだけでも大変なことですが、さらに全SGで予選を突破する偉業を達成。
尼崎のオールスターでは、予選で待機行動違反と不良航法を1回ずつ犯して減点14を食らいながら、オール3連対で得点率を6.33まで回復。しぶとく予選を勝ち上がります。
クラシックでは優出3着、チャレンジカップでは2着。11月末までの獲得賞金を9628万円とし、2年連続のグランプリ出場を果たしたのです。
「1億円のターン」そして初賞金王
2017年は惜しくも3着に終わり、雪辱を期して挑んだ2018年のグランプリ。この開催のハイライトは最終日の決定戦でなく、峰竜太が出走した前日のトライアル最終戦。
峰はトライアル2ndステージから登場。1走目はイン逃げで勝利したものの、2走目は5コースから出番なく5着に沈みます。
最終日のファイナル進出には3着が条件の勝負駆けでしたが、枠番抽選で2走目と同じ5号艇を引いてしまいます。
再び不利な状況となった窮地で峰が魅せたのは、ファンの間で「伝説」ともいわれているまくり差し。実際のレース映像でご確認ください。
この年のハイライトは「峰の1億円ターン」だったと、多くのファンが口を揃えて言うほど印象的だった立ち回り。



峰本人も「選手生活でベスト3に入るこのターンには、1億円の価値がある」と、自身のYouTubeチャンネルで話しています。
この1着により、峰竜太は2ndステージを1位で突破。
堂々の1号艇で臨んだ翌日のグランプリ決定戦。外からのプレッシャーを1マークで振り切り、2018年のラストを見事なSG制覇で飾りました。
これまで名前の話題性が先行していた「峰竜太」というボートレーサーが、誰もが認める実力で艇界の頂点に立った瞬間だったと思います。
※以下の記事で各年の賞金王を紹介しています。


前人未到の「3冠レーサー」に


峰竜太の持ち味は、どんな開催でもめったに大崩れをしない安定感。2015年には勝率と最多勝の2冠に輝き、勝率に関しては2021年まで6年連続で1位を堅守しています。
SGで年間2勝を挙げ、自身2度目の賞金王に輝いた2020年には「最多獲得賞金」「最高勝率」「最多勝利」の3部門で1位。
1996年以降では初めてとなるタイトル3冠を達成!
2冠を獲得したレーサーは複数名いましたが、3部門すべての賞を獲ったのは峰竜太が競艇史上初。
峰竜太はこの年、最優秀選手と記者大賞にも輝いており、主要タイトルを総ナメ。自他共に認める「艇界No.1レーサー」の称号を手にした1年となります。
13度目の正直!涙のオールスター優勝
5年連続ファン投票1位を獲得。1号艇で迎えた初日ドリーム戦を逃げ切ると、その後も堅実にポイントを重ねて得点率8.00で予選をトップ通過。
準優勝戦は5号艇「松井繁」、同支部の6号艇「深川真二」という番組。
全艇が100mを切るスロー進入で波乱の展開もあり得ましたが、何とか逃げ切って優勝戦1号艇をゲットします。
優勝戦は先行を許すことなく1マークを捌き切り、そのまま1着でゴール。悲願のオールスター優勝を果たしました。


レースを終えて、ピットに戻る前から涙が止まらない様子。ファン投票で選んでもらいながら、結果を出せなかった悔しさもあったことでしょう。
ヘルメットを脱ぎ、インタビューに応えている最中も涙は止まらず。動画内でも「今までで1番うれしい」と語っています。
2021年のグランプリ優勝戦は史上ワーストの返還額に
皆さんの記憶にも新しい2021年の賞金王決定戦。1億円以上の賞金を稼いだものの、峰竜太にとって辛すぎる締め括りとなりました。
賞金ランキング1位でグランプリへ乗り込み、優勝戦までオール2連対で優勝戦は1号艇。ほぼ全ての競艇ファンは峰の2年連続賞金王を確信していましたが…
その結果、ボートレース史上最悪となる「41億円の大返還」。
優勝戦の1号艇で勝てず、賞金王を逃し、他の選手に迷惑を掛け、不名誉な記録を残す最悪の結果。峰竜太にとってボートレース人生で最も辛い1日だったかもしれません。



この転覆以降、峰の評判はガタ落ち。他にも不祥事を犯してしまうなど、ファンにとっては辛い状態が続いています。


SGダービー初優勝!さらに通算100V&24場制覇達成
2021年グランプリの転覆、そして2022年2月には不適切な交際により3ヵ月の出場停止。度重なる試練の連続で、峰竜太の評判は地の底に。
「このまま引退してしまうのか」そうした噂も流れる中、SGの斡旋除外が解けた2023年10月、久々にSG(ダービー)の舞台に出戻ってきます。
初日から抜群の安定感で予選トップ通過すると、準優も難なくイン速攻を決めて優出1号艇を獲得します。
SG最終戦らしい顔ぶれとなったファイナルは、山口剛・桐生順平・茅原悠紀らを抑える圧巻の逃げ。最も頂点にふさわしい男が再びやってのけたのです。
しかも、この優勝で以下2つの記録に到達。
- 通算100度目の優勝
- 24場制覇
やはり峰竜太は艇界No.1のスーパースター。ボート界に欠かせない存在といっても過言ではないでしょう。
まとめ ~ 峰竜太のこれからは?
一見、トントン拍子でスターダムにのし上がったような印象もあるでしょう。
しかし、デビューからの成績を見ると、初勝利(22走目)もSG制覇(出場43回目、優出11回目)も、それなりに苦労しています。
峰竜太は才能だけではなく、コツコツと積み上げて花を開かせる「努力と苦労をできる人間」。
すでに5人の弟子を持ち、後輩の面倒見もいいと評判の峰竜太。名実ともに艇界を代表するトップレーサーとして、今後もSGで熟練のターンを見せてくれることを期待したいです。



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