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毒島誠とは?SG常連でG1完全優勝を達成したナイターキング

毒島誠とは?SG常連でG1完全優勝も果たす競艇ナイターキング

これまで最高峰のSG競争で7勝。ここ数年は賞金ランキング上位、そしてグランプリ常連として安定した成績を残している「毒島誠」。

そもそも「毒島」という苗字を何と呼ぶのか分かりますか?

一般的にあまり知れ渡っていない苗字ですが、競艇ファンであれば「ぶすじま」と一瞬で解ります。それほど競艇界では認知度の高い選手なんです。

生涯獲得賞金は12億円超え。このままいけばランキングトップ10も時間の問題でしょう。

また、多彩な趣味やライフワークとしている慈善活動など、競艇場を離れたところでの活動も注目されています。

92期の出世頭であり、今では群馬支部のエースにまで成長した毒島選手のこれまでを振り返っていきましょう

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ボートレーサー「毒島誠」とは?

毒島誠は群馬県桐生市出身、92期生として2003年にデビューしたボートレーサー。元レーサーの池田幸美と結婚し、師匠はイン屋としても有名な江口晃生、弟子は伊久間陽優。

毒島誠の公式プロフィール

公式画像毒島誠とは?毒島誠のプロフィールと生い立ち
名前(かな)毒島誠(ぶすじままこと)
登録番号4238(92期)
生年月日1984年1月8日
身長・体重162cm・55kg
血液型B型
出身/支部群馬県/群馬支部

毒島誠の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご確認ください。

「毒島」は群馬特有のレア名字

毒島誠とは?「毒島」は群馬特有のレア名字

名字のポータルサイト「名字由来net」によれば、毒島という名字は全国におよそ910人。全人口比0.0007%というレアな存在。

さらに「毒島」という名字は、群馬県桐生市の周辺地域だけで全国の7割近くを占めているそうです。

2018年にはNHK「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」の”名乗りづらい名字”に取り上げられ、毒島誠本人も出演されていましたw

約1600名いるボートレーサーの中で、毒島姓を持つのはもちろん毒島誠だけ。プロスポーツ全体に範囲を広げると、同じく群馬県桐生市出身のプロ野球選手が1名だけ。

桐生高校からプロ野球の東映に入団し、日本一となった1962年には外野手のレギュラーとして活躍した名選手です。

妻・幸美さんは元競艇選手(池田幸美)

毒島誠の妻「幸美」さんは、2009年まで「池田幸美」として現役で走っていた元ボートレーサー。

出会いは幸美さんの地元である三国競艇場。

同じ開催にあっせんされ、5年先輩の幸美さんとレース場で会話を重ねるうちに、プライベートでも仲良くなったとブログには書かれています。

福井支部の82期レーサーとして1998年にデビューし、通算150勝で2009年の年末に引退した幸美さん。結婚の時期は非公表ですが、幸美さんの引退時期と重なっていそう。

現在は1男1女の4人家族となった毒島家。ボートレーサーという仕事に対する理解がある幸美さんの存在は、毒島誠にとって大きな支えとなっていること間違いなし。

競艇選手を目指すきっかけは「柴田光」の一言

高校卒業後の進路に悩んでいた時、高校2年生の時にボートレーサーを志すきっかけとなる出会いが訪れます。

桐生市役所の採用試験を控えていた中、友人の叔父さんの家へ遊びに行ったことが大きな転機に。その叔父さんの名は「柴田光」選手。

群馬支部68期の現役ボートレーサーだったのです。

毒島誠とは?競艇選手を目指すきっかけは「柴田光」の一言

自宅に飾ってあった優勝トロフィー眺めていた毒島誠に、柴田選手が言葉をかけます。

君、背が小さいから選手に向いてるね

この一言で、自分にもボートレーサーになれる可能性があることに気づいたそうです。進路を競艇の世界に定め、高3の1年間は学科試験対策と体力づくりに費やしたといいます。

狭き門であるボートレーサー養成所試験。それでも競艇界への夢を諦めず突き進んだ結果、見事に一発合格を果たしました。

今では同じ群馬支部で先輩後輩の関係となった柴田と毒島。すべては少年期の出会いと「選手に向いてるね」の一言がはじまりだったのです。

毒島誠のブログ・SNSなど

毒島誠はSNSなどで日常的に情報の発信を行っています。

毒島誠ブログ「ボートレーサー毒島誠」

毒島誠のブログ・SNSなど!毒島誠ブログ「ボートレーサー毒島誠」

noteで更新している毒島選手のブログ。

出走したレースが終わった後の振り返りを中心に、趣味やトレーニングの話など幅広く書かれています。

質問箱や音声データ、対談記事などもあって、毒島誠に関する情報を幅広く知ることができるコンテンツといえるでしょう。

毒島誠のツイッターアカウント

毒島誠のブログ・SNSなど!毒島誠のツイッターアカウント

近年は多くのボートレーサーが運用するツイッター。

毒島選手のアカウントでは、オフの時間や家族、友人知人に関する投稿など、レース場を離れた毒島誠の素顔がたくさん見られる場所となっています。

競艇やスポーツ以外のいろんな交遊関係を覗くことができるのも魅力です。

コラム「ポイズンロード日進毒歩」

日刊スポーツで月1回掲載されているコラムも要チェック!

ブログと同じく、選手目線でしか分からない競艇の知識や話題をはじめ、家族や群馬支部の話もたくさん紹介されています。こちらも好奇心の広さが感じられる内容です。

毒島誠のデビューから新鋭王座優勝まで

毒島誠とは?デビューから新鋭王座優勝まで

毒島誠は92期生として養成所を卒業し、2003年5月に19歳でプロデビュー。師匠は2020年に24場制覇を達成したSG2勝レーサーの「江口晃生」です。

毒島誠の同期(92期)レーサー

同期(92期)でSGを制覇したのは毒島誠のみですが、SG出走経験のあるレーサーは毒島以外に3名います。

妹も元ボートレーサー「大峯豊」

公式画像毒島誠とは?同期(92期)レーサー「大峯豊」
名前(かな)大峯豊(おおみねゆたか)
登録番号4237(92期)
生年月日1983年10月14日
身長・体重171cm・56kg
血液型AB型
出身/支部山口県/山口支部

デビューの年には同期トップタイとなる10勝を挙げ、2010年の中国地区選手権で初G1制覇を達成した大峯豊。

SG出場は年1回前後ですが、2007年後期からA1級を守り続けています。妹の大峯明菜さんは1期後輩の93期でデビューし、2009年まで現役で走っていた元レーサーです。

2009年の地元記念でG1初優勝「安達裕樹」

公式画像毒島誠とは?2009年の地元記念でG1初優勝「安達裕樹」
名前(かな)安達裕樹(あだちゆうき)
登録番号4227(92期)
生年月日1983年2月12日
身長・体重166cm・54kg
血液型O型
出身/支部三重県/三重支部

新人時代はスタート事故に苦しんだ安達裕樹。

大峯と同じく2007年から調子がグンと上向き、2009年の地元津G1で自身初の記念優勝を達成しました。

それ以降も安定した成績を残しており、2021年は3回、2022年は4回の優勝を挙げています。SGは準優進出までで、優出の経験はありません。

養成所リーグ戦勝率1位「松村敏」

公式画像毒島誠とは?養成所リーグ戦勝率1位「松村敏」
名前(かな)松村敏(まつむらさとし)
登録番号4236(92期)
生年月日1983年9月17日
身長・体重170cm・53kg
血液型O型
出身/支部熊本県/福岡支部

養成所リーグ戦では勝率1位を記録した「松村敏」でしたが、初優勝は2009年とデビュー後の苦労が続きました。

本来の実力が開花したのは2015年。3月の平和島ダイヤモンドカップで初のG1優勝を達成し、その年のダービーでSG初出場を果たしています。

2021年前期は出走回数不足でB1級降格という屈辱も。ただ、後期でA1に復帰した後は2回の優勝を飾るなど、調子を取り戻している様子。

4節目で初勝利、4年目で初優勝

毒島誠のデビューは2003年5月の桐生一般開催。

初戦は大外6コースからコンマ03のタイミングで3着と健闘。ただ、その後は桐生の不安定な風と水面に苦しんでスタートを合わせることができず、デビュー節は「35536656」という結果に。

初勝利はデビュー4節目となる多摩川の初日1レース。コンマ14のトップスタートで大外から豪快にまくり切り、デビュー25走目での水神祭となりました。

最終日でも1着を獲り、この節だけで2勝をマークします。

そして、初優勝はデビュー4年目の2006年9月。自身2度目のあっせんとなる鳴門の一般戦。

予選で3勝を挙げ、準優では3コースから2着に食い込む好成績。優勝戦は5コース進入となり、ほぼ互角のスタートから間隙を縫ってのまくり差しが見事に決まって1着でゴール。

92期では一番乗りとなる初優勝の水神祭を挙げました。

2010年の新鋭王座決定戦でG1初V

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