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艇界のレジェンド!松井繁の獲得賞金や年収&ミス日本の娘など

生きる伝説!松井繁の生涯獲得賞金や年収&ミス日本の娘など

競艇界のレジェンドといえば「松井繁」選手!

生涯獲得賞金は歴代ダントツ1位の39億円超。平成元年のデビューからわずか3期でA1級に昇格し、キャリア7年目の1996年にSG初制覇。その後も無類の強さを発揮し続ける絶対王者です。

強豪が集まる大阪支部を牽引し続け、50歳を超えた現在もストイックな姿勢を貫くレジェンド。

いかにして数々の大記録を打ち立てたのか?

賞金王に4度輝いた強さの秘密、そして2021ミス日本グランプリを獲得した娘・松井朝海さんの話題なども紹介していきます。

管理人
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絶対王者「松井繁」とは?

松井繁は大阪府吹田市出身のボートレーサー。

スポーツ強豪校として知られる北陽高校(現・関大北陽高校)に入学し、中学から続けていたテニスも励む。ただ、目立った成績を残せず卒業した後、現ボートレーサー養成所へ入所。

はたしてどのような経緯で競艇を目指したのか?松井選手のプロフィール深掘りしていきましょう!

公式プロフィール

公式画像松井繁(まついしげる)
名前(かな)松井繁(まついしげる)
登録番号3415(64期)
生年月日1969年11月11日
身長・体重169cm・52kg
血液型O型
出身地大阪府
所属支部大阪支部

ボートレーサーになったきっかけは?本人が語ったこと

松井繁が競艇の道に進んだきっかけについては、ネット上でさまざまな記述があります。

「高校在学中にボートレーサーを目指す決意をした」という項目は一致しているものの、経緯の説明にはそれぞれに違った内容が書かれています。ウィキペディアでも志望理由については真実が固まっていない感じ。

そんな中、松井繁がボートレースを目指したきっかけに関して、自らの口で語った動画があります。

2017年8月に関西で放送された、サンテレビ「ボートの時間!」です。

松井繁がこの回のインタビューで語った内容を要約すると…

  • ボートレーサーになろうと決めたのは高校3年生
  • 実家の「魚屋」で働いていた従業員が競艇好きだった
  • その従業員には、松井繁が小さい頃から「体型や身体の使い方が競艇に向いている」とよく言われていた
  • 高校卒業後の進路に悩んでいた時、従業員の「競艇に向いている」という言葉を思い出す
  • それまでボートの知識も観戦歴もなかったが「向いているのなら受けてみよう」と養成所の受験を決意した

元々、実家の寿司屋を継ぐ気はなかったようです。そんな時に競艇を勧められ、進路のひとつとして興味を抱いたらしい。

管理人

松井選手に勧めていた従業員さん、根っからの競艇好きだったんでしょうねw

養成所試験に一発で合格し、競艇の道へ

高3でボートレーサーへの挑戦を決意した松井繁は、その年の養成所試験に一発で合格。64期生として山梨県の本栖研修所(当時)に入所します。

養成所試験を受ける段階はボートレースのことを完全に無知な状態。また、入所してしばらくは艇の操縦にも慣れず、成績不良の退所におびえる苦しい時期を送っていたようです。

しかし、なんとか厳しい研修所生活に耐え、実戦形式の訓練で徐々に結果が出るように。

無事に養成所を卒業し、1989年の春に選手登録。同年5月、地元住之江競艇場の一般戦でデビューを果たします。

同期(64期)のリーグ戦1位となったのは、後にライバルとなるSGレーサー「服部幸男」選手。2人の関係については後ほど紹介します。

もちろん素質はあったのでしょうが、彼には人間関係にも恵まれた強運の持ち主と言えます。

というのも、当時の競艇界でトップを争う大阪支部の先輩「野中和夫・長嶺豊・津田富士男」などが身近にいたのです。

そういった環境でスタートできたこともあってデビュー1期目から順調な滑り出しを見せ、早々にB2級を脱出。その後も好成績を残し、1年半で最上級のA1級に昇格する快挙を果たしました。

引退のタイミングは自分の中で決めている

ネットでもちらほら見かける「松井繁の引退」について。上記に紹介した動画内でMCの永島がかなり突っ込んだ質問をしています。

ぶっちゃけ引退って考えるんですか?」。視聴しているこちらもドキッっとしましたが、この質問に対して松井繁は以下のように回答しています。

松井繁

こういう年齢になってきたら近いのは近いよね。20歳の頃よりは近付いてるやんか。(永島:どういった時に?)それは自分の中で決めてるよ。こうなったら…っていうのはあるよ。

永島さん、よく引退について聞いてくれた!そして、明確な回答ではなかったものの、嫌な顔せずやんわり答えた松井選手はやっぱりカッコイイ!

強さだけではない人間性も、ボートファンに愛され続けた理由でしょうね。

松井繁の娘「松井朝海」2021年ミス日本

2021年の春、競艇とは関係のないことで名前が広く知られることになります。

第53回ミス日本コンテスト」グランプリを獲得したのは、22歳の松井朝海さん。そう、競艇で日本一となった松井繁さんの娘も、日本一の女王に輝いたのです。

松井家の三女・朝海さんはトライリンガルの才女

松井繁の娘「松井朝海」2021年ミス日本
出典:松井朝海インスタグラム

松井繁は妻・美雪さんとの間に3人の娘がいます。朝海さんはその末っ子となる三女で、ミス日本グランプリ受賞時には関西学院大学の4年生でした。

ミス日本の公式プロフィールでは英語とスペイン語が特技となっており、学生時代には海外留学やインターンシップも豊富に経験している朝海さん。

スラリと伸びる美脚が特徴的であり、「ファッションモデルになりたい」という夢は幼少期から抱いていたそうです。

勝負師の娘!ミス日本グランプリに輝く

西日本地区の予選を勝ち抜き、13名の最終審査に残ります。都内で開かれたファイナリストのお披露目で、声高らかに発した自己紹介のコメントがこちら。

勝負師の娘!父からは努力と『継続は力』を学びました

戦い続ける父の姿を見て、努力すること、継続することの大事さを学んだという。その努力が実り、53代目となるミス日本グランプリの座に輝きました。

父と同じくここ一番の勝負強さを見せた朝海さん。

「いつか父を超せたと思える日が来るように精一杯頑張りたい。夢はファッションモデルになって、パリコレに出ること」と、受賞後のコメントでは絶対王者の父を超える活躍を誓っています。

それと、グランプリ獲得後の朝海さんは、若松で開催されたSGオールスターのYouTubeにゲスト出演。どんな女性か気になる方はぜひ視聴してみてください!

松井朝海のSNS(ツイッター・インスタグラム)

松井朝海さんはツイッターとインスタグラムを運用しています。

ミス日本グランプリとしての活動風景やオフショットの数々、そしてインスタでは朝海さんが幼い頃の父親(松井繁)なども覗くことができます。未登録の方はぜひこの機会に!

松井繁の初優勝はすべてアウェー水面

松井繁といえばホーム水面の住之江で活躍する姿がイメージされがちですが、過去の戦歴を調べてみると意外な事実が判明。

それは「すべての初優勝が地元水面ではない」こと。

デビューからしばらくは地元周辺のあっせんが多くなる中、初優勝の地は意外にも九州の「芦屋競艇場」。さらに、SG・G1・G2も、初Vは地元でない水面で達成しています。

G2初優勝は2006年の大村競艇

かつては年間で唯一のG2開催だった大村の競艇祭(現・モーターボート誕生祭)。松井繁は10回目の開催となる2006年に優勝を飾っています。

同期である服部幸男のほか、現在もSG戦線で活躍する選手たちが揃った優勝戦。

スローの3コース進入となった松井繁は、互角のスタートから1マークでまくりを敢行します。

ここで逃げを狙った1コース今垣光太郎の抵抗を受け、まくり届かず…と思われましたが、松井は臆することなく強引に艇をかぶせ、今垣の抑え込み成功します。

バックストレッチで大外からグイっと伸ばして先頭に立つと、逆転を狙う2コース服部の追撃を振り切ってゴール。

インが全国一強い大村で、SG優勝戦でもおかしくないメンバーを相手に見事なG2初優勝となりました。

G1初優勝は1992年の戸田競艇

今となってはSG開催があまりなく、インが極端に弱い戸田を走る松井の姿は想像できません。事実、2021年末時点で3年以上も戸田の出走から遠ざかっています。

ただ、松井繁のG1初制覇はこの戸田競艇場でした。

1992年5月の記念開催「戸田グランプリ(当時の名称)」。初日から連勝スタートで波に乗った松井は、その後も崩れることなく予選を突破。準優も1着で切り抜けます。

優勝戦は3コース進入でしたが、見事にまくりを決めて1着でゴール。デビュー丸3年でつかんだ記念タイトルとなりました。

2000年の戸田グランプリもイン逃げで優勝を果たし、関東の競艇場では初となる複数回の記念Vを飾っています。

若手時代の松井と戸田の水面は、意外と相性が良かったのかもしれません。

SG初優勝は1996年の児島競艇

はじめての記念Vから4年後の1996年5月、松井繁は児島競艇場で行われた笹川賞(オールスター)でSG初優勝を飾ります。

今では考えられないほどコース取りが激しく、枠なり進入なんてほぼなかった時代。

そんな中、松井はギリギリで予選突破。準優も大外6コースから2着に入り、SG3回目の優出を果たします。

「瀬戸の大魔神」安岐真人に若手5名が挑む構図となった優勝戦。

松井と同じ大阪支部の先輩「倉谷和信」が3号艇から1コースを奪うなど、ここでもコース取りが激しく進入は「351246」。準優に続いて大外からのスタートとなりました。

スリットで後手を踏み、1マークで出番がなかった松井選手。一方の倉谷はイン逃げを決めてバックストレッチを先頭で抜け出す展開。

誰もが倉谷選手のSG初Vと思っていたところ、2マーク出口で倉谷がバランスを崩してまさかの転覆

2、3番手にいた安岐、池上裕次が影響を受ける間に内から混乱をすり抜けたのが、道中5番手にいた松井繁だったのです!

軽く頭を下げてゴール線上を通過した松井。

それもそのはず、決まり手が「恵まれ」だったこと、そして先輩の倉谷がSGタイトルを逃した中での優勝は、素直に喜べなかったと本人は話しています。

しかし、デビュー丸7年でつかんだ児島でのSG初優勝が、絶対王者の地位を築く最初のステップであったことは間違いありません。

松井繁が「絶対王者」と呼ばれる理由

2021年終了時点で2378勝。これだけでも超一流の証といえますが、それ以上に誰も破られることのない記録の数々を作り、現在もなおその数字を更新し続けています。

松井繁の強さを裏づける理由とあわせて、ボートレーサーとしてのスゴさに迫ってみましょう!

年収1億円以上!生涯獲得賞金第1位で40億円目前

順位選手名生涯獲得賞金
1位松井繁39億9755万円
2位今村豊29憶4144万円
3位山崎智也25億9690万円
4位今垣光太郎25憶6381万円
5位瓜生正義25憶1287万円
6位濱野谷憲吾24億2250万円
7位植木通彦22億6186万円
8位太田和美22億5810万円
9位田中信一郎21億1530万円
10位服部幸男19億8780万円

松井繁についてまず取り上げるべき記録が、デビューからの生涯獲得賞金

その額なんと39億円オーバー!2位の今村豊さんに10億円、3位の山崎選手に14億円以上の差をつける圧巻の数字。年収1億円を超える賞金を長年に渡って続けていることになります。

おそらく破られることは当分ないでしょう。この記録を現役時点で打ち立てたのは、まさしく生きる伝説と呼ぶにふさわしいですね。

記念Vが70回!優勝回数もスゴイ!

2021年末時点で松井繁の優勝回数は、全グレード合計136回。

現役No.1の峰竜太(85回)、2021年グランプリ覇者の瓜生正義(88回)と比較すれば、いかに凄い記録なのかお分かりいただけたはず。

そして、注目すべきは58回というG1の優勝回数

2003年には年間8つのG1優勝を達成。全盛期にはSGだけでなく、各地の記念レースでも荒稼ぎしていたことを示す数字となります。

記念レースとは?

G1以上のグレードレースのことです。現在、記念開催数は年間50回ほどあります。

さらに、SG、G1を合わせた「記念優勝」の回数は2021年末現在で70回

モンスターこと大阪支部の大先輩・野中和夫さんの56回を超え、歴代1位となる77回(彦坂郁雄さん)の大記録更新も、いよいよ視界に入ってきました。

グランプリ優出はなんと15回!

松井繁 グランプリ優出はなんと15回

絶対王者であり、グランプリ男でもある松井繁。

1998~2004年の7回連続を含む15回の賞金王決定戦(グランプリ)ファイナル進出というのもとんでもない記録です。

出場するだけでなく、賞金ランキング上位選手を相手に勝ち抜く必要があるため、この記録がいかに凄いが分かるはず。

ちなみに、15回目のファイナル進出となった2020年で3着に入り、グランプリファイナルで1着から6着まですべての着を取るという、これまた大変な快挙を達成しています。

長期F休みがないのも強さの秘訣

第一線で活躍し、賞金を稼ぎ続けている大きな要因は「フライングによる長期離脱がない」からだと思います。

A1級に上がって以降、30年以上にわたって期間Fは1本まで。

記憶に残っているのは、2005年の桐生オーシャンカップ準優でフライングを切り、翌年の総理大臣杯(クラシック)までのSGを棒に振ったレースぐらい。

もうひとつ挙げるとすれば、2021年8月の住之江で喫したフライング。キャリア2度目の期間F2を記録してしまったのは大きな話題となりました。

強いだけじゃ”レジェンド”にはなれないということですね。

管理人
多額のお金を動かす施工者にとって、フライング等をリスクが低い選手は重宝される存在。まさしく松井繁のような選手です!

松井繁とライバルレーサーの関係

2022年でデビュー34年目となる松井繁。

これまでには数々のライバルたちと名勝負を繰り広げてきました。宿敵、因縁、不仲などさまざまな憶測についても、艇界の頂点で戦う王者の存在感あってこそでしょう。

ここからは松井繁のライバルや後輩など、かかわりの深いレーサーについて解説します。

最高のライバルであり同志「服部幸男」

公式画像服部幸男(はっとりゆきお)
名前(かな)服部幸男(はっとりゆきお)
登録番号3422(64期)
生年月日1971年1月5日
身長・体重167cm・56kg
血液型B型
出身地静岡県
所属支部静岡支部

同じ64期のレーサーとして、SG優勝4回を誇る「服部幸男」選手。デビューわずか3年で全日本選手権(ダービー)を制し、史上最年少のSG優勝記録を持つS級レーサー。

「水の上では先輩も後輩もない」と、ベテラン選手に下剋上を叩きつけるCMも当時話題となりました。

新人の頃から常にお互いを意識し続け、どちらが最優秀新人を獲るか、どちらが先にSGを獲るかと競い合ってきた2人。

出世は服部の方が早かったものの、1996年に松井がはじめてSGを勝ってからは、ともに頂点を目指してしのぎを削るレースも多く見られるようになります。

とはいえ、服部選手とは同期として揺るぎない友情があるのも忘れてはいけないこと。

服部がはじめてダービーを勝った時、松井繁は表彰式の後も平和島に残り、抱き合って泣きながら同期の優勝を祝福したといいます。

松井繁

アイツ(服部)の存在はすごい。もしいなかったら。自分の今があったかどうかは分からない

過去の取材でそう語っていた松井。服部は長らくSGから遠ざかっていますが、また最高峰の舞台で同じレースを走る姿を見たいものです。

数々の死闘を繰り広げた「植木通彦(引退)」

本人画像松井繁 数々の死闘を繰り広げた「植木通彦」
名前(かな)植木通彦(うえきみちひこ)
登録番号3285(59期)
生年月日1968年4月26日
身長・体重165cm・51kg(現役時)
血液型O型
出身地福岡県
所属支部福岡支部

SG優勝10回の艇王「植木通彦」さんと松井繁の戦いは、ボートレース界の覇権をめぐる世代を超えた闘争でもありました。

お互いに特別な意識は持っていなかったようですが、植木さんは「ものすごい努力をして、それを持続できる環境をつくっているのが素晴らしい。自分にはできない」と松井繁を称賛。

現役時代はライバルだった中道善博さんなど、植木さんの上にいる世代への意識が強かったらしい。気づいたら追い越されていた印象があるとも話しています。

ちなみに、この2人は賞金王決定戦(グランプリ)のファイナルだけでも3回(1999、2002、2004年)の対戦があり、1999年は松井、2002年は植木さんが優勝しています。

一時は険悪な仲?と噂になった「原田幸哉」

公式画像原田幸哉のプロフィール
名前(かな)原田幸哉(はらだゆきや)
登録番号3779(76期)
生年月日1975年10月24日
身長・体重172cm・53kg
血液型B型
出身地愛知県
所属支部愛知支部⇒長崎支部(2017年~)

松井繁の6年後輩になる「原田幸哉」選手。

この2人といえば、2007年住之江・SG笹川賞優勝戦のダンプ事件を取り上げないわけにはいきません。

1コースからのイン戦となった瓜生を相手に、1マークで差しを決めてバックストレッチで前に出た松井。

外の瓜生を見ながら鋭く2マークに切れ込もうとした時、最内から強引なダンプで松井を大きく外へ飛ばしたのが原田でした。

この結果、前が開いた瓜生に初のSGタイトルが転がり込み、2着に入った原田と同期のワンツー決着に。

原田の突っ込みに弾かれた松井繁は5着となったのです。

松井繁 一時は険悪な仲?と噂になった「原田幸哉」

松井のホームである住之江のファンからは怒号が飛ぶ騒然とした空気に。

SGの優勝戦で飛び出したラフプレーから「松井が原田にブチギレた」「あれ以来、口も聞かないし目も合わせない」など、ネット上でもさまざまな憶測が流れました。

しかし、それらの口コミはあくまで憶測だったようです。原田幸哉選手公認のファンサイトにその証拠があります。

「競艇界の王者 松井 繁さんです。。。自宅です。。。この写真を持ちまして、幸哉さんと、松井さんの関係についての議論は終わり」

2人はあの一件から逆に距離が縮まり「皆でボート界を盛り上げよう」と話をする機会も増えたとのこと。

お互いの自宅にも遊びに行く関係となり、不仲が続いているのではないかという心配などまったく要らないようです。

松井繁には兵庫支部の弟子がいる

松井繁にはこれまで現役、引退選手をあわせて4人の弟子がいます。

  • 80期 浦上拓也選手・鎌田義さん(2017年引退)
  • 83期 北村征嗣選手
  • 85期 山本隆幸選手

鎌田さんと山本選手は、兵庫支部から弟子入りを志願した珍しいケース。

競艇の師弟関係は基本的に同じ支部の中で築かれるもの。しかし、2人は松井繁に惚れ込み、何度も頭を下げてお願いしたといいます。支部の垣根を超えた師弟の絆が作られるのは異例のこと。

住之江から近い尼崎も、松井にとってはホーム同然の水面。吉川元浩、魚谷智之の両選手が出てくるまで、兵庫支部は長い低迷にあえぐ時期もありました。

他支部の選手を迎え入れ、同じ近畿地区として競艇を盛り上げていこうという思いもあったはずです。

松井繁が賞金王に輝いた4度のプレイバック

松井選手がこれまで賞金王決定戦(グランプリ)を優勝したのは、いずれもホームである住之江の水面です。

1億円を懸けた激闘を制し、艇界の頂点に立った過去3回のレースを振り返ります。

渾身の2コースまくりで初制覇!(1999年)

前年の4着に続き、2年連続で賞金王決定戦のファイナルに進んだ松井繁。

トライアル3走は「323」と1着がない成績ながら上位6艇にすべり込み、ファイナルの枠番抽選(当時のルール)では2号艇を引き当てます。

優勝戦では4号艇植木が大外に回るなど激しいコース争いとなりましたが、松井は枠なり2コースで進入。

1コースでアジャストした江口選手に対し、抜群のスタートで艇を伸ばした松井。1マーク手前で早々に先手を取り、鮮やかなまくりで先頭を奪取。そのまま1着でゴールとなりました。

30歳で初の賞金王タイトル獲得となり、ゴール後にはスタンドに向かって喜びを爆発!

松井繁

(優勝して)スタンドにガッツポーズをしたかった。夢が叶ってすごくうれしい

地元住之江のファンに頭を下げ、万感の思いで語ったインタビューは今でも鮮明に覚えています。

これぞ王者の貫禄逃げ(2006年)

連覇を狙った2000年の平和島グランプリは、スタートで出遅れて見せ場なく6着。以降も毎年ファイナルに進みながら結果が出ず、2005年はオーシャンカップ準優のFが影響して出場すらできず…。

雪辱を期して臨んだ2006年は、まず前年に涙をのんだオーシャンカップで優勝。この年、松井選手は賞金ランキング2位で年末のグランプリに出場します。

トライアル3戦で2勝をマークし、ファイナル1号艇をゲットして迎えた優勝戦。

ピット離れから誰も動かないシンプルな枠なり進入となり、この時点で松井繁の優勝は決まったようなもの。

コンマ10のスタートから先手を取り、1マークを先頭で抜けるとあとは堂々の走りで高々とガッツポーズ!

悔しい思いをした昨年のリベンジを果たし、再び地元ファンの声援に応えることができました。自身2度目の賞金王を達成します。

運を味方につけて賞金王V3(2009年)

2009年は念願だったダービーで初優勝。勢いをつけて年末の住之江に乗り込みました。

トライアル3走は1着、3着、4着でファイナルは3号艇。枠なり進入となり、松井選手はスローの3コースから挑むことに。

イン逃げを狙う坪井。そして、2コース瓜生選手がどう仕掛けるか注目された1マークでしたが、なんとこの2人が競って外へと消えるまさかの展開。

その後にいた松井にとって、無難に回るだけのレースとなったのです。

2、3番手争いが最後までもつれる中、悠々と3周を走り切り、最後はスタンドに軽く手を挙げてゴール。この年の獲得賞金は自己ベストとなる2億5000万円超えとなりました。

決定戦4着も…賞金王を守り抜いた2008年

賞金王決定戦の優勝は3回ですが、2008年にも賞金王のタイトルを獲得しています。

この年は総理大臣杯(クラシック)とオーシャンカップで優勝し、賞金王決定戦直前の獲得賞金がすでに1億9000万円程度。トライアルを2位で突破してファイナルに進んだ時点で、この年の賞金王を確定させてしまいます。

もし、松井が優勝して1億円を獲得すれば、植木通彦さんが持つ記録(2憶8393万円)を塗り替えることに。ただ、結果は4着に敗れ、植木超えはなりませんでした。

それでも松井は獲得賞金を2憶1200万円とし、賞金ランキング1位を堅守。

2000年以降で4例しかない、賞金王決定戦を勝たずに賞金王タイトルを獲得する異例の快挙を成し遂げました。

管理人
今後、松井選手ほどの記録を期待されるのは「峰竜太」選手ぐらいでしょうか。メンタル面がちょっと心配ですが…。

知って得する松井繁の苦手そうな競艇場

絶対王者といわれる松井繁にも苦手(そう)な水面があります。

住之江での強さが突出しているからこそ、走る機会が少ない関東地区でのイメージが薄くなるのは仕方ないかもしれませんが…。

過去実績から見る相性の悪い競艇場を覚えておきましょう!

「走ること自体がレア」江戸川競艇場

江戸川競艇場の予想ガイド!水面特性やコース別勝率などの特徴まとめ

あっせんが来ないのか?それとも自らあっせんを拒否しているのか?

その真意は分かりませんが、難水面の江戸川で松井選手を見る機会は極めて少なく、デビュー以来まだ優勝がない唯一の競艇場となっています。

もちろん、江戸川でSGが行われないことも出走数に影響していますが、最後に江戸川を走ったのは2014年のG1江戸川大賞。それ以前は2006年、1994年とかなりレアキャラw

「(江戸川は)慣れが必要」と本人も話す通り、特殊なボートと水面で実力を発揮するのは難しいようです。

管理人
全24場制覇は引退までに達成してほしいですが、近年のあっせん回数だと厳しいかも…

「一番苦手。好きやない。」平和島競艇場

平和島競艇場の水面特性やコース別勝率などの特徴まとめ

これまで何度もSGが開催されている平和島競艇場。松井は「一番苦手。好きやない。」とはっきり公言するほど相性が良くないようです。

唯一、平和島で優勝したのは2015年12月のG1トーキョー・ベイ・カップ。

この時は初日からオール2連対と好調で、優勝戦も危なげなくイン逃げを決めて完勝。デビュー27年半にしてようやくの初Vでした。

そもそも、平和島あっせんはSGとG1ばかりで、結果を出すこと自体が大変なこともあるでしょう。

さかのぼって調べると、最後に平和島(一般戦)を走ったのは2001年6月のキリンカップ。この時は優出2着の成績を残しています。

25年ぶりの一般戦で優勝!徳山競艇場

遠征が少ない関東地区の苦手意識は理解できます。ただ、出走機会が多い西日本にもなかなか勝てなかった水面があります。

それは山口県の「徳山競艇場」です。

徳山はSG開催がほとんどない競艇場(過去2回のみ)。また、松井繁があっせんを受ける機会もこれまで少なく、優勝から遠ざかっていた水面でした。

しかし、2020年2月、松井選手は25年ぶりとなる徳山の一般戦に出場。

予選で5勝を挙げるなど危なげない走りで優出を果たし、優勝戦もコンマ03のスタートからイン逃げを決めて徳山初V!これが23場目となる優勝でした。

優勝インタビューでは「この前いつ走ったかも覚えていないけれど、今回の優勝で徳山の走り方が分かったような気がする」と話しています。

まとめ:引退までに全24場記念制覇の達成を!

50代となった現在も「絶対王者」として競艇界に君臨する松井繁。まだまだSG戦線で戦う技量は衰えを知らないので、2022年以降の活躍にも期待したいですね!

そんな松井選手には、達成を目前に控えている記録が2つあります。

  • 江戸川を残すのみとなった全24場制覇
  • 全24場記念制覇(残りは江戸川、徳山)

1つは全24場制覇。あっせん数が少なく、苦手意識もある江戸川競艇の優勝のみ。

そして、達成すれば彦坂郁雄さん以来2人目となる全24場の記念制覇。こちらは江戸川、徳山の優勝となります。

徳山の一般戦で優勝した際のインタビューでは「全24場制覇に興味はない。あくまで狙うのは全24場のG1制覇」と話しています。

とりあえず江戸川(G1江戸川大賞)と徳山(G1徳山クラウン争奪戦)に出場するのか?これからの動きを注視し、記憶にも記録にも残る松井繁を応援したいと思います。

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