2022年にグランプリ初制覇&賞金王。また、SG優勝戦のFでメモリアルまで選出除外ですが、重賞復帰(G2)は6月末を予定しています。
師匠「今村豊」さんの後継者として、山口支部を牽引する「白井英治」。
鋭い目つきでクールな印象ですが、実際は優しさで溢れた男が惚れる人間性。また、プライベートでは5人の子供を持つ良き父親でもあります。
SGをなかなか勝てずに「無冠の帝王」と呼ばれた過去も。
しかし、2014年にSG初制覇、2018年には地元徳山でV2を果たし、さらには2022年のグランプリを制覇しました。
他にも数々の偉業を達成しているので、白井英治の魅力を知りたい方はぜひ最後までお付き合いください。
「ボートぴあ」は競艇で勝ちたい人に強くおすすめします。
約1ヵ月間、無料予想のみで的中率6割以上、回収率220%を記録。37万円ほどのプラス収支を達成済み。
開始して時間が経っていないので、利用者が急増する前の「今がチャンス」です!

白井英治とは?
白井英治とは、1976年に山口県美祢市で生まれ、養成所試験に5度目で合格した山口支部のボートレーサー。
養成所試験は5度目の正直で合格し、1997年にデビューを果たす。ホーム水面は徳山競艇場と下関競艇場。
白井英治の公式プロフィール
公式画像 | ![]() ![]() |
名前 | 白井英治(しらいえいじ) |
登録番号 | 3897(80期) |
生年月日 | 1976年10月15日 |
身長/体重 | 173cm/55kg |
血液型 | O型 |
出身/所属 | 山口県/山口支部 |
白井英治は華の80期生。SG覇者は白井のみですが、SG優出やG1優勝といったトップレーサーが勢揃い。その中でも代表的な選手は…
- 重成一人
- 平田忠則
- 白石健
ボートレーサーになるきっかけは父親
小学生の頃、父親に連れられ競艇場でレース観戦していたとのこと。
その影響もあって「自分も競艇選手になりたい」という気持ちが芽生え、将来の夢として考えるようになったそうです。
小学校、中学校は野球、高校からは空手に打ち込みます。3年生の時に競艇選手を目指して養成所試験を受験しますが、4度挑戦しても努力は報われず。
それでも諦めることなく、19歳になった白井英治は再びチャレンジ。5度目の正直で合格し、80期訓練生としてボートレーサーへの夢をつかみ取りました。
応援してくれる妻と5人の子供のために
デビューから2年後の1999年6月20日。若干22歳で幼なじみだった女性と結婚し、現在5人の子供がいます。結婚が早かったため、いちばん上の子はすでに20歳超え。
白井選手がレースに出る時、1着になるよう家族で神棚にお祈りをする習慣があったといいます。
大きな家族愛を持って戦う父親に、妻や子供たちが熱いエールを送り続ける。そんな白井家の強い絆はボートレース界でも随一といえるでしょう。
レースに勝って妻と子供たちを幸せにしたい。
レーサーとして、そして一家の大黒柱として戦う白井英治のひたむきな姿は、2012年3月放送のTBS系「バース・デイ」でも放送されました。




上記画像は「バース・デイの過去記事」から引用したものです。



ネット上には妻・家族の写真は1つもなかったので、番組紹介の記事から引用させていただきました。
白井英治と今は亡き少年「こうが」くんとの約束




※画像は「2歳で横紋筋肉腫(胞巣型)を発病した息子の闘病記録」より。
2歳で小児がんを発病し、2017年の夏、4年7ヵ月という短い人生に幕を閉じたこうがくん。
白井選手の大ファンだった両親の影響で、こうがくんも白井選手のことが大好きに。
レース後に出待ちをしていた際、以前一度だけ会ったこうがくんに気づき、一緒に写真を撮ったり、コメント付きのサインをしている様子です。
「こうがにとっては、どんなお薬よりも白井選手が元気になれる力のようです」(父親談)
こうがくんにとって”白井英治”という存在はとても大きかったのでしょう。それは白井自身も同じ。こうがくんのおかげで活躍できたと語っています。
心にグッときたし、本当に大きな勇気をもらいました。振り返るとあれが昨年後半に活躍できたきっかけだったかもしれない。煌牙君がいたから、頑張って体重を落とせたところがあったし、自分を奮い立たせることができました
出典:スポニチ
そして、四十九日には「最高のファイター煌牙君へ、たくさんの勇気と力をもらいました。これからも煌牙君をボートに乗せて、一緒に走って行きます」とメッセージを添え、プロベラとシールドをこうがくんの元へ送ったそうです。



白井英治のような素晴らしい選手がいることを知ってほしい。心底応援したくなるレーサーの1人です。
新庄剛志似?艇界きってのイケメンレーサー


クールで物静かなイメージの白井英治。
女性だけでなく男性ファンからの支持も非常に高いイケメンレーサーです。40歳を超えてからは大人の色気も加わり、男が憧れる存在といえます。
ネット上でよく見られるのが、日本ハムファイターズのビッグボス(監督)こと「新庄剛志」に似ているという声。



白井英治が日ハムの新庄剛志にしか見えないのだが…。俺の目がおかしいのか?
白井英治がビッグボスに似ているという声は業界内にも。人気キャスターの早坂英子さんは「ボートレース界の新庄剛志」と勝手に呼んでいるのだとかw
白井選手に「新庄に似ているって言われません?」と直球の質問をした際、本人は「そう言われたの、人生で2回目」と、普段めったに見せない笑顔で答えてくれたそうですw
「地元のために」美祢市に100万円を寄付


山口県美祢市出身の白井英治は2022年2月、JR美祢線全線開通100周年を記念したラッピングプロジェクトの資金に役立ててほしいと、自ら100万円を寄付しました。
寄付について以下のように話しています。



ふるさと美祢市は人が温かく、ここで育ったことを誇りに思う。美祢線は学生時代、長門や下関へ遊びに行く時に乗っていた。次の時代を担う多くの子どもたちにも利用してもらいたい
ちなみに、クラウドファンディングで募っていた金額は約360万円。金額どうこうは関係ありませんが、100万円の寄付がいかに大きかったかがよく分かります。
「美祢市出身であることを誇りに思う」という地元愛にあふれたコメントも素晴らしい!
白井英治の師匠「今村豊」との絆
白井英治のボートレース人生は、師匠である「今村豊」さんなくして語ることができません。
数々の最年少記録を更新しながらSG7勝、通算獲得賞金約29億円という輝かしい成績を残し、2020年秋に突如引退を表明した今村豊。
同じ山口の大先輩を師と仰ぎ、白井選手はデビューから23年間、偉大なるレジェンドの背中を追い続けています。


出会いは高3「卒業したらボクのところに」


競艇好きの父親から「選手になったら今村のようになれ」と言われていた中、最初の出会いは県立美祢工業高校3年生の時。
今村さんの自宅を訪れ、あこがれだった現役選手に養成所試験のこと、選手になる心構えなど様々なアドバイスを受けます。そして、今村さんは若き日の白井少年に…
「養成所を出たらボクのところに来なさい」と声を掛けたといいます。
諦めることなく養成所試験にチャレンジし続けたのは、レジェンドである今村さんの期待を裏切れない思いもあったでしょう。
5度目の挑戦で合格を果たし、厳しい訓練を乗り越えてボートレーサーとなった白井英治。迷うことなく今村さんに弟子入りを志願しました。
今村引退年、地元優勝戦での師匠超え
調べた限り、白井英治が「今村さんと同走して優勝」したレースは2例。
1度目は2005年の戸田一般開催、そして2度目は2020年1月、地元徳山でのお正月開催「tysテレビ山口杯争奪戦」です。
地元水面の1コースで師匠が4コースから逆転を狙う状況の中、絶対に負けられないイン戦。スタートは5選手がコンマ0台という熱いスリット合戦になります。
地元水面でスリットが互角なら、1マークの捌きで他を上回る白井選手の独壇場。
1マークを先取りした後、後ろをしっかりけん制しながらスキのない旋回を見せ、バックストレッチ入り口で早々と5艇身以上のリードを確保。
師匠の今村さんを含め、後続に何もさせない見事な完封劇での優勝となりました。


突然の引退に驚き隠せず…最後は涙の足あわせ


今村豊の現役最後となったレースは、2020年9月に地元徳山で行われたG1ダイヤモンドカップ。白井はこの開催中に引退告げられたようです。
師匠からのあまりに急な引退宣言に「聞かなかったことにします」としか言えなかった白井英治。ラストランとなる最終日は、涙を我慢するのが大変だったといいます。
今村さんの引退が正式に発表後、白井はこう発言しています。



弟子になれたことは幸運だったし、感謝しかない。まだまだ戦える力はあると思っていたので衝撃だったけど、悔いがないって言っていることが今村さんのすべてを表していると思う
ラストランの後、師弟で足あわせを2周まわりましたが、ヘルメットの中では大粒の涙を流していたらしい。
ちなみに、現在白井選手の自宅は山陽小野田市ですが、今村さんの自宅とはわずか300メートルの距離w
今村さんの引退後も変わらず家へ遊びに行くそうで、ゴルフにもしょっちゅうお供しているのだとか。師弟の強い絆はこれからも変わらず続いていくことでしょう。
白井英治 デビュー初勝利からG1初優勝
白井英治は1997年5月、下関の一般開催でデビュー。新人は大外6コースからのスタートとなりますが3走目で2着、に入るなどまずまずの結果を残しています。
デビュー初勝利は9走目。2勝目はその翌日
白井英治の初勝利水神祭はデビュー2節目となる宮島一般戦。予選2日目の後半レース、大外6コースからコンマ11で飛び出します。
センター勢が出遅れる中凹みとなった展開が白井に味方し、全速の大まくりを敢行。これが見事に決まり、デビュー9走目でのうれしい水神祭となりました。
続く予選3日目でも大外からトップタイミングでまくりに成功し、連勝を果たします。
準優がない4日間開催だったため、予選突破は叶わず。しかし、節間2勝を挙げて最終日は選抜戦に出走し、2着に食い込む健闘を見せて場内のファンを沸かせました。
初優勝の地は蒲郡競艇場
初優勝はデビュー2年目1999年1月。開催場はナイター導入前の蒲郡競艇。
徐々に上の着順を残せるようになってきた白井英治。ポイント制で争われた予選を「4214212」の6位で突破し、自身5度目の優勝戦に進出します。
優勝戦では大外6コースからコンマ16のタイミングでスタート。伸びで優位に立った白井は最内差しを選択。
空いたスペースを突き抜け、そのまま他艇を寄せ付けず1着でゴール。艇界の頂点を目指す第一歩となる初優勝を達成します。
ミスター完全優勝!1着を量産


白井英治といえば、節間オール1着の完全優勝が多いレーサーでもあります。
2022年2月現在、完全優勝はなんと7回。そのうち4回を地元である下関、徳山で達成しています。
ここ数年の達成者は1ケタが続いている状況。モーターが変わったからなのか、SGレーサーでも節間オール1着は難しくなっているようです。
開催中は内外あらゆるコースを走ることになるので、1着のみで完全優勝を7回もやってのけるのはまさに本物。



完全優勝については以下の記事が参考になります。SG・G1で達成した選手もいるので時間があればぜひ。


無冠の帝王からSG覇者になるまで
毎年のように優出しながら、なかなか優勝することができないまま13年が経過。
2014年夏の若松メモリアルで待望の栄冠を勝ち取るまで、その道のりはとても厳しく険しいものでした。
痛恨の優勝戦でフライング(2005年多摩川総理杯)
自身5度目のSG優出となった2005年の総理大臣杯(クラシック)。
この年は1月に戸田で優勝、2月には宮島で準完全Vを飾っており、いいリズムで多摩川に乗り込んでいました。
予選1走目こそ6着でしたが、2走目以降は「21232」と立て直して準優2着で優出。ちなみに、この開催でダッシュからスタートタイミングは05、01、01。
優勝戦も自信を持って踏み込んでいきましたが…


優勝戦の雰囲気にのまれたのか、コンマ04のスリットオーバー。1年最初のSGで何とも痛すぎるフライングを喫してしまいました。
このフライングにより白井は1年間SGに出場できず、G1も12月の下関まで出走不可。
不本意な1年となった白井英治がようやくSG戦線に復帰したのは、翌2006年の桐生MB記念(メモリアル)。
またしても無念の待機行動違反(2010年浜名湖笹川賞)
SGレース復帰後、再び調子を取り戻して迎えた2008年~2009年。
それぞれ2度のSG優出を果たしますが、優勝には届かず。いつしか「無冠の帝王」というありがたくない肩書きがつけられるようになります。
この不名誉を払拭するべく臨んだ2010年の笹川賞(オールスター)。
予選で3勝を挙げて準優2号艇に座った白井は、枠なり2コース進入からイン逃げを狙う新田雄史に差しで1着を奪います。
自身10度目のSG優出を決め、今度こそ優勝!となるはずでしたが、直後に待っていたのは待機行動違反の宣告。この時点で賞典除外となり、不運にも優出を取り消されてしまいます。
結果3着に入ったデビュー7年目の岡崎恭裕が繰り上がって優出。優勝戦では岡崎がまくり差しを決め、SG優出わずか2度目にして初Vを達成。
白井英治にとってはなんとも皮肉で悔しいSGとなってしまいました。


14度目でついにSG戴冠(2014年若松メモリアル)
デビューから17年、37歳となった白井に待望の瞬間が訪れたのは2014年の夏。ナイター開催で行われた若松のメモリアル。
予選2日間を「212」のオール2連対としたものの、4走目でまさかの落水失格。
4日目は一転して勝負駆けとなりますが、勝率上位モーターを活かして1着、2着でクリア。準優も3コースからまくりを決めて1着で優出を果たします。
優勝戦は谷村一哉のイン戦。そして、寺田祥がダッシュの3コースを選択して進入隊形は2対4。
左右の枠を同じ山口支部の後輩に挟まれ、重圧のかかる一戦で思い切りの良い踏み込みを見せます。なんと「コンマ00」のスタートタイミング。
直まくりを決めた後は他艇の追随を許さず、最後は軽く頭を下げてゴールを通過。デビューから14回目のSG優勝戦で、悲願のVを達成しました。


「コンマ00は僕らしい。やっと神様が味方してくれたのかなと思う」とインタビューで話した後、ピットで出迎えてくれたのは、師匠の「今村豊」さん。
視聴するならハンカチのご用意を。白井ファンのみならず、無冠の帝王をご存じの方ならこの瞬間がいかに感動的なのか理解できるはず。
涙を流して喜び合った2人。デビュー前からずっと気にかけていた弟子の栄冠を、誰よりも喜んだことでしょう。
長い年月をかけてやっとつかんだ感動のSG勝利は、師弟の絆をさらに強いものにする忘れられないシーンとなりました。
亡き少年ファンのためにも再びSG制覇へ
2014年のグランプリで3着に入り、自身初となる年間獲得賞金1億円超えを達成。
この勢いでSG2勝目も遠くないと思われましたが、2015年以降はまたSGで勝てないトンネルに入ります。
それでも抜群の安定感は衰えることなく、2018年のグランドチャンピオンで2度目のSG優勝を達成。実はこの時、特別な感情を胸に抱きながら戦っていたのです。
固く結ばれた少年ファンのためにも
こうがくんについては上記でも紹介しましたが、2度目のSG制覇には彼の存在も大きかったと感じています。
もしかしたら将来ボートレーサーを目指していたかもしれないし、一緒にレースをしていたかもしれない。そう考えるとすごく悲しいですよね。でも、今はボクのボートの中にいます。彼の分まで自分が精いっぱい走りたい。きっと一番近くで見守ってくれていると思うから
出典:スポニチ
4年7カ月という短い人生だったものの、お互いに信じられないぐらいのパワーを分け与えていたはずです。こうがくんは生きる力に、白井選手も大きな勇気を。
あくまで個人的な感想ではありますが、2018年のグラチャン制覇は”こうがくんがいたからこそ”獲得できたタイトルだと思っています。
「優勝しか考えていない」重圧かかる徳山SG
2017年11月の下関SGチャレンジカップでは優出に届かず、2018年1月の徳山G1も準優でイン逃げに失敗した白井英治。ただ、挽回のチャンスはほどなく訪れます。
徳山では64年ぶりのSG開催となったグランドチャンピオン。
前検日から「優勝しか考えていない」と、あえて自らを追い込むコメントを出した白井選手。
全国の強豪レーサーだけでなく、これまでにないプレッシャーとの戦い。予選ではなかなか1着が取れない苦戦を強いられます。
しかし、最後まで諦めることない今村豊の姿を見て、白井英治はここで奮起。3日目後半と1回走りの4日目を連勝し、予選順位を後輩の寺田祥に次ぐ2位まで押し上げます。
準優もコンマ05のトップタイミングでイン逃げを決めて優出。
予選1位だった寺田が1コースから2着に敗れたことで、白井は2度目のSG制覇をイン戦で迎えることに。
涙に暮れた2度目のSG優勝(2018年グランドチャンピオン)
白井、寺田の山口支部に、4人の次世代レーサーが挑む構図となった優勝戦。
レースの行方は白井のスタート次第という空気でしたが、地元水面のSG優勝戦で1コースという重圧をはねのけ、コンマ07のトップスタートを決めます。
2コース茅原の差しは届かず、3コース桐生のまくりも及ばず。
影も踏ませることなく5艇を突き放し、ファンの大歓声に包まれながら2つ目のSGタイトルを獲得したのです。


「競艇王国は山口だ」今村豊さんからも祝福
重圧から解放され、レース直後のインタビューでは…



スタンドにいるファンの姿を見て我慢できなくなった。うれし涙ははじめて。(泣き虫で有名な)峰竜太より泣いたんじゃないかな
こう話し、人目もはばからず号泣した白井英治。
表彰式では師匠の今村豊、優勝戦を戦った寺田祥がサプライズ出演。
「今回のSGはどうしても、山口支部から(優勝者を)出したかった」と話した今村さんも安堵の表情。
「この2人が山口を引っ張ってくれると信じている。競艇王国は山口だ、というところを見せてほしい」と両者を褒め称えていました。



SG初制覇の時とはまた違った感じ。1度目は感極まった様子で、2度目は貫禄さえ感じました。
白井英治の勢いは現在も衰えを知らず
白井英治は2018年のグランプリで4年ぶりのファイナルに進出。2019年のグラチャン準優Fによるブランクこそあったものの、出場したSGでは突出した安定感を見せています。
そして、2022年のグランプリを初制覇し1億円を獲得しました。
- 第1号「ゴールデンレーサー賞」受賞
- 2021年はSGで5回の優出
- 地元・徳山で通算100V達成!
- 節目となる2000勝は芦屋で達成
- 2022年グランプリ制覇
第1号となる「ゴールデンレーサー賞」受賞


2019年3月、優秀なレーサーに与えられる「ゴールデンレーサー」の称号を初受賞。ちなみに、ゴールデンレーサー賞には、以下2つの受賞条件を両方満たす必要があります。
メダル授与の条件は「グランプリシリーズを除くSG、各競艇場の周年記念、マスターズチャンピオンでの優出完走」
「グランプリ・ダービー・メモリアル・オールスター・クラシック」の優勝戦で3着以内に入り、メダルを3個以上授与
白井英治はSGの優勝回数とは裏腹に、優出の経験が豊富。そして、各場のG1でも好成績を残し続け、上記①②の条件を現役レーサー最速で達成。
2023年6月現在、ゴールデンレーサー賞受賞選手は10名。
ここに松井繁、石野貴之、池田浩二、濱野谷憲吾といったビッグネームは含まれていません。
白井英治というボートレーサーがいかに凄いのか?長年にわたってトップクラスの活躍を続けている証拠と言えるでしょう。
2021年はSGで5回の優出


2021年の白井英治は“高値安定”の状態が続く1年に。7回の予選通過と5回の優出はいずれも自己ベスト。オールスターでは4年連続の優出を達成しています。
2022年のSGオールスターも予選トップ通過で優出を果たし、優勝戦は絶好の1号艇。ただ、惜しくも「原田幸哉」に敗北を期しています。


そして、年末のグランプリではトライアルを突破し、2年ぶり4度目のファイナルに進出して2着。
年間獲得賞金は1億4411万円でランキング3位。賞金額、賞金ランキングともに自己ベストを更新しました。
地元・徳山で通算100V達成!
2021年4月の児島G3開催で99回目の優勝を達成。
通算100Vにリーチをかけた白井英治は、さっそく次の開催となる地元徳山の「日本モーターボート選手会会長賞」で快挙達成に挑みます。
予選を1位で突破し、準優も危なげないイン逃げで1着。優勝戦もコンマ03のトップタイミングで逃げ切って堂々の優勝。
ボートレース界では史上17人目となる通算100回目の優勝を、地元徳山の水面で達成しています。
節目となる2000勝は芦屋で達成
通算100Vを飾った白井選手には、2000勝の記録もすぐそこまで近づいていました。
2022年2月のG1中国地区選手権では初日から2連勝。前節からの連勝を6に伸ばし、この時点で通算1999勝。大台の到達は間違いなくG1の舞台!そう思っていましたが…
ここからパタッと勝てなくなり、最終日のイン戦まで1着が取れずに終了。2000勝達成は次節の芦屋G3までお預けとなります。
迎えた芦屋G3(第17回アサヒビールカップ)。その瞬間は2022年2月22日のドリーム戦でした。
石川真二の欠場で5艇となり、コンマ11のスタートからイン逃げを決めて悠々の1着。長らく勝てなかったのがウソのような快勝で、史上153人目となる通算2000勝を達成しました。


2022年グランプリ初制覇&初賞金王


師弟ともに果たせなかった目標を達成する日がやって来ます。
大村競艇で初開催となった年末の祭典「競艇グランプリ」。賞金ランキング9位でトライアル1stからの出場となりました。
トライアル1stは2走を「15」で通過。トライアル2ndは6号艇ながら2着に入るなど、3走を「223」で1位通過。得点率8.33で優勝戦1号艇をゲットします。
迎えた優勝戦。インが強い大村において、スタートは以下の通り。


0台の好スタートを決め、危なげなくイン逃げを成功させ1着でゴール。
観客席に軽く頭を下げ、ピットに戻ってからのインタビューでは安堵した表情が伺えます。その様子は以下の動画をご覧ください。
グランプリの優勝賞金1億円を獲得し、通常ならそこで賞金王は確定します。しかし、2022年度は「馬場貴也」がGP優勝戦で2位に入ったことで、決着は年末開催の一般にもつれ込む大混戦。
少しのミスも許されない状況の中、白井英治はほぼ1着という結果を残し賞金王を確定させました。
それにしても、年末ギリギリまで本当にお疲れさま。そしておめでとうございます!


まとめ:白井英治の次なる目標は?
2018年のグランドチャンピオン以降となる、2022年グランプリを制した白井英治。そんな白井選手にはもう一つ獲りたいSGがあります。
師匠の今村豊さんが「ボートレース界の最高峰」だと位置づけているダービー。
ダービーは優出2着止まりなので、恩返しのためにも目標としているのは間違いないでしょう。山口支部を引っ張る存在として、SGの水面で大暴れする姿を期待しましょう!
コメントお待ちしてます!