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井口佳典とは?不正受給や引退説&嫁・年収・自宅など全て

井口佳典とは?不正受給や引退説&嫁・年収・自宅など全て
最新情報

2024年1月4日、地元津の正月レースにおいて2コースから差して優勝。新年一発目を最高のかたちでスタートさせた。

三重支部を長年牽引している「井口佳典」。

競艇界には欠かせないトップレーサーの1人ですが、信頼を失墜させる不祥事が発覚。その不正によって出場停止処分を受け、当時は”引退説”が囁かれていたほど。

2021年に出場したSGはクラシックのみ。そうした逆境の中、高勝率を叩き出して再びSG戦線に復帰しています。

強豪が揃う85期銀河系軍団の井口佳典とはどんな選手なのか?元女子レーサーだった嫁や、よく検索される自宅や年収など、公私の全てをまとめていきます。

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井口佳典とは?

井口佳典は三重県松阪市出身、三重支部のボートレーサー。SGレーサーを多く抱える銀河系軍団(85期)の1人です。

2024年3月現在の通算優勝回数は85回。その内、SGで6回という驚異的な実績を残し、艇界を代表する現役選手として勝ち星を重ねています。

井口佳典の公式プロフィール

公式画像井口佳典(85期)
名前井口佳典(いぐちよしのり)
登録番号4024(85期)
生年月日1977年8月22日
身長/体重166cm/54kg
出身/所属三重県/三重支部
デビュー日1999年11月17日

井口佳典の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご覧ください。

競輪選手を断念…サラリーマンから競艇の道へ

井口佳典の出身校は県立松阪工業高校。

学生時代は自転車競技に励み、将来は競輪選手になることが目標だったとか。しかし、練習中の落車で腰を骨折。競輪の夢を諦め、高校卒業後は津市内の一般企業に就職します。

サラリーマンになったものの、競技への夢を捨てきれず。そんな時に新たな道を切り拓いたのが、会社の近くにあった津競艇場でした。

ボートレースの世界を知ったことがきっかけとなり、受験資格ギリギリの年齢で受験。見事試験に合格して本栖研修所へ入所したのです。

当時の応募資格は18~23歳まで。現在は16~30歳未満に変更されています。

ボートレーサー養成所の成績

実力者が揃った85期の中で成績上位だった井口佳典。養成所のリーグ戦成績は勝率7.15で2位。卒業記念競走も優出(2着)に入っています。

その井口を抑えて養成所チャンプに輝いたのが田村隆信。ご存じの通り、SGを複数回制覇するトップレーサーです。

85期(銀河系軍団)の主な選手

全国区のSGレーサーが名を連ねる85期の銀河系軍団。

田村隆信はオーシャンカップ(2004年)で4000番台初のSG優勝を達成。SG4勝の湯川浩司はグラチャンだけで3回のV(2007、08、10年)を飾っています。

丸岡正典は2008年と2012年のダービー覇者。森高一真も2013年のチャレンジカップで優勝した実力者です。

同期で2名しかいない女子選手(田口節子、佐々木裕美)も、G1やオールレディースで活躍中。

井口佳典の師匠と弟子は?

森岡正博(59期)
森岡正博
全国スター候補・地区スター候補「新田雄史」
新田雄史
平田健之佑(101期)
平田健之佑

井口佳典の師匠は同じ三重支部「森岡正博」。

持ちペラ制度時代に同じプロペラグループに所属。森岡は井口を一人前に育て上げ、2013年3月のレースを最後に引退しています。

井口の一番弟子は、SGを3度制覇している「新田雄史」と、父親が元競輪選手の「平田健之佑」。

新田は2022年のメモリアル優勝戦でFを犯し、23年のMBまでSG除外。

井口佳典の嫁・子供・自宅など

ネットでよく検索されている井口佳典の「嫁・子供・自宅」について探ってみました。

嫁は元選手の新田真弓。子供は2人

井口佳典とは?嫁は元選手の新田真弓。子供は2人

井口佳典が結婚したのは、元90期の女子レーサー「新田真弓」さん。

2008年前期にA級初昇格。優勝実績はありませんが、2012年1月の戸田女子リーグ優勝戦で2着に入る成績を残しています。

結婚前の関係は同支部の先輩後輩。飲み会で井口が一目惚れし、交際に発展したらしい。結婚後は「井口真弓」に改め現役を続け、2013年3月に引退。

家族構成は「嫁・子供2人」の4人家族。ただし、ソースは古い情報なので、増えているかもしれません。

井口真弓さんは脱毛サロンを経営

井口佳典とは?井口真弓さんは脱毛サロンを経営
井口佳典とは?井口真弓さんは脱毛サロンを経営②
店名Dahlia(ダリア)
住所三重県松阪市大黒田町1260-1 ランドテラス1F
営業時間9:00~16:00
スタッフ1人(井口真弓)

井口真弓さんは「Dahlia(ダリア)」という脱毛サロンを経営。

結婚した当初は奥さんも現役を続けていましたが、出産を機に引退して家庭を守ってほしいという思いがあったそうです。本当かどうかは知りませんが…

建物だけで1憶円超えの自宅

井口佳典とは?建物だけで1憶円超えの自宅①
井口佳典とは?建物だけで1憶円超えの自宅②
井口佳典とは?建物だけで1憶円超えの自宅③
井口佳典とは?建物だけで1憶円超えの自宅④

上記画像は、知人がインスタに公開したもの。写真に井口佳典本人が写っているので、ほぼ間違いなく自宅を撮影した写真でしょう。

それにしても凄すぎる(笑)キャッチボールができそうなリビングに、高級ホテルのような風呂。しかも、知人の投稿には「井口家2軒目の新築」とあり、この豪邸以外にも別宅があるっぽい。

いくら高額納税者とはいえ、こんなにも豪勢な暮らしができるなんて…

後ほど紹介する「不正受給」の一件を考えると、ムカついてくるのは私だけでしょうか?

井口佳典の年収はいくらぐらい?

年収(賞金額)賞金順位
2012年1億3855万円2位
2013年9423万円8位
2014年9786万円6位
2015年4276万円37位
2016年7653万円11位
2017年1億3365万円3位
2018年1億1625万円4位
2019年1億0733万円8位
2020年7356万円17位
2021年4540万円55位
2022年6583万円23位
2023年6201万円33位

井口佳典の獲得賞金(2012~2022年)と主なタイトルは上記の通り。

2021年は出場停止の影響で大きく順位を落とし、グランプリシリーズにも出場できず。ただ、その状態でも4000円万円以上の賞金を稼いでいます。

井口佳典のSNSはある?

プライベートを公表するタイプではなく、インスタグラム・X(旧ツイッター)・FacebookなどのSNSは開設していません。

その為、日常の様子は謎に包まれていますが、兵庫支部だった鎌田義さん(80期)とは特に仲が良さそう。他選手のインスタなどにはオフを一緒に過ごす画像が投稿されています。

給付金の不正受給で2ヵ月の出場停止処分

ボートレース界に激震が走った給付金の不正受給事件。

収入の少ないB級レーサーならまだ分かりますが、まさか億を稼ぎだす「井口佳典」の名も。この一件を根に持っているファンは多いはずです。

2021年3月に事件発覚

新型コロナの持続化給付金とは、感染拡大で収入が減少した事業者およぼ個人事業主に対し、国から最大200万円が補助される仕組みのこと。

ちなみに、ボートレーサーは以下の理由から対象外。

  • コロナ時期に開催数は減っていない
  • 業界全体の売上は伸びていた
  • 感染による収入減は限定的

よって、給付金を申請すること自体NGでしたが、蓋を開けたら215名もの選手が不正に受給していたのです。

井口佳典含む43名のA1級も

  • 級別(A1級43名、A2級39名、B1級110名、B2級23名)
  • 性別(男子200名、女子15名)
  • 年代別(20代46名、30代94名、40代50名、50代23名、60代2名)

A2級は1000万円以上、A1級は3000万円以上の賞金を稼いでいますが、その収入を手にしたうえで「80名以上のA級レーサー」が悪事に加担。

さらに、井口佳典なんて過去10年の平均年収は約1億円。これだけ稼いでおきながら、たった100万円を詐取していた訳です。

「胸糞悪い・許せない」そう感じてしまうのは当然だと思います。

不正が発覚した井口佳典には「2ヵ月の出場停止処分」が下されました。

正直、たった2ヵ月で済むんだ?というのが本音。だって、不正受給は詐欺罪が適用され、起訴されれば10年以下の懲役もありえる犯罪。1年以上の出場停止でも良いぐらい。

噂されていた「引退説」は事実?

某メディアのインタビューでは「不正受給による出場停止について、逃げたかった、引退も真剣に考えたが」と回答しています。

真意は本人しか知り得ないことですが、引退を考えたのはマジっぽい。まぁ、過ぎてしまったことは仕方ないので、信頼を取り戻すには結果しかないでしょうね。

井口佳典のデビューからSG制覇まで

井口佳典のデビュー戦は1999年11月17日の津一般戦(4着)。初勝利はデビュー55走目に2000年3月の三国で達成。

それ以降の活躍は凄まじく、新人らしからぬ走りで実績を積み上げていきます。

若松一般戦で初優勝(2002年)

初優勝は2002年2月の若松一般戦。

ほぼ外からダッシュで臨み、7戦3勝の好成績で予選を突破。準優はコンマ03のトップスタートで1着を獲り、自身3度目の優出を果たします。

優勝戦も勢いそのままにまくり差しで勝利。デビューから2年3ヵ月、同期では5番目の初優勝でした。

G1初優勝は住之江周年(2006年)

2002年後期にA1級初昇格を果たし、2003年以降はG1の斡旋が増加。そんな中、記念初Vを飾ったのは、2006年に開催された住之江G1太閤賞。

まずまずの成績で予選を突破した井口は、5コースから2着に入り優出を決めます。

優勝戦メンバーは松井繁、田中信一郎といった強敵揃い。しかし、内側が凹むスリットとなり、コンマ13のスタートで展開に恵まれた井口は差し切りに成功。

28歳という若さにして初の記念タイトルを獲得しました。

初のグランプリ優勝戦はエンスト失格(2007年)

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