2024年9月2日、F2で挑んだ鳴門優勝戦において、コンマ12の好スタートからイン戦を押し切って勝利。デビュー29年3ヵ月にして通算100回目の優勝を飾った。
5月オールスターに続き、7月15日の下関で2本目のF。これにより、既に欠場が決まっていた8月メモリアルに加え、チャレンジカップも出場辞退(ダービーはそもそも選出外)。
2024年4月12日の大村G1海の王者決定戦。優勝戦は絶好枠からコンマ06でイン速攻を決め、通算96勝目(当地15V)、16度目のG1優勝を飾った。
新人レーサー時代から天才肌と言われ、今では艇界を代表するトップレーサー「原田幸哉」。しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
フライング2本でB1級降格、さらに重大過失によってB2級降格など波乱続きの過去を経験しています。
そんな中、ここ数年は見事なまでに復活を遂げ、2021年メモリアル、2022年オールスターと立て続けにSG制覇。
そこで今回は、これまでの実績をはじめ、嫁や娘・弟子・沖縄移住籍などまとめて解説します。
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競艇選手「原田幸哉」とは?
1995年6月にデビューして以降、数々の偉業を達成してきた「原田幸哉」。はたしてどのようなボートレーサーなのか?
原田幸哉のプロフィール
公式画像 | |
名前 | 原田幸哉(はらだゆきや) |
登録番号 | 3779(76期) |
生年月日 | 1975年10月24日 |
身長/体重 | 172cm・53kg |
出身地 | 愛知県 |
所属支部 | 愛知支部⇒長崎支部(2017年) |
デビュー日 | 1995年6月 |
原田幸哉の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご確認ください。
海上自衛隊を経て競艇選手の道へ
幼い頃から父親と蒲郡競艇場へ行っていたことがきっかけで、いつしかボートレーサーを志すように。
中学卒業後、原田幸哉が選んだステップは自衛隊への入隊。広島県呉市江田島にある海上自衛隊第1術科学校に身を置き、厳しい環境で己をトコトン鍛え上げます。
海上自衛隊で3年間過ごした後、76期の養成所試験に合格して訓練生に。
本人が「自衛隊は競艇選手になるための準備期間」と話す通り、高校生活よりもはるかに過酷な自衛隊での日々は、この先に待つ養成所生活を乗り越えるために欠かせない時間だったのでしょう。
なお、自衛官を経てボートレーサーになった選手は想定以上に多いです。
- 武藤綾子(福岡・71期)
- 赤岩善生(愛知・82期/海上自衛隊)
- 出畑孝典(福岡・87期)
- 齊藤優(徳島・93期/陸上自衛隊)
- 木下大將(福岡・99期)
- 片岡雅裕(香川・101期/陸上自衛隊)
- 金子和之(埼玉・110期/海上自衛隊)
- 小川日紀太(福岡・116期/航空自衛隊)
- 上村宏太(東京・119期/航空自衛隊)
- 山口真喜子(長崎・126期/陸上自衛隊)
養成所生活のために体力づくりした選手もいれば、競艇への夢を諦められず、入隊後に転向を決めた選手もいます。
どんな理由であれ、自衛隊の訓練を経験した者たちは「養成所の訓練は厳しいと思わなかった」と語っているそうです。
同期(76期)の主な競艇選手
原田幸哉と同期の76期は35名がデビューし、2024年7月現在、15名(男子14名・女子1名)の現役レーサーが活躍中です。
中でも実績を挙げているのが「瓜生正義」。養成所では勝率8.65でリーグ戦1位の記録を残し、SG優勝回数は驚異の11回。また、レースに出場しながら選手会長も務めています。
その他、兵庫支部のスター「魚谷智之」や、超イケメンレーサー”山崎智也”の嫁「横西奏恵」も同期生。
横西奏恵は2012年12月に引退を表明しています。
弟子は「後藤陽介・柳沢一・水野望美・羽田妃希」
原田幸哉の弟子は「後藤陽介・柳沢一・水野望美・羽田妃希」の4人。いずれも愛知支部に所属する選手です。
中でも注目すべきは「柳沢一」。2019年グランドチャンピオンでSG初優勝するなど、師匠と肩を並べる名選手に成長しています。
原田幸哉の年収(獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2024年 | – | – |
2023年 | 64,442314円 | 25位 |
2022年 | 118,830,000円 | 4位 |
2021年 | 132,837,266円 | 4位 |
2020年 | 66,878,000円 | 22位 |
2019年 | 76,080,000円 | 15位 |
2018年 | 41,244,000円 | 54位 |
2017年 | 68,569,000円 | 16位 |
1憶円以上の賞金を2年連続で獲得するなど、一般人には想像できないほどの年収を得ています。
また、若い頃からSG・G1で実績を残してきたため、生涯獲得賞金は18億円超え!あと数年もすればランキングTOP10に入る可能性大です。
原田幸哉の嫁・娘・年収・沖縄移住など
意外と知られていない「原田幸哉のプライベート」に迫っていきましょう!
原田幸哉の嫁や子供
現時点で確認できる情報だと、原田幸哉の家族構成は、嫁(あゆ子)・長女(ゆらい)・次女(さら)の4人家族。
嫁さんに関する情報は一切なし。ただ、娘(幸來さん)は沖縄県那覇市で「マカハレンタカー」を経営しており、父との2ショット写真がSNSにアップされています。
めちゃくちゃカワイイ娘さん!悪い虫がつかないことを願うばかりw
愛知から沖縄に移住した理由
原田幸哉といえば、競艇ファンを驚かせる2つの大きな決断がありました。
「沖縄への移住」と「長崎支部への移籍」です。
原田幸哉が住まいを沖縄に移したのは、本人のインタビューなどから2つの理由があると考えられます。
オンとオフをはっきりさせたかった
愛知と違って沖縄には競艇場もチケットショップもなく、周囲に競艇を知っている人はほとんどいないでしょう。
どの競艇場から帰郷しても移動は飛行機となるので、レースを終えてからの切り替えができるのは良い点かもしれません。もちろん、家族などプライベートの理由もここに含まれるかと思います。
沖縄の人にもっと競艇を知ってもらいたい
「沖縄の人もギャンブルは好きだと思う。僕が活躍することで、沖縄にも競艇選手を目指す子供たちが増えてほしい」とインタビューで話しています。
ご両親も一緒に引っ越したとのことで、沖縄には永住するつもりだという原田幸哉。オーシャンビューにプール付きという自宅で、沖縄生活を満喫されていることは間違いなさそう。
自宅はプール付きの大豪邸
上記画像は”犬猿の仲”と噂されていた「松井繁」との2ショット。
「こんな豪邸、誰が住んでいるんだろう?」と思っていましたが、原田幸哉みたいなお金持ちだったんですねw
全面に広がるオーシャンビューと、敷地内に作られた広大なプール。嫉妬を通り過ぎて、住む世界が違いすぎることに衝撃を受けていますw
愛車はフェラーリなど超高級車を複数台所有
豪邸に住む原田幸哉は愛車も凄い!
本人曰く、1000万円ちかくする「クライスラー300G」を購入しに行った際、ついでにフェラーリも2台同時に購入。さらに、今(2022年当時)は2台しかないと言ってましたが、多い時は6台ぐらい所有していたらしい(笑)
数千万円する超高級車に乗るボートレーサーが多数いる中、原田の愛車遍歴は業界随一かもしれません。
愛知支部から長崎支部に移籍した理由
沖縄に移住した後も所属は愛知支部のままとなっていましたが、長崎支部への移籍を決めたのは「奥さんの出身地が長崎であること」が理由とされています。
お正月やGW、お盆は地元大村のあっせんとなるので、奥さんの実家への帰省も兼ねてレースに出場できるのは一石二鳥。
また、長崎支部には同期3選手(樋口亮、津留浩一郎、吉村和也)もおり、溶け込みやすかったのかも。
少なくとも関係悪化などによる移籍ではなさそう。
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デビューから現在までの道のり
原田幸哉は1995年6月に蒲郡競艇場でデビューし、1走目でいきなり1着を獲って水神祭を上げます。
翌1996年に初優勝を飾ると、1997年には年間V5と勢いに乗り、同期の瓜生より1年早く最優秀新人のタイトルを獲得しました。
集団Fから生き残り、新鋭王座で初G1
原田幸哉のG1初優出は、1998年の新鋭王座決定戦(現ヤングダービー)。不利な大外6コースからのレースでしたが、3着と健闘します。
当時はデビュー6年未満という出場制限のルールがあり、若手にとっては限られたチャンス。そして、新鋭王座を勝つことはSG優勝並みの栄誉ともいわれた時代。
デビュー5年目を迎えた原田幸哉は、2000年の新鋭王座決定戦で自身3度目のG1優出を果たします。
優勝戦ではインに座る地元の守田俊介選手が人気を集めましたが、6号艇の大神選手が前付けを敢行して2コースに進入。
森田(1号艇)、大神(6号艇)が深インのスタートを合わせられず、3コースの瓜生までつられて勇み足。
スロー3艇が全員フライングという大波乱となり、4カドの原田幸哉が労せず繰り上がり。運も味方につけて、一生に一度となる新鋭王座のタイトルを獲得したのです。
飛躍の2002年 ~ 完全優勝からSG初制覇へ
2002年は名実ともにトップレーサーの仲間入りを果たす大活躍の年となります。
1月の常滑一般開催で完全優勝を達成した後、鳴門、浜名湖、下関、蒲郡、宮島と優勝を重ね、10月末の平和島SGダービー(全日本選手権)を迎えました。
予選1走目は6コースから内側5艇をまくり切って1着。その後もまずまずの着順で予選突破。4コース進入となった準優は、先行した艇がFとなって1着で優勝戦に進出します。
迎えた優勝戦。1コースからコンマ15のトップスタートを決めて先頭に立ち、2位以下に大きな差をつけてゴール。
デビュー7年目、SG3回目の優出で念願の初優勝を果たしました。
生まれ故郷で亡き叔父に捧げたG1優勝
2020年11月に津競艇場で開催されたG1(開設68周年記念 ツッキー王座決定戦)は、原田幸哉にとって決して忘れられない地元での記念初優勝となりました。
予選と準優を危なげなく通過し、絶好枠となった優勝戦。1周1マークで5コース平本のまくり差しが鋭く刺さり、原田は外を並走する厳しい状況となります。
しかし、1周2マークで平本の内を差した後、ホームストレッチで艇を伸ばして2周1マークで逆転に成功。
危ない展開でしたがなんとか人気に応え、念願だった津の水面で自身16回目のG1優勝を決めました。
「少し遅かったけど、恩返しができました」
実はこの開催、原田幸哉には負けられない理由がありました。
三重県津市は原田幸哉が生まれた場所。また、競艇の道を目指すきっかけを作ってくれたという原田幸哉の叔父が、この年に亡くなったとのこと。
津は原田にとって出生の地で、近所には親戚も多く「選手になるきっかけを作ってくれた叔父さんがいた。その方が今年亡くなってしまい、少し遅かったが、恩返しができた。これから報告をしたい」と、思い入れの強い地でのGI初制覇に喜びもひとしおといったところだ。
出典:exciteニュース
「少し遅かったけど、恩返しができました」とレース後に語っています。生まれ故郷でボートレーサーに導いてくれた叔父さんの恩に報いる、感慨深い優勝となりました。
マスターズチャンピオンで最年少V
2021年4月、45歳以上のPG1競争「マスターズチャンピオン」に初参戦。
出場できる年齢が引き下げられたことで、同期の瓜生正義や魚谷智之をはじめ、松井繁、濱野谷憲吾、今垣光太郎など、出場するのはSG並みの豪華な顔ぶれに。
その中で予選を「333131」と手堅くまとめて3位通過すると、準優もイン逃げを決めて優出を果たします。
優勝戦は3コース進入。スリット手前で艇を伸ばしコンマ11のトップスタートを決め、1周1マークでまくり差しに成功。
最年少記録を更新する45歳6ヵ月での初優勝を達成。
かつて「競艇名人戦」と呼ばれていたこの大会で、原田幸哉は初出場で史上最年少の“名人”となりました。
原田幸哉を育てた蒲郡でメモリアル初優勝
プレミアムG1を制した原田は、翌月の徳山G1も優勝。
SGでもオールスター、グラチャン、オーシャンカップと続けて準優に進み、迎えた8月。まだ優勝を果たせていない蒲郡で行われるSGメモリアルに出場。
機力アップの効果があって予選は絶好調の走り(11211)で1位通過。準優もスタートを決めて押し切り、優勝戦にコマを進めました。
並みいる強豪がひしめく中、コンマ04の好スタートを決め、他艇を一切寄せ付けず1着でゴール。若き日の自分を育ててくれた蒲郡競艇で、圧巻の強さを披露する完勝劇でした。
この時点で年間獲得賞金1億円を突破。自身4年ぶりとなるグランプリ決定戦への出場も当確に。
8年連続22回目のSGオールスター初制覇
12年ぶりに制したメモリアルに続き、2022年の「SGボートレースオールスター」でも魅せてくれます。
中堅モーターながら初日から「16222」と予選突破。準優は4コースからコンマ08のトップスタートを決め、内艇まくって勝利。
優勝戦はオール連対で1位通過した「白井英治」のイン戦。
コンマ09のトップスタートを切りますが、白井もほぼ同体のスリット。イン逃げ濃厚な展開だったものの、白井の艇が若干膨らんでしまいます。
その一瞬の隙を見逃さず、豪快な”まくり差し”を敢行。バックストレッチで艇先がかかり、2マーク以降は独走して1着でゴール。
興奮さめやまぬ中、ピットで出迎えくれた「菊地孝平・西山貴浩」とグータッチ!
そして、優勝後のインタビューではこのように語っています。
いや、ちょっと信じられないですね。自分でもまさかという感じです。
一か八かで勝負しようと思っていましたが、白井くんは小回りが上手いし、差さる気はしてなかったんですけど上手く刺さりましたね。
(オールスター初制覇して)なんか嬉しいですね。めちゃくちゃ。今日は何か凄い思い通りに仕上がって、菊(菊地孝平)や西山くんが凄い助言してくれて、気持ちが楽にいけました。
スタートだけは誰にも負けない自信があるので、それだけでまた来年のオールスターには、西山くんより上で投票してもらえたら嬉しいなと思います(笑)
スタート力もさることながら、1マークのまくり差しが凄すぎ!
まさかのB2級降格…原田幸哉事件簿
原田幸哉といえば、レース場でのいろんなお騒がせ行動でも有名です。
速さゆえの荒さや単なるうっかりなど、ここでは原田幸哉のいろんな「やらかし」についてご紹介します。
【1度目の失敗】まさかのF2でB1陥落
2010年のSG開催に1度も出場することができなかった原田幸哉。その理由は、前年(2009年)の12月にやらかしてしまった2本のフライングにあります。
1本目は江戸川のG1ダイヤモンドカップ最終日。2コースから入った原田は、1号艇中辻博訓と張り合う展開に。中辻はコンマ00で命拾いしましたが、原田はコンマ03のスリットオーバー。
2週間後に賞金王決定戦を控える中、それも最終日の一般戦でフライングという非常にもったいないミスを犯してしまいます。
それでもひるむことなく、住之江のSG賞金王決定戦(グランプリ)で踏み込んだスタートを見せていきます。しかし、それが裏目に出てしまい、2日目のトライアルでまさかのF2。
2度のFにより、原田幸哉に科せられたペナルティは以下の通り。
- 賞金王決定戦の賞典除外
- 30+60=90日間の罰休
- 休み30日の未消化があり、翌年1/14から120日間休み
- 事故率オーバーとなって2010年後期はB1級に降格
- 賞金王トライアルFの罰則で2010年のSG、G1出走は不可能に
2009年のオーシャンカップで5年ぶりにSGを勝ち、悲願の賞金王を目指す足がかりをつかんだ直後のF2。この代償による戦線離脱は大きな痛手となりました。
【2度目の失敗】重大過失でB2陥落
B級で一般戦を荒らしまくった原田幸哉は2011年前期からA1に復帰。
2012年のMB記念(メモリアル)では久々の優出(5着)を果たし、2013年も総理大臣杯(クラシック)で準優に進む活躍ぶり。
ようやくSGの頂点を目指せるところに!という時に事件は起きます。
整備不良で3カ月出場停止、来年10月までSG除外
原田は5月の平和島G1周年記念4日目10Rで、選手責任による整備不良(ロワーナット脱落)のため即刻帰郷処分を受けていた。(中略)
11月には現場復帰するが「選考期間内に褒賞懲戒審議会に基づく出場停止処分を受けた者は、出場を除外する」というSG開催要綱の規定に基づき、原田には同月のチャレンジCから来年10月の全日本選手権まで、1年間のSG競走出場除外の処分が下される。
出典:スポニチ
予選2日目の前半2Rで転覆失格。水に浸かったモーターはいったん分解し、後半の9Rまでに再整備をし直す必要がありました。
短い時間での組み立てによる不注意でしたが、固定金具であるロワーナットの脱落は、操縦への影響だけでなく他の選手にも危険が及ぶ恐れもある重大な整備不良となります。
この整備規程違反により、原田幸哉は7月1日から3ヵ月の出場停止。さらに、4月の児島G3で犯したF休みも含めて、期末となる10月いっぱいまでレースに出ることができなくなってしまい…。
これにより2014年前期は出走回数不足によるB2陥落が決定。再び約1年半にわたるSG戦線離脱となってしまいます。
「僕ら世代は終わっていない」目標はグランプリ制覇
45歳という年齢は、肉体的&精神的に下降していく時期。
しかし、原田自身「長かったけれど、諦めずにやればできる。僕ら世代は終わっていない」と話しており、目標のグランプリ優勝に向け全く衰えていない様子。
若い世代のレーサーに負けることなく、この先も”原ダンブ”を彷彿させる熱い走りに期待ましょう。
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