新人レーサー時代から天才肌と言われ、今では不動の地位を築いている「原田幸哉」。しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
フライング2本でB1級降格、さらに重大過失によってB2級降格…。波乱続きの過去を経験しています。
そんな中、ここ数年は見事なまでに復活を遂げ、デビュー当時から応援しているファンとしては感極まる思いです。
2021年にメモリアル、2022年にオールスターと2度のSGを制覇。まだまだ世代交代をさせない強さを発揮しています。
そこで今回は、記憶に新しいSG優勝をはじめ、突然の沖縄移住や長崎支部への移籍など、他ではあまり語られていないことをまとめて紹介しようと思います。
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競艇選手「原田幸哉」とは?
1995年6月にデビューして以降、数々の偉業を達成してきた「原田幸哉」。はたしてどのようなボートレーサーなのか?
原田幸哉のプロフィール
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名前 | 原田幸哉(はらだゆきや) |
登録番号 | 3779(76期) |
生年月日 | 1975年10月24日 |
身長/体重 | 172cm・53kg |
出身地 | 愛知県 |
所属支部 | 愛知支部⇒長崎支部(2017年) |
原田幸哉の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご確認ください。
海上自衛隊を経て競艇選手の道へ


原田幸哉は中学を卒業後、高校に進学することなくボートレーサーの道を志します。
養成所試験に挑むまでの過程は人ぞれぞれですが、原田が選んだステップは自衛隊への入隊。広島県呉市江田島にある海上自衛隊第1術科学校に身を置き、厳しい環境で己をトコトン鍛え上げました。
海上自衛隊で3年間過ごした後、76期の養成所試験に合格して訓練生に。
本人が「自衛隊は競艇選手になるための準備期間」と話す通り、高校生活よりもはるかに過酷な自衛隊での日々は、この先に待つ養成所生活を乗り越えるために欠かせない時間だったのでしょう。
なお、自衛官を経てボートレーサーになった選手は想定以上に多いです。
- 武藤綾子(福岡・71期)
- 赤岩善生(愛知・82期/海上自衛隊)
- 出畑孝典(福岡・87期)
- 齊藤優(徳島・93期/陸上自衛隊)
- 木下大將(福岡・99期)
- 片岡雅裕(香川・101期/陸上自衛隊)
- 金子和之(埼玉・110期/海上自衛隊)
- 小川日紀太(福岡・116期/航空自衛隊)
- 上村宏太(東京・119期/航空自衛隊)
- 山口真喜子(長崎・126期/陸上自衛隊)
養成所生活のために体力づくりした選手もいれば、競艇への夢を諦められず、入隊後に転向を決めた選手もいます。
どんな理由であれ、自衛隊の訓練を経験した者たちは「養成所の訓練は厳しいと思わなかった」と語っているそうです。
同期(76期)の主なレーサー
原田幸哉の卒業期となる76期には、35名の選手がデビューしています。その中でも代表的な選手を3名紹介します。
SG優勝11回の「瓜生正義」


まず、79期の代表格となる福岡支部の「瓜生正義」。
養成所では勝率8.65でリーグ戦1位の記録を残し、SG優勝回数は驚異の11回。2016年にはグランプリ優勝で賞金王にも輝き、生涯獲得賞金は20億円を超える76期の最強レーサーです。


兵庫支部のスター「魚谷智之」


兵庫支部では絶大な人気を誇る「魚谷智之」。
原田、瓜生の両選手からは少し出世が遅れたものの、2006年のダービーでSG初優勝。
さらに、翌2007年にはオーシャンカップ、メモリアルとSG連続優勝を達成し、吉川元浩選手と並んで兵庫支部躍進の立役者となりました。
「横西奏恵」元選手 ※山崎智也の嫁


76期の養成所チャンプである「横西奏恵」元選手も忘れてはなりません。
養成所の卒業記念レースにて、女子選手では史上4人目となる優勝を果たし、デビューから3年足らずで女子王座決定戦(当時G2)を優勝。2006年の総理大臣杯(クラシック)、2011年の笹川賞(オールスター)でも優出しました。
2010年には山崎智也と再婚し、2012年の年末に現役を引退した横西さん。引退直後に夫の山崎選手が初の賞金王を獲得したことも話題となりました。


デビューから出世街道をバク進した原田幸哉
原田幸哉は1995年6月に蒲郡競艇場でデビューし、1走目でいきなり1着を獲って水神祭を上げます。
翌1996年に初優勝を飾ると、1997年には年間V5と勢いに乗り、同期の瓜生より1年早く最優秀新人のタイトルを獲得しました。
集団Fから生き残り、新鋭王座で初G1
原田幸哉のG1初優出は、1998年の新鋭王座決定戦(現ヤングダービー)。不利な大外6コースからのレースでしたが、3着と健闘します。
当時はデビュー6年未満という出場制限のルールがあり、若手にとっては限られたチャンス。そして、新鋭王座を勝つことはSG優勝並みの栄誉ともいわれた時代。
デビュー5年目を迎えた原田幸哉は、2000年の新鋭王座決定戦で自身3度目のG1優出を果たします。
優勝戦ではインに座る地元の守田俊介選手が人気を集めましたが、6号艇の大神選手が前付けを敢行して2コースに進入。
森田(1号艇)、大神(6号艇)が深インのスタートを合わせられず、3コースの瓜生までつられて勇み足。
スロー3艇が全員フライングという大波乱となり、4カドの原田幸哉が労せず繰り上がり。運も味方につけて、一生に一度となる新鋭王座のタイトルを獲得したのです。


飛躍の2002年 ~ 完全優勝からSG初制覇へ
2002年は、名実ともにトップレーサーの仲間入りを果たす大活躍の年となります。
1月の常滑一般開催で完全優勝を達成した後、鳴門、浜名湖、下関、蒲郡、宮島と優勝を重ね、10月末の平和島SGダービー(全日本選手権)を迎えました。
予選1走目は6コースから内側5艇をまくり切って1着。その後もまずまずの着順で予選突破。4コース進入となった準優は、先行した艇がFとなって1着で優勝戦に進出します。
迎えた優勝戦。1コースからコンマ15のトップスタートを決めて先頭に立ち、2位以下に大きな差をつけてゴール。
デビュー7年目、SG3回目の優出で念願の初優勝を果たしました。
生まれ故郷で亡き叔父に捧げたG1勝利
2020年11月に津競艇場で開催されたG1(開設68周年記念 ツッキー王座決定戦)は、原田幸哉にとって決して忘れられない地元での記念初優勝となりました。
予選と準優を危なげなく通過。優勝戦は絶好の1コース進入となりますが、1周1マークで5コース平本のまくり差しが鋭く刺さり、原田は外を並走する厳しい状況となります。
しかし、1周2マークで平本の内を差した後、ホームストレッチで艇を伸ばして2周1マークで逆転に成功。
危ない展開でしたがなんとか人気に応え、念願だった津の水面で自身16回目のG1優勝を決めました。
「少し遅かったけど、恩返しができました」
実はこの開催、原田幸哉には負けられない理由がありました。
三重県津市は原田幸哉が生まれた場所。また、競艇の道を目指すきっかけを作ってくれたという原田幸哉の叔父が、この年に亡くなったとのこと。
津は原田にとって出生の地で、近所には親戚も多く「選手になるきっかけを作ってくれた叔父さんがいた。その方が今年亡くなってしまい、少し遅かったが、恩返しができた。これから報告をしたい」と、思い入れの強い地でのGI初制覇に喜びもひとしおといったところだ。
出典:exciteニュース
「少し遅かったけど、恩返しができました」とレース後に語っています。生まれ故郷でボートレーサーに導いてくれた叔父さんの恩に報いる、感慨深い優勝となりました。
まさかのB2級降格…原田幸哉事件簿
原田幸哉といえば、レース場でのいろんなお騒がせ行動でも有名です。
速さゆえの荒さや単なるうっかりなど、ここでは原田幸哉のいろんな「やらかし」についてご紹介します。
【1度目の失策】まさかのF2でB1陥落
2010年のSG開催に1度も出場することができなかった原田幸哉。その理由は、前年(2009年)の12月にやらかしてしまった2本のフライングにあります。
1本目は江戸川のG1ダイヤモンドカップ最終日。2コースから入った原田は、1号艇中辻博訓と張り合う展開に。中辻はコンマ00で命拾いしましたが、原田はコンマ03のスリットオーバー。
2週間後に賞金王決定戦を控える中、それも最終日の一般戦でフライングという非常にもったいないミスを犯してしまいます。
それでもひるむことなく、住之江のSG賞金王決定戦(グランプリ)で踏み込んだスタートを見せていきます。しかし、それが裏目に出てしまい、2日目のトライアルでまさかのF2。
2度のFにより、原田幸哉に科せられたペナルティは以下の通り。
- 賞金王決定戦の賞典除外
- 30+60=90日間の罰休
- 休み30日の未消化があり、翌年1/14から120日間休み
- 事故率オーバーとなって2010年後期はB1級に降格
- 賞金王トライアルFの罰則で2010年のSG、G1出走は不可能に
2009年のオーシャンカップで5年ぶりにSGを勝ち、悲願の賞金王を目指す足がかりをつかんだ直後のF2。この代償による戦線離脱は大きな痛手となりました。


【2度目の失策】まさかの重大過失でB2陥落
B級で一般戦を荒らしまくった原田幸哉は2011年前期からA1に復帰。
2012年のMB記念(メモリアル)では久々の優出(5着)を果たし、2013年も総理大臣杯(クラシック)で準優に進む活躍ぶり。
ようやくSGの頂点を目指せるところに!という時に事件は起きます。
整備不良で3カ月出場停止、来年10月までSG除外
原田は5月の平和島G1周年記念4日目10Rで、選手責任による整備不良(ロワーナット脱落)のため即刻帰郷処分を受けていた。(中略)
11月には現場復帰するが「選考期間内に褒賞懲戒審議会に基づく出場停止処分を受けた者は、出場を除外する」というSG開催要綱の規定に基づき、原田には同月のチャレンジCから来年10月の全日本選手権まで、1年間のSG競走出場除外の処分が下される。
出典:スポニチ
予選2日目の前半2Rで転覆失格。水に浸かったモーターはいったん分解し、後半の9Rまでに再整備をし直す必要がありました。
短い時間での組み立てによる不注意でしたが、固定金具であるロワーナットの脱落は、操縦への影響だけでなく他の選手にも危険が及ぶ恐れもある重大な整備不良となります。
この整備規程違反により、原田幸哉は7月1日から3ヵ月の出場停止。さらに、4月の児島G3で犯したF休みも含めて、期末となる10月いっぱいまでレースに出ることができなくなってしまい…。
これにより2014年前期は出走回数不足によるB2陥落が決定。再び約1年半にわたるSG戦線離脱となってしまいます。
2007年笹川賞のダンプ事件以降、松井繁とは不仲に…
原田幸哉の代名詞といえば「原ダンプ」。闘志むき出しの走りが有名です。
中でも2007年の笹川賞(オールスター)優勝戦で見せたダンプは、レース後にさまざまな憶測を呼びました。
外枠からピット離れで積極的に動き、スローの3コースを取った原田幸哉。この時1コースには、同期でまだSG未勝利の「瓜生正義」がいました。
1周1マークで膨れた瓜生の懐を突いた2号艇松井繁が差し抜けます。バックストレッチでは瓜生も追いすがって外から並走し、原田は5艇身ほど離れた3番手。
松井に圧倒的有利な展開と思われましたが…
2マークで飛び込んできた原田幸哉の長距離ダンプ。松井は大きく外に弾かれて後退し、先頭は瓜生となります。
瓜生はそのまま先頭を守り切り、デビュー12年、優出9回目で悲願の初SGタイトルを手にしました。また、ダンプを仕掛けた原田幸哉も2着に入り、76期ワンツーの決着となったのです。


このレース以降「原田幸哉と松井繁は犬猿な仲に」という噂もあります。
ただ一方で、2017年の住之江グランプリでは脚合わせをする姿が確認されています。さすがに年月が経っているのもあり、原田幸哉からしっかり謝罪を尽くしたのでは?と考えて良いでしょう。


ちなみに、翌2008年の笹川賞でも「原ダンプ」は炸裂してますw
被害に遭ったのは田村隆信。準優の3周目にダンプを食らい、2番手だった田村は後退。代わって浮上した原田が2着に浮上しますが、不良航法を取られて賞典除外となりました。



何が何でも勝ちにいくスタイル!私は好きですが、近年は死亡事故も多発している状況。重大事故が起きなければいいけど。


約12年ぶりのSG制覇!原田の進化は止まらない
原田幸哉は2014年後期にA1再復帰。
SG優出こそないものの安定した走りを見せ、2017年と2020年にはそれぞれG1を2勝。2018年には徳山で史上24人目となる24場制覇を達成しました。
そして45歳となった2021年、G1マスターズチャンピオンの初出場初優勝から、賞金王争いに殴り込みをかけるまでの大奮闘を見せます。
最年少Vとなったマスターズチャンピオン
”45歳以上のレーサー”によって争われるプレミアムG1のマスターズチャンピオン。原田幸哉は2021年の大会が初参戦となりました。
出場できる年齢が引き下げられたことで、同期の瓜生正義や魚谷智之をはじめ、松井繁、濱野谷憲吾、今垣光太郎など、出場するのはSG並みのメンツ。
その中で予選を「333131」と手堅くまとめて3位通過。1号艇で出走した準優でも、瓜生・松井・今垣の強豪選手を尻目にしっかりイン逃げを決めて優出を果たします。
優勝戦は3コース進入となった原田幸哉。スリット手前で艇を伸ばしコンマ11のトップスタートを決めると、1周1マークでまくり差しに成功。
最年少記録を更新する45歳6ヵ月での初優勝を達成したのです。
以前は「競艇名人戦」と呼ばれていたこの大会で、原田幸哉は初出場で史上最年少の“名人”となりました。
原田幸哉を育てた蒲郡でメモリアル初優勝
プレミアムG1を制した原田は、翌月の徳山G1も優勝。
SGでもオールスター、グラチャン、オーシャンカップと続けて準優に進み、迎えた8月。まだ優勝を果たせていない蒲郡で行われるSGメモリアルに出場。
機力アップの効果があって予選は絶好調の走り(11211)で1位通過。準優もスタートを決めて押し切り、優勝戦にコマを進めました。
並みいる強豪がひしめく中、コンマ04の好スタートを決め、他艇を一切寄せ付けず1着でゴール。若き日の自分を育ててくれた蒲郡競艇で、圧巻の強さを披露する完勝劇でした。
この時点で年間獲得賞金1億円を突破。自身4年ぶりとなるグランプリ決定戦への出場も当確に。
8年連続22回目のSGオールスター初制覇
12年ぶりに制したメモリアルに続き、2022年の「SGボートレースオールスター」でも魅せてくれます。
特別好調なモーターでないながらも、初日から「16222」と予選を11位で通過。準優は4コースからの進入となりますが、コンマ08のトップスタートを決め、内側を飲みこむ”まくり”で1着。
優勝戦はオール連対で1位通過した「白井英治」のイン戦。
原田はコンマ09のトップスタートを切りますが、白井もコンマ10とほぼ揃ったスリット。イン逃げ濃厚な展開だったものの、白井の艇が若干膨らんでしまいます。
その一瞬の隙を見逃さず、豪快な”まくり差し”を敢行。バックストレッチで艇先がかかり、2マーク以降は独走して1着でゴール。
興奮さめやまぬ中、ピットで出迎えくれた「菊地孝平・西山貴浩」とグータッチ!


そして、優勝後のインタビューではこのように語っています。
いや、ちょっと信じられないですね。自分でもまさかという感じです。
一か八かで勝負しようと思っていましたが、白井くんは小回りが上手いし、差さる気はしてなかったんですけど上手く刺さりましたね。
(オールスター初制覇して)なんか嬉しいですね。めちゃくちゃ。今日は何か凄い思い通りに仕上がって、菊(菊地孝平)や西山くんが凄い助言してくれて、気持ちが楽にいけました。
スタートだけは誰にも負けない自信があるので、それだけでまた来年のオールスターには、西山くんより上で投票してもらえたら嬉しいなと思います(笑)
スタート力もさることながら、1マークのまくり差しが凄すぎ。この調子を継続できれば、再びSG制覇する日もそう遠くない気がします。
舟券は外してしまいましたが、これからの活躍を強く期待してますw
原田幸哉にまつわる「移籍・移住」のなぜ
原田幸哉といえば、競艇ファンを驚かせる2つの大きな決断がありました。
「沖縄への移住」と「長崎支部への移籍」です。
2009年には再婚をしたことから、ネット上でもさまざまな憶測が飛んでいる2つの謎。本当のところはどうなのか?真相を探ってみました。
愛知から沖縄に移住した理由
原田幸哉が住まいを沖縄に移したのは、本人のインタビューなどから2つの理由があると考えられます。
オンとオフをはっきりさせたかった
愛知と違って沖縄には競艇場もチケットショップもなく、周囲に競艇を知っている人はほとんどいないでしょう。
どの競艇場から帰郷しても移動は飛行機となるので、レースを終えてからの切り替えができるのは良い点かもしれません。もちろん、家族などプライベートの理由もここに含まれるかと思います。
沖縄の人にもっと競艇を知ってもらいたい
おそらく、これは沖縄移住後に芽生えた思いでしょう。
「沖縄の人もギャンブルは好きだと思う。僕が活躍することで、沖縄にも競艇選手を目指す子供たちが増えてほしい」とインタビューで話しています。
ご両親も一緒に引っ越したとのことで、沖縄には永住するつもりだという原田幸哉。オーシャンビューにプール付きという自宅で、沖縄生活を満喫されていることは間違いなさそうですw
愛知支部から長崎支部に移籍した理由
沖縄に移住した後も所属は愛知支部のままとなっていましたが、長崎支部への移籍を決めたのは「奥さんの出身地が長崎であること」が理由とされています。
お正月やGW、お盆は地元大村のあっせんとなるので、奥さんの実家への帰省も兼ねてレースに出場できるのは一石二鳥。また、長崎支部には同期3選手(樋口亮、津留浩一郎、吉村和也)もおり、溶け込みやすかったのかも。
また、後輩の池田浩二や弟子の柳沢一など、沖縄の自宅に遊びに来るそうです。プライベートの繋がりは続いているみたいなので、関係悪化などによる移籍ではなさそう。



移籍して以降、長崎支部としては34年ぶりのSG制覇に貢献してます。長崎の競艇ファンは大盛り上がりだったでしょうね!
「僕ら世代は終わっていない」目標はグランプリ制覇
2021年は原田幸哉の他、前本泰和、濱野谷憲吾もSGを優勝し、マスターズ世代が若手に引けを取らない活躍を見せています。
原田自身も「長かったけれど、諦めずにやればできる。僕ら世代は終わっていない」と話しており、目標のグランプリ優勝に向け、その闘志が衰えることは全くありません。
競艇のSG最年長優勝記録は安岐真人さんの52歳7ヵ月。
そう考えれば頂点を狙えるチャンスはまだまだあるでしょう。若い世代のレーサーに負けることなく、この先も”原ダンブ”を彷彿させる熱い走りに期待ましょう。
コメントお待ちしてます!