2022年11月に発生した中田達也さんの事故以降、レース中に殉職する事故は発生なし。今後も訃報が報じられないことを祈るばかり。
期待の若手レーサー「木村颯」さんが、山口県の国道で乗用車に衝突されて死亡。
宮島競艇で中田達也選手(29歳)が事故により殉職。事故の詳細については記事内で紹介しています。
競艇で転覆事故が発生した際、ぬか喜びするのはタブーです。なぜなら、転覆してしまった選手、巻き込まれた選手が亡くなくなる可能性があるから。
実際、1952年に競艇が始まってから現在まで「30名以上の男女レーサー」が命を落としています。
もちろん、私だって転覆が原因で外れるのは悔しいです。ただ、命に関わる事故かもしれない以上、罵倒するなどの行為はできません。
この記事では過去に起こった「競艇の死亡事故」を紹介します。ボートレースがどれほど危険な競技なのか?この機会に理解してもらえると幸いです。
死亡事故のレース映像もあるので、気分を害されたくない方は退出をおすすめします。
※競輪の死亡事故については以下をご覧ください。
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競艇(ボートレース)の死亡事故について
一昔前と比べると、速度が出過ぎないモーターに改変したり、各競艇場が設けた禁止行為の厳格化など、死亡事故の発生件数は減少傾向にあります。
しかし、2020年以降は既に3名の選手が殉職。以下の死亡者一覧が更新されないよう、より一層の対策を講じてほしい。
ボートレースの死亡事故一覧(1953年以降)
死亡者 | 死亡日 | 享年 | 事故現場 |
中田達也 | 2022/11/6 | 29歳 | 宮島 |
小林晋 | 2022/1/12 | 44歳 | 多摩川 |
松本勝也 | 2020/2/9 | 48歳 | 尼崎 |
鈴木詔子 | 2013/11/2 | 52歳 | 下関 |
岩永高弘 | 2010/5/14 | 36歳 | 若松 |
坂谷真史 | 2007/2/26 | 26歳 | 住之江 |
中島康孝 | 2004/3/28 | 26歳 | 尼崎 |
木村厚子 | 2003/5/25 | 38歳 | 津 |
沢田菊司 | 1999/11/6 | 48歳 | 平和島 |
伊藤公二 | 1998/3/23 | 55歳 | 浜名湖 |
有吉貴之 | 1997/9/4 | 27歳 | 津 |
水野定夫 | 1993/11/22 | 48歳 | 江戸川 |
清水正博 | 1989/1/6 | 23歳 | 桐生 |
宮本力 | 1985/1/3 | 37歳 | 江戸川 |
安心院信行 | 1983/1/24 | 30歳 | 三国 |
勝股勇 | 1982/1/23 | 38歳 | 江戸川 |
花田龍美 | 1981/8/24 | 34歳 | 大村 |
一瀬隆 | 1978/8/14 | 27歳 | 大村 |
筒井博利 | 1977/9/30 | 31歳 | 若松 |
池田博 | 1973/10/7 | 52歳 | 多摩川 |
石塚一雄 | 1972/11/12 | 35歳 | 平和島 |
蛇山清 | 1970/11/1 | 23歳 | 鳴門 |
中村五喜 | 1968/10/14 | 34歳 | 唐津 |
半田弘志 | 1968/5/14 | 29歳 | 若松 |
中井紘司 | 1965/12/23 | 24歳 | 芦屋 |
和泉定治 | 1965/3/23 | 40歳 | 児島 |
川添一夫 | 1965/2/22 | 35歳 | 若松 |
大西昭 | 1963/7/9 | 31歳 | 常滑 |
小笠原政敏 | 1962/7/25 | 28歳 | 鳴門 |
中島常价 | 1962/1/6 | 32歳 | 琵琶湖 |
大井手善信 | 1954/2/5 | 20歳 | 唐津 |
横溝幸雄 | 1953/12/24 | 34歳 | 唐津 |
西塔莞爾 | 1953/1/7 | 29歳 | 児島 |
競艇で事故によって命を落とした選手は30名を超えています。
10年単位で見ると、8名亡くなった1960年代が最も多く、最も少なかったのは2010年代の2名。この流れで2020年はゼロになれば…と期待していましたが、残念ながら3件の死亡事故が発生。
レース中の事故で命を落とすのは悲しすぎる。今後、上記表が更新されないことを願います。
殉職したレーサーの年齢層
- 20代:12名
- 30代:13名
- 40代:5名
- 50代:3名
1953年以降、記録が残っている殉職者33名の内、死亡率が高いのは全体の約75%を占める20代・30代。最も若い選手は20歳(大井手善信選手)で命を落としています。
最も死亡率の高いのは若松競艇場
死亡件数 | 競艇場 |
4件 | 若松 |
3件 | 江戸川・唐津 |
2件 | 児島・多摩川・大村・津・尼崎・平和島・鳴門 |
1件 | 芦屋・下関・桐生・三国・住之江・常滑・琵琶湖・浜名湖・宮島 |
死亡事故の発生件数が最も多いのは「若松競艇」の4件、次いで「江戸川競艇」「唐津競艇」の3件。競艇場側の責任ではないにせよ、不名誉な記録なのは間違いありません。
そんな中、過去に1度も死亡事故が発生していない競艇場も複数あります。
死亡事故が1度もない競艇場
開設日に違いはあれど、1人も死亡者がいないのは喜ばしいこと。これからも死亡事故ゼロを維持できるよう、危険走行などの取締りに期待しましょう。
※各競艇場の予想難易度をランク付けた記事があるので興味あればぜひ。
サメによる死亡事故はあったのか?
グーグルなどで「競艇 死亡事故」と入力すると、サジェストワード(予測検索)に「サメ」と表示されます。当然、これを見た人はこのように感じてしまうはず。
サメが原因で亡くなった競艇選手がいるのか?事実だったら事故の詳細を知りたいんだけど?
確かに、海と隣接している競艇場はあるので、競争水面にサメが侵入する可能性は考えられます。そして、運悪く出くわしてしまった選手がサメに食われてしまった。と連想をしてしまう人もいるでしょうが…
サメに襲われて死亡したボートレーサーは1人もいません。
おそらく、たまたま予測ワードに上がった「サメ」にアクセスが集まり、Googleが誤った認識をして残っているものと考えられます。
サメではなく「ボラ」に激突して脳震盪になった選手はいますけどねw
事故死した競艇選手一覧&事故原因やレース動画
レース内の事故が原因となって死亡した、競艇選手のレース動画および死因について解説します。
ただし、知って得する情報ではなく、痛々しい動画も含まれます。その点を了承したうえで読み進めてください。
中田達也(2022年11月6日)
登録番号 | 4802(113期) |
事故日 | 2022年11月6日 |
享年 | 29歳 |
事故現場 | 宮島競艇場 |
2013年11月にデビューした「中田達也」選手。
デビュー1ヵ月目で初勝利を果たし、3年目には初優勝を挙げた期待のルーキー。また、甘いルックスでボレジョ人気も高かったボートレーサーの1人です。
訃報が届いたのは2022年11月6日、宮島で開催された一般戦初日10R。
イン戦で出場した初日の2走目。
間嶋仁志(5号艇)、関裕也(6号艇)が前づけし、進入隊形は「165234」。その乱れもあってか、中田達也はイン逃げを失敗し、道中は激しい2着争いとなります。
そして、3艇が2着を競って迎えた3周目バックストレッチ。直線でバランスを崩したところ、内側を走行していた伊藤将吉と接触し転覆。
これだけなら単なる転覆事故でしたが…。落水したところを後続艇が衝突してしまいます。
その後、すぐにJA広島総合病院に搬送。懸命の処置を行ったものの、同日(11月6日)に天国へ旅立ちました。
小林晋(2022年1月12日)
登録番号 | 4026(85期) |
事故日 | 2022年1月12日 |
享年 | 44歳 |
事故現場 | 多摩川競艇場 |
1999年に平和島競艇からデビューした「小林晋」選手。優勝経験はありませんが、インコースおよびセンターにいる時は連対率の高いレーサーでした。
不慮の事故が起こったのは、2022年1月に開催された一般戦。
2週目のバックストレッチ。前を行く吉田稔選手に艇先をかけようとした瞬間、艇同士が激しくぶつかり激しく転覆。さらに、転覆後に後続艇と接触。
すぐさま競艇場ちかくの病院に搬送されましたが、レースから約2時間30分後、44歳という若さにしてこの世を去りました。
抵抗した吉田選手が悪走行をした訳でもなく、艇先をかけようと試みた小林選手が悪い訳でもない。不運が重なり合って起こった死亡事故です。
松本勝也(2020年2月9日)
登録番号 | 3529(68期) |
事故日 | 2020年2月9日 |
享年 | 48歳 |
事故現場 | 尼崎競艇場 |
優勝回数42回、通算勝率6.83と好成績を残し、9億7千万円以上の賞金を獲得した「松本勝也」選手。
ファンからは”かっちゃん”の愛称で親しまれ、選手からの人望も厚かった人気レーサー。そんな選手のまさかの出来事に、ボートレース界全体に衝撃が走りました。
事故が発生したのは、尼崎競艇場で開催されたG1近畿地区選手権の4日目。
1周2マークで引き波の影響を受けて転覆し、後続艇に追突され心肺停止状態に。すぐさま病院へ運ばれるも、意識は戻らず死亡。死因は溺死。
実はこのレース、リアルタイムで観戦していました。
松本選手が転覆する様子をこの目で見ましたが、まさか死に至るなんて思ってもおらず。その為、翌日のニュースで「松本勝也死亡」の報道を見た際は、腰が抜けるほどビックリしたのを覚えています。
ひとつだけ言えるのは、後続から乗り上げた5号艇(大平選手)に非がないこと。何度もレースを確認しましたが、どう旋回しても避けるのは不可能です。
大平誉史明を責めるのはご法度。また、天国に旅立った松本選手もそう願っているはず。
鈴木詔子(2013年11月2日)
登録番号 | 2988(48期) |
事故日 | 2013年11月2日 |
享年 | 52歳 |
事故現場 | 下関競艇場 |
1981年に競艇デビューを果たし、1着数449回、優勝5回、通算出走数は4,700回を超える「鈴木詔子」選手。
関係者曰く「温厚で、彼女のことを悪く言う選手はいなかった。若手選手からの人望も厚かった」と、誰からも慕われる人間性だったようです。
そんな彼女が亡くなったのは、本番レースではなくテスト走行時。
ボートを昇降機で水面におろして所定の位置へ移動する際、あり得ないスピードで発進。
その結果、100m以上先の岸壁に衝突して頭部を強打。病院に運ばれるも、脳挫傷により死亡が確認されました。
鈴木選手ほどのベテランが操縦ミスするとは思えない。もしかしたら身体に異常があったのか?それともエンジンの不具合か?未だ真相は分かっていません。
岩永高弘(2010年5月1日)
登録番号 | 3861(79期) |
事故日 | 2010年5月1日 |
享年 | 36歳 |
事故現場 | 若松競艇場 |
通算1着数271回、優勝1回の「岩永高弘」選手。
2010年5月1日、若松競艇場「スポーツニッポン杯争奪」の1Rに4号艇として出走。2周2マークを旋回した後、他の艇と接触し転覆。
その際、後頭部に強い衝撃を受けてしまい、心肺停止状態で病院に搬送されます。賢明な処置は実らず、同月14日に死亡が確認されました。
実は岩永選手が病院に運ばれて数日後「意識が回復した」との報道も。
坂谷真史(2007年2月26日)
登録番号 | 4048(85期) |
事故日 | 2007年2月26日 |
享年 | 26歳 |
事故現場 | 住之江競艇場 |
美人レーサー「佐々木裕美」選手と結婚したことでも有名な「坂谷真史」選手。
銀河系軍団と呼ばれる85期生(井口佳典・森高一真など)の中で頭角を現したレーサーであり、優出49回、優勝14回、勝率6.21と輝かしい通算成績を残しています。
綺麗な奥さん、そして同世代では頭ひとつ出た好成績を残し、公私ともに順風満帆だった2007年2月。
住之江で開催された一般戦において、2着争いで差しハンドルを構えた際、他艇と接触し転覆。浮上したところに後続艇が乗り上げ、脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折で死亡。
佐々木選手との間にお子さんを授かったばかり…。
また、将来が楽しみなレーサーだっただけに、1人の競艇ファンとして非常に辛い死亡事故。
事故によって夫を失った佐々木裕美ですが、現在もママさんレーサーとして活躍中。通算10回の優勝を誇る敏腕レーサーです。
中島康孝(2004年3月28日)
登録番号 | 4029(85期) |
事故日 | 2004年3月28日 |
享年 | 26歳 |
事故現場 | 尼崎競艇場 |
1999年にデビューした「中島康孝」選手。
2年目に勝率4点台に乗せる活躍を見せ、将来有望な新人として注目されたルーキー。2004年には8節に出場して優出3回。次節にはA級昇格、そして初優勝も達成していたはず。
そんな中、2004年3月28日に開催された尼崎の第5レース。
2号艇で出走した中島康孝選手は、内側にいた艇と接触して外側へ追い出され、観戦席側の消波装置へ激突。そのままボートから投げ出されてしまいます。
以下の動画では一部始終を確認できます。ただ、中島選手が命を落とす事故映像なので視聴はおすすめしません。
この時、中島選手は若干26歳。さらに、結婚したばかりで来期にはA級昇格も控えていた最高の時期。あまりにも悲しすぎる事故となりました。
ちなみに、この動画で「ダンプしたのは誰?」とコメントしてる人がいますが、目も前にいたらぶん殴ってやりたい。そもそもダンプはしておらず、不運が重なりあった結果です。
冗談を言っていい時と、ダメな時の判断すらできないのか?
木村厚子(2003年5月25日)
登録番号 | 3196(56期) |
事故日 | 2003年5月25日 |
享年 | 38歳 |
事故現場 | 津競艇場 |
1985年に競艇デビューし、数か月後には初勝利「木村厚子」選手。養成所時代の前評判通りの実績を残していきます。
1988年には念願のA級へ昇格。実力もさることながら、男性ファンを虜にする可愛さも相まって「艇界のニューアイドル」と呼ばれる存在でした。
事故に遭ったのは、2003年に開催された津競艇の7レース。
先頭を走っていたところ、1周2マークの旋回ミスによって失速。これを後続艇がかわせず木村厚子選手に激突してしまいます。
すぐに近隣の病院へ運ばれたものの、頸髄損傷、脳挫傷により死亡。
私が競艇を覚えだした頃に人気だった選手です。事故のニュースを知った時はかなり衝撃を受けました。
沢田菊司(1999年11月6日)
登録番号 | 2546(32期) |
事故日 | 1999年11月6日 |
享年 | 48歳 |
事故現場 | 平和島競艇場 |
沢田菊司選手は、プロペラを大型化して人気を博したことから「デカペラの元祖」とも呼ばれていたレーサー。
事故に遭ったのは平和島競艇。
先行していた艇の減速によって衝突し、後続艇に追突されます。プロペラに巻き込まれてしまい、多量の胸腔内出血などにより死亡しました。
西塔莞爾(1953年7月9日)
登録番号 | 302 |
事故日 | 1953年7月9日 |
享年 | 29歳 |
事故現場 | 児島競艇場 |
競艇で初の死亡事故被害者となってしまった「西塔莞爾」選手。
試運転中に起こった事故のようですが、西塔莞爾選手が亡くなった後に下記の写真が話題となります。
新聞の一面に「再び現れた幽霊ボート」と大々的に書かれています。
”再び現れた”ということは、以前にも似たような出来事があったのかも。その情報に関しては見つけることができませんでした。
ただ、さすがに幽霊ボートは無理があるので、光の反射とかだと思いますが…
やまと学校の119期女子訓練生(2016年5月19日)
死亡事故などを起こさないために訓練を行っている「やまと学校(現ボートレーサー育成所)」において、当時19歳だった女子訓練生「水城佑理」さんが亡くなった衝突事故。
模擬レースの訓練中、訓練生が操縦するボートに他のボートが衝突し、19歳の女子訓練生1名(第119期生:平成27年10月入学)が亡くなるという事故が発生しました。
事故発生後、久留米市内の病院に搬送されましたが、同日午後6時22分、懸命な治療の甲斐もなく死亡いたしました。
出典:ボートレースオフィシャルサイト
あまりにも辛すぎる事故。
まだデビューすら果たせておらず、10代という若さで天国へ旅立ってしまうなんて。しかも、水城佑理さんは119期でトップの成績だったとか。
事故原因に”他のボートと衝突”とあるので、衝突してしまった訓練生はボートに乗り続けることができるのか?既にデビューしていると思われますが、トラウマにならないことを祈るばかり。
指導していた学校側に責任はないのでしょうが、二度とこのような事故が起こらない体制にしてもらいたい。
一歩間違えれば死亡者が出ていた重大事故
競艇は「水上の格闘技」とも呼ばれ、最高スピードは時速80㎞(体感速度120㎞)にも達します。そうした環境で戦っている以上、転覆などの事故が起こるのは避けられないこと。
その為、死には至らなくても「命の危険を脅かすような大事故」は度々発生しています。
「原田篤志」事故後、心臓マッサージで心肺蘇生
SG優出実績もある「原田篤志」。
2024年8月27日の宮島G3。原田は池本輝明(5号艇)・早川尚人(6号艇)と4着争いをしていた3周1マーク、池本の妨害失格により転覆。
その際、頭部を強打したことで意識不明となり、肺に水が入って溺水状態に。心臓マッサージで息を吹き返しましたが、意識のないまま2日間生死をさまよったとのこと。
原田は8月の宮島で転覆事故に遭い、脳振とうで意識を失った。肺に水が入る溺水状態となり、2日間意識も戻らず生死をさまよった。それでも迅速に駆けつけた救助艇や、医師の的確な治療で生還。
出典:ヤフーニュース
当該事故は知ってましたが、まさかこんな状態に陥っていたとは…
事故から約1ヵ月後に復帰し、現在は以前と変わらぬ活躍を魅せています。
「前田光昭・前田紗希」親子揃って追突事故で長期離脱
ボート界の仲良し親子として知られる「前田光昭・前田紗希」。
2人揃って同じ競艇場、同じシチュエーションで血の気が引くような危険事故を起こしています。
前田光昭(2020年11月住之江)
2020年11月6日の住之江一般戦。
3コースから凹んだスタートとなり、マイシロのない状態でターンマークに接触。失速したところに最内を走行してきた後続艇から追突されてしまいます。
頭部へ強い衝撃を受けたことで「高次脳機能障害」を患い、事故当初は引退を覚悟したしたそうです。
しかし、賢明なリハビリを継続した結果、約4ヵ月後の2021年3月10日に蒲郡で復帰を果たしました。
前田紗希(2023年7月住之江)
2023年7月19日の住之江一般戦。
3号艇前田紗希だけ凹んだスリットとなり、外枠勢に飲み込まれる展開。マイシロのない旋回だったことでターンマークに接触し失速。そこへ全速で差してきた野田部から追突されてしまいます。
頭部付近に強い衝撃を受けたものの、懸命の処置によって命には別状ないとのこと(妹のツイッターより)。
お気づきの方もいるでしょうが、父親の前田光昭、そして娘の前田紗希。どちらも事故の状況がほとんど同じなんです。
「住之江開催・3号艇・ターンマーク接触・頭部に追突」
ただ、命を失わなかったことも同じだったので、最悪の辞退は免れたといって良いかもしれません。
父親同様、前田紗希の復帰を心から願ってます。後遺症で引退…なんてことにならなきゃいいけど。
大山千広の背中に後続艇が衝突(2022年10月24日)
2022年10月24日に開催された丸亀ヴィーナスシリーズ。大事故が起きたのは最終レースのドリーム戦。
平高奈菜のイン戦で、大山千広は2コース進入。ほぼ横並びのスリットから平高がイン逃げを成功させ、1周2マークを回った時点で大山は5番手。
3着には2艇身ほど縮める必要があったため、2周1マークで先マイを敢行。これが5号艇前田紗季にダンプする形となり、バランスを崩した大山は急減速。
そこに最内を差してきた4号艇平田さやかの艇先が突き刺さります。
レース映像を見る限りは、大山千広の身体がボートから飛び出しているようにも見えます。
その後のニュースで「骨盤骨折で入院」と知り少しほっとしましたが、一歩間違えれば命の危険も危ぶまれる事故。
そんな中、2023年2月のG2蒲郡からレースに復帰。長期間のブランクがありながら、優出(6着)する活躍で復帰戦を終えています。
大山ファンの1人として、現役続行に支障がなくて本当に良かった。
艇底が石川真二の頭の上に…記憶が飛ぶほどの事故(2022年2月22日)
2022年2月2日、芦屋競艇で開催されたG3アサヒビールカップ1日目。
イン屋として知られる3号艇「石川真二」選手は、展示で2コースを主張。本番でピット離れに失敗した2号艇栗原選手が大外にまわり、進入隊形は「134/562」に。
スタートは内側3艇がコンマ17で揃い、波乱なく終わりそうな展開。しかし、モーター性能が低かった石川選手は、1周1マークで引き波を超えることができず後退。
その展開をついて永井源選手がまくり差しを試みたところ、浮いた艇先を抑えきれず艇底が石川選手の頭上に。
事故直後、両選手は落水せず停止。2艇ともエンストかな?と思っていましたが、実はこの時…
石川選手の意識は飛んでいたことが後に判明。
ご心配いただいている皆様へ。
昨日は沢山の温かいメッセージを有難うございました。道中、不安もありましたが皆様のお言葉に大きく支えられました。全ての皆様にお返事出来なくてごめんなさい。
さて主人の検査結果とその後ですが、今の所、脳内の出血や骨折等はないとの事。
ただレースの記憶がなく、首に激痛があって動かせないので、ずっと自宅で横になっております。(病院では3日間は安静に…とのことでした) 本人は丸亀から復帰したい気持ちでおりますので、私も精一杯フォローしていきたいと思います。
嫁より
出典:石川真二公式ツイッター
上記ツイートは、事故の翌日に奥様がファンに向けて発信したものです。
幸い、大事には至らず、脳内出血や骨折などもなく、救急車で運ばれた当日には会話も出来ていたらしい。とはいえ、打ちどころが悪ければ最悪なケースも十分あり得たでしょう。
小林晋の死亡事故から2日後…丸亀G1の準優勝戦(2022年1月14日)
事故が発生したのは、2022年1月14日に開催された丸亀周年記念。
4号艇石川真二選手、6号艇山崎裕司選手が前づけを敢行し、進入隊形は「1426/35」。スタートで山崎選手が凹んでしまい、隙をついて5コースから山下流心選手が全速でまくっていく展開。
しかし、1マークに差し掛かる前に内側の艇と接触し、ボートは宙を舞います。
それに巻き込まれる形で2艇(正木選手・山崎選手)のボートも大きく舞い上がって転覆。
映像を見れば分かりますが、死者が出てもおかしくないレベル。
百歩譲って、事故が起きるのは仕方ありません。でもこれは、3号艇「山下流心」選手の強引すぎる走行が原因。
しかも、この日は「小林晋選手が亡くなった2日後」。
業界全体で二度と起こしてはいけないと団結している中、なぜ同じ過ちを繰り返すような危険走行をするのか?二度とこの選手を応援する気にはなれません。
これだけのことをしたら、1年程度の出場停止にするぐらい厳しくした方がいい。
住之江競艇場の優勝戦。5艇が大クラッシュの大事故(2021年8月27日)
2021年8月27日、住之江競艇で開催された「日刊スポーツ盾争奪第55回しぶき杯競走」の優勝戦。
実はこのレース、1-6-全の舟券を持っていたので、レースが続行されれば約30万円の払戻しがありました。
しかし、そんなことを忘れるぐらい「最悪の事態が起こってしまったのでは…」と感じたレース。
川田正人選手(6号艇)がトップスタートを決めまくりにいったところ、大須賀友選手(5号艇)が握りきれず、内側の3,4号艇を巻き込んで大クラッシュ。
その後、1,2,6号艇は事故を避けられたものの、金子龍介選手(2号艇)はエンスト?のような挙動を見せ、1マークを回ったあたりでストップ。
川田正人選手は妨害失格となり、完走できたのは1号艇の須藤博倫選手のみ。
結果的に須藤選手は優勝となりましたが、各メディアは「笑顔なき優勝」と報じています。ちなみに、住之江の優勝戦で5艇失格したのは2003年以来らしいです。
事故後、金子龍介選手は復帰することなく2023年4月に引退。日常生活を普通に送れていれば良いのですが…
鳴門競艇で転覆後、ぐったりと動けない島田賢人(2019年7月16日)
2019年7月16日、鳴門競艇で開催された「男女W優勝戦」の初日8R。
1周目は何事もなくレースは進行し、川上哲也がイン逃げし、島田賢人と吉田稔が2着を競る展開。艇間はさほどなかったものの、内側の吉田が若干有利な状態。
そして2周1マーク、吉田がツケマイをして回りきったあたりで、最内を走ってきた長谷川充と接触して転覆。
転覆した島田の上に、長谷川のボートが乗り上げてしまいます。
水面に浮上してきた島田選手は仰向けのまま全く動けない様子。
救助艇に引き上げられてからも一切動いておらず、かなり強い衝撃を受けたものと思われます。
事故当時の容態は不明ですが、その後のレースで活躍していたので、大きな怪我などはされなかったようです。
丸亀競艇で艇同士が乗り上げる大事故(2018年5月1日)
2018年5月1日、丸亀競艇で開催された「瀬戸の大魔神大賞最終日」の10R。
1周2マークをまわった時点で先頭は松下智幸選手(1号艇)。その後を近江翔吾選手(2号艇)、竹田和哉選手(4号艇)、そして横並びで上田隆章選手(3号艇)、中岡正彦選手(5号艇)と続く隊形。
大事故が起こったのは2周1マーク。
竹田選手が2着目を狙うために差しに構えたところ、艇先が前を行く近江選手のボートに接触してしまい転覆。
さらに、転覆したボートの上を後続艇(3,5,6号艇)が乗り上げる事態に。
大惨事になってもおかしくない状況でしたが、どの選手も大事には至っていない様子が映像から分かります。本当に良かった…
公営競技の死亡事故件数と原因
1950年代に開始された競艇において、過去にどのくらいの選手が命を落としたのかご存じでしょうか?また、他の公営ギャンブル(競馬・競輪・オートレース)の死亡事故件数も合わせて解説します。
各競技で起こった死亡事故の件数比較
記事作成時点で確認できた死亡事故件数は以下の通り。
- 競馬50件
- 競艇33件
- 競輪5件
- オートレース5件
最も死亡事故が多かったのは競馬の50件。次いで競艇が31件、競輪・オートレースが5件。それぞれ死亡原因は違いますが、どの競技でも命を落とす事故は発生しています。
※競輪の死亡事故件数は、持病が原因でレース後に亡くなった方が他に2名います。
死亡に至った主な事故原因
競技 | 原因 | 詳細 |
競馬 | 落馬 | 騎乗ミスや馬の暴走などにより落馬し、後続の馬から踏み潰される。さらに、短距離ではスピードが70㎞を超え、地面に打ち付けられる衝撃は強い。 |
競輪 | 落車 | レース中に選手同士の衝突によって落車し、60㎞を超えるスピードでコンクリートのバンクに叩きつけられる。また、後続車にひかれることも。 |
競艇 | 落水 | 特に第1ターンマークの事故が多く、転覆後に後続艇から衝突されたり、ボートのプロペラに巻き込まれる。 |
オート | 落車 | 最高速度150㎞に達する。体制を崩すと操縦不能となり、観客防護用フェンスや後続車との衝突で強い衝撃を受ける。 |
全ての競技に共通しているのは「想像以上の速さ」で競っていること。
そのスピードで落馬・落車・落水すると、走行する自動車にぶつかった衝撃と同程度。当然、その衝撃を受けると身体に大きな影響を与えてしまい、運が悪いと死に至ってしまいます。
競艇に限っていうと、第1ターンマークでの事故が多いです。
後続艇がいる中で転覆した場合、最高速度70㎞に達するボートが選手に衝突したり、ボートのプロペラに巻き込まれて重症化するケースもあります。
常に死と隣り合わせなのは他の競技も同様です。そんな選手に「事故ってくれてありがとう」なんて絶対に言えない。
まとめ
公営ギャンブルは全て「死と隣り合わせの競技」。
選手たちはその覚悟を持ってレースに挑んでいます。その為、事故が起きて勝ち負けに影響したとしても、罵声を浴びせたり、喜びを言動に移すのは人としてNGです。
意図的に事故を起こしている選手はいません。事故点が加算されるとレースに参加できなくなりますし、最も損するのは本人なのです。
そのうえで、事故後の選手はファンに対して謝罪するのが一般的。※2:15あたり
私だって軸で買っている選手が事故ったらムカつきます。でも、命を懸けて戦っている以上、心ない野次は控えるのがマナーかと。
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コメント一覧 (3件)
丸亀も死亡事故起きてないかも?
ご指摘ありがとうございます
住之江の事故後、金子龍介選手は復活できていないと思います。
エンストではなく、ボートと頭部が接触している様に見えました。
いまだに、ご無事か確認できないので心配しています。
突然失礼しました。