自分が購入していない選手が転覆した際「やったー!転覆してくれたよ」とぬか喜びするのはタブーです。なぜなら、転覆してしまった選手、巻き込まれた選手が亡くなくなる危険な競技だから。
実際、競艇がはじまってから現在まで「30名以上の男女レーサー」が命を落としています。
もちろん、私だって転覆などの事故によって舟券が的中するのは嬉しいですし、喜んでいないと言ったら嘘になります。ただ、命を懸けてレースに挑んでいることを理解すれば、罵倒したり、声を大にして喜ぶことはできないはず。
過去に起こった「競艇の死亡事故」を紹介するので、ボートレースがどれほど危険な競技なのか?この機会に理解してもらえると幸いです。
※競輪の死亡事故については以下をご覧ください。
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競艇(ボートレース)の死亡事故について
競艇という競技がはじまった頃と比べると、速度が出過ぎないようにしたモーターに改変したり、各競艇場が設けた禁止行為の厳格化により、死亡事故の発生件数は減少傾向にあります。
しかし、最近でも忘れた頃に訃報を目にするので、より一層の対策を講じて死亡事故ゼロを祈るばかり。
ボートレースの死亡事故は過去に30件以上
選手名 | 死亡日 | 享年 | 事故現場 |
西塔莞爾 | 1953/1/7 | 29歳 | 児島 |
横溝幸雄 | 1953/12/24 | 34歳 | 唐津 |
大井手善信 | 1954/2/5 | 20歳 | 唐津 |
中島常价 | 1962/1/6 | 32歳 | 琵琶湖 |
小笠原政敏 | 1962/7/25 | 28歳 | 鳴門 |
大西昭 | 1963/7/9 | 31歳 | 常滑 |
川添一夫 | 1965/2/22 | 35歳 | 若松 |
和泉定治 | 1965/3/23 | 40歳 | 児島 |
中井紘司 | 1965/12/23 | 24歳 | 芦屋 |
半田弘志 | 1968/5/14 | 29歳 | 若松 |
中村五喜 | 1968/10/14 | 34歳 | 唐津 |
蛇山清 | 1970/11/1 | 23歳 | 鳴門 |
石塚一雄 | 1972/11/12 | 35歳 | 平和島 |
池田博 | 1973/10/7 | 52歳 | 多摩川 |
筒井博利 | 1977/9/30 | 31歳 | 若松 |
一瀬隆 | 1978/8/14 | 27歳 | 大村 |
花田龍美 | 1981/8/24 | 34歳 | 大村 |
勝股勇 | 1982/1/23 | 38歳 | 江戸川 |
安心院信行 | 1983/1/24 | 30歳 | 三国 |
宮本力 | 1985/1/3 | 37歳 | 江戸川 |
清水正博 | 1989/1/6 | 23歳 | 桐生 |
水野定夫 | 1993/11/22 | 48歳 | 江戸川 |
有吉貴之 | 1997/9/4 | 27歳 | 津 |
伊藤公二 | 1998/3/23 | 55歳 | 浜名湖 |
沢田菊司 | 1999/11/6 | 48歳 | 平和島 |
木村厚子 | 2003/5/25 | 38歳 | 津 |
中島康孝 | 2004/3/28 | 26歳 | 尼崎 |
坂谷真史 | 2007/2/26 | 26歳 | 住之江 |
岩永高弘 | 2010/5/14 | 36歳 | 若松 |
鈴木詔子 | 2013/11/2 | 52歳 | 下関 |
松本勝也 | 2020/2/9 | 48歳 | 尼崎 |
小林晋 | 2022/1/12 | 44歳 | 多摩川 |
競艇で事故によって命を落とした選手は30名を超えています。
10年単位で見ると、8名命を落とした1960年代が最も多く、最も少なかったのは2010年代の2名。この流れで2020年はゼロになれば…と期待していましたが、残念ながら2月に訃報が報じられました。
最も死亡率の高いのは若松競艇場(2021年9月現在)
死亡事故の現場となった競艇場を確認すると、発生件数が最も多いのは「若松競艇」の4件、次いで「江戸川競艇」「唐津競艇」の3件。競艇場側の責任ではないでしょうが、不名誉な記録なのは間違いありません。
そんな中、過去に1度も死亡事故が発生していない競艇場も複数あります。
死亡事故が1度もない競艇場
開設日に違いがあるとはいえ、出走した選手が1人も亡くなっていないのは嬉しい事実!これからも死亡事故ゼロを維持できるよう、危険走行などの取締りに期待したいですね。
※各競艇場の予想難易度をランク付けた記事があるので興味あればぜひ。
サメによる死亡事故はあったのか?
グーグルなどで「競艇 死亡事故」と入力すると、サジェストワード(予測検索)に「サメ」と表示されます。当然、これを見た人はこのように感じてしまうはず。



確かに、海と隣接している競艇場はあるので、競争水面にサメが侵入する可能性は考えられます。そして、運悪く出くわしてしまった選手がサメに食われてしまった。といった妄想をしてしまう人もいるでしょうが…
サメに襲われて死亡したボートレーサーは1人もいません。
おそらく、たまたま予測ワードに上がった「サメ」にアクセスが集まり、Googleが誤った認識をして残っているものと考えられます。



事故死した競艇選手の死因やレース動画
レース内の事故が原因となって死亡した、競艇選手のレース動画および死因について解説します。ただし、知って得する情報ではなく、痛々しい動画も含まれます。その点を了承したうえで読み進めてください。
小林晋(2022年1月12日)
登録番号 | 4026 |
事故日 | 2022年1月12日 |
享年 | 44歳 |
事故現場 | 多摩川競艇場 |
1999年に平和島競艇からデビューした「小林晋」選手。これまでに優勝経験はありませんが、インコースおよびセンターにいる時は連対してくれる印象のレーサーでした。
不慮の事故が起こったのは2022年1月に開催された一般戦。
2週目のバックストレッチで若干前を行く4号艇の吉田稔選手に艇先をかけようとした瞬間、艇同士が激しくぶつかり、小林選手はほぼ全速の状態で転覆。それだけならまだしも、転覆後に後続艇と接触。
すぐさま競艇場ちかくの病院に搬送されましたが、レースから約2時間30分後、44歳という若さにしてこの世を去りました。
レース映像を見れば分かる通り、内側に入れさせないようにした吉田選手が悪い行為ではなく、艇先をかけようと試みた小林選手が悪い訳でもない。不運が重なり合って起こった死亡事故です。
松本勝也(2020年2月9日)
登録番号 | 3529 |
事故日 | 2020年2月9日 |
享年 | 48歳 |
事故現場 | 尼崎競艇場 |
優勝回数42回、通算勝率6.83と好成績を残し、9億7千万円以上の賞金を獲得した「松本勝也」選手。周りの選手やファンなどから”かっちゃん”の愛称で親しまれ、彼の死亡事故が発生した際は、ボートレース業界に激震が走りました。
尼崎競艇場で開催されたG1近畿地区選手権の4日目。1周2マークに引き波の影響を受けて転覆。後続からきた艇に追突され、心肺停止状態に。すぐさま病院へ運ばれるも、意識は戻らず死亡。死因は溺死。
実はこのレース、リアルタイムで観戦していました。松本選手が転覆する様子を見ていましたが、まさか死に至るなんて思ってもおらず。その為、翌日のニュースで「松本勝也死亡」の報道を見た際は、腰が抜けるほどビックリしたのを覚えています。
ただ、ひとつだけ覚えておいてほしいのは、後続から乗り上げた5号艇(大平選手)に非はありません。何度もレースを確認しましたが、どう旋回しても避けるのは無理です。
松本選手も大平選手を責める気持ちは一切ないはず。
鈴木詔子(2013年11月2日)
登録番号 | 2988 |
事故日 | 2013年11月2日 |
享年 | 52歳 |
事故現場 | 下関競艇場 |
1981年に競艇デビューを果たし、勝利数449回、優勝5回、通算の出走数は4,700回を超えるベテランの女子レーサー。また、関係者曰く「温厚で、彼女のことを悪く言う選手はいなかった。若手選手からの人望も厚かった」と、誰からも慕われる人間性だったようです。
そんな彼女が亡くなったのは、本番レースではなくテスト走行時。ボートを昇降機で水面におろして所定の位置へ移動する際、通常では考えられないほど猛スピードで走行。その結果、100m以上先の岸壁に衝突し。頭を強く打ちつけてしまい、病院に運ばれたが脳挫傷により死亡が確認された。
鈴木選手ほどのベテランが操縦ミスするか?もしかしたらボートに異常が…。未だ真相は判明していません。
岩永高弘(2010年5月1日)
登録番号 | 3861 |
事故日 | 2010年5月1日 |
享年 | 36歳 |
事故現場 | 若松競艇場 |
通算勝利数271回、優勝1回の「岩永高弘」選手。
2010年5月1日、若松競艇場「スポーツニッポン杯争奪」の1レースに4号艇として出走。2周2マークを旋回した後、他の艇と接触し転覆。その際、後頭部に強い衝撃を受けてしまい、心肺停止状態で病院に搬送するも、同月14日に死亡が確認された。
実は岩永選手が病院に運ばれて数日後「意識が回復した」との報道があったので、最悪のケースは回避できたと思っていたのに…。
坂谷真史(2007年2月26日)
登録番号 | 4048 |
事故日 | 2007年2月26日 |
享年 | 26歳 |
事故現場 | 住之江競艇場 |
美人レーサー「佐々木裕美」選手と結婚したことでも有名な「坂谷真史」選手。また、銀河系軍団と呼ばれる85期生(井口佳典・森高一真など)の中でも活躍したレーサーであり、優出49回、優勝14回、通算勝率6.21と輝かしい実績を残しています。
公私ともに順風満帆だった2007年2月。住之江競艇で開催されたレースにおいて、2着争いで差しハンドルを構えた際、他艇と接触し転覆。浮上したところに後続艇から乗り上げられ、脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折で死亡。
佐々木選手との結婚、そしてお子さんも生まれたばかり…。また、将来が楽しみなレーサーだっただけに、1人の競艇ファンとして非常に辛い死亡事故でした。
※佐々木裕美選手については以下の記事で触れています。
中島康孝(2004年3月28日)
登録番号 | 4029 |
事故日 | 2004年3月28日 |
享年 | 26歳 |
事故現場 | 尼崎競艇場 |
2004年3月28日に開催された尼崎競艇場の第5レース。2号艇で出走した中島康孝選手は1周2マーク、大外全速ターンで捲りにいくが、握り切れず膨らんでしまう。内側にいた艇と接触しさらに外側へ追い出され、観戦席側の消波装置へ激突。そのままボートから投げ出されて全身を強打。
以下の動画では一部始終を確認できます。ただ、中島選手が命を落とす事故映像なので、気分を害されたくない方は視聴しないように。
26歳という若さで亡くなってしまった中島選手。また、結婚したばかりだったこと、来期には初めてのA級が目前だったこと、悲しすぎる事故となりました。
ちなみに、この動画には「ダンプしたのは誰?」と心無いコメントが投稿されていますが、決して誰もダンプなどはしていません。全員が全力でぶつかり合った結果であり、亡くなった中島選手も他人のせいとは思っていないはず。
木村厚子(2003年5月25日)
登録番号 | 3196 |
事故日 | 2003年5月25日 |
享年 | 38歳 |
事故現場 | 津競艇場 |
1985年に競艇デビューを果たし、数か月後には初勝利、翌年には初優出と期待されていた通りに実績を残していきます。また、1988年には念願のA級へ昇格。実力もさることながら、男性ファンを虜にする可愛さも相まって「艇界のニューアイドル」と呼ばれる存在に。
事故に遭ったのは2003年に開催された津競艇の7レース。先頭で1周2マークに差し掛かったところ旋回ミスで失速。これを後続艇がかわせず木村厚子選手のボートに乗り上げてしまう。
すぐに近隣の病院へ運ばれたものの、頸髄損傷、脳挫傷により死亡。



沢田菊司(1999年11月6日)
登録番号 | 2546 |
事故日 | 1999年11月6日 |
享年 | 48歳 |
事故現場 | 平和島競艇場 |
沢田菊司選手は、プロペラを大型化して人気を博したことから「デカペラの元祖」とも呼ばれていたレーサー。
事故に遭ったのは平和島競艇。先行していた艇の減速によって衝突し、後続艇に追突されます。プロペラに巻き込まれてしまい、多量の胸腔内出血などにより死亡しました。
西塔莞爾(1953年7月9日)
登録番号 | 302 |
事故日 | 1953年7月9日 |
享年 | 29歳 |
事故現場 | 児島競艇場 |
競艇で初の死亡事故被害者となってしまった「西塔莞爾」選手。試運転中に起こった事故のようですが、西塔莞爾選手が亡くなった後に下記の写真が話題となります。
新聞の一面に「再び現れた幽霊ボート」と大々的に書かれています。”再び現れた”ということは、以前にも何かしらあったのかもしれませんが、その情報に関しては見つけることができませんでした。まぁ、さすがに幽霊ボートは無理があるので、光の反射とかだと思いますが…
やまと学校訓練生
2016年5月19日、死亡事故などを起こさないために訓練を行っている「やまと学校(ボートレーサー育成所)」において、19歳の女子訓練生1名(第119期生)が亡くなる事故が発生しました。
模擬レースの訓練中、訓練生が操縦するボートに他のボートが衝突し、19歳の女子訓練生1名(第119期生:平成27年10月入学)が亡くなるという事故が発生しました。
事故発生後、久留米市内の病院に搬送されましたが、同日午後6時22分、懸命な治療の甲斐もなく死亡いたしました。
あまりにも辛すぎる事故。まだデビューすら果たせておらず、10代という若さで天国へ旅立ってしまうとは。また、事故原因に”他のボートと衝突”とあるので、衝突して生存している訓練生はボートに乗り続けることができるのか?
指導していた学校側に責任はないのでしょうが、二度とこのような事故が起こらない体制にしてもらいたい。
一歩間違えれば死亡者が出ていた大事故
競艇は「水上の格闘技」とも呼ばれる競技であり、最もスピードが乗った時には時速80㎞(体感速度120㎞)にも達します。また、その領域で戦っている以上、転覆などの事故が起こるのは仕方のないこと。
そんな中、ごく稀に”命の危険を脅かすような大事故”も発生します。
艇底が石川真二の頭の上に…記憶が飛ぶほどの事故(2022年2月22日)
2022年2月2日、芦屋競艇で開催されたG3アサヒビールカップ1日目。
イン屋として知られる3号艇「石川真二」選手は、展示で2コースを主張。132456の進入隊形かと思われましたが、本番でピット離れに失敗した2号艇栗原選手が大外にまわり、スロー134、ダッシュ562の形に。
スタートは内側3艇がコンマ17で揃い、波乱なく終わりそうな展開。しかし、モーター性能が低かった石川選手は、1周1マークで引き波を超えることができず後退。
その展開をついて永井源選手は5コースからまくり差しで試みますが、浮いた艇先を抑えきれず、運悪く艇底が石川選手の頭の上に。
事故直後、石川選手、永井選手は落水せず停止。2艇ともエンストかな?と思っていたところ、実はこの時すでに石川選手の意識は飛んでいたことが後に判明しました。
ご心配いただいている皆様へ。
昨日は沢山の温かいメッセージを有難うございました。道中、不安もありましたが皆様のお言葉に大きく支えられました。全ての皆様にお返事出来なくてごめんなさい💦
さて主人の検査結果とその後ですが
今の所、脳内の出血や骨折等はないとの事。ただレースの記憶がなく— ボートレーサー石川真二と愉快な仲間たち (@yukainakama3473) February 23, 2022
上記ツイートは事故の翌日、奥様がファンに向けて発信したものです。
幸い、大事には至らず、脳内出血や骨折などもなく、救急車で運ばれた当日には会話も出来ていたらしい。とはいえ、打ちどころが悪ければ最悪なケースも十分あり得る危険な事故だったと思います。
住之江競艇場の優勝戦。5艇が大クラッシュの大事故(2021年8月27日)
2021年8月27日、住之江競艇で開催された「日刊スポーツ盾争奪第55回しぶき杯競走」の優勝戦。実はこのレース、1-6-全の舟券を持っていたので、レースが続行されれば約30万円の払戻しがありました。
しかし、そんなことを忘れるぐらい「最悪の事態が起こってしまったのでは…」と感じたほど。
事故の原因は、川田正人選手(6号艇)がトップスタートを決めまくりにいったところ、大須賀友選手(5号艇)が握りきれず、内側の3,4号艇を巻き込んで大クラッシュ。
その後、1,2,6号艇は事故を避けられたものの、金子龍介選手(2号艇)はエンスト?のような挙動を見せ、1マークを回ったあたりでストップ。川田正人選手は妨害失格となり、完走できたのは1号艇の須藤博倫選手のみ。
結果的に須藤選手は優勝となりましたが、各メディアは「笑顔なき優勝」と報じています。ちなみに、住之江の優勝戦で5艇失格したのは2003年以来らしいです。



鳴門競艇で転覆後、ぐったりと動けない島田選手(2019年7月16日)
2019年7月16日、鳴門競艇で開催された「男女W優勝戦」の初日8R。
1周目は何事もなくレースは進行し、川上哲也(1号艇)がイン逃げし、島田賢人(2号艇)と吉田稔(3号艇)が2着を競っている展開。艇間はさほどなかったものの、内側の吉田選手が若干有利な状態。
そして2周1マーク、吉田選手がツケマイをして回りきったあたりで、最内を走ってきた長谷川充選手(5号艇)と接触して転覆。しかも、転覆した島田選手の上を長谷川選手のボートが乗り上げてしまう。
プロペラに巻き込まれる事態を避けることはできましたが、水面に浮上してきた島田選手は仰向けのまま全く動けない様子。救助艇に引き上げられてからも一切動いておらず、かなり強い衝撃を受けたものと思われます。



丸亀競艇場で艇同士が乗り上げる大事故(2018年5月1日)
2018年5月1日、丸亀競艇で開催された「瀬戸の大魔神大賞最終日」の10R。
1周2マークをまわった時点で先頭は松下智幸選手(1号艇)。その後を近江翔吾選手(2号艇)、竹田和哉選手(4号艇)、そして横並びで上田隆章選手(3号艇)、中岡正彦選手(5号艇)と続く体形。
大事故が起こったのは2周1マーク。竹田選手が2着目を狙うために差しに構えたところ、艇先が前を行く近江選手のボートに接触してしまい転覆。さらに、転覆したボートの上を後続艇(3,5,6号艇)が乗り上げる事態に。
大惨事になってもおかしくない状況でしたが、どの選手も大事には至っていない様子が映像から分かります。本当に良かった…
公営競技(競馬・競輪・競艇・オートレース)の死亡事故件数と原因
1950年代に開始された競艇において、過去にどのくらいの選手が命を落としたのかご存じでしょうか?また、他の公営ギャンブル(競馬・競輪・オートレース)の死亡事故件数も合わせて解説します。
各競技で起こった死亡事故の件数比較
記事作成時点で確認できた死亡事故件数は以下の通り。
- 競馬50件
- 競艇31件
- 競輪5件
- オートレース5件
最も死亡事故が多かったのは競馬の50件。次いで競艇が31件、競輪・オートレースが5件。それぞれ死亡原因は違いますが、どの競技でも命を落とす事故は発生しています。
※競輪の死亡事故件数は、持病が原因でレース後に亡くなった方が他に2名います。
死亡に至った主な原因
競技 | 原因 | 詳細 |
競馬 | 落馬 | 騎乗ミスや馬の暴走などにより落馬し、後続の馬から踏み潰される。さらに、短距離ではスピードが70㎞を超え、地面に打ち付けられる衝撃は強い。 |
競輪 | 落車 | レース中に選手同士の衝突によって落車し、60㎞を超えるスピードでコンクリートのバンクに叩きつけられる。また、後続車にひかれることも。 |
競艇 | 落水 | 特に第1ターンマークの事故が多く、転覆後に後続艇から衝突されたり、ボートのプロペラに巻き込まれる。 |
オートレース | 落車 | 最高速度150㎞に達する。体制を崩すと操縦不能となり、観客防護用フェンスや後続車との衝突で強い衝撃を受ける。 |
全ての競技に共通しているのは「想像以上の速さ」で競っていること。そのスピードで落馬・落車・落水すると、スピードを出している自動車にぶつかった時と同じぐらいの衝撃らしい。当然、その衝撃を受けると身体に大きな影響を与えてしまい、運が悪いと死に至ってしまいます。
競艇に限っていうと、レースの特性上、第1ターンマークでの事故が多いです。
最後尾で単独の落水であればリスクはほぼないでしょう。しかし、後続から通過してくるボートがいる場合、最高速度70㎞に達するボートが選手に乗り上げたり、ボートのプロペラに巻き込まれて重症化することも。



まとめ
公営ギャンブルは全て「死と隣り合わせの競技」であり、選手たちはその覚悟を持ってレースに挑んでいます。その為、事故によって勝ち負けに影響したとしても、罵声を浴びせたり、過度な喜ぶ行為は絶対にしないでください。
ごく稀に八百長を行う選手がいるものの、ほぼ全ての選手は事故を意図的に行っていません。事故点が加算されるとレースに参加できなくなりますし、最も損するのは本人なのです。
そのうえで、事故後の選手はファンに対して謝罪するのが一般的。※2:15あたり
私だって軸で買っている選手が事故ったらムカつきます。でも、命を張って挑んだ結果である以上、仕方のないことだと思うようにしています。
コメントお待ちしてます!
コメント一覧 (1件)
住之江の事故後、金子龍介選手は復活できていないと思います。
エンストではなく、ボートと頭部が接触している様に見えました。
いまだに、ご無事か確認できないので心配しています。
突然失礼しました。