YouTubeなどで競艇関連の動画を検索すると、やたらと目につく選手が…
その名は「西山貴浩」。艇界No.1のエンターテイナーであり、とにかくファンを楽しませることが最優先。中でもグレードレース(SG・G1)で勝った際の面白いインタビューは、ファンにとって大きな楽しみになっています。
ボートレーサーとしては山あり谷ありですが、先輩後輩を問わず多くの選手たちに愛され、人気だけでなく実力・成績もトップクラス。2020年には競艇の頂点である”グランプリ”にあと一歩まで迫る大活躍を見せました。
そこで今回は、無類の人気者として知られる「西山貴浩」について、余すことなく紹介していこうと思います。
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競艇選手「西山貴浩」とは?
まずは、西山貴浩選手の基本的なプロフィールから。
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名前(かな) | 西山貴浩(にしやまたかひろ) |
登録番号 | 4371(97期) |
生年月日 | 1987年5月15日 |
身長・体重 | 168cm・53kg |
血液型 | A型 |
出身 | 福岡県 |
所属支部 | 福岡支部 |
西山選手の出身地は、福岡県北九州市八幡西区。ナイターレースが開催される「若松競艇場」に程近い場所で生まれ育ち、2004年に養成所へ入所、2005年11月に若松でデビューを果たします。
養成所試験は4度目で合格!最初は両親に黙って…
西山選手がボートレーサーになろうと思ったきっかけは、競艇好き父親と、小学生の頃にポケバイを組んでくれた親戚からの進言だったとされています。
最初は両親に黙って養成所試験を受けていたそうですが、不合格を繰り返して悩んでいる姿を見て、受験を察したのは父親でした。それでも反対することなく励まし続け、4度目のチャレンジでようやく合格をつかみました。
西山貴浩が競艇をはじめて見たのは、植木通彦さんが優勝した2002年の若松オーシャンカップ最終日。スタンドからの「植木コール」を聞いて、競艇の凄さを実感したそうです。
そしてもう1人、西山選手の心を震わせたのが、当日の9レースで1着を獲った地元の藤丸光一選手。今垣光太郎選手のイン戦で、3コースから一撃まくりに衝撃を受けたといいます。
ちなみに、競艇好きの父親がファンだったのは、主にランナ戦で活躍した「納富英昭」選手。舟券ではだいぶ儲けさせてもらい、おかげで(西山選手の)お産の費用ができた!と冗談交じりによく話していたそうです。
しかし、このエピソードが西山選手のデビュー前に思わぬ偶然を呼ぶことになります。
父親の推し「納富英昭」が養成所の教官に
西山貴浩は2004年、97期生として養成所に入所しましたが、その時の担当教官はなんと、父親が舟券でお世話になった納富さんでした。
養成所での成績が悪く退所寸前まで追い込まれた時期、納富教官によるサポートのおかげで立ち直ることができたといいます。西山選手にとって納富さんは、デビューを果たすことができた恩人でもあるのです。
僕は最初の成績が悪くて、本当はクビだったんです。当時の納富(英昭)教官に助けてもらって、クビを免れました。成績が上がってきたのは実技のレースが始まってからです。
ちなみに、僕のお産費用は納富教官の2連単舟券を当てて捻出したそうです。
競艇選手にさせてくれた恩人でもあり、西山選手自身の出産費用でもお世話に。納富さんは何かとご縁があるようですね(笑)
同期や師匠・弟子について
同期 | 師匠 | 弟弟子 |
池永太 田中和也 山口達也 |
川上剛 | 仲谷颯仁 |
同期には、同じ福岡支部の池永太選手、97期の養成所チャンプでもある田中和也選手、さらには「守屋美穂」選手と結婚・離婚した山口達也選手らがいます。
師匠はG1制覇の実績もある川上剛選手。そして、弟弟子には互いを高め合う存在になった「仲谷颯仁」選手。西山選手曰く、一般戦回りで腐っていた中、仲谷選手・羽野選手と一緒に上の舞台に行きたい!と気合を入れ直したそうです。
そうしているうちに勝率が徐々に上がっていき、優勝回数は増え、常滑では自身初となるG2制覇を成し遂げました。
同じ世界を歩む幼なじみ・岡村慶太
西山貴浩にとって、もしかしたら同期以上に大切な存在かもしれない、同じ福岡支部の104期「岡村慶太」選手。競艇では先輩後輩の関係となりますが、実はこの2人、幼稚園からの幼なじみなのです。
公式画像 | ![]() ![]() |
名前(かな) | 岡村慶太(おかむらけいた) |
登録番号 | 4545(104期) |
生年月日 | 1988年2月8日 |
身長・体重 | 167cm・56kg |
血液型 | A型 |
出身 | 福岡県 |
所属支部 | 福岡支部 |
ボートレーサーになったきっかけは「西山貴浩です」と断言する岡村選手。中学では同じ野球部に所属していた2人が、今後の進路について語り合ったのは、高校受験を目前に控えた頃。
ボートレーサーになるから一緒にやらないか?と誘ってきたのは西山貴浩でしたが、高校進学を考えていた岡村選手は「先に(競艇選手に)なっといて」と返事をしたそうです。
その後、西山貴浩のデビュー節を観戦しに若松を訪れた岡村選手は、オイルのにおいと迫力あるエンジン音に刺激を受け、当時のラストチャンスとなる20歳直前に養成所試験の受験。厳しさを体験した西山選手からは当初反対されますが、本気を感じて合格までサポートし続けてくれたといいます。
「選手になってくれてうれしかった。子供の頃から何かと2人で競い合っていたけど、いつか一緒にSGで乗りたい」そう話す西山貴浩。
その願いは2021年のクラシックで叶うこととなりました。
千春さん(嫁)は恐妻との噂だけど…
グランプリを経験させてもらってメンタル面は強くなりましたが、やっぱり嫁が一番怖いですね。あのメンタルだけはどうしようもないですね。
恐妻なのか?とも受け取れるコメントですが、お笑いセンスは芸人並にある西山選手のボケでしょうね!
上記のコメント以外にも、嫁の千春さんに関しては数々の名言を残しています。SGレースでも活躍するレーサーでこんな面白いことを言えるのは、間違いなく彼を除いてはいないはず。
- 150mで子供の顔、100mで家のローン、50mで嫁の怒った顔が浮かぶ
- 宝くじを買いました。5億円をプレゼントします(G1優勝のインタビューで奥さんへのプレゼントを聞かれ)
- 結婚は1年ごとの更新制。優勝しないと更新してもらえない
- 乗り心地は嫁の次に良い
- F休み中は嫁から逃げまわる予定です
「乗り心地は嫁の次に良い」って(笑)こんな下ネタを言えるということは、よほど仲良くないと無理ですよね。千春さんは一般人で顔出しはしてませんが、いつの日かメディア露出してほしいなぁ。
西山貴浩のデビューから初優勝まで
西山貴浩は2005年11月、地元若松で競艇デビューしました。
オール6コースながらデビュー節の成績は「33323失」と大健闘。最終日はエンスト失格となったものの、スタンドからは励ましの声がたくさん聞こえて感激したと本人は話しています。
初勝利は12月の大村。同期がもう1人走っていたため、初の5コース進入となった西山選手。1マークで展開をついたまくり差しが決まり、念願の1着をゲット。1年以上かかる選手もいる中、デビュー21走目での水神祭となりました。
勢いに乗ってデビュー2期でのB2脱出を狙った2006年でしたが、ここで大きな壁にぶち当たってしまいます。
事故率オーバーの窮地を救った師匠「川上剛」
デビュー当時、スタートのムラが非常に大きい欠点がありました。大外からコンマ0台で決めることもあれば、コンマ50以上のとんでもないドカ遅れもある不安定なレースが続いていたのです。
まだ収入がほとんどない新人ですから、ムラがあってもFだけは切らないように気をつけていた西山貴浩。しかし、デビュー5節目の下関で勢いが過ぎてしまい、デビュー初のフライングを喫します。それでも期末までF1でしのげれば良かったのですが…
地元若松で向かい風7mという悪コンディションに対応できず、踏み込みが余って致命的なF2に。これで西山貴浩は事故率オーバーとなってB2が決定。さらに、60日のF休みも消化しなければならず、収入面でも非常に厳しい状況を強いられてしまいます。
レースを走れない辛さと苦しい生活で、失意のどん底にいた西山選手。そんな彼を救ったのが師匠の川上剛選手でした。
公式画像 | ![]() ![]() |
名前(かな) | 川上剛(かわかみたけし) |
登録番号 | 4189(91期) |
生年月日 | 1981年5月2日 |
身長・体重 | 167cm・57kg |
血液型 | A型 |
出身 | 福岡県 |
所属支部 | 福岡支部 |
若手時代によく面倒を見てもらっていたそうですが、川上選手が遠征で地元を離れている間には、弟子の西山貴浩が食べる物に困らないよう10万円を置いていったという話もあります。
元々、弟子の指導や育成には定評がある川上選手。デビュー後の大ピンチを救ってもらった西山貴浩にとって、当時は神のような存在に思えたに違いありません。
大師匠「原田富士男」直伝のターン技術
F2で気落ちしていた孫弟子(西山選手)のことが気になり、休み期間中に「勝つためのターン」を徹底的に教え込みました。
ターンを磨けば、フライングをしないで勝てる選手になれる。スタートが不安定な西山貴浩にとっては最適なスタイルだと原田さんが見越し、マンツーマンで旋回の技術を伝授したのです。
その甲斐あって、西山選手はスタートに頼らない走りを身につけ、ターンも飛躍的に向上。特に3コースからの攻めにおいては、勝率・連対率ともに高い実績を残せるように。
そして現在、西山貴浩が得意とする3コース進入のレースでは、大きな期待を寄せる声が多くなっています。
練習したツケマイによって地元若松で初優勝
何度も優出を繰り返しながら、優勝戦であと一歩届かない西山貴浩。待望の初優勝は2008年の9月、地元若松での一般戦となりました。
この節は予選で4勝をマークする好調ぶりで、準優勝戦も1コースからコンマ06のタイミングで押し切って優出。優勝戦9回目のチャレンジは、自身初となる1号艇からの出走。
迎えた優勝戦、6号艇古川誠之の前付けによって”深イン”となりますが、コンマ09のトップスタートでスリットを通過。しかし、その後に伸びきれず1マークで後続につかまり、バックストレッチでは西山貴浩を含めた3艇が並ぶ接戦。
迎えた2マークで西山貴浩が選択したのは「外からのツケマイ」。大師匠・原田富士男さん直伝のターンで内側の艇を抑え込み、ホームストレッチで勝負を決めました。
福岡支部のレジェンド植木通彦さんも「良いイメージでレースに臨めていた」と評価した、西山貴浩の初優勝。ゴールの瞬間に出た、気持ちのこもったガッツポーズがとても印象的でした。
これぞ艇界のエンターテイナー!西山貴浩のコスプレ
西山選手はとにかく明るくてひょうきん!誰よりもアピール度する能力に長けており、その様子を映した動画は多すぎてまとめきれないくらいw
中でも特にキャラクターが発揮され、SGやG1の開会式でファンが楽しみにしているのが「開会式の選手紹介」です。
これまで、笑いを誘うような面白いことを言ったり、小道具を使う選手はいました。ただ、西山選手ほど”ぶっ飛んだ選手”は見たことがなく、ここまで露骨にパフォーマンスへと走る選手は競艇史上初だと思います。
「幼稚園児」でデビュー!2008年G1新鋭王座決定戦
はじめてのG1出場となった2008年の新鋭王座で、幼稚園児のコスプレになって現れた西山貴浩。G1デビューにして大トリの登場という破格の扱いでした。
当然、場内は笑いに包まれました。また、ただ賑やかすだけではなく「原田富士男幼稚園から来ました!担任の先生は川上剛先生です!」と、大師匠と師匠をリスペクトしているところに、西山貴浩らしい恩義を感じます。
「ニッシーニャ」誕生!2012年G1新鋭王座決定戦
西山貴浩が「ニッシーニャ」と呼ばれるきっかけとなった、2012年新鋭王座決定戦の開会式。アッキーナこと南明奈さんが「アッキーニャ」として競艇のイメージキャラクターを務めていた時代、それに乗っかる形でのパフォーマンスでした。
表彰式でも、優勝した山田哲也選手となぜか一緒に入ってきたニッシーニャ。残念ながら、プレゼンターとして来場した本家アッキーニャとの共演はなかったですがw
ワンマンショーとなった2018年G2モーターボート大賞
2018年の常滑G2モーターボート大賞は”西山貴浩のために用意された”ような6日間となりました。
開会式のパフォーマンスに巻き込んだのは、同じ福岡支部の後輩「小野生奈」選手。お揃いで「トコタンレディー」のコスチュームを身につけ、夫婦漫才のような掛け合いで笑わせました。
そして、お笑いだけでなくレースでも活躍した西山選手。予選を「211432」の好成績で切り抜け、準優もコンマ03のトップスタートでイン逃げして優出を果たします。
西山選手以外の5艇はすべて東海勢となった優勝戦。2コースからほぼ互角のスタートを切りますが、1マークで伸ばせずバックストレッチでは4番手に。しかし、2マークで最内を鋭く差し込む完璧なターンを決め、並んだ3艇の内につける絶好の展開となります。
こうなればターン巧者・西山の独壇場。2周1マークを回った後、同じくG2初Vを狙った河合佑樹選手の追撃を振り切って1着でゴール。大逆転でこの大会を制しました。
西山貴浩はレース後すぐさまトコタンレディーに着替えて、水神祭でも優勝インタビューでも表彰式でも同じ衣装(笑)オイシイところをすべて持っていったG2となりました。
背中で語る「感謝」!2019年SGオールスター
取材やインタビューなどで「オールスターよろしくお願いします!」とファンに投票を懇願しまくる光景はお馴染みですが、実はこれまで出場した2回のオールスター(2012、2016年)は、ともに地元以外での開催でした。
再び福岡での開催となる2019年こそファン投票で出場したい思いは強く、各方面で例年以上に草の根の営業活動を続けた結果…
その努力が実って見事全体の17番目となる票を獲得します。
人気を得た選手の証であるオールスター出場を、地元の福岡で迎えることになった西山貴浩。開会式ではどんな格好で、そしてどういう形でファンに投票のお礼を伝えるのかと楽しみにしていましたが・・
「皆さん。多くは語りません。背中で語ります」
最低限の場所だけを隠した、ほぼ裸での登場。背中には「感謝」の2文字。池田浩二選手が書いたそうです。
大会の意気込みなどを自由にアピールできる選手紹介。ウケを狙おうとしてスベる選手も少なくありませんが、西山貴浩が立派なのは、見た目の変装だけでなくコメントでもしっかりと観客の心をつかんでいることです。
説明した選手紹介式の様子は以下をご視聴ください!
西山貴浩が飛躍した2020年!念願のグランプリへ
2019年の年末、西山貴浩はグランプリシリーズで4年ぶり2度目となるSG優勝戦への進出を決めます。事故艇の影響などもあって結果は5着でしたが、翌年につながる良い締めくくりのレースとなりました。
そして迎えた2020年、いきなり鳴門の1月一般開催で準パーフェクト優勝を達成。その後もチャレンジカップまですべてのSGに出場するなど、安定した成績を重ねます。
選考時点の賞金ランキングは17位となり、初のグランプリ出場を果たします。
大村で自身初のパーフェクト優勝
好調が続いていた中、後述する「ボラ事件」という大災難があった西山貴浩。しかし、調子は下がるどころかさらに上向き、7月の大村一般開催では節間11連勝し、自身37回目の優勝を初のパーフェクトで飾りました。
優勝戦では3コースからまくり差しを狙った岡崎恭裕選手に1マークで迫られますが、一枚上の回り足で振り切ってそのままゴール。
コロナの影響で無観客だったのは残念ですが、西山貴浩のキャリアに新しい勲章が加わる完全Vとなりました。



キレキレのスタート!徳山でG1初優勝
西山貴浩の絶好調モードは続き、9月には徳山ダイヤモンドカップで悲願のG1タイトルを獲得。
8月のびわこG1では、優勝戦1コースからの逃げに失敗していた西山貴浩。同じ過ちは繰り返さないとばかりにスタートを踏み込み、コンマ02の完璧なタイミングとなりました。
2コースには白井英治選手、3コースには池田浩二選手とSGタイトルホルダー両者が襲い掛かる中、冷静なハンドル捌きで1周1マークを切り抜け、1着でゴール。デビュー15年、優勝戦11回目の出走でようやくつかんだG1の栄冠です。
旋回力だけでなくスタート力もトップクラス
若手時代から「スタートよりターンで勝つレーサー」として育てられた西山貴浩。ただ、このシリーズの西山貴浩はスタートのキレが抜群で、優勝戦を含めて6レースでコンマ0台のタイミングを記録していたのです。
スタートで先手を取り、ターンでさらに差を広げる理想的なレースを続け、獲得賞金を大きく積み上げた西山貴浩。
「今まで“知らんぷり”やった“グランプリ”が見えてきた。打倒・峰竜太でいきます」と、年末をしっかりと見据えた鼻息荒いインタビューも印象的でした。
年末グランプリで絶体絶命を救った「クジ運」
2020年は平和島で開催されたグランプリ。
初出場の西山はトライアル1stステージからの出場となりましたが、1走目は5コースから3着、そして2走目は、大師匠「原田富士男」さんに仕込まれた”3コースまくり”を鮮やかに決めて勝利。非常にいい流れで2ndステージに進みます。
しかし、5コース進入となったトライアル2ndの1走目、全員コンマ0台のスタートとなり、何もさせてもらえず6着という結果に。
同じ九州の先輩、そしていろんな意味でのライバルでもある峰竜太選手のイン逃げを許し、ファイナル進出に早くもあとがない状況となりました。
トライアル2ndの2走目、3走目の枠順は抽選で決まるルールとなっていますが、ここで西山貴浩にとてつもない強運が舞い降りてきます。
2走目の抽選、西山貴浩はラストで残りくじに。他の5選手が誰も1号艇をひくことができず、労せず最内枠をゲット。プレッシャーのかかる中、コンマ05のスタートを決めてイン逃げに成功。
3走目の抽選はトップの順番。気合十分にガラガラを回した西山貴浩が引いたのは・・なんとまたもや白いボールの1号艇!
大先輩でもある松井繁選手には「オレは23回グランプリに出て、抽選で1号艇引いたのは1回しかないのに、オマエはもう2回か」と嫌味を言われたほど。
この強運を無駄にすることなく、3走目もしっかりイン戦を押し切って勝利。これでトライアル2ndの成績を「611」として、ファイナルは峰竜太選手の隣となる2号艇で戦うことになりました。
峰に屈したファイナルと思わぬサプライズ
優勝賞金1億円を懸けたグランプリファイナルの舞台。西山貴浩はメンバーで唯一のSG未制覇ながら、スタートとターンの技術を磨き続けて最高峰の舞台に臨みました。
レースは大外から松井選手が動き、スロー4艇が深めの進入に。その状況で西山選手はコンマ02の好スタートを切りますが、1コースの峰選手はその上を行くコンマ01。また、隙のないターンをされてしまい…
イン逃げで勝負は決し、西山選手にとってはじめてのグランプリファイナルは5着という結果になりました。
「舟券には絡めなかったけど、いい経験ができた」とレース後に淡々と話していた西山貴浩ですが、平和島を去る間際のインタビュー中、とんでもないサプライズが!
ここは東京の平和島なのに、なぜかポンコツ会の先輩「林恵祐」選手が登場。わざわざ福岡から西山貴浩を迎えに飛行機で来たといいます。東京での滞在時間はわずか1時間だったとか。
「何しよんですか!」と素で驚いた西山貴浩でしたが、「ポンコツ会はすごい。とてもうれしかった」と、東スポのコラムにも書いていました。
1億円と打倒・峰は叶わなかったものの、たくさんの先輩や仲間に助けられながらこの舞台までのぼり詰めた西山貴浩の挑戦。そんな彼の有志に、多くのファンが感動したのは間違いありません。
西山貴浩らしい数々のエピソード
開会式の選手紹介以外にも、競艇場の内外で話題に事欠かない西山貴浩。愛されキャラゆえに、いろんなネタを自ら引き寄せる力も持っているようです。
ここではいかにも西山らしいエピソードをいくつか紹介します。
西山貴浩といえば「ボラで脳震盪」
ボラ事件が起きたのはは2020年5月3日、福岡競艇のGW開催3日目11レース。
5コース進入の西山貴浩は1マークで前に出られず、道中は後方でレースを進めていました。迎えた2周目のバックストレッチ、約80kmのスピードで直線を走っていた西山貴浩の正面にぶつかってきたのは、水中から飛び出したボラ。
過去にはボラとの衝突で気絶した選手もいるほどの危ないシーン。西山貴浩は薄れゆく意識の中でフラフラになりながらも、なんとか3周を走り切って6着でゴールしました。
西山貴浩は脳震盪のダメージが大きく、そのまま途中帰郷となりました。
普通の人間ならトラウマになってもおかしくない出来事ですが、西山選手は常人とはかけ離れた逸材。ボラ事件さえ笑いのネタにしてしまう艇界のエンターテイナーっぷりを発揮。
インタビューではボラの被り物で笑わせ「西山=ボラ」のイメージをすっかり定着させました。さすが!としか表現できませんw



西山貴浩といえば「ポンコツ会」
西山選手が所属する「ポンコツ会」は、主に福岡支部のレーサーが集まるグループ。
ただ、整備などのグループとは違って競艇の話は一切せず、ひたすら飲んでバカな話をして過ごすのが目的。文字通りポンコツな人たちが集まる会だといいます。
会長は73期の「大庭元明」選手。メンバーは西山貴浩の他に林恵祐選手(81期)、谷村啓司(85期)など。いかにもポンコツだと思われるレーサーを勧誘したいと目論む西山は、「顔を合わせればバカみたいな話ばかりする」という石野貴之選手の入会を本気で望んでらしい。
この「ポンコツ会」の結束の強さを感じさせた2021年10月、G1江戸川大賞の4日目。3レースで1着を獲った西山貴浩の勝利者インタビューでした。
インタビューの最後、カメラに向かって何度も何度も「ケイスケさーん!」と、同じポンコツ会の「林恵祐」選手に声を掛ける西山選手。
ちなみに、林恵祐選手はこの人w
なぜ、何度も?と首をかしげたくなる場面でしたが、よくよく調べてみるとこの4日前、10月14日の若松一般開催初日にその答えがありました。
林恵祐選手は1走目となる初日4レースで、なんとコンマ06のフライング。「非常識なFによって即日帰郷」となっていたのです。
レースでポンコツな振る舞いを犯してしまい、きっと落ち込んでいるだろう先輩に対する、西山貴浩らしい優しさと気づかいを感じた瞬間でした。
西山貴浩といえば「江戸川のピット芸」
江戸川の西山貴浩といえば「ピット芸」も忘れてはいけません。
西山が江戸川競艇に出場している時は、待機ピットでおかしなことをしていないか?ぜひチェックすることをおすすめします!以下に動画を載せておきますが、こんなことできるの彼しかいませんw
他にもG2や一般開催でも数多くのピット芸を見せている西山貴浩。原則として進入の争いがない江戸川だからこそ、施行者からも注意されることなく見過ごされているのでしょうね。
まとめ:目指すのは「ミスター若松」の襲名
西山貴浩といえばノリと勢いのイメージが強いレーサーですが、裏では相当な努力家でもあります。
「レースのたびに結果と反省点をノートに記し、スタートの改善についても研究を続けている」と過去のインタビューで話しています。
コツコツと積み重ねてきた鍛錬の成果が花開き、SGタイトルも手の届く距離にまで近づいてきました。そんな中、西山貴浩が本当に目指している姿は「ミスター若松」こと、福岡支部の大先輩「田頭実」選手だといいます。
若松では一般戦でもなんでも勝ちたい。勝ちまくって、田頭実さんの「ミスター若松」の称号を譲り受けたい。オールドファンの田頭さんの人気はすごいですからね。
出典:マンスリーボートレース
田頭さんのような称号をつけてもらえるレーサーになりたいという若松っ子の西山貴浩。
今後も相変わらずのエンターテイナーぶりを拝見できそうですが、彼の夢でもある「若松でのSG優勝」を果たす日が来ることを応援させていただきます。
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