2024年9月1日に開催されたメモリアル。安定感のある走りで優出5号艇を獲得するも、何もさせてもらえず6着で幕引きとなった。
しかし、2024年はメモリアルまで全てのSGに参戦。また、3つの大会で優出しており、9月時点で賞金ランキング7位と好調を維持している。
2024年4月27日の蒲郡3日目。デビューから25年5ヵ月、史上179人目となる通算2000勝を達成。
勝利者インタビューでは「何勝したかより賞金を稼いだ方が価値はあると思うので稼げるように頑張ります」と語った。
抜群のスタートと巧みなウイリーモンキーで勝ち星を積み重ね、これまで2度の賞金王に輝いている「池田浩二」選手。
全盛期には「池田のイン戦は黙って買え」と言われるほど鉄板級の強さを誇り、2011年はグランプリを含めて3つのSGを優勝する快挙を達成。
現在も愛知支部の総大将として活躍中。2022年前半はG1優勝戦のフライングなどいろいろありましたが、その状態でも高い成績を維持しています。
そんな池田選手が歩んできた軌跡を全て解説。
デビューから頂点に立つまでの経緯や、結婚した奥さんや家族構成、噂になっている離婚なども掘り下げいこうと思います。
現在の収支がマイナスなら
「ワークアウト」を強くおすすめします。
3割程度当たれば優秀と言われる中、約1ヵ月間の検証で42%の的中率。さらに、回収率も200%超え!
- 検証数:35レース
- 的中数:15レース
- 的中率:42.8%
- 投資額:350,000円
- 払戻金:754,200円
- 回収率:215.5%
上記実績は全て無料予想。利用せず損する前にぜひお試しください。
競艇選手「池田浩二」とは?
池田浩二は、1978年(昭和53年)、常滑競艇場がある愛知県常滑市生まれのボートレーサー。県立知多高校(現・県立知多翔洋高校)を中退してやまと学校へ入所。
養成所をトップの成績で卒業し、期待の新人レーサーとして1997年11月にデビュー。
その後も順調にスター街道を駆け上がり、G1・SGといった舞台で結果を残し続けます。そして、2011年には三大タイトルを総なめにするトップレーサーへ。
巧みな操縦テクニックから「ブルーインパルス」とも呼ばれています。
池田浩二の公式プロフィール
公式画像 | |
名前 | 池田浩二(いけだこうじ) |
登録番号 | 3941(81期) |
生年月日 | 1978年4月3日 |
身長/体重 | 170cm/53kg |
血液型 | O型 |
出身地/支部 | 愛知県/愛知支部 |
競艇とは全く関係ありませんが、高校在学中、スキマスイッチの大橋卓弥さんと同級生だったそうですw
スキマスイッチの大橋卓弥とは同じ高校の同級生で、今でも親交がある。
出典:ウィキペディア
ボートレーサーを目指すきっかけは叔父
池田選手がボートレーサーを目指すきっかけは何だったのか?
本人のコメントは見つかりませんでしたが、ウィキペディアには「競艇好きの叔父に競艇場に連れて行ってもらったのが競艇との出会い」と記載があります。
ちなみに、やまと学校(現ボートレーサー養成所)の試験は高3の秋に受験。合格率わずか数パーセントの超難関を見事に突破し、そのまま高校を中退して81期の訓練生となりました。
趣味はゴルフ。妻と長男の3人家族
池田選手の趣味はゴルフ。レースがない日やフライング休みの時には、誰かを誘ってゴルフに行くのが楽しみだそうです。
しかも、趣味で終わらせるのが勿体ないシングルプレイヤー。ベストスコアは76の記録を持ち、アマチュアの大会に出場できるほどの実力。
ただ、誘える相手がいなかったらその時は自宅に引きこもるらしい。「24時間中22時間ソファーの上にいる」とも話しており、ゴルフ以外で外に出かけることはほぼないとのことw
池田浩二の家族構成は、妻と長男の3人。2013年2月に長男が誕生したことを年末のグランプリ記者会見で話しています。
「池田浩二 離婚」の噂は本当なの?
池田浩二とググると、サジェスト(予測ワード)に「離婚」と表示されます。何も知らない人が見たら「池田浩二って離婚したのか?」と思ってしまうでしょうが…
池田選手は離婚していませんw
隅から隅までチェックして一切見つからなかったので、離婚していないのはほぼ間違いありません。本人および家族にとってもいい迷惑ですし、池田浩二ファンの皆様も余計な心配はしなくて大丈夫です。
池田浩二のSNS&公認ファンクラブ
池田浩二のSNSアカウント(ツイッター・インスタ)はありません。
おそらく、自らのSNSでは発信していないようですが、ファン同士あるいは池田選手本人と交流できる場所があります。池田浩二選手公認のオフィシャルファンクラブ「Berry Kozy」です。
ファンクラブは2007年秋にオープンし、フェイスブックで公開されています。会員になれば会報誌や年賀状などが届くそうで、池田浩二本人も参加する集いも定期的に開催されています。
酒が大好きな池田浩二。酔っぱらうと…
※かなり貴重な映像なのでファンの方は必見です。
「飲酒できないレースの期間中はツラい」
そう話すほど、大の酒好きで知られる池田浩二。ビールやレモンサワーなど好きなお酒はその都度変わるそうですが、基本は何でも飲めるといいます。
口数が少なく自分からプライベートを話したがるタイプでもないため、普段と違う一面が見られる姿はかなりレアw
出演したのはオートレーサー「荒尾聡」選手のYouTubeチャンネル。2020年の大村ダービー終了後、荒尾選手とプライベートで飲んだ時に撮影したと思われる動画です。
池田浩二のこんな姿を見たことがありますか?
ダービーを振り返るというより、ほとんど愚痴と言い訳に修している感じもしますが(笑)普段は絶対に見られない緊張感の全くないブルーインパルスは、定期的に視聴する価値あり。
池田浩二の年収(獲得賞金)
年度 | 賞金額(年収) | ランキング |
2023年 | 1憶3,760万円 | 6位 |
2022年 | 9,659万円 | 8位 |
2021年 | 7,318万円 | 18位 |
2020年 | 7,094万円 | 19位 |
2019年 | 7,614万円 | 14位 |
2018年 | 6,225万円 | 19位 |
2017年 | 4,349万円 | 44位 |
2016年 | 8,953万円 | 8位 |
2015年 | 8,220万円 | 10位 |
2014年 | 6,984万円 | 13位 |
2013年 | 1億9,823万円 | 1位 |
2012年 | 6,381万円 | 13位 |
2011年 | 2億5,019万円 | 1位 |
池田浩二の年収(獲得賞金)は上記の通り。
大学を卒業後に就職して、定年退職まで働いたサラリーマンの生涯年収は3億円弱。池田浩二はその収入をたった3年で手にしてしまう億万長者。
3000万円超えの愛車を所有
当然、それだけ稼いでいたら乗っている愛車も凄い!
上記以外にもキャデラックなどを保有している噂もあり、家族用も合わせたら戸建て2棟ぐらい買えちゃう車も持っていそう。
なんだか説明していて虚しくなってきたので、贅沢話はこの辺にしておきます…。
人気ボートレーサーたちが所有する愛車を知りたい方は、以下の記事をご覧ください。
池田浩二のデビュー当時&師匠
池田浩二は、81期訓練生として1996年に養成所へ入所。
訓練生時代から卓越した技術が高く評価され、同期選手を倒して卒業記念競走を優勝。81期養成所チャンプの看板を引っ提げてボートレーサーデビューを果たします。
師匠は伝説のアウト屋「上島久男」
地元・愛知支部で第一歩を踏み出した池田浩二の師匠は、伝説のアウトレーサーとして知られる「上島久男」さん。※30期のレーサーで2011年に引退。
大外からスタートを決め、まくり切るスタイルを貫き通した上島さん。
フライング回数は歴代最多の94回。還暦を過ぎてもスタートの踏み込みが衰えることは一切なく、通算1534勝・優勝20回という素晴らしい数字を残しました。
残念ながら、上島さんは2015年に逝去。職人技ともいえるスタート勘の鋭さは、池田浩二をはじめとする弟子たちにもしっかりと受け継がれています。
デビューは地元常滑!2走目で水神祭
記念すべき池田浩二のプロ1走目は、1997年11月19日に開催された常滑一般戦。
結果は大外6コースから6着だったものの、周囲を驚かせたのが翌日の2走目。互角のスタートながら、1マークで内に切れ込んで見事な差し切り。デビュー2日目で早々に初勝利を達成。
さらに、池田の強さはこれだけで終わりません!
3日目以降も大外から勇敢な走りを続け、1着2本を含む5回の3連対と大健闘。その後の開催でも快進撃は続き、年末までの27走で4勝を記録しました。
6着となったレースはわずか4本という”新人離れした成績”を残します。
鋭いスタート連発し地元常滑で初優勝
デビュー後は順調に勝率を上げ続けて、特に常滑では好成績を連発します。そして、初優勝が期待される中、その瞬間はデビューから1年半で訪れました。
1999年の地元常滑GW開催「第19回チャンピオン大会」。
池田浩二は予選からトップスタートを連発。1着を4本並べて予選を突破し、準優でも6コースの好ダッシュから果敢に攻めて2着。
優勝戦は大外6コースからのスタート。横並びのスリットとなり、1マークでは先手を取れず。しかし、道中で逆転して待ちに待った1着でゴール。地元ファンに雄姿を見せるうれしい初優勝となりました。
池田浩二といえばイン逃げ
今やすっかり愛知支部を象徴する存在。池田浩二にしかできない卓越した技術、SGクラスで活躍し続ける強さ秘訣を紹介します。
絶大な信頼を得る鉄板のイン逃げ
艇界屈指のイン逃げ成功率で知られる池田浩二。師匠・上島さんから受け継いだスタート力を発揮されると、他の選手に出番はありません。
直近のインコース成績を確認したところ…
- 出走回数:48回
- 1着数:43回(1着率89.6%)
- 2連対率:93.6%
- 3連対率:95.7%
- 優出7回・優勝6回
1コース1着率は89%(43/48)、2連対率は93%超え。G1やSGを多数走っている中でこの数字は驚異的といえます。
常にトップスタートという訳ではありません。多少遅れてもスリット後の伸び足や、スキのない1マークのターンなどで挽回できるのが強み。
人気に応えてイン戦を押し切る技術においては「艇界ナンバーワン」といっても過言ではないでしょう。
2022年SGグラチャン制覇!12年ぶり2度目
2022年6月21日から開催された「SGグランドチャンピオン」。
2013年のグランプリ(賞金王決定戦)以来、9年ぶりとなるSG制覇!しかも、グラチャン優勝戦も、池田浩二が得意とするインコースから逃げで決めました。
初日のドリーム戦で5コースからまくり差しを決めると、2日目以降もオール連帯(112313)で予選トップ通過。準優もイン逃げを成功させ、SG優勝戦としては久々の1号艇を獲得します。
迎えた優勝戦ですが、向かい風5mが吹き荒れインコースにとっては不利な状況。しかし、やはり池田のインは強かった。
1周2マークで上平選手の艇先が掛かったように見えましたが、冷静に内差しでかわし、そのまま独走状態で1着。9年ぶり、待望のSG戴冠!
デビュー当時から応援してきたファンとして、ゴールする瞬間は涙が出そうでしたw
旋回後に加速するウイリーモンキー
現在のボートレースでは旋回の基本形となっている「モンキーターン」ですが、選手の間では”より速くを回る”ための研究が絶え間なく続けられています。
そんな中、池田浩二が先駆者といわれている「ウイリーモンキー」もその1つ。
ウイリーモンキーとは、基本姿勢はモンキーターンと同じ。旋回するタイミングに舳先を持ち上げ、接地面積を減らす工夫がプラスされている高等技術。
このウイリーモンキーを見事に決めた例が、2020年2月に蒲郡で行われたG1東海地区選手権優勝戦。
菊地孝平選手がイン戦を制したかに見えたそのその瞬間、2コース池田選手が1マーク出口から船首をフワリと持ち上げて差し切ります。
舳先を上げることで水の抵抗を減らしてターンスピードを落とさない技術ですが、SGクラスでは「茅原悠紀・馬場貴也」など実践できる選手はごく僅か。
体重移動のバランスによっては転覆のリスクも大きくなるので、限られた選手にしかできない”レベルの高い旋回テクニック”なのです。
池田部屋改め「エテルニータ」
広い交友関係でも有名な池田選手ですが、もちろん後輩レーサーに対する愛情も忘れてはいません。グループ代表を務める「エテルニータ」には、杉山正樹、磯部誠、吉田凌太朗など多数の人気レーサーが所属。
元は「池田部屋」という名称でしたが、ダサすぎるという声が多く改名したらしいw
池田選手御用達のオーダーシャツ専門店の名称でもあるエテルニータ(イタリア語で「永遠」)に改称されたといいます。
ちなみに、エテルニータには決めポーズがあり、頭文字の「E」を指で表現しています。グループの選手がSGやG1で活躍すれば、このポーズを見る機会もだんだんと増えていくことになりますね!
池田浩二と仲良し「西山貴浩」との関係
愛知支部内で弟子や後輩を何人も抱えている中、それ以上に強い絆で結ばれている後輩レーサーがいます。その選手は、艇界のエンターテイナー「西山貴浩」選手。
「池田浩二 西山貴浩」で検索すれば画像や動画が山のように出てくるこの2人。
パッと見、とても波長が合うように思えないのに、なぜこれほどまでに仲良くなったのか?
きっかけは戸田のペラ調整室。西山をかばったひと言
年齢も支部も異なる2人が初めて出会ったのは、2011年の住之江グランプリ。
西山は池田浩二を見てなんとなく「この人強えーけど、たぶんポンコツだ」と心の中で思ったといいますw
そして、この2人に絆が生まれたきっかけは翌年の2012年、戸田で開催された総理大臣杯(クラシック)。
まだSG出場3節目の若手だった西山は、ペラ調整室である先輩レーサーから理不尽な説教を受けていました。黙って頭を下げながらも憮然としていた西山でしたが…。
助け舟を出してくれたのが池田浩二だったのです。
「誰が(偉そうに)言ってるんだ?」という2011年賞金王・池田浩二の言葉に、説教をしていた先輩レーサーは何も返せず。
まだSG慣れしていない24歳の西山助け舟を出したこの出来事から、先輩後輩の間柄を超える友情が2人に芽生えていきました。
西山のパフォーマンスにも協力
親しみを込めて「西くん」と呼ぶほど、西山が大好きな池田浩二。SGでは恒例となっている西山の入場パフォーマンスにも手を貸しています。
2019年の福岡オールスター、西山貴浩の背中に「感謝」の文字を書いたのは池田浩二。支部が違う後輩選手の一芸を手伝うなんて・・その姿を想像するだけでも尋常ではない西山愛を感じますw
ステージ上の西山本人からは「池田浩二の汚い字で」とバッサリ。これもまた、深い関係がないと言えないジョークですね!
西山のG1初優勝!感動を呼んだエアグータッチ
西山貴浩もすっかり記念戦線の常連に。池田浩二と各地の競艇場で顔を合わせるだけでなく、準優や優勝戦で同じレースを走る機会も増えていきます。
そんな中、ファンにとっても忘れられないレースとなったのが、2020年9月のG1徳山ダイヤモンドカップ。2人とも準優をイン逃げで勝ち切り、西山は1コース、池田は3コースから優勝戦に臨みました。
タイミングは全員がコンマ0台というハイレベルな戦い。
西山はコンマ02のトップスタートから悠々と1マークの先マイに成功。2着争いも池田が抜け出し、西山・池田のワンツーが早々と固まりました。
西山はデビュー15年でこれがうれしいG1初優勝。悲願だった勝利後、ウイニングランの最中に近寄ってきたのは…
2着に入った池田浩二。そして、お互いこぶしを突き上げながらのエアグータッチ。
池田曰く「自分が3コースから2着をとったのがうれしくてガッツポーズしただけ」と西山への祝福を否定しましたが、本心は初G1優勝を誰よりも喜んでいたに違いありません。
「西くんと2人でグランプリに」の夢が叶う
2021年の芦屋オーシャンカップ前、2人はYouTubeのオンライン対談企画に出演しています。その時に池田選手が話した目標は…
「西くんと2人でグランプリに出ること」。
この後、2人揃って賞金ランキング18位以内に入り、めでたく目標は達成されたのです。
というのも、前年の2020年はグランプリ初優出を果たした西山に対して、池田はベスト18に入れずシリーズ戦回りとなってしまいます。
西山は戸惑いもあったといいますが、グランプリの雰囲気を熟知している池田から「1走目はゴールすることが大事。2走目からは抽選が大事」とアドバイスを受けるなど、大きな心の支えになったそうです。
普段は後輩の西山に言われたい放題の池田浩二ですが、レース場においてはこの上なく信頼できる存在なのでしょう。2人揃っての活躍を楽しみにしてます!
池田浩二・記念開催での活躍
池田浩二の水神祭一覧は以下の通り。
- 1997年11月:初出走・初勝利(常滑一般戦)
- 1998年4月:初優出(常滑一般戦)
- 1999年1月:G1初出場(新鋭王座決定戦)
- 1999年5月:初優勝(常滑一般戦)
- 2000年1月:G1初勝利・初優出(新鋭王座決定戦)
- 2000年5月:SG初出場(笹川賞)
- 2002年7月:G1初優勝(蒲郡記念競走)
- 2002年8月:SG初勝利(モーターボート記念)
- 2002年11月:SG初優出(ボートレースダービー)
- 2003年6月:SG初優勝(グランドチャンピオン)
G1初出場は1991年1月の新鋭王座決定戦(現在のヤングダービー)、SG初出場は2000年5月の笹川賞(オールスター)。
デビューわずか2年半でSG初出場を果たし、そこからの出世街道も前評判通りに順調なものでした。
デビュー4年8ヵ月で地元G1を制覇(蒲郡周年記念)
1999年後期からA1に昇格し、地元地区を中心にG1にも斡旋され始めます。しかし、新鋭王座決定戦以外では優出できず苦戦続き。
ようやくチャンスを掴んだのは、2002年の蒲郡周年記念。
準優で4コースからコンマ06のカマシを決めて1着を奪い、初の記念G1優勝戦は2号艇で挑みました。
レース本番では、今垣光太郎が6号艇から前付けし、池田選手は3コースからの進入。タイミングは互角でしたが、スリット後に艇を伸ばした池田は1マークで強烈なまくりを放ち、優勝候補だった辻栄蔵のイン戦を粉砕。
今思えば、現在もSGで活躍するレーサー同士の優勝戦。当時最年少だった池田浩二は物怖じしない強気の走りを見せつけ、記念G1初優出・初優勝を達成しました。
25歳でSG初優勝(2003丸亀グラチャン)
池田浩二のSG本格参戦は2002年から。同年8月の蒲郡MB記念(メモリアル)ではじめて予選を突破します。
その後、10月の平和島ダービー、11月の津チャレンジカップで連続優出を果たし、大きく賞金の積み上げに成功。それにより、年末の賞金王決定戦(グランプリ)までコマを進める快進撃を見せます。
そして、SGタイトルホルダーとなったのは、翌2003年5月の丸亀グランドチャンピオン。
初日からスタートはイマイチでしたが、予選5走は「41321」の3位通過。イン戦となった準優でようやくコンマ10のトップスタートを決め、自身4度目のSG優出を果たします。
当時はSG優勝戦に枠番抽選があった時代。池田浩二は1号艇を手にする幸運を得て、初優勝を懸けたイン戦に挑みました。
オールスローの進入からいち早く飛び出したのは、5コースから出た白井英治。
ただ、ターンが膨らんで突き抜けはならず。対する池田は冷静に1マークを回って先頭に立つと、そのまま差を広げて1着でゴール。
デビューから5年半、さらには初出場で「SGの中のSG」ともいわれるグラチャンを制した池田浩二。愛知支部期待の新星として、その名を全国に轟かせることとなります。
SGメモリアルで12年連続予選突破!
2003年は、賞金ランキング11位で2年連続のグランプリに出場。ここからSGに欠かせない顔としての活躍がはじまります。
地元・愛知支部の看板を背負うレーサーとしても認識されることになりますが、その揺るぎない証となるのが「SGメモリアルへの選出」です。
全24場からの推薦によって出場選手が決まるこの大会で、池田浩二は過去19回出場。さらに、12年連続予選突破(2004~2015年)という記録も残しています。
12年連続の中には「4回の優出と1回の優勝」が含まれています。また、予選で6着を取ったのはわずか1レース(2009年)というのもすごいところ。
ただ出場するだけでなく、大舞台でしっかりと結果を出す安定感も池田選手ならではの強みといえるでしょう。
2011年、池田浩二がSG3勝の大暴れ
池田浩二のキャリア絶頂期となったの2011年。
1月に徳山、2月にびわこと立て続けに記念G1を優勝。震災の中断を挟んで行われたSG笹川賞で優勝した後、秋の全日本選手権をイン逃げで勝ち取り、年末の賞金王決定戦も制覇。
瓜生正義との激しい賞金王争いを制し、2億5000万円を超える賞金を積み上げ”自身初となる艇界の頂点”に輝きました。
イン戦を堂々押し切った笹川賞(オールスター)
東日本大震災の影響で戸田の総理大臣杯が中止となり、震災後初のSG開催となったの尼崎の笹川賞。
峰竜太の初優出に加え、横西奏恵2度目の優出と話題の多かった優勝戦ですが、最も輝きを見せていたのが池田浩二。予選をオール3連対、準優もイン逃げを決め、1コースからSG5回目のVを目指すことに。
1マークの角度がなくインが逃げやすい尼崎競艇場。
スタートだけ決めればVは濃厚という状況の中、池田はコンマ08と抜群のスタート力を発揮します。
いち早く抜け出すと、得意のウイリーモンキーで後続に影を踏ませぬ圧倒的な強さ。文句なしの完勝で笹川賞初優勝を飾りました。
あわやのピット離れ…立て直して全日本選手権制覇
2002年(4着)以来の優出となり、イン戦で初Vのチャンスを迎えた全日本選手権。
しかし、ピット離れを失敗し、2コース井口佳典選手に”イン奪取”されそうに。ただ、うまく切り返しながらなんとか立て直して1コースを守ることに成功。
艇界随一の成功率を誇るイン逃げの強さはダービー優勝戦でも変わることなく、コンマ11のタイミングから先マイに成功します。
1マーク出口では井口から差しの抵抗を受けるものの、しっかりと振り切って優勝。
万感のガッツポーズでゴールラインを通過した池田選手は、年末の賞金王決定戦当確となるダービー初制覇を決めました。
瓜生正義を負かした賞金王決定戦(グランプリ)
既にSGを2つ勝っていましたが、グランプリ前の賞金ランキングは2位。なぜなら、この年はもう1人絶好調のレーサー「瓜生正義」がいたからです。
2021年の賞金王決定戦は事実上、池田選手と同じく2つのSG(グラチャン、MB記念)と3つのG1を制し、住之江に乗り込んできた瓜生との一騎打ちになります。
選出時点での賞金ランキング1位は瓜生でしたが、池田選手との差はわずか1万8000円。
賞金王のためには何としても切り抜けたいトライアル3走を「132」の1位、瓜生は「243」の5位で突破。最終日の決定戦は2人のうち、上の着順だった選手が賞金王になる状況。
迎えた決定戦は3対3の枠なり進入、スタートのタイミングは6艇ほぼ互角。こうなれば得意のイン戦でしっかりと結果を出し続けてきた1コース池田選手の独壇場!
1億円が懸かったこの場面でいつも通りの冷静なウイリーモンキーを決め、いつも通りに後続を突き放す強さを見せて最高峰のSG初優勝。
極度の緊張から解放されて2011年を最高の形で締めくくれた万感の思いが、右手を振りかざしたガッツポーズに表れていました。
2011年の池田浩二は「賞金王・最優秀選手・記者大賞」の3冠を獲得。惜しい2着となった2009年賞金王決定戦の雪辱も果たす形でNo.1レーサーの称号を手に入れました。
池田浩二のホーム水面「常滑競艇場」
常滑競艇場のシンボルといえば“地元の大スター”と書かれた池田浩二の大看板。
場内には過去の各トロフィーなどが常設展示されている「池田浩二メモリアルコーナー」もあり、池田選手の地元常滑に対する貢献度の大きさを知ることができます。
レーサー池田浩二を育てた常滑競艇場では、25回以上の優勝を記録する他、前人未到の大記録やハプニングも。数々のエピソードがある中、そのいくつかを紹介していきます。
同一場18節連続優出を地元で達成
池田浩二の常滑競艇場に関する記録で最も称えられているのが「18節連続優出」の偉業です。
2016年2月の一般開催(優出4着)から、2020年のお正月開催(優勝)まで、約4年間で出場した18回の常滑開催すべてに優出を果たしています。
19節連続優出を狙った5月のGW開催。池田は初日から4連勝の絶好調で3日目前半のレースに5号艇で出走しましたが、まさかのフライング。記録は「18」でストップとなりました。
それでも同一場における18節連続優出は1996年以降で歴代1位。
この間にはG1もSGも含まれており、開催のグレードを問わず結果を出し続けたことにも大きな価値があるといえます。
わずか2ヵ月でG1周年記念を2度制覇(2019年)
常滑競艇場の周年記念G1「トコタンキング決定戦」は、第65回大会が2019年1月31日~2月5日の6日間開催。そして、第66回大会がその2ヵ月後となる4月6日から6日間で行われるという変則日程でした。
改修工事などの影響で記念開催の間隔が近くなることは稀にありますが、池田浩二は第65回と66回の両方に出場し、どちらも優勝という快挙を達成します。
第65回大会では文句なしの強さで地元エースの力を見せつけ、最後は鉄壁のイン逃げで優勝。
2ヵ月後の第66回大会では、2連対ワーストのモーターを引きながらも必死の調整で蘇らせ、前回に続く予選1位・準優1着で優出を果たします。
優勝戦は瓜生正義に1マークで詰め寄られるも、間一髪でしのぎ切って地元記念連覇を達成。ゴール直前でホッとしたかのように全身を後ろに預ける姿が印象的でした。
地元で痛恨のミス…G1優勝戦フライング(2022年2月)
デビューからのフライング回数は24場で最も多い7本となりますが、7回目のFはなんとも痛恨の勇み足となってしまいました。
2022年2月のG1東海地区選手権。池田浩二はいつも通りの安定感で予選トップ通過。準優も危なげないイン逃げで勝利を収めて優勝戦に進みます。
しかし、優勝戦では池田のイン逃げを打ち破るべく、4号艇徳増秀樹、5号艇赤岩善生が前付けを主張する展開に。池田は1コースを譲らなかったものの、スロー4艇が100m起こしとなって波乱の匂いが漂います。
スタートでは1コース池田がわずかに先手を取って1マークに向かいますが、判定はコンマ01のフライング。
3度目の地元G1制覇はならず、売上の8割を超える2億9100万円あまりが返還となるまさかの結末に…。
「判定中の表示が出た時、俺だなって思った」とレース後にうなだれた様子。G1優勝戦のフライングによって、2022年は11月中旬までG1、G2に出場できず。
直線のアクシデントで厳重注意?(2022年3月)
アクシデントの中には大事故に巻き込まれそうな場面も。2022年3月27日の「G!トコタンキング決定戦」3日目第10レースです。
レースは4コースからスタートを決めて先マイした池田に対し、5コース村岡賢人選手がスペースを狙ってのまくり差しを敢行。
これがしっかりと入ってわずかに村岡選手がリードします。
問題のシーンは2周目に入るホームストレッチ。内側を走っていた池田に1マークの先取りをされないよう、外にいた村岡は内に動いてけん制します。
村岡は前に出られると判断してさらに艇を絞り、池田を交わそうと試みますが…
追い抜くまでの十分な間隔がなく池田の舳先と接触し、村岡は落水失格となります。
池田も村岡の動きを察知してレバーを放ったことで減速し、2周1マークで佐藤翼に先頭を譲る結果となってしまいました。
村岡の落水は選手責任扱いとなったうえ、不良航法によるペナルティも加わります(このレースで途中帰郷)。一方、池田に減点はありませんでしたが「厳重注意処分」を下されたという情報があります。
ホームストレッチ上を真っすぐに走っていた池田浩二。
交差の直前に上体を起こして減速もあったことから、当然ながら急に斜行してきた村岡を故意に引っかけるような意図はなかったはずです。
わずかに外へ動いたのも「2周目1マークのマイシロを取るため」のものであり、池田の過失とは考えにくいところ。あくまで事故の当事者として、形式的に厳重注意を受けたのではないか?と私は推測しています。
池田浩二が目指すのは「SGグランドスラム」
池田浩二が2018年に1500勝を達成した際、インタビューで「1500勝になったら辞めようかと思ったこともあるけど、新しい目標に向かってがんばりたい」と発言しています。
SG優勝は2013年のグランプリから遠ざかっており、モチベーションの維持する難しさもあるでしょう。
しかし、まだまだ優出できる力は持っており、残り2つ(オーシャンカップ、チャレンジカップ)となったSGグランドスラム達成の可能性も十分にあります。
同世代や年上のレーサーたちもSGで活躍している中、常滑の大スター「池田浩二」が再びSG優勝戦でイン逃げを決める瞬間を見てみたい。
地元のみならず(私含めた)全国のファンが期待しているはずです。
コメントお待ちしてます!