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濱野谷憲吾とは?引退も囁かれながら再び悲願の賞金王を狙う

濱野谷憲吾とは?引退も囁かれながら再び悲願の賞金王を狙う

「艇界のファンタジスタ」「ムテキング」「東都のエース」など数々の異名を持ち、漫画「モンキーターン」波多野憲二(主人公・)のモデル選手でもある「濱野谷憲吾」選手。

若手時代から艇界を代表するレーサーとして活躍し、多くの女性ファンを競艇場に呼び込んできました。また、長年にわたってSG戦線で上位を競い合ってきたトップレーサーであり、競艇を語るうえで欠かせない存在です。

しかし、2007年のSGクラシック優勝をピークに、年を追うごとに調子が下降。多くのファンがここまでかと思った2021年…

長い低迷を脱し、悲願の賞金王まで狙える位置まで成績が回復。既にベテランと言っても良い年齢ではありますが、今後の成績次第では大きなタイトル獲得も十分あり得るでしょう。

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濱野谷憲吾とは?

濱野谷憲吾は、東京出身で高校を中退して競艇選手の道を志し、難関の養成所試験に合格。本栖研修所(当時)での厳しい訓練を乗り越え、1992年にデビュー。

濱野谷憲吾のプロフィール

公式画像 濱野谷憲吾のプロフィール
名前(かな) 濱野谷憲吾(はまのやけんご)
愛称 ムテキング
ヘマキング
東都のエース
水上のファンタジスタ
登録番号 3590(70期)
生年月日 1973年11月8日
身長・体重 169cm・57kg
血液型 A型
出身地 東京都世田谷区
所属支部 東京支部

昔は略字体で「浜野谷」と書かれることもよくありましたが、現在は競艇場の出走表やスポーツ紙などでも、本来の選手名表記である「濱野谷」とされています。

以下の動画は、デビュー直前の訓練修了記念パーティー。表情がまだ初々しいですねw

競艇選手を目指すきっかけは「いい車」と「兄の存在」

濱野谷選手がボートレースの世界に入ろうと思ったきっかけは2つ。

1つは親から「(競艇選手になったら)いい車に乗れるよ」と勧められたこと。高収入が得られることを「いい車」に例えた進言だったようです。

そしてもう1つは、2歳上のお兄さんが競馬騎手の道を目指していたことによる影響だったといいます。

兄・濱野谷憲尚(のりひさ)さんは、中学卒業後、JRA競馬学校に入学。1990年にデビューし、関東(美浦)の所属騎手として主に障害レースで活躍。現役時代には通算169勝(重賞1勝)を記録しました。20201月に引退し、現在は調教助手として活躍されています。

濱野谷憲吾選手が競艇の道に進むと決めたのは、憲尚さんが競馬学校で訓練を積んでいた時期。夢に向かって厳しい日々を送る兄の姿に刺激を受けたのも、きっと後押ししたに違いありません。

ちなみに、濱野谷兄弟のような”兄弟で異なるギャンブルスポーツのプロ”として活躍する(していた)兄弟選手は以下の通りです。

  • 仲口博崇・仲口武志(弟・オートレース選手)
  • 桐生順平・桐生卓也(兄・元競輪選手)
  • 平瀬城啓・平瀬城久(兄・地方競馬騎手)

濱野谷選手の同期(70期)レーサーたち

濱野谷選手と同期のレーサーは32名います。

記事作成段階でSGタイトルを獲った選手は、濱野谷選手を含めて3名。そのうち、現在もSG戦線の常連として活躍するのが「前本泰和」選手(広島)。イン戦では無類の強さを発揮し、勝率8点台を記録することもあるレーサーです。

公式画像 前本泰和選手(広島)
名前(かな) 前本泰和(まえもとやすかず)
登録番号 3573(70期)
生年月日 1972年4月9日
身長・体重 164cm・49kg
血液型 O型
出身地 広島県広島市
所属支部 広島支部

2007年には7節連続優勝の大記録を達成して「一般戦の鬼」と呼ばれました。SGではあと一歩がずっと続いていましたが、20216月にグランドチャンピオンで優勝。2013年以来2度目のSG制覇を果たしています。

70期生では他にも、2003年に戸田競艇のSGクラシックで初優出初優勝を達成した西村勝、G13勝の実績でSGでも優出経験がある木村光宏、70期の養成所チャンプに輝き、現在もA級で活躍する大神康司といったレーサーがいます。

そして、もし訓練生として入所していたら、濱野谷選手たちと同期のレーサーだったかもしれないのが…

ボートレーサー育成所の試験に合格した増田英彦(ますだおかだ)

70期の試験に合格し、養成所に入所する資格を得ていた、ますだおかだの増田英彦さん。競艇ではなく漫才師への道を選んでM-1を優勝し、現在はボートレース大好き芸人として活躍されています。

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初勝利・初V後に入り込んだ長いトンネル

濱野谷憲吾とは?初勝利・初V後に入り込んだ長いトンネル

濱野谷選手は19925月に地元平和島でデビューし、2走目で初勝利を挙げます。初優勝は翌19939月の一般戦。この時、まだ1910ヵ月という若さでした。

この初優勝の後、優勝戦25連敗という長いトンネルに潜ってしまいます。

2回目の優勝まで27ヵ月かかった話は有名ですが、実はそれだけでなく、つい最近まで抜け出せなかった長すぎるほどのトンネルがもう1つあったのです。それは「戸田で2回目の優勝に届かないこと」。

初優勝以来、何度となく戸田を走りながらもずっと優勝できない状態に。苦手意識が根づいてしまった中、ようやくチャンスが訪れたのは202012月の一般開催でした。

ポイント制の短期シリーズで予選1位の成績を上げ、優勝戦は1号艇からスタート。しかし、イン逃げを決められず3コース鈴木勝博選手から差しを許し、1周目バックで2番手に後退します。

「濱野谷はまた戸田で勝てないのか…」と思いかけた12マーク、前を走る鈴木選手に後方の艇が強引なダンプを仕掛けて膨らんでしまう。その隙をついて濱野谷選手が差し返すことに成功し、決まり手は「抜き」で1着。

恵まれた展開でもありましたが、デビュー初優勝からなんと27年3ヵ月という非常に長いブランクを経て、鬼門だった戸田で自身2回目、通算92回目の優勝を遂げたのです。

誰もが認める「東京支部のシンボル」

濱野谷憲吾とは?誰もが認める「東京支部のシンボル」出典:平和島競艇オフィシャルサイト

人気も実力も全国トップクラスのレーサーである濱野谷憲吾は、全国一の選手数を抱える東京支部の看板的な存在です。

2007年に平和島競艇場のPR企画としてはじまり、東京支部の中から11名のレーサーが選抜された「トーキョーベイパイレーツ」でも、濱野谷憲吾はシーズン12ともに名前を連ねました。

選抜基準には成績に加えてファン投票も含まれていたため、トーキョーベイパイレーツは当時、実力も人気も兼ね備えている選手だけに与えられた名誉だったといえます。

※現在は「トーキョーベイパイレーツ」から「Tokyo Next」に名称が変わり、東京支部注目選手を取り上げるコンテンツとなっています。

歴代の生涯獲得賞金ランキング10位以内

選手名 生涯獲得賞金 SG優勝
1位 松井繁 38憶8629万円 12回
2位 今村豊 29憶4144万円 7回
3位 山崎智也 25憶6980万円 11回
4位 今垣光太郎 24憶8845万円 9回
5位 瓜生正義 23憶2253万円 10回
6位 濱野谷憲吾 22億9195万円 5回
7位 植木通彦 22億6186万円 10回
8位 太田和美 22億162万円 7回
9位 田中信一郎 20億9067万円 5回
10位 服部幸男 19億7253万円 4回

※現役選手の賞金額・SG優勝回数は変動します。また、ランキングも変わる可能性があるので、定期的にチェックして更新するようにします。

濱野谷選手がこれまでに獲得した賞金は22億円以上!

確認した時点では生涯獲得賞金ランキング6位に位置しており、今後の成績次第ではもっと上に行く可能性もあります(下もありますが)。

獲得賞金は選手の凄さをはかるバロメーターのようなもの。要は、過去に数千人ものボートレーサーがいた中、間違いなくトップ10に入る実力および功績を残しているということです。

管理人
絶好調の2021年は、このままいけば賞金王になれる可能性あり!峰竜太という壁はあるものの、ランキング上位に食い込むのは間違いないはず。

濱野谷憲吾は「モンキーターン」波多野憲二のモデル

濱野谷憲吾の知名度を上げただけでなく、競艇を知らなかった人が興味や関心を向けるきっかけにもなった漫画「モンキーターン」。濱野谷憲吾はこの作品の主人公・波多野憲二のモデルとなったレーサーです。

漫画「モンキーターン」とは?

濱野谷憲吾は「モンキーターン」波多野憲二のモデル

静岡県出身の漫画家・河合克敏氏が柔道漫画「帯をギュッとね!」に続いて、週刊少年サンデーで1996年に連載を始めた「モンキーターン」。

ペアボートの試乗会でモンキーターンの虜になった主人公の波多野憲二が、競艇選手を志してSGレース優勝を目指すストーリーです。全385話、8年半にわたって連載される人気作となり、第45回小学館漫画賞を受賞しています。

養成所生活を経てデビューし、同期や先輩のライバルたちと切磋琢磨しながら幾多の挫折や困難を乗り越えていく様子は、競艇をよく知る読者にも読み応えのある内容だと思います。

登場するキャラクターは架空であるものの、競艇場やレース形態など、競技の仕組みについては現実そのままに描かれています。また、実在選手のエピソードや、未来の競艇についての提言なども含まれ、競艇を知るための入門書にもなる作品です。

事実、この漫画を読んだことがきっかけで競艇の道を目指した若手レーサーも少なくそうです。

濱野谷憲吾と波多野憲二の共通点

濱野谷憲吾と波多野憲二の共通点

作者の河合氏が競艇漫画を描くことを決めた際、はじめて訪れた平和島競艇場で見たのが「濱野谷憲吾のレース」だったらしい。強く心に残る走りを見せられ、主人公・波多野憲二のモデルにしたとされています。

競艇ファンであれば「波多野憲二=濱野谷憲吾」とすぐ察しがつきますが、ストーリーの中でも、憲二と濱野谷憲吾のキャリアがリンクする点がいくつかあります。

  • 出身が東京都世田谷区
  • 高校時代は野球部
  • 東京支部に所属
  • デビューの地が平和島競艇場
  • SG初出場、初優出、初優勝が全日本選手権(ダービー)
  • SG初優出の結果(6着)も同じ

ちなみに、波多野選手は作中でダービーを2度制し、賞金王決定戦(グランプリ)も優勝しています。

濱野谷憲吾以外でも、訓練中の転覆回数が圧倒的に多かった今村豊選手(引退)、福岡でのレース中に手に大ケガを負い、リハビリを経て半年後の復帰レースに同じ福岡を選んだ平田忠則選手など、実在する競艇選手のエピソードを憲二に当てはめている描写が見られます。

管理人
競艇を知らなくてもマジで面白い漫画です。まだ見てない方はぜひご覧になってください!

濱野谷憲吾の成績(SG優勝を振り返り)

濱野谷憲吾はデビュー5年目となる1996年の全日本選手権(ダービー)でSGデビュー。13本、転覆失格2本という華々しくも荒々しい成績で、多くのファンにその姿を印象づけました。

その翌年(1997年)には桐生で初G1制覇、SGでもダービーと賞金王シリーズ戦で優出する活躍を見せ、1998年以降の快進撃へと続いていきます。

ここでは濱野谷憲吾が2007年までに獲得した「4つのSGタイトル」を振り返っていきましょう。

「1998年全日本選手権(ダービー)」カドまくり2連発でSG初V

この大会で3年連続のダービー出場となった濱野谷選手。予選で1着こそないものの、オール3連対(232332)という手堅い成績で準優に進出します。

準優では2号艇に座りましたが、前付けを敢行した3号艇今村暢孝選手、6号艇中嶋誠一郎選手にコースを許し、本番ではなんとかカドの4コースから進入。しかし、ここでコンマ05の全速スタートを決めてまくり切り、優勝戦にコマを進めます。

3号艇で迎えた優勝戦も、ピット離れに失敗して本番では5コースカドからの外攻めとなります。スタートはコンマ18と平凡でしたが、スリット後の伸び返しと内にいた松井繁選手が凹んだことで展開が向き、準優同様に11マークで全速まくりが炸裂。

SG挑戦11度目にして念願の初優勝を、全日本選手権の大舞台で飾りました。

「2000年競艇王チャレンジカップ」自身初のイン逃げ戴冠

「2000年競艇王チャレンジカップ」自身初のイン逃げ戴冠

2000年は10月のダービーまで優出が1度もなかった濱野谷憲吾。賞金ランキングは19位で、賞金王決定戦ボーダー(当時は12位)には最低でも優出が必要。そんな状況で「競艇王チャレンジカップ」を迎えました。

予選1走目、他艇Fによる恵まれで1着。それ以降のレースも舟券を外さない走りで予選を突破。準優ではコンマ02の完璧なスタートからイン逃げを決めての優出を果たします。

優勝戦では烏野賢太選手、服部幸男選手、山崎智也選手といった当時のスター選手たちを相手に、インから押し切りを決めて1着。濱野谷自身、G1以上の優勝戦では初めてとなる「逃げ」でSGV2を果たし、3年連続で賞金王決定戦への切符を手にしたのです。

「2001年賞金王シリーズ戦」貴重なSGシードを獲得

濱野谷憲吾 「2001年賞金王シリーズ戦」貴重なSGシードを獲得

2001年はチャレンジカップまでSG優出がなく、賞金王決定戦への連続出場も3回でストップしました。年末はシリーズ戦回りとなりましたが、予選で13本と好調な走りを見せ、準優も1コースから逃げを決めて優出を果たします。

迎えた優勝戦。濱野谷は3コースからスローで進入。11マークを3番手で抜けますが、2マークで内側からの思い切った先マイが刺さって2番手に浮上。

その後は前を走る吉川元浩選手とのマッチレースになりましたが、31マークで再度先マイを仕掛けた濱野谷憲吾が、ターンでもたつく吉川選手を振り切って1着。自身3回目のSG制覇をメッカ住之江で果たしました。

濱野谷憲吾は見事にこのチャンスを生かし、2002年はゆとりある立場でSGを戦えることとなったのです。

管理人
現在は翌年のクラシック出場権しか与えられませんが、当時はシリーズ戦の優勝者にも「ダービーまで6大会のSGシード」という大きな特典がありました。

「2007年総理大臣杯(クラシック)」植木がまさかのF

濱野谷憲吾 「2007年総理大臣杯(クラシック)」コンマ01の明暗

2002年以降もF休みを除いてSGに出続けた濱野谷憲吾。しかし、ここでも頂点まであと一歩の結果が続き、2006年まで優勝戦14連敗という歯がゆさを味わうことになります。

2007年最初のSGは地元平和島開催で、奇しくも漫画「モンキーターン」を連想させる総理大臣杯(クラシック)。ここで連敗を止めるべく臨んだ濱野谷憲吾は、予選をまずまずの成績(222315)で切り抜け、準優も2コースから差しが決まり優勝戦に進みました。

1号艇植木の押し切りを期待する声と、3号艇濱野谷の逆転Vを期待する声が二分する中での優勝戦。

極限レベルのスリット合戦になりましたが、濱野谷選手はギリギリのタッチスタート。一方、植木選手はコンマ-01のフライングスタートとなってしまいます。

場内が大きくざわついた中、1周目バックでは2号艇吉田選手に続く2番手となった濱野谷憲吾。しかし、2マークで外に膨れた吉田選手の隙を見逃さず、ここで冷静沈着なモンキーターンを決めました。

実質これが最後のSGとなった植木選手がFで戦列を離れ、先頭に立ったのは濱野谷憲吾。そのまま3周を走り切り、平和島ファンの歓声を浴びながら、5年ぶり4回目となるSG優勝のゴールラインを通過したのです。

東都のエース再来!濱野谷復活の2021年

2008年以降もSGでの活躍は続きますが、優勝戦は2着が5回ありながら1着を獲ることができず15連敗。再び長いトンネルに入ってしまいます。

若手の台頭や若手時代からの減量苦、さらに2019年には管理規程違反(違反工具の持ち込み、平和島のあっせん1年間停止処分)を犯す始末。リズムが完全に崩れてしまい、SNSでは以下のような声も聞こえるように。

そんな思い空気の中で迎えた2021年。東都のエースと呼ばれていた「濱野谷憲吾」は突如、復活ののろしを上げたのです。

3月の唐津で「24場制覇」を達成

濱野谷憲吾 3月の唐津で「24場制覇」を達成出典:東京スポーツ

2021年の濱野谷憲吾は、年明けから4節連続で優出を果たす好調な滑り出し。3月には超一流レーサーの証となる全24場優勝を目指し、唐津の一般戦に乗り込みました。

若手からSG優勝経験のあるベテランまで、幅広い顔ぶれとなった4日間開催。濱野谷は予選をオール2連対の1位で突破し、準優もコンマ03の完璧なスタートを決めて勝利します。

迎えた優勝戦、1コースの濱野谷憲吾はここでもコンマ06のスタートで後続を振り切り、1着でゴール。盤石の強さを見せ、史上32人目となる全24場制覇を達成しました。

オーシャンカップで14年4ヵ月ぶりのSG優勝

濱野谷憲吾はその後も「大村G1ダイヤモンドカップ」を制し、SGでは4月のオールスターで約1年半ぶりに予選を突破(準優3着)。調子を徐々に上げていきながら、7月の「SGオーシャンカップ」に臨みました。

芦屋の前節優勝モーターを引き当て、予選初日の2走が共に内枠(3コース、1コース)という好材料を得た濱野谷憲吾。初日から連勝を決めたことで一気に弾みがつきます。

内外自在な攻めを見せ、6走オール2連対の予選1位。プレッシャーのかかる準優も1コースからコンマ08のスタートで難なく押し切り、優勝戦に進出しました。

濱野谷憲吾 オーシャンカップで14年4ヵ月ぶりのSG優勝

迎えた優勝戦でも、スタート勘と鋭いターンは変わることなく他の選手を圧倒。コンマ15のトップスタートから危なげのないイン逃げを決めて、実に14年4ヵ月ぶりとなる5回目のSG制覇を達成しました。

優勝戦当日に起きた2つの偶然

濱野谷憲吾が優勝した2021年のオーシャンカップ。実はこの開催、濱野谷憲吾にとっては良い意味で偶然の巡り合わせとなる出来事が2つ起きていました。

1つは優勝戦が行われた725日。この日はなんと漫画「モンキーターン」主人公・波多野憲二の誕生日だったのです。濱野谷本人はそのことを知らなかったようで、レース後のインタビューでは少し驚きながらも「良かったです。光栄です」とコメントを残しています。

もう1つは表彰式のプレゼンター。開催施行者となる芦屋町の町長は、氏名がなんと「波多野 茂丸(はたの しげまる)」さん。「モンキーターン」からのつながりが町長の人名にまで伸びるという、なかなか見られないミラクルw

各メディアもこぞってこの偶然を報じましたが、この大会で濱野谷憲吾が優勝するに相応しいサインが2つも隠れていることを、前もって知っていた人はどれくらいいたでしょうか。

濱野谷憲吾が得意とする水面は?

2021年でデビュー29年となる濱野谷憲吾。全24場で優勝したことは先ほど触れましたが、その中でも特に優勝回数が多い競艇場はどこなのか?実績を調べて相性のいい水面を調べてみました。

東京3場ではしっかり強さを発揮

東都のエース「濱野谷憲吾」は、もちろん地元水面でしっかりと結果を残しています。

  • 【平和島】16回(G1①・G2①・一般戦⑭)
  • 【多摩川】11回(すべて一般戦)
  • 【江戸川】11回(G1③・G2①・一般戦⑦)

2000年以降の優勝回数ベスト3は東京にある平和島、多摩川、江戸川。もちろん、あっせん回数の多さはありますが、お正月、GW、お盆の一般開催で強さが目立っているのは、濱野谷憲吾ならではの特徴といえます。

一方、近郊にある競艇場との相性はイマイチ。前述した通り、戸田はデビューからの通算でも優勝2回と苦手意識が顕著です。桐生はG1優勝こそありますが、2000年以降の一般戦Vはゼロとなっています。

東京以外で実績が良いのは津競艇場

津競艇場

東京3場の次に優勝回数が多いのは「津競艇場」。V合計は5回ですが、その内G13勝、G21勝を記録し、大きなタイトルほど実力を発揮しています。

それに続くのは、SG2つの優勝がある住之江(4回)、オーシャンカップを勝った芦屋(3回)です。優勝2回の競艇場は多くありますが、その中には本人が得意だと話す海水面の競艇場(蒲郡、児島、徳山、下関)も含まれています。

管理人
全国24場の競艇場はそれぞれ違います。舟券を買うときはしっかり特徴を理解したうえで挑みましょう!

競艇場の特徴一覧!イン勝率&予想難易度ランク

【まとめ】勢いにのって悲願の賞金王へ

今回は若手時代からトップレーサーとしての活躍を続ける「濱野谷憲吾」選手についてまとめました。

2021年はオーシャンカップ優勝後も勢いは止まらず、8月のメモリアルも優出4着と結果を残し、記事作成時点の賞金ランキングは2位。11年ぶりの獲得賞金1億円突破を早々に達成しています。

これまで年末のグランプリ決定戦は2着が最高。過去には1コースからの逃げを決められなかった悔しい敗戦もありました。輝かしい実績を持つ反面、数多くの挫折も味わっている濱野谷選手。

まだ経験のない賞金王の座に向かって、久々につかんだチャンスを生かせるかどうか?昔ながらのファンとして応援したいと思います。

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