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田村隆信とは?嫁や息子&師匠・弟子・獲得賞金・SG成績など

田村隆信とは?嫁や息子&師匠・弟子・獲得賞金・SG成績など
最新情報

2024年2月、第67回四国地区選手権において、1周2マークの”抜き”で優勝。2021年3月の三国周年以来、2年11ヵ月ぶりのG1制覇を果たした。

銀河系軍団の85期レーサー「田村隆信」。

デビューしてすぐ艇界のトップに駆け上がり、わずか5年足らずでSGを制した天才レーサー。その実力は未だ衰えを知らず、45期連続でA1級をキープし続けています。

2019年には3ヵ月連続でG1を制覇し、直近でもG1四国地区戦で優勝。相変わらずの強さを発揮していますが、そんな田村もマスターズチャンピオン(45歳以上)に出場するベテラン。

今後、どのような活躍を魅せてくれるのか?はたまた、2011年ぶりのSG制覇は達成できるのか?

そこで今回は、田村隆信が残してきた実績をはじめ、あまり語られない嫁・息子・師弟関係・趣味など、公私に渡ってまとめていきます。

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銀河系軍団「田村隆信」とは?

田村隆信は徳島県出身、徳島支部のボートレーサー。

徳島県立阿南工業高等学校の卒業後、建設関連の企業に就職。それから約2年間が経った頃、競艇界に憧れを持ち本栖研修所へ入所。優秀な成績で1999年にデビューし、現在はSGレーサーとして活躍中。

研修所の成績やきっかけについては後ほど解説しますね。

田村隆信の公式プロフィール

公式画像田村隆信(85期)
名前田村隆信(たむらたかのぶ)
登録番号4028(85期)
生年月日1978年3月15日
身長/体重170㎝/57㎏
出身/所属徳島県/徳島支部
デビュー日1999年11月19日

田村隆信の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページでご確認ください。

競艇選手を目指したきっかけ

幼少期から図工やプラモデル作りが好きで、機械を学べる「徳島県立阿南工業高等学校」へ進学。卒業後は建設機器を扱う企業へ就職します。

サラリーマンを続けて約2年が過ぎた頃、当時交際していた彼女の父親から「競艇選手になれば?」と勧められ、丸亀で開催していた総理大臣杯を観戦。そして、優勝した”西島義則”の走りに感銘を受けたことがきっかけとなり、競艇選手を目指すようになったそうです。

彼女の父がいなかったらそのままサラリーマンを続けていた可能性大。まさに運命を変えてくれた恩人ですねw

きっかけをくれた彼女の父親とは今でも深い関係で繋がってます!詳しくは後ほど。

本栖研修所のリーグ戦成績

田村隆信とは?若い頃(2004年)の写真
若い頃(2004年)の田村隆信

1998年に85期として本栖研修所(現ボートレーサー養成所)へ入所。

後にSGレーサーとなる強者が多数いる中、田村隆信はリーグ戦勝率1位(7.16)を記録。さらに、卒業記念競走では、優出1号艇ながら敢えて6コースに進入し本栖チャンプに輝きました。

卒業レースの決まり手や結果は分かりませんが、この勝ち方は史上初の快挙らしい(ウィキペディアより)。

銀河系軍団(85期)の主な選手

85期はなぜ「銀河系軍団」と呼ばれているのか?

そう呼ばれるようになった由来は、スター選手が結集したスペインのサッカークラブ”レアルマドリード”が関係しています。85期も同様、未来のスター候補生が多かったことで銀河系軍団と呼ばれるようになりました。

85期の代表格は「井口佳典・湯川浩司・丸岡正典」。競艇最高峰のSGを複数回制しているトップレーサーです。

その他、女子界最強の「田口節子」や、美人で実力も兼ね備えた「佐々木裕美」など、そうそうたるメンバーが属しています。

85期から死亡した選手が3名も

田口節子とは?同期「坂谷真史・小林晋」は共に事故死①
坂谷真史
田口節子とは?同期「坂谷真史・小林晋」は共に事故死②
小林晋

85期レーサー「中島康孝・坂谷真史・小林晋」はレース中の事故で命を落としています。

  • 中島康孝:2004年3月28日
  • 坂谷真史:2007年2月26日
  • 小林晋:2022年1月12日

上記画像にもある通り、坂谷真史の嫁は同期の佐々木裕美であり、結婚からわずか4年後の出来事。夫の事故後、出身地の山口県に戻って山口支部に移籍。

二度と死亡事故が発生しないことを願うばかり。

師匠は濱村芳宏、弟子は山田祐也

田村隆信とは?師匠は濱村芳宏(引退)
濱村芳宏(引退)
田村隆信とは?弟子はイケメンレーサー山田祐也
山田祐也

田村隆信の師匠は、徳島支部の60期レーサー「濱村芳宏(はまむらよしひろ)」。

1999年に笹川賞でSG優勝を果たし、G1では10Vを挙げた名選手。2023年2月に現役を退き、競艇解説者として活動しています。

弟子は112期イケメンレーサー「山田祐也」。

レースの腕前も一級品。2013年のデビュー以降、通算20回勝を超える期待の若手。2022年には四国地区戦でG1初優勝を達成し、トップレーサーの仲間入りを果たしました。

田村隆信の嫁・息子・年収・趣味など

よく検索される「田村隆信のプライベート」を掘り下げていきます。

結婚はいつ?嫁さんはどんな女性?

田村隆信が結婚したのは1998年。お相手は、サラリーマン時代に付き合っていた一般女性で、本栖研修所に入所する10日前に入籍しました。

田村がボートレーサーになれたのは”嫁さんのおかげ”といっても過言ではないでしょう。なぜなら、きっかけとなった「競艇選手になれ」と勧めてくれたのは、嫁さんの父親だからです。

20歳前後で無収入だった時期の結婚。普通の父親なら大反対するケースでしょうが、レーサーを勧めたのは自分。さすがに反対できなかったのかも。

それにしても、入所前の田村と結婚した嫁さん。先見の明ありすぎw

息子も同じボートレーサーなの?

田村隆信とは?息子も同じボートレーサーなの?

検索した際に出てくる「息子」というワード。

これだけ見ると「田村隆信の息子もボートレーサーなのか?」と思う人もいそうですが、現ボート界に田村隆信の息子はいません。

ちなみに、ネットの情報によれば子供は3人。上の子は既に成人を迎えていて、2人目・3人目は中学生ぐらいらしい。ただし、信憑性の低い情報なので事実と異なっている可能性あり。

趣味は特になし。ただ、ハワイ旅行は20回以上行ってる

田村隆信とは?趣味は特になし。ただ、ハワイ旅行は20回以上行ってる

2018年頃のインタビューでは…

ひたすらゆっくり過ごしています。何にも面白い話できなくて恐縮なほど。昔から趣味的なものも無くて、よく言えばレースで勝つことだけに意識があるってことかと。

(マイブームは?)趣味がないんで特にはないけど、比較的旅行は好き。随分と偏っていて、ハワイにしか行かない。もう20回以上ハワイの地を踏んでます。

これといって趣味はないとのこと。ハワイは家族で20回以上も行ってるそうですが、旅行先で何かする訳でもなく、ただただゆっくり過ごしているらしいw

お金持ちなのは知ってるけど、年1回以上もハワイに行けるなんて。嫁さんや子供が羨ましい…

田村隆信の年収(年別獲得賞金)

獲得賞金順位
2023年4,219万円86位
2022年6,077万円29位
2021年5,704万円34位
2020年4,451万円63位
2019年1億144万円10位
2018年5,570万円26位
2017年5,020万円28位
2016年4,604万円37位
2015年3,002万円100位
2014年5,344万円20位
2013年8,157万円10位
2012年4,551万円31位
2011年8,257万円8位

SGで2勝した2011年以降の年収(獲得賞金)です。

ご覧の通り、めちゃくちゃ稼いでます。毎年5,000万円ほどの収入があるので、お金で悩んだことはなさそうw

稼いでいる分、納税額も半端じゃないでしょうが、税金を差し引いても2,000~3,000万円は残っているはず。一度でいいからそんな生活を送ってみたいものです。

田村隆信の愛車を調査しましたが、ネット上に関連する情報なし。

公式インスタ・ツイッターは?

田村隆信はインスタ・X(旧ツイッター)・YoutubeといったSNSは運用していません。そのせいもあって、ネットにプライベートの写真がほぼないのでしょう。

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デビューから現在までの成績

田村隆信がデビューから現在までに残した実績を紹介します。

デビュー以降のキャリア
  • 1999年11月:鳴門でデビュー。初出走で水神祭を挙げる
  • 2001年1月:四国地区選でG1初出場&初優出
  • 2003年2月:新鋭王座決定戦でG1初優勝
  • 2004年8月:オーシャンカップでSG初優勝
  • 2004年11月:チャレンジカップでSG優勝
  • 2007年6月:通算500勝達成
  • 2011年11月:チャレンジカップでSG優勝(2度目)
  • 2014年7月:通算1000勝達成
  • 2021年1月:通算1500勝達成

1999年11月、デビュー戦で初勝利

1999年11月に開催された鳴門一般戦でデビュー。

暗黙のルール通り”大外6コース進入”でしたが、ごちゃついた展開をつくまくりで1着。デビュー初出走にして初勝利の水神祭を達成しました。

その後も田村隆信の快進撃は続き、2走目はトップスタートから大まくりを決め、4日目も再びまくり一撃で1着。

田村隆信とは?1999年11月、デビュー戦で初勝利

1着3回・2着1回・3着2回という成績を残し、デビュー節にしてまさかの予選突破!優出には進めなかったものの、天才にふさわしい活躍でデビュー節を終えました。

1年2ヵ月で初優勝!翌月にはG1初出場&初優出

初勝利以降も新人とは思えない走りを披露し、2000年後期にA2級へ昇格します。

そんな中、初優勝を達成したのは、4日間の日程で開催された2001年1月の蒲郡。ただ、この時はまだアウトコースのみの進入。

アウトコースのみで優勝するのはトップレーサーでも至難の業ですが、田村は一度も舟券を外さない走りで優出。そして、優勝戦は5コースから差しで優勝を飾りました。

驚くべきは初優勝を達成した2001年の活躍。

開催日大会結果
1月15日蒲郡一般優勝(5コース/差し)
2月25日徳山一般優勝(4コース/まくり)
5月16日桐生一般優勝(5コース/まくり差し)
5月29日蒲郡G3優勝(3コース/抜き)
7月22日若松G3優勝(6コース/まくり差し)
9月9日鳴門G3優勝(3コース/まくり)
9月30日福岡一般優勝(1コース/逃げ)
11月6日丸亀一般優勝(3コース/まくり)

優出17回・優勝8回・年間勝率7.23というSGレーサー並みの実績を残し、2001年後期は楽々のA1級昇格。

余談ですが、2001年にA1級になって以降、一度も降格はしていません。

紛れもなく天才。近年、これほど強い選手は見たことがない。

2003年新鋭王座決定戦で4000番台初のG1制覇

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