競艇でインコースが有利な理由は、内側ほど最短距離で回ることができ、引き波の影響を受けずに航走できるから。特に1コースの勝利が断トツで高く、次いで2~6コースと続くのが一般的。
このように有利、不利が発生するため、基本的に1節の過程で全コースを走るように番組が編成されます。
ただ、進入固定レース以外は、枠なり(1~6コースの順番通り)が定められている訳じゃないので、無理やり前づけしてもルール上は問題なし。そういった前づけを好む選手は「イン屋」と呼ばれ、選手およびファンから要注意人物として警戒されています。
そんな中、自ら不利なアウトコースへ進入する「アウト屋」と呼ばれる選手が存在します。今回はその絶滅危惧種とも言われる「アウト屋」について深堀していこうと思います。
※アウト屋とは相反する「イン屋」については以下をどうぞ。
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なぜアウト屋は6コースを好むのか?
競艇選手は「各レースの賞金がメイン」となります。
例えば、一般戦だと1着になれれば10万円程度の賞金があるものの、3着以内に入らないと1円も貰えません。また、予選で好成績を収めると準優勝戦、優勝戦に出場でき、より多くの賞金を獲得することができます。その為、勝率の高いインコースは絶対に落とせないレースのはず。
しかし、アウト屋たちは進入が1コースだろうが、大外の6コースに回ってしまう。なぜそのようなことをするのか?私なりに考察してみました。
スタートまでの助走距離を合わせやすい
スタートの助走距離はインコースほど短くなるうえ、風向きや水面状況次第では想定以上に流されることも。ただ、スタートを待っている際、艇を横や反対に向ける行為は待機行動違反となるので、極端に助走が短くなるケースが多々あります。
その点、6コースであれば他の艇を気にする必要はなく、自分が最も得意とする距離を保つことが可能。スタートを合わせる技術があれば、ベストなタイミングでスタートできるのです。
最もスピードが乗り、展開は自由自在
6コースからの進入であれば、自分より外側に艇は走っていません。
スタート合わせることができれば「差し・捲り・捲り差し」など、内側の展開に合わせた動きができます。さらに、最長の助走距離によって「最高スピード」で1マークを旋回できるメリットもあります。
いくつか例を挙げると、0台のスタートだった場合は、大外を捲って全艇を置き去りに。5号艇が凹んだ場合は、ダッシュ勢を捲ってスロー勢の最内を差す展開に。そして、スタートが揃ったとしても、MAXスピードで優位に展開を運ぶことも可能です。
もちろん、これらは全て高い旋回技術があってこそ。アウト屋とは、限られた逸材にしかなれないポジションと言えるでしょう。
強い選手に勝つための手段
今回紹介する選手たちは優れた技術を持ち合わせているでしょうが、1,600人ちかくいる競艇選手にはさらに上が沢山います。その選手に勝利するには、技術ではなく「スタートを決めて捲る」ことが、最も有効だと感じたのではないでしょうか。
SG常連選手でも、大外から全速ターンで捲られてしまうと何もできません。その展開に持ち込むため、0台のスタート直後にどの艇よりも伸びのある速度に到達させる。
アウト屋は6コースを好んでいるというよりは、自分より技術のある選手に勝つことが目的かもしれません。
数名しかいないアウト屋の競艇選手たち
さて、当記事の本題でもある「アウト屋の競艇選手」を紹介していきます。
アウト屋のレジェンド「阿波勝哉」
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選手名 | 阿波勝哉(あわかつや) |
生年月日 | 1973年4月18日 |
登録番号 | 3857 |
デビュー日 | 1996年 |
身長・体重 | 165㎝・57㎏ |
支部 | 東京 |
出身地 | 東京都 |
アウト屋のみならず、競艇界のレジェンドと言っても過言ではない「阿波勝哉(通称:アワカツ)」選手。進入が1コースであっても平然と6コースへいき、0台のスタートを決めて捲りきる。その姿は多くの競艇ファンを魅了し、最も期待される6コースの番人でもあります。
1996年に多摩川競艇でデビューして以降、2005年には常滑競艇で早々と笹川賞(SG)に出場。その後も数々のレースで”記憶”に残る結果を残し、今現在も「ミスターチルト3度」として愛されています。
阿波勝哉が「アウト屋」として歴史に名を刻んだのは、やはりこの偉業でしょう。
※上記動画はめちゃくちゃ長いですw
「6コースから9連勝」という半端ない記録!一般的に6コース進入時の勝率は3%程度と言われているので、9連勝するのがどれほど凄いことか理解できるはず。しかし、そんな阿波勝哉をB級に降格させてしまう2つの出来事が起こります。
ひとつ目は「オーナーペラ制度の廃止」。それまでは個々の持ちペラを叩き、伸び重視の調整を施していましたが、制度廃止によって本来の実力を出せなくなりました。
ふたつ目は、アウト屋の生命線ともいえるスタートの不調。同期間に3回もフライングをしてしまう時期もあり、事故点の加算によって半年の休み。当然、階級は下がり、無収入の時は工事現場などで生計を立てていたそうです。
以上の逆風がありながらも、アウト屋を貫いているアワカツ。彼なしで競艇は語れません。



アウト屋のスーパースター「澤大介」
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選手名 | 澤大介(さわだいすけ) |
生年月日 | 1972年8月30日 |
登録番号 | 3852 |
デビュー日 | 1996年 |
身長・体重 | 160㎝・52㎏ |
支部 | 三重 |
出身地 | 三重県 |
アウト屋のレジェンドである阿波勝哉選手が不調な中、好成績を残し注目されているの「澤大介」選手。6コースからの進入時、スタートタイミングの平均が”0.11”という時期もあるほど、唯一無二の優れた才能を持つアウト屋です。
実は、ボートレーサー育成所(やまと学校)ではアワカツと同期生。競艇界を代表するアウト屋が同期に2人もいるなんて…。ひょっとしたら、お互いを意識し合っていたのかもしれませんね。
そんな澤大介選手が大外6コースから捲って勝利する映像がこちら。
「インコースが圧倒的有利」を根底から覆す姿、男の私でも惚れ惚れしちゃいます(笑)
当たり前のように0台のスタートを決め、全艇を捲る姿はまさに芸術。しかし、持ちペラ制度の廃止はアワカツ同様、徐々に成績不振へ繋がっていきます。
確かに、実力で競わすために廃止した理由は納得できますし、廃止後のレースも十分楽しめています。でも、ペラで差別化を図っていた選手にはあまりにも気の毒。まぁ、賛否ある議論なのでこの辺にしておきますが…
そんなこんなで、澤選手の一撃捲りを見る機会は減っていき、もう終わりか?と感じた頃、後輩の「坂口周」選手が運営するユーチューブ動画において
※重大発表は「03:10」あたりから
本人の口から「アウト屋卒業しようかな」と衝撃的な発表がありました。当然、競艇ファンからは「卒業しないでくれ!」といったコメントで溢れると思いきや…



正直言えば持ちペラじゃない6コースには限界ある






持ちペラ制度が廃止された今、ファンたちもアウト屋でい続けるのが辛いのは理解していました。もちろん私も、これまで以上に応援させていただきます。
アウト屋界のベテラン「小川晃司」
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選手名 | 小川晃司(おがわこうじ) |
生年月日 | 1968年6月20日 |
登録番号 | 3352 |
デビュー日 | 1988年 |
身長・体重 | 160㎝・51㎏ |
支部 | 福岡 |
出身地 | 福岡県 |
阿波勝哉、澤大介より遥か前にアウト屋として活躍している「小川晃司」選手。輝かしい成績を残している訳じゃありませんが、ほぼ全てのレースで6コース進入に拘り、電光掲示板に乗ることを得意としているレーサーです。
アワカツが捲りの名手なら、小川晃司選手は捲り差しの名手と言っても良いでしょう。また、小川選手の特徴として”一般的な定位置からスタートしない”のも見どころのひとつ。
上記の動画を視聴すると分かりますが、より加速をつけるために空いているスペースをフルに活用しています。このスタートをはじめて見た時は「こんなんで合わせられるのか?」と思ったほど。
忘れたころに特大万舟を提供してくれるアウト屋なので、出走表にいた場合はご注意くださいw
競艇界を盛り上げた歴代のアウト屋たち
上記3名以外にも「アウト屋」としてファンを魅了した選手がいました。既に引退(アウト屋卒業)していますが、競艇ファンの記憶から消さないためにも紹介させていただきます。
向義行(2000年引退)
選手写真 | ![]() ![]() |
名前(登録番号) | 向義行(2327) |
生年月日 | 1948年08月15日 |
身長・体重 | 162㎝・不明 |
所属支部 | 佐賀支部 |
2007年(平成19年)、大村競艇の殿堂マイスターにも選手された「向義行」選手。通算勝利数1,523回、生涯勝率6.06、優出182回、優勝50回、G1優勝1回、G1優出11回。
ほぼ6コース進入にも関わらず通算1,500勝を達成し、津競艇で開催されたGIレース「施設改善記念(現ダイヤモンドカップ競走)」にて、記念タイトルを獲得しています。
2000年に競艇選手を引退しましたが、それ以降も記憶に残るアウト屋として向義行選手の功績は多数投稿されています。
能登屋亮一(2002年引退)
名前(登録番号) | 能登屋亮一(3147) |
生年月日 | 1963年1月22日 |
身長・体重 | 161㎝・不明 |
所属支部 | 埼玉支部 |
20年ほど前に競艇界を去った「能登屋亮一(のとやりょういち)」元選手。
アウト屋は助走を合わせづらい分、どうしてもフライングが多くなってしまうもの。しかし、能登屋選手は引退するまでに僅か5回(出遅れ1回)してしておらず、抜群のスタート感覚を持ち合わせていたようです。
そして、1999年2月に開催された江戸川競艇の関東地区選手権。優勝戦で.09の好スタートを決め、記念レースで初優勝を果たしています(ただし、このレースは1コースから)。
吉岡修(2008年引退)
選手写真 | ![]() ![]() |
名前(登録番号) | 吉岡修(2964) |
生年月日 | 1959年2月5日 |
身長・体重 | 160㎝・60㎏ |
所属支部 | 山口支部 |
阿波勝哉、小川浩司などがアウト屋になるきっかけにもなった「吉岡修(よしおかおさむ)」元選手。
1980年に選手登録され、1ヶ月程度で初勝利をあげてしまう才能の持ち主。枠番がどこになろうが大外の6コースへ進入し、2008年の引退までに通算1,000勝を超える輝かしい成績を残しました。
個人的な妄想ですが、圧倒的に不利な”アウト屋”を選択しなければ、SGで活躍する選手になっていたはず。ただ、そんなことお構いなしに6コースから一撃まくりする有志は、記録よりファンたちの記憶に残っていると思います。
後藤道也(2012年引退)
選手写真 | ![]() ![]() |
名前(登録番号) | 後藤道也(3244) |
生年月日 | 1964年6月14日 |
身長・体重 | 163㎝・58㎏ |
所属支部 | 三重支部 |
1986年5月にデビューして以降、G1およびSGへの優出を果たし、2010年には通算1,000勝を達成した「後藤道也」選手。スタートの安定感がずば抜けているアウト屋のひとりで、コンマ0台を決め一撃まくりのレースを何度も見た記憶があります。
通算戦績は、出走6,403回、勝利1,084回、優出111回、優勝13回と輝かしい記録を残し、生涯獲得賞金は5億5千万円を超えています。
アウト屋の魅力が分かるレース動画
「アウト屋の魅力」を理解してもらうのは、実際のレース映像を見てもらうのが一番!という訳で、ユーチューブに公開されている動画から、個人的に忘れられないレースをピックアップさせてもらいます。
澤大輔・阿波勝哉・小川浩司など個性派揃い
若松競艇で開催された、個性の強い競艇選手しか出場できない「個性派王決定戦」。
この日のレースはなんと、競艇界きってのアウト屋3人が出走したドリームマッチ。1コースに小川浩司、2コースに澤大介、3コースに阿波勝哉、アウト屋を敢えてインコースに配置。これほどウキウキするレースは滅多にありません。
まず、ピット離れのシーンが面白すぎる(笑)4,5,6号艇は通常通り発進している中、アウト屋たちはそんなのお構いなし。しかも、先輩の小川選手から特等席の6コースを陣取り、後輩は4,5コースへ。
この体形でアウト屋が勝てば最高でしたが、さすがにA1級の強豪ぞろいでその願いは届きませんでした。
4コース阿波勝哉、5コース小川浩司、6コース吉岡修
大村競艇で2006年に開催された公営ジャーナル杯(スペシャリスト特選)。
「元祖アウト屋」の吉岡修(引退)が6コース、ベテランの小川浩司が5コース、この中では最年少の阿波勝哉が4コースで、年功序列の進入体形。そもそも枠なりがその通りになっていたので、番組マンが機転を利かせたのでしょう。
レースでは全艇、スタートはほぼ横並びとなりましたが、スピードの乗ったアワカツが4コースから捲り差しを決めて1着!さらに、展開の向いた小川選手が最内を差して3着。見事にアウト屋の強さを見せつけてくれました。



「イン屋」vs「アウト屋」の攻防に笑いが止まらんw
上記でも紹介した「個性派王決定戦」のレース映像ですが、このレースの見どころは何といっても「イン屋 vs アウト屋」それぞれの動き。とりあえず出走表から紹介すると…
- 小川晃司
- 阿波勝哉
- 澤大介
- 村上純
- 西島義則
- 鈴木幸夫
1,2,3コースにはアウト屋の代表者、4,5,6コースにはイン屋の代表者。このレースの舟券は購入していましたが、そんなことよりイン屋たちの攻防と、アウト屋のスタートタイミングがどうなるのか?それしか気にしてませんでしたw
結果、西島選手が2コースから1着、鈴木選手が3コースから2着、阿波選手が5コースから3着。こんなのサイコロを振らないと予想できませんよね。
普段はイン屋をあまり好きではありませんが、このレースに限っては終始笑顔で観戦させてもらった記憶があります。
阿波勝哉・澤大介の感動秘話
ボートレーサー育成所(やまと学校)の79期生として同期の「阿波勝哉」と「澤大介」。実はこの2人にはあまり知られていない秘話があり、アウト屋として現在の地位まで上り詰めた経緯を知ることができます。
持ちペラ制度の廃止などの影響で「アウト屋卒業」を発表した澤選手ですが、競艇ファンなら心にグッとくる動画だと思います。
まとめ
勝率が9割を超える選手がいるほど、インコース(1コース)は有利と言われています。その状況下で、大外6コースから全速ターンで捲って1着になるアウト屋を知ると、競艇の楽しさが倍増すること間違いなし。
ただ、何度もお伝えしている通り、アウト屋にとっては成績を残しにくい時代。澤選手は卒業、2,3着を狙いにいくスタイルの小川選手は継続するでしょうが、引退の時期が近づいている。そして、阿波選手も成績不振が続いており、このまま貫き通すのは難しくなるかもしれません。
抜本的な制度改革がない限りは、アウト屋という存在自体が消滅する日がきっとくるはず。でも、現在はまだアウト屋の有志を見ることができるので、皆さんの目に焼き付けておきましょう。
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