直近10年間、毎年10回前後の優出を果たしているが、2024年6月現在、優勝戦に進んだのは1月の平和島のみ。
また、2016年前期よりA1級をキープしているものの、このままいくとA2級降格の可能性あり。
A1級では現役最年長の「西島義則」。
艇界屈指のインレーサーとして君臨し、60歳を過ぎた今でもSG・G1の舞台で強豪相手に活躍中です。
これまでのSG優勝回数は7回。B2級降格や意識不明の大事故といった苦難もありましたが、引退することなく再び戦場へ復帰。はたしてその原動力となったのは何だったのか?
その辺を含め、西島義則について公私ともに深掘りしていこうと思います。
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西島義則とは?
西島義則は島根県鹿足郡出身、広島支部のボートレーサー。
父親が地方公務員だったこともあり、幼少期は転勤族として住まいを転々とする。元JRA騎手の田原成貴とはいとこの関係で、中学校時代はグラウンドでよく一緒に遊んでいたと田原本人が話している。
西島義則の公式プロフィール
公式画像 | |
名前 | 西島義則(にしじまよしのり) |
登録番号 | 3024(49期) |
生年月日 | 1961年10月30日 |
身長/体重 | 166cm/59kg |
出身/所属 | 島根県/広島支部 |
デビュー日 | 1981年11月20日 |
西島義則の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご確認ください。
競艇選手を志すきっかけは叔父
競艇の道を目指すきっかけは、競艇選手だった叔父にあたる「田原洋一」さんの影響が大きかったといいます。
幼少期の頃から身体が小さかったことで、周囲から「競艇選手に向いている」とよく言われていたらしい。
そして、高校3年生の時に本栖研修所の試験を受けますが、身体検査(血圧)で不合格に。卒業後はバイトで生計を立てながら養成所に再トライし、49期の受験で無事合格しました。
当時の本栖湖は「冬の寒さが今とは比較にならない」と話す西島。マイナス16度にもなる過酷な環境を耐え抜き、1981年秋に卒業しています。
弟子は2023年に引退した前本泰和
西島義則の弟子は、広島支部の70期「前本泰和」。
2013年の賞金王シリーズ戦と2021年のグラチャンで2度のSG制覇。2007年に達成した7節連続Vは史上1位の記録となっており、生涯獲得賞金12億円を稼いだ名選手。
しかし、前本は2023年2月の中国地区選手権終了後「一身上の都合」により突然引退を発表。
引退の理由は、持病(腰ヘルニア)の悪化、もしくは「体重計測時に不正行為がバレた」という噂も。本当の理由は明らかになっていません。
同期(49期)の現役レーサーは1人
2023年10月現在、西島義則と同じ49期で現役を続けているのは「西山昇一」1人しかいません。
2022年後期まではA1級を維持していた西山ですが、2023年前期にA2級、後期にB1級へ降格。級別こそ下がったものの、パン戦で優出するなどまずまずの実績を残しています。
グラチャン覇者の同期「大嶋一也」が引退した今、西島・西山の2人で49期を1年でも長く守ってほしいところ。
ちなみに、2人よりも登録期が上の現役選手は4名。
競艇界で最年長記録を更新し続けている「高塚清一」は、2023年で御年76歳。生きる伝説といっても過言ではないかと。
西島義則がイン屋になった理由
西島義則といえば、艇界屈指のイン屋。枠番に関係なく”2コース以内”に前づけしますが、今のような戦法になったのはデビューから10年程度。
はたして戦い方を変えた理由は何だったのか?
植木通彦のターンがきっかけ
イン屋に転向したのは「艇王・植木通彦」の存在が大きく影響しています。
1993年の総理大臣杯で植木のモンキーターンに衝撃を受け、西島は「この先モンキーができなければレースに勝てない」という危機感を抱いたらしい。
ただ、同時に「あのモンキーをインの小回りでやれば、誰にも負けないのでは」とも思ったそうです。
深い前傾姿勢で半径を小さく回る独特の「ペリカンモンキー」は自ら編み出した技術。前づけこそ勝つための最善策とし、積極的なコース取りをするようになります。
ベテランならではの強引な前づけ
「昔は少し隙を見せただけで、前からも後ろからも先輩にコースを奪われた」と話すように、待機行動のルールがゆるかった時代を戦い抜いてきた西島義則。
その厳しい時代を象徴するイン取りを見せたのが、2021年1月の住之江優勝戦。
スタート展示では4コースに前づけ。本番も同じコースを想定してピットアウトしましたが、1号艇の佐々木康幸が濱田隆浩の前づけをけん制。
ここに大きな隙ができ、後ろにいた西島はスペースに飛び込んできたのです。
①④の駆け引きに乗じてインの奪取に成功。
ルール上、割り込める間隔があったことに加え、150m見通し線を最初に通過しているので、このケースは待機行動違反になりません。
レース後には「インの選手がターンマークを空けてはダメ」とコメントを残しています。
ファンからは賛否分かれるコース取りかもしれませんが、これこそ西島義則の真骨頂。ベテランならではの芸術的な戦法といって良いでしょう。
まぁ、そうした戦い方を嫌うファンが多いのも事実ですけど…
西島義則の嫁・子供・年収など
ベールに包まれた西島義則のプライベートを探ってみました。
家族構成は再婚した嫁と3人の子供
西島義則には再婚した妻との間に3人の子供がいます。
48歳でG1競艇名人戦(マスターズチャンピオン)を優勝した際、勝利者インタビューにて「子供は3歳、1歳、8ヵ月。それくらいの子供がいるって30歳くらいでしょ」と回答。
15年ほど前の映像だと考えると、一番上の子は成人あたり、他2人は学生さんでしょうか。奥さんについては公表されていません。
還暦を迎えても現役を続行しているのは、年齢の割に育ち盛りのお子さんがいるから?かもしれませんね。
西島義則の年収(年別獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2024年 | – | – |
2023年 | 34,470,000円 | 162位 |
2022年 | 36,530,000円 | 118位 |
2021年 | 39,150,000円 | 86位 |
2020年 | 33,400,000円 | 134位 |
2019年 | 32,640,000円 | 140位 |
2018年 | 27,720,000円 | 177位 |
2017年 | 28,740,000円 | 144位 |
2016年 | 33,500,000円 | 68位 |
2015年 | 24,770,000円 | 182位 |
直近の年別獲得賞金は上記の通り。
ここ数年はSG・G1にちょろっと出場する程度で、主な戦場は一般戦。それでも高い実績を残しているので、毎年3000万円以上の年収は手にしています。
本当はSGでバリバリ活躍してた頃の年収を紹介したかったのですが、当時の記録は残っておらず。
今ほど賞金額が高くなかったとはいえ、3度SGを制した2000年は相当額を稼いだはずです。
西島義則の数少ないオフショット
普段着姿の激レアショットがこの1枚。
西島の隣にいるのは、広島カープと日本ハムで活躍した元プロ野球選手「金石昭人」。
現役引退後は解説者をしながら、複数の飲食店などを経営する社長さん。関係値はよく分かりませんが、広島のお好み焼き屋で撮影された時の写真です。
デビューからSG制覇までの実績
西島義則は1981年11月20日に宮島競艇場でデビューし、1走目で初勝利を挙げた期待の新人。その後も勢い止まらず節間3勝した記録が残っています。
現在までの競走成績、そして栄光と苦難の日々を振り返ります。
1989年尼崎新鋭王座でG1初優勝
デビューから3年経った1984年秋、住之江で初優勝を果たします。そして、初のG1優勝は元号が平成に変わってすぐの1989年1月、尼崎新鋭王座決定戦。
西島はスタートこそ遅れますが、1マークでインの板谷茂樹に差しを入れて先行。そのまま後続を振り切って若手登竜門のタイトルを獲得しました。
1997年・1998年SG総理大臣杯を連覇
1990年の地元宮島で記念G1を初制覇。その後も賞金を上積みしてSG常連となり、1997年3月の住之江総理大臣杯(クラシック)で快挙を達成します。
優勝戦で2号艇ながらインコースを奪い、コンマ06のスタートで逃げを決めて勝利。35歳にして念願のSGタイトルホルダーに輝きました。
西島は翌年の丸亀総理大臣杯でも優出。優勝戦では植木通彦からインを奪うと、1マークで渾身のペリカンモンキーを決めて完勝。
今日に至るまで総理大臣杯で連覇したのは西島義則ただ1人。
史上2人目となるSG3連覇を達成(2000年)
西島義則が38歳にしてその実力を全国の競艇ファンに知らしめた2000年。
6月にオール3連対でグランドチャンピオンを制すと、7月のオーシャンカップでは初日の減点がありながら優勝。
そして、3連覇の懸かった8月の若松MB記念(メモリアル)。
初日6着の出遅れを挽回して準優、優出にコマを進めます。優勝戦は5コース進入でしたが、スロー勢が1マークで流れ、展開の利を逃さず空いた隙間を差して1着に。
SG3連覇を達成したのは史上2人目。1974年に「グラチャン・オーシャンカップ・MB記念」を制した野中和夫以来、26年ぶりの快挙です。
通算7度のSG制覇
年 | 開催場 | レース |
---|---|---|
1997年 | 住之江 | 総理大臣杯 |
1998年 | 丸亀 | 総理大臣杯 |
2000年 | 下関 | グランドチャンピオン |
2000年 | 宮島 | オーシャンカップ |
2000年 | 若松 | モーターボート記念 |
2001年 | 児島 | チャレンジカップ |
2002年 | 尼崎 | 笹川賞 |
1997~2002年の約7年間で、競艇界最高峰のSGタイトルを7個も獲得。現役選手だけで見れば、松井繁の12回を筆頭に、西島義則は6位タイに位置付けています。
「前づけでレースを荒らすベテラン」と認識しているファンも多いでしょうが、この実績を知れば見方が変わるのでは?
グラチャンで悪夢の優勝戦F(2002年)
SGで勝てなくなった要因とも言われている優勝戦のフライング。
2002年は笹川賞で7度目のSG優勝を果たし、3年連続でグランプリ選出に当確ランプを灯します。
6月の地元宮島で行われたグラチャンも予選5連勝と絶好調で優出。優勝戦1号艇でSG連勝が目の前まで見えていましたが…
スタートには定評のある西島とは思えないコンマ09のF。2コース熊谷直樹もFを犯す波乱と幕引きとなり、返還額は売上の92.8%を占める「24億3513万円」に。
このFによって西島は1年間のSG斡旋停止。さらに、7月の浜名湖G1準優でもFを犯し、ここから2年間はSGに出場できなくなりました。
復活の狼煙を上げた名人戦優勝
SG優勝戦Fから成績は下降していき、全盛期の活躍が嘘だったかのように重賞で勝てない日々が続きます。そんな中で2010年に出場した「競艇名人戦(マスターズチャンピオン)」。
予選で4勝をマークして2位通過。準優も難なく逃げ切り、優勝戦は2号艇で「今村豊」のイン戦に対抗します。
スタートでコンマ30と後手を踏みますが、1マークで鋭いペリカンモンキーが炸裂。
第11代の名人位に就くと共に、新鋭王座決定戦と名人戦の両方を制した史上初のレーサーとなりました。
名人戦直後、F3でB2級に降格
2010年の名人戦優勝直後、選手生命に関わる過ちを犯してしまいます。
- 1本目:8月の鳴門G1でフライング
- 2本目:11月の唐津SGでフライング
- 3本目:12月の宮島でフライング
8月のG1、11月のSGで立て続けにフライング。A1級維持には無事故必須の状況でしたが、年末の宮島一般戦でまさかのF3。
事故率オーバーが確定したことで、2011年後期のB2降格が確定。
前づけレーサーの宿命ともいえるフライング。そのリスクと隣り合わせの戦いをしてきた中、ついに最悪の事態が訪れてしまったのです。
深いインを承知でスタートを踏み込む西島義則は常にFとの背中合わせ。1度狂ったリズムを戻すことは困難だったようです。
2013年グラチャンの事故で意識不明に
あわやの大事故に見舞われたのは、2013年6月に常滑で開催されたSGグランドチャンピオン。
3日目第5レースに出走した西島は、1周1マークで接触して転覆。この事故で頭部を激しく強打し、外傷性くも膜下出血と水の誤飲による肺炎で緊急搬送されました。
搬送時は一時意識不明に陥る危険な状態。2日間記憶がなく、医者から説明されてようやく状況を把握したといいます。
左の額に大怪我を負ったものの、驚異的な回復力を見せてわずか4ヵ月で復帰。翌2014年1月の芦屋一般戦で復帰後初Vを飾っています。
リアルタイムでレースを観戦してたけど、最悪のケースも想定される事故だった…
まとめ
ファンのため、そして家族のために闘志を燃やし続ける西島義則。
そんな男に期待がかかるのは、北原友次の3417勝、万谷章G1最年長優勝62歳5ヵ月、安岐真人のSG最年長優勝52歳7ヵ月など。どの記録も更新する可能性は十分あると思います。
最後に、西島を嫌いなファンに向けて、絶対に視聴してほしい動画を紹介させてください。
最近、一般戦を走るんですけど、特に若手のレースに対する取り組み方が、あまりにも不甲斐ない
皆さんが思っている以上に熱い選手なんです。
前づけするのも「応援してくれるファンの期待に応えるため」。また、こうした先輩がいたからこそ、競艇が急成長できたのではないでしょうか。
コメントお待ちしてます!