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日高逸子とは?若い頃と引退を乗り越えた現在がグレートすぎる

日高逸子とは?SG常連だった若い頃&引退もよぎったB2の現在
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2022年3月のG3尼崎以来、優勝はゼロ。また、クイーンズクライマックスシリーズの選手を控えていたが、家事都合等辞退期間中のため出場辞退。

競艇の女子戦がまだ黎明期だった頃から活躍を続け、35年以上のキャリアを持つベテランレーサー「日高逸子」選手。

2度の出産を経験して母親となり、家族に支えられながら熱い走りを見せています。

その波乱に満ちた人生はNHKなどでも取り上げられ、ファンやマスコミからは「グレートマザー」と呼ばれるようになります。

不遇だった生い立ち、女子の進出に風穴を開け続けた若手時代、相次ぐ同期の死、どん底のF3…。どれだけ試練が訪れてもあきらめず、這い上がってくる日高逸子について全てお話します。

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日高逸子とは?

グレートマザーという異名まで付けられた「日高逸子」とはどんな選手なのか?生い立ちやプロフィールなど、まずは基本的なことから解説していきます。

日高逸子のプロフィール

公式画像日高逸子(56期)
名前日高逸子(ひだかいつこ)
登録番号3188(56期)
生年月日1961年10月7日
身長/体重154cm/44kg
血液型A型
出身/支部宮崎県串間市/福岡支部

日高選手は昭和、平成、令和の時代を走り続け、2021年で60歳の還暦を迎えた女子レーサー。漫画「モンキーターン」の登場人物「青島優子」のモデルとなった選手といわれています。

幼くして両親が離婚…自分の生き方を探しに東京へ

日高逸子とは?出身地「串間市」の風景
※出身地「串間市」の風景

日高逸子の両親は小学1年の時に離婚し、串間市にある祖父母の家で育ちます。小学生の頃から新聞配達のアルバイトや農作業など、勉強の傍らで働き続けていたそうです。

高校卒業後に地元で就職したものの「自分の進みたい道ではない」と感じて1年で退職、上京します。

東京では住み込みのアルバイトをしながら専門学校に通い、旅行会社や喫茶店で働いたりという日々を送る生活。ただ、この間も宮崎にいる祖父母への仕送りだけは絶えず続けたとのこと。

テレビに映った「年収1000万円」の文字

自分探しに明け暮れる東京での生活が続いていた中、一筋の光が差したのは22歳の時。何気なく見ていたテレビに映ったボートレーサー募集のCM。

画面に出てきた「年収1000万円」という文字。

競艇がどんなスポーツなのか、そしてボートレーサーとしてどうやって稼ぐのかも知らないまま、ただ「1000万円」という金額に惹かれてボートレーサー養成所へ願書を送ったといいます。

当時は応募条件のギリギリとなる年齢が22歳だったため、日高逸子にとっては最初で最後のチャンスとなる養成所試験。

そんな中、33倍の難関をくぐり抜けて見事に合格したのです。

自分の夢を見つけたかのように思えたボートレーサーへの道でしたが、それは過酷で非情な試練が続く、地獄の入口でもありました。

負けるな!退所を引き留めた同郷の教官

日高逸子とは?負けるな!退所を引き留めた同郷の教官

競艇のレースを1度も見たことはなかったそうですが、試験会場でボートを見た際、あまりの迫力に言葉を失ったという日高逸子。

入所後も水面での実戦練習は恐怖心との闘いが続きます。

まともに艇を走らせることもできないまま、同期たちに置いていかれるばかりの日々にすっかり自信を失くしていました。

入所から2ヵ月後、もうこれ以上頑張れないと思った日高は、誰でもいいから通り掛かった教官に辞めることを告げようと決心。そして、出会った教官(担当ではない)に日高選手は「辞めたい」と伝えます。

しかし、その教官からは意外な言葉が。「俺もお前と同じ、串間の人間だ。負けるな

辞めようとする日高を引き留めたのは「大崎周一」教官。偶然にも幼少期を過ごした宮崎県串間市の出身だったのです。

入所時の作文で生い立ちや境遇を知っていた大崎教官は、日高に「お前には帰るところなんてないじゃないか。ここで頑張れ」と声を掛け、励ましてくれたといいます。

この期に卒業できた訓練生は入所時の人数の半分だったそうですが、恐怖心を振り払いながら人の何倍も練習を重ねた日高逸子。

厳しい養成所生活を耐え抜き、晴れてプロのボートレーサーとしてのデビューを果たします。

まさか大崎周一教官の写真が残っていたとは…。テレビ画面を記録していたブログ運営者さんに感謝!

日高逸子の同期レーサー(56期)

日高逸子と同じ期に養成所生活を送った選手たちを紹介します。56期は卒業時点で24名いたそうですが、現在も現役で走っているレーサーは数えるほどしかいません。

東京支部の大ベテラン・熊谷直樹

公式画像日高逸子とは?東京支部の大ベテラン・熊谷直樹
名前熊谷直樹(くまがいなおき)
登録番号3200(56期)
生年月日1965年3月29日
身長/体重159cm・54kg
血液型A型
出身/支部北海道/東京支部

56期で唯一のSGレーサー「熊谷直樹」選手。実績や熟練の技もさることながら、トークショーでの軽妙な語り口でも人気のレーサーです。

SGは1997年の地元平和島オーシャンカップで2コースまくりを決めて初優勝。

2000年には蒲郡で開催された笹川賞(オールスター)で2度目のVを飾りました。グランプリ(賞金王決定戦)でも過去4度ファイナルに進出し、1997~1998年には2年連続で2着に入っています。

女子で唯一となる同期の現役選手・田村美和

公式画像日高逸子とは?女子で唯一となる同期の現役選手・田村美和
名前田村美和(たむらみわ)
登録番号3207(56期)
生年月日1965年11月1日
身長/体重156cm/55kg
血液型A型
出身/支部沖縄県/東京支部

日高逸子より4つ年下ですが、現役女子では唯一の同期となる「田村美和」選手。現在、8名いる沖縄県出身の競艇選手の中でも最年長の現役レーサーとなります。

解説者として活躍中の秋山基裕さん

日高逸子とは?解説者として活躍・秋山基裕さん

ボートレース関連のテレビ番組などに登場する機会も多い、元ボートレーサーの「秋山基裕」さん。現役時代は日高逸子と同じ56期として共に励んでいたライバル。

現役時代のほとんどをB1級で過ごしました。2010年に現役を引退してからは、初心者にもわかりやすい解説でBSフジのボートレース番組などに出演。現在はJLC解説者として活躍しています。

日高逸子の年収(獲得賞金)

獲得賞金女子順位
2024年
2023年26,136,000円23位
2022年30,531,500円14位
2021年F3でB2級降格
2020年21,640,000円32位
2019年35,931,500円8位
2018年34,704,000円6位
2017年27,753,400円11位

フライング3本を犯し長期欠場した2021年以外、獲得賞金は3000万円前後をキープ。また、2016年以前も女子上位の年収をコンスタントに稼いできたトップレーサーです。

これほど優秀な成績を収めている日高逸子ですが、2024年で満63歳の超ベテラン。控えめに言って凄すぎますw

福岡ではじまった日高逸子の競艇人生

日高逸子は養成所を卒業後、当初は東京に残って選手生活を送るつもりでしたが、教官の勧めもあって地元に近い福岡支部への所属を決めました。

そして、デビューを飾ったのは1985年5月の芦屋競艇場です。

日高逸子の初勝利と初優勝

日高逸子とは?デビュー当時の若い頃の写真

デビュー節の芦屋一般戦。初戦で2着と健闘し自信をつけた後、3走目に初勝利を挙げる順調な滑り出しを見せます。しかし、2節目となった若松では大敗が続き、自信も一瞬で打ち砕かれたそうです。

自宅に帰って大泣きしたそうですが、負けず嫌いで有名な日高逸子。

3節目の福岡からは再び奮起し好成績を収め、デビュー3年目にして桐生競艇で待望の初優勝を飾ります。

優勝戦は先輩レーサー「林珠実」選手と最終周回のターンマークまでもつれる展開となりますが・・

「最後に吹っ飛ばして勝っちゃいました」と本人が話すほどの気迫で勝ち取った初Vでした。

女子選手初のモンキーターンは独学で習得

日高逸子とは?女子選手初のモンキーターンは独学で習得
出典:TVガイド

活躍していた当時、女子レーサーの数が少なかったこともあり、現在のようなオール女子の開催はほとんどない時代。その為、男子選手との混合レースになる訳ですが・・

九州地区には荒っぽい男子選手が多く、女に負けられるか!といわんばかりにダンプで吹き飛ばしたり、意図的に転覆させるようなこともあったそうです。

ただ、負けん気の強さでいえば男にも勝る日高逸子。

力ずくの攻撃には技術で対抗するべく、当時はまだ男子でも使用する選手が少なかった「モンキーターン」を独学で身につけてしまいます。

全速で旋回できるモンキーターンを女子選手ではじめて修得し、実戦で見せつけた日高逸子。男女間のハンデがない競艇の世界において、生き抜くための大きな武器となったのは間違いありません。

結婚・出産・復帰。グレートマザーを支える家族

1996年、日高逸子は東京の専門学校時代に知り合った「邦博」さんと結婚します。

2度の出産を経験することになりますが、女性にとって仕事と家庭の両立が難しかった時代。

そんな中、競艇場に戻って活躍を続けることができたのは、専業主夫となってくれた夫・邦博さんによる「内助の功」があったから。

単身赴任から婿入り、そして「専業主夫」へ

日高逸子の夫である邦博さんは専門学校卒業後、出身地である新潟の企業に勤務していました。

結婚後も住まいは変わらず、福岡と新潟の別居生活を続けていましたが、日高逸子が長女を出産した1996年に福岡へ移住。仕事を辞め「専業主夫」となり、レーサーである妻を支える生き方を選びます。

全国に遠征し、開催中は外部と連絡がほぼ取れないボートレーサー。

競技と子育てを両立させるのは大変難しく、頼れる親もいない状況。夫婦のどちらかが現在の日常を変える必要があった中での決断だったといいます。

年収の高い日高逸子が競技を続けられるよう、自分が家庭に入って子どもの面倒を見るべきだと考えた邦博さん。当時では珍しい”専業主夫”を取り上げるメディアも多かったようです。

また、1ヶ月のうち7日程度しか返ってこない妻と、子育てなど家事全般をこなす夫。その様子を著者「日高邦博」により出版されました。

日高逸子とは?逸子さん、僕が主夫します!―競艇のグレートマザーに恋して
出典:アマゾン

本のタイトルは「逸子さん、僕が主夫します!―競艇のグレートマザーに恋して」。

10年以上前に読ませてもらいましたが、邦博さんの行いを真似できる男性はほとんどいない。そう感じたのを記憶しています。なにより、逸子さんへの愛情の深さが素晴らしい!

2度の出産後はいずれも早期復帰

1997年3月に長女、1999年7月に次女を出産しました。そして、いずれも産後わずか3ヵ月という早さでレース場に復帰

当時の競艇界には産休規定がありませんでした。出産のブランクによって収入の途絶えや、ランク落ちといった弊害が避けられない状況にあったことを意味します。

日高逸子の場合、夫が家庭を守ってくれるとはいえ、収入のためには1日でも早くレースに復帰する必要があったでしょう。幸い、復帰してからも以前の走りを取り戻すまで、それほど時間を要することはなかったようです。

特に長女の出産後においては、復帰わずか1ヵ月で大村のG3女子戦で優勝しています。

競艇界にもつくられた「産休」の概念

現在の競艇界において、子どもを産んでから競技に復帰する「ママさんレーサー」の数はずいぶんと増えました。

ただ前述のように、出産のブランクはそのまま欠場期間となるため、出走回数によっては最も低いB2ランクからの出直しを余儀なくされてしまうことも。B2級では月1回程度の斡旋しか受けられず、産後の収入減が問題視されてきました。

この状況を受けて、日本モーターボート競走会は2016年に出場規定を改正

出産で長期離脱した女子選手については、仮にB2級となっても復帰前と同じランクの斡旋数が維持されます。

田口節子、平高奈菜守屋美穂平山智加など、2021年の女子賞金ランキング上位にも、出産を経て職場復帰した選手は多数います。

女子レーサーの競技レベルがどんどん上がっている中、ママさんレーサーとして競艇を続けられる環境が今後さらに整備されることを期待したいですね!

日高逸子が女子レーサー頂点に!全盛期の成績

現在、女子の競艇選手No.1を決めるプレミアムG1は2つ。

夏に開催されるレディースチャンピオン(女子王座決定戦)と、大晦日にファイナルを戦うクイーンズクライマックス(賞金女王決定戦)です。

日高逸子はG2時代の女子王座決定戦を含めて、女子最高峰のタイトルをこれまで3度獲得しています。

準優で山川美由紀との競り合い(1989年多摩川レディースチャンピオン)

日高逸子の戦いを語るうえで、避けて通ることができない女子レーサーがいます。1期後輩の”パワークイーン”こと「山川美由紀」選手。

日高逸子より先に2000勝を達成し、レディースチャンピオンは現役最多の4度優勝。1999年には史上はじめて男女混合のG1(四国地区選手権)を制覇しました。

公式画像日高逸子とは?最大のライバル 山川美由紀
名前山川美由紀(やまかわみゆき)
登録番号3232(57期)
生年月日1966年10月24日
身長/体重152cm/46kg
血液型A型
出身/支部徳島県/香川支部

これまで山川選手と数々の激闘を繰り広げてきました。

自身初のタイトル獲得となった1989年の女子王座決定戦(レディースチャンピオン)では、2人の火花散るぶつかり合いが準優勝戦で勃発。

1コースから逃げる日高逸子に対し、3コースからツケ回ってまくりを狙う山川選手。

1周1マークはほぼ互角の攻防となり、バックストレッチでは他の4艇を置き去りにした2人が艇を重ねて並走する展開。この時、内にいた日高逸子が先マイを決め、そのまま抑えきって1着でゴールしました。

優勝戦でも再び「日高 vs 山川」の対決が期待されたものの、スタートで山川選手がまさかのフライング。さらに、転覆艇も出る大荒れたレースとなってしまい…。

結局、1マークで山川選手の後ろにいた日高逸子が繰り上がっての「恵まれ」。実にあっけない形で、この年の女子王座決定戦を制することになったのです。

完璧なスタートで圧倒(2005年大村レディースチャンピオン)

「ツイてただけ」とレース後に本人が話した第2回の初優勝。それ以降、出産によるブランクや若手レーサーの台頭などもあって、今ひとつ結果が出せなかった女子王座決定戦での日高逸子。

2度目の戴冠となったのは、大村で開催された第18回大会でした。

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