2023年6月20日、1日限りの復活を果たし、大勢のファンの前でメモリアルランを実施。その様子は以下のリンクよりご視聴いただけます。
2020年に突如現役引退を発表し、39年半に渡るレーサー生活に別れを告げた「今村豊」。
デビュー時から驚異的な強さを発揮し続け、引退までに積み上げた実績は、1着数2880回、優勝142回など、歴史に残る大記録を打ち立てました。
その強さからついたニックネームは「ミスター競艇・艇界のプリンス」。そして、引退した現在も、生きる伝説として競艇界で活躍しています。
そこで今回は、今村豊はどれほど凄いレーサーだったのか?プライベートはどんな人間なのか? 1から100まで解説していきます。
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今村豊とは?
今村豊は1961年生まれ、山口県小野田市(現・山陽小野田市)出身のボートレーサー。
学生時代は数学が得意だったことから「商業高校を出て銀行員になりたい」という思いもあったそうですが、県立小野田工業高等学校を卒業してすぐ競艇選手の道へ進みます。
今村豊のプロフィール(現役時代)
公式画像 | |
名前 | 今村豊(いまむらゆたか) |
登録番号 | 2992(48期) |
生年月日 | 1961年6月22日 |
身長/体重 | 162cm/50kg |
出身/所属 | 山口県/山口支部 |
デビュー日 | 1981年5月7日 |
引退日 | 2020年10月8日 |
生涯獲得賞金 | 29億4144万6172円 |
通算勝率 | 7.76 |
1着回数 | 2880回 |
通算優勝回数 | 142回 |
SG優勝回数 | 7回 |
今村豊の詳細な成績を知りたい場合は、ウィキペディアか艇国データベースをご覧ください。
競艇選手を目指すきっかけは?
競艇の道に進んだきっかけについて、引退会見の時に「父の勧めだった」と話しています。
体が小さかった幼少期の頃から「競艇選手になれ」と言い続けた父。しかし、本当は父自身が選手になる夢を叶えられなかったのも関係しているらしい。
そしてもう1つ、引退会見の場で語られなかったきっかけが「年収の高さ」。
高校卒業後は一般企業への就職を考えていた中、初任給が8万円ほどだと知り「面白くない」と疑問を抱いたとか。
そんな時に「競艇選手」という父の言葉を思い出し、800~900万円という当時の平均年収を目にして養成所試験を受験したそうです。
養成所時代の異名は「本栖のドボンキング」
48期生として本栖養成所で訓練を積んだ今村豊。
教官からはスピードを高く評価され、養成所リーグ勝率も8点台に乗せる好成績を残しますが、同時に転覆回数も断トツNo.1。
その数は他を圧倒する“12回”という多さから「本栖のドボンキング」と呼ばれるようになります。
これには理由があり、今村は教官の許可を得て全速ターンの技術を習得しようとしていたのです。この経験がデビュー後の活躍に繋がったのは言うまでもありません。
デビュー節でまさかの優出3着
今村豊のデビューは1981年5月7日の徳山競艇場。
詳細な記録は残っていませんが、デビュー1走目でいきなり1着の水神祭。さらに、2走目以降も上位争いに食い込む活躍を魅せます。
準優までの7走は「1433212」。新人らしからぬ着順を並べ、デビュー節で優勝戦に進出する快挙を達成。
優勝戦は3着に終わって大偉業とはならず。とはいえ、ド新人が7回も舟券に絡み、強烈すぎるインパクトを残したプロデビュー戦。
今村豊の伝説はこの節から始まります。
半年でA級昇格&2年目からSG・G1で大暴れ
デビュー2節目以降も善戦を続けた今村豊。
デビューからの6ヵ月間は66レース走って1着が14本。また、3連対率63.6%という衝撃的な成績を残します。
デビュー期の勝率は6.20。1982年前期はいきなりA級(当時の最上位クラス)に昇格。
記念レーサーとなった今村豊は、翌1982年に蒲郡で初優勝、住之江笹川賞でSG初選出、丸亀でG1初優出初優勝、そして桐生ダービーでSG初優出と息つく間もない活躍を発揮し続けました。
控えめに言ってヤバすぎ。今村豊を超える新人は二度と現れないはず。
今村豊の家族・豪邸・趣味
今村豊は山口県で生まれ育ち、現在も地元で暮らしています。
現役時代はストイックに競艇と向き合う姿勢が印象的でしたが、あまり語られない意外な一面も。
水面を離れた艇界のレジェンドはどんな日常を送っているのか。家族構成や趣味など「今村豊のプライベート」をまとめておきます。
嫁は元同期レーサー「庄島真知子」
1988年秋、今村豊は同期(48期)の元女子レーサー「庄島真知子」さんと結婚。
訓練生時代に富士駅のバス停で庄島さんの姿を見て「俺、この人と結婚する」と直感的に感じたそうです。
庄島さんは当時美人選手と騒がれる存在でしたが、結婚を機に現役を引退しています。 ちなみに、48期は女子レーサーの大量募集が始まった期。この頃から女子の割合は高くなっていき、オール女子戦などの開催が増えていきました。
妻と母親、子供は多分いない
今村豊の家族構成は、妻の真知子さん、実のお母さんの3人暮らし。あと、同居はしていないものの、弟が1人いるといった情報も。
「引退会見に出かける時、女房とおふくろに言った」と引退後のインタビューで話していることから、現在は3人で地元に住んでいる様子。
お子さんについてはいないとされています。
自宅は噂通りの大豪邸
今村豊は「豪邸」に住んでいることでも有名。広い庭と立派な門がある平屋建てで、家屋は数年前に建て替えをしたばかり。
豪邸と呼ぶにふさわしい庭園。ただ、落ち葉が1枚あっても拾いに行くほど几帳面な性格らしく、掃除などの手間を省くために土は一切使用していないそうです。
今村邸の中まで知りたい方は、以下のYouTube動画を視聴してください。
趣味は「ゴルフとパチンコ」
今村豊の趣味といえばゴルフ。奥さんやレーサー仲間たちとしょっちゅうプレーしており、一緒にラウンドした選手からは「ゴルフの指導は競艇より厳しい」といったコメントもw
ナイター開催の解説がある日でも、昼間に1ラウンド回ってからレース場に向かうぐらい熱狂的なゴルフ好きみたいです。
そして、パチンコ好きとしても有名。パチンコ屋へ出かけるために小型車を買ってしまうほどw
ネットではお母さんがパチンコ好きとの噂もあるので、家族でパチンコを楽しんでいるのかもしれませんね。
パチンコ専用と言いつつ、新車価格は500万円弱もするイタリアの高級外車です。
「艇界のプリンス」今村豊の主な功績
現代のボート界では考えられないスピード出世を果たし、艇界全体を驚かせた今村豊。
輝かしい実績を全て紹介すると夜が明けてしまうので、ここでは代表的な記録に絞って紹介していきます。 参考までに、ウィキペディアに記載の主要タイトル一覧は以下の通り。
- 2004年:総理大臣杯
- 1984年:笹川賞
- 1992年・2010年:モーターボート記念
- 1987年・1988年・1990年:全日本選手権
- 1987年:GI 新鋭王座決定戦
- 2011年:GI 名人戦
- 2015年・2017年:PGI マスターズチャンピオン
- 1983年:最優秀新人賞
- 最高勝率(8回)
- 最優秀選手(3回)
- 最多優勝(1回)
- 最多獲得賞金(1回)
- 特別賞(1回)
- 最多最高勝率受賞回数(8回)
- 最多記者大賞受賞回数(5回)
- 最多通算優出回数(410回)
- A1級継続記録(78期)
- 最速年間獲得賞金1億円到達
- 最年長ナイターSG優勝(49歳2か月)
- 最多ボートレースダービー優勝(3回)
史上最多、歴代1位記録については以下の記事が参考になります。
史上最速記録を次々と更新
SG優勝7回に最優秀選手3回、そして最高勝率のタイトルも8回獲得。
レジェンドと呼ぶに相応しい実績ですが、中でも目立つのは「最速記録」の数々です。
SG初出場 | デビュー1年(1982年住之江笹川賞) |
G1初優勝 | デビュー1年2ヵ月(1982年丸亀周年) |
SG最年少優勝 | 22歳(1984年浜名湖笹川賞) ※後に服部幸男が更新 |
年間獲得賞金1億円到達 | 5月18日(2004年) |
デビュー1年目で「SG初出場」というのは、現在の競艇界においてほぼ不可能な記録といって良いでしょう。さらに、5月時点で獲得賞金を1億円の大台に乗せた2004年。
- 1月:下関一般戦
- 1月:唐津G1(全日本王者決定戦)
- 3月:福岡SG総理大臣杯
- 5月:徳山一般戦
- 5月:蒲郡G1(49周年記念)
1~5月の間に上記の優勝を成し遂げ、史上最速で1億円を稼ぎ出した化物。また、その後もG1含む8勝を挙げ、約1憶8,000万円の賞金を獲得しています。
全速ターン「ツケマイ」の先駆者
若手時代、今村豊が外からでも1着を量産できた理由は、養成所時代から山ほど練習を重ねた「全速ターン」あってこそ。
1980年代以前は正座したまま回る「地蔵ターン」の時代。そんな中、今村だけは遠心力に負けない姿勢のまま握って旋回し、1マークで他の選手を圧倒しました。
外から全速で回って内側艇の勢いを押さえ込む技術は「ツケマイ」と呼ばれるようになり、公式の決まり手に採用された時期でもあります。
本栖湖で何度も転覆しながら習得した全速ターンは、競艇に大きな革命を起こす走法だったのです。
デビュー2期目から引退までA1級を維持
今村豊が最下級(当時はC級)で過ごしたのはデビュー期のみ。
史上3人目となるデビュー期勝率6点台の記録を残すと、2期目からA級に昇格。新人にしてトップレーサーたちとの戦いなりますが、勝率は落ちることなく上昇を続けます。
そして、1998年は自己ベストとなる年間勝率8.99を記録し、2020年5月には「A級78期連続在籍」となり従来の記録を更新。
現在の審査基準に当てはめても、今村豊はデビューから引退までA1級ボーダーの水準で結果を残し続けたことになります。
SGダービーで最多の優勝3回
「グランプリはお祭り。本当の日本一を決めるのはダービー」というのが今村豊の考え。
現役時代から勝率には強い拘りを持ち、勝率を基準に選出されるダービーに勝つことこそが真のNo.1だと話しています。
全日本選手権の初制覇は1987年の平和島。さらに、翌1988年の多摩川、1990年の戸田で優勝を飾り、正真正銘の“トップレーサー”に君臨したのです。
生涯獲得賞金は全体2位の29億円
順位 | 選手名 | 生涯獲得賞金(SG優勝) |
---|---|---|
1位 | 松井繁 | 40億1150万円 |
2位 | 今村豊 | 29憶4144万円 |
3位 | 今垣光太郎 | 26億2350万円 |
4位 | 山崎智也 | 25憶9690万円 |
5位 | 瓜生正義 | 25憶8840万円 |
6位 | 濱野谷憲吾 | 24億7630万円 |
7位 | 太田和美 | 23億2613万円 |
8位 | 植木通彦 | 22億6186万円 |
9位 | 田中信一郎 | 21億6530万円 |
10位 | 池田浩二 | 21億3755万円 |
11位 | 服部幸男 | 20憶4571万円 |
2023年11月現在、生涯獲得賞金ランキングは上記の通り。
今村豊は29億円、松井繁に次ぐ2位。金額においては松井繁が圧倒しています。ただ、このランキングがそのまま最強の序列であるとは言い切れない理由が3つ。
- 昔はSGレースが少なかった(グラチャン、オーシャンカップ、チャレンジカップは1991年以降に新設)
- SG優勝賞金が現在より低い(ダービーの優勝賞金が4000万円になったのは1996年)
- 昔はグランプリがなかった(第1回は1986年。当時の優勝賞金はダービーより低い3000万円)
今村本人も「若い頃は賞金王決定戦がなかったから」と話しています。
余談ですが、今より税率が高かった時代。「いくら稼いでも翌年の税金が怖かったのでもっと勝たなければ」という思いで走っていたとか。全盛期が現代だったら松井を超えていたかも。
今村豊の引退理由
2020年10月、60歳を前にして今村豊は現役生活に別れを告げました。
前年(2019年)にダービーの連続出場が18回で途切れたこと。また、40代から体の衰えでモチベーションも低下。それらが引退を決意した理由だったのでしょう。
引退理由について、記者の質問に対して以下のように回答しています。
- ダービーの連続出場が途切れた時は?
-
正直言って、最近は力も落ちていた。出たいという気持ちはあったが、出れなかったことに関してはどうのこうの言う気持ちはなかった。
- 近い関係の人間に引退を伝えたタイミングは?
-
以前から体重で苦労していたことは妻に伝えていて、体重が変わったら辞めるかもと話していた。ただ、正式に辞めると言ったのは、最後の徳山の前検2日前ぐらい。弟子の白井英治と寺田祥には4日目に伝えた。
- A1級を維持できた理由は?
-
何なんでしょうかね。自分でも理由は分からないけど、デビュー時から練習に励み、練習に終わっていうぐらい舟に乗っていた。練習量に限っては誰にも負けない自負がある。
- 昔と今、競艇界で変わったことは?
-
39年前にデビューして、現在となれば何もかも変わっている。だから何が変わったというより全て変わったと思う。変わってないのは3周ぐらい(笑)
記者会見を終え、最後の挨拶では…
全国のファンの皆様、長い間応援して下さりありがとうございます。悔いのない辞め方をしているので、残念がらないでほしいと思います。
「太れない体質」最低体重ルールが足枷に
現役時代の今村豊は「40kg台前半」で走っていたこともあります。練習すれば自然と体重が落ちる体質であったことから、他選手よりも軽くアドバンテージが得られていました。
しかし、過度な減量への配慮から「最低体重(当時は男子51kg)」が導入。このルール改正により、少なからず優位性が低下することに。
レースでは最低体重との差を埋めるため重り付きのベストを着用しなければならず、太れない体質の今村にとっては相当辛かったはず。
そして、2020年11月の最低体重引き上げで「これ以上は厳しい」と感じたそうです。
寺田千恵に怒られた「夜食のカップラーメン」
現役時代「増量できないこと」に苦しんだ今村豊。
体重を増やすにはとにかく食べるしかなかったといい、開催中は夜食にカップラーメンを食べていたこともありました。
しかし、それを見つけた後輩の寺田千恵から「そんなのばかり食べてちゃダメ」と一喝。「寺田が握ってくれたおむすびが一番美味しかった」というエピソードをインタビューで話しています。
「メニエール病」との闘い
全盛期以降の今村豊を苦しめたのが「メニエール病」でした。
メニエール病とは、耳の中のリンパ液が過剰に出てしまい、激しいめまいや耳鳴りなどの症状を引き起こす難病。競艇との関連は不明ですが、疲労やストレスなどが原因と言われています。
30代後半以降、症状の悪化で体調を崩すことも多く、前検不合格や途中帰郷もしばしば。1999年のSGメモリアルでは、初日ドリーム戦のメンバーに選ばれながら欠場したこともありました。
医師からは「選手を辞めないと治らない」と宣告されたほど症状は重たかったようです。
ライストランは地元徳山G1
今村豊のラストランは、2020年9月28日に徳山で開催されたG1ダイヤモンドカップ。
奥さんとお母さんには前検日前に「次の徳山で辞める」と告げ、開催中の宿舎で同部屋だった白井英治と寺田祥には4日目に引退すると事前に告知。
公に明かされる1日前であったため、2人は最終日に最後の足合わせを行うことができたのです。
最終日のレースは5コースから5着。着順を度外視して「正常にスタートして正常にゴールすることだけを考えて走った」と会見で話しています。
今村豊が育てた4人の弟子
今村豊が育てた弟子は4人。2022年の賞金王「白井英治」は有名ですが、若い世代にも実は弟子だった選手が数名います。
師匠の夢を叶えた白井英治
数々のタイトルを獲得した今村豊ですが、グランプリだけは勝つことができず。
しかし、2022年の大村グランプリを制し、師匠が果たせなかった夢を達成した白井英治。黄金のヘルメットを師匠にかぶせ、今村氏が号泣したシーンは感慨深い物でした。
お互いの自宅はすぐ傍で、プライベートでも親交の深い2人。引退した今、親友のような関係なのかもしれません。
今村豊の一番弟子「柳瀬興志」
今村豊の一番弟子は73期の「柳瀬興志」。
持ちペラだった頃には、師匠の今村自身がプロペラを叩いてレースに持たせていたらしい。息子「柳瀬幹太」も124期で活躍中です。
2022年に3勝を挙げた「末永祐輝」
事故なくクリーンなレースをするところに惹かれ、今村豊に弟子入りした101期の「末永祐輝」。
停滞気味だった調子は上向いており、2023年後期に4期ぶりのA1級復帰を果たしています。重賞レースの出場予定もあるので、今後の活躍に期待しましょう。
父親が知り合いの「末武里奈子」
福岡支部の「末武里奈子」。山口出身であることと、父親が今村豊と知り合いであることを理由に弟子入りを志願。
師匠譲りの全速ターンを磨いていた中、指の怪我で2022年4月の平和島から欠場中。4期通算のリミットが近づいているだけに心配です。
「丘の上でも一流であれ」今村豊の流儀
今村豊は弟子だけでなく、全ての現役選手やこれからレーサーを目指す若者に向けて金言も多数残しています。
ただ強いだけではなく、周りからも一流と認められなければならない。この心構えは、頭ひとつ抜けた存在になっても、潰されることなく活躍を続けられた理由だったのでしょう。
出る杭を打たれない努力
デビュー1年でSG初出場を果たした今村豊。当然ながら、周りの先輩たちからは「出る杭」として見られていたはず。
昔は威厳ある職人肌のレーサーが多かった時代ですが、誰にもケチをつけられない振る舞いを心掛け、出る杭を打たれないようにしていたといいます。
挨拶などの礼儀はもちろん、宿舎では風呂場やトイレのスリッパを並べるなど、人がやらないことを率先して行う。
「天狗にならず、周りに何も言わせない」。この2つを実践したおかげで、先輩レーサーには可愛がってもらえたと話しています。
各場で欠かさなかった挨拶と会話
「技術だけが稼ぎの差ではない。稼ぐ選手は水面以外の動きも良い。」
この考え方も、幾多の経験を重ねてきた今村豊ならではの言葉だと思います。
選手は全国の競艇場に足を運びますが、レースに参加時・帰宅時には施行者をはじめ、関係者や選手への挨拶を欠かす行っていたようです。
危ないレースはやらない
記念G1の開催で艇をぶつけてきた選手に対し、レース終了後「そんなことせんでも勝てたやろ」と説教することも。
命懸けの戦いではあるものの。事故を起こさないクリーンな戦い方。
危ないレースをしなくても勝てるなら、やらない方がいい。「横綱なら横綱らしく」堂々と受けて立ち、危険な走りは絶対にしない。それこそ、現役時代に貫いた今村豊のポリシーです。
今村豊の現在
今村豊は競艇の歴史を変えた大功労者。それゆえに、水面を離れてもさまざまな形で競艇を盛り上げています。
「BOATRACE殿堂」第1号に認定
ボートレース業界の発展に貢献したレーサーを対象に表彰される「BOATRACE殿堂」。今村豊はこの殿堂入り第1号のレーサーに選ばれました。
過去にも名レーサーは沢山いましたが、殿堂入りに最もふさわしい存在でしょう。この選出に不満を漏らす競艇ファンは1人もいないはず。
艇王「植木通彦」と番組に出演
引退後は各競艇場のトークショーやイベントに引っぱりダコ。YouTubeでも艇王「植木通彦」さんと生配信に出演しています。
お互い頂点に君臨したレジェンド。その2人が出演するとなれば、優れたコンテンツになるのは間違いなし!
地元徳山で冠番組のMCを担当
地元徳山のモーニング開催でゲストとして参加。それ以上に驚いたのが、自らがMCを務める「今村豊の周南ぶらぶら」。徳山競艇場がある山口県周南市を散策する番組となっています。
後輩レーサーをゲストに招く回もあり、山口支部の「清水愛海」らが登場。
清水にとっては同じ支部の大先輩。食事もそっちのけで後輩に熱心なアドバイスを送る今村豊の姿に、地元選手への愛を感じることができます。
まとめ
「天才ではない。他の人よりちょっと多く努力をしただけ」と本人が語る通り、今村豊のハンドル捌きは日々の鍛錬を積み重ねた賜物。
若手時代から練習に明け暮れ「もう燃料がないからやめて」とレース場の人に懇願されたことも。「いかに速く走るか」を研究し続け、妥協なき姿こそが「ミスター競艇」と呼ばれる所以でしょう。
そして、この精神が次の世代にも受け継がれていることは、愛弟子の白井英治が2022年グランプリで証明しました。
誰からも認められ、愛されたレーサーのお手本である今村豊の哲学が、若手選手たちに良い影響を与えることを期待したいですね!
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