2025年3月1日、現役最年長(77歳)の鉄人が死去。
現時点で死因は公表されていないが、息を引き取る数日前までレースに出場していた。
2025年1月8日、オフィシャルサイトで令和6年優秀選手が発表され、以下の理由から特別賞に選ばれた。
業界初となる喜寿を迎えた現役最高齢選手で、自身の持つ最年長勝利記録を更新し続けるなど、長きにわたりボートレース業界に貢献した
現役生活60年、77歳でこの世を去った「高塚清一」。
競艇界の歴代最年長記録を更新し続け、昭和・平成・令和と引退することなく、各地の水面でいぶし銀の走りを披露した静岡支部の鉄人です。
勤続年数は現役断トツの60年に達し、走ったレースは13000回以上。選手やファンからは”生きる伝説”として称えられ、最後の最後まで業界を盛り上げてくれました。
そんな高塚清一のキャリアや成績をはじめ、気になる死因について深掘りしていこうと思います。

当記事は死後に更新したものの、なるべく現役当時のままにしてあります。
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高塚清一が死去。死因は病気?
2025年3月3日、モーターボート競走会が以下の訃報を発表しました。
2025年3月1日(土)に、現役ボートレーサー高塚清一(たかつかせいいち)選手が亡くなりました。
同選手は、昭和40年9月27日に第20期生として選手登録され、約60年間の選手生活で、13461走し通算2398勝をあげていました。
あまりにも突然すぎる急死。直前に体調を崩していたならまだ分かりますが、高塚清一さんはつい先日の2月27日までレースに出走していたので…
こうした状況から、死因は何なのか?といった声が多数挙がっています。
死因について公式発表はなし


2025年3月現在、本人の家族およびオフィシャルサイトにて、死因に関する発表はなされていません。
そのうえで、ここから話すことはあくまで個人的な見解ですが…
高塚清一さんが死に至ったのは「脳梗塞・心不全などによる急死」ではないかと。
というのも、2月27日まで多摩川の水面を走っていて、少なくとも同日までは元気な姿を披露していました。しかし、亡くなったのはその2日後。持病やレースによる影響ではないと推察されます。
SNSに投稿されたファンの声



何十億稼ごうと、いくつタイトルを取ろうと、真の最強レーサーは高塚清一さんです



優秀選手の時のインタビューの時にあと何年とかじゃなくあと何ヶ月って言いよったのは何か病気があったからなのかな?



高塚清一御大を「ボートレーサー」て言って欲しくないわ
「競艇選手」よ



突然の訃報に悲しみが溢れています。貴方は私の尊敬でしかありません。私が生きてる限り語り続けることでしょう。



ぜひ「高塚清一杯」もしくは「高塚清一記念」を開催していただきたいです。ボートレーサー最年長であり、常に全力で走っていた高塚清一選手の功績は偉大です。引退式も無いままでは我々ボートレースファンの気持ちも収まりません。
ボートレースファンの皆さん、いや”競艇好き”の皆さんが、高塚先生をいかに尊敬していたか。投稿を見ているとそのことが痛いほど伝わってきます。
高塚清一こそまさしくレジェンド!突然亡くなったのは悔やまれますが、あなたの生き様を忘れず、これからも競艇と共に生きていくつもりです。
現役生活60年間、本当にお疲れさまでした。心よりご冥福をお祈りいたします。
高塚清一(たかつかせいいち)とは?
高塚清一は静岡県磐田市、静岡支部のボートレーサー。戦後間もない昭和22年(1947年)に生まれ、現在も出身地の磐田市に在住。
同期(20期)には瓜生正義の師匠「古賀武日児」や、2000勝レーサー「平野小六」といった名選手たち。
高塚清一の公式プロフィール
公式画像 | ![]() ![]() |
名前 | 高塚清一(たかつかせいいち) |
登録番号 | 2014(20期) |
生年月日 | 1947年3月7日 |
身長/体重 | 164cm/54kg |
出身/所属 | 静岡県/静岡支部 |
デビュー日 | 1965年11月 |
高塚清一の出場歴や期別成績は、艇国データバンクでご確認ください。
競艇選手を目指したきっかけ


競艇の道を志したのは高校生の頃。父親に連れられて観戦した浜名湖のレースがきっかけとなり、実際に選手たちの姿を見て「自分ならもっと上手に操縦できるんじゃないか」と思ったらしい。
競艇選手に対する憧れはなく「俺のほうが勝てる」と感じてすぐに高校中退。養成所試験を一発で合格すると、18歳の秋にデビューを果たします。
現役最年長ボートレーサー


2015年5月、加藤俊二(埼玉・5期)が引退したことで現役最年長レーサーとなった高塚清一。
そして、亡くなる前の2025年2月時点で、登録番号2000番台の現役選手は高塚を含めて以下の3人。同時に65歳以上のレーサーも同じ顔ぶれです。
名前(年齢) | 登録番号 | 生年月日 |
---|---|---|
高塚清一(77歳) | 2014(20期) | 1947/3/7 |
高橋二朗(75歳) | 2538(32期) | 1949/4/26 |
富山弘幸(65歳) | 2878(43期) | 1958/6/21 |
平均引退年齢が46歳といわれている競艇の世界。そんな中、70代後半になっても現役レーサーを続けたフィジカルとメンタル。”凄すぎる”としか言いようがありません!



24年6月、新良一規さんが引退しちゃいましたね。長い競艇人生、本当にお疲れ様でした。
高塚清一の弟子は?
高塚清一はキャリアを通して弟子を取ったことがないと言われており、これまで師弟関係の情報は確認されていません。
とはいえ、90人近い選手が所属する大所帯の静岡支部。多くの選手が高塚を慕い、師匠のような存在であることは間違いないでしょう。



私のような後輩相手にも直立不動で話してくれる
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宿舎で愚痴を聞いたことがない。僕も高塚さんのような人間になりたい
2007年に引退した植木通彦氏をはじめ、同支部の後輩レーサー笠原亮など、数多くの選手からリスペクトの言葉が発せられています。


高塚清一の競争成績
高塚清一の凄さが分かる過去の成績を紹介します。
ただし、デビューした1965年はインターネットが普及していない時代。その為、全記録を遡ることはできませんが、可能な限り調べ尽くしたつもりです。
高塚清一のデビューと初優勝


1965年の秋に養成所を卒業し、11月に地元の浜名湖競艇場でデビュー。ウィキペディアによると、デビュー節で初勝利を挙げたとされています。
初優勝は1967年11月の桐生一般戦。デビューから僅か2年で初優勝(水神祭)を達成しており、実力のある新人であったことは間違いないでしょう。
ちなみに、本栖研修所が設置されたのは1966年。それまでは地域ごとに養成機関があったので、高塚清一は浜名湖が管轄する養成所で訓練を受けたと思われます。


通算勝利数・優勝回数・生涯獲得賞金
通算勝利数は約2398回で、節目となる2000勝は2007年に達成。
通算優勝回数は47回。直近3回のVは2013年1月の常滑(4コース・抜き)、2004年4月の多摩川(5コース・まくり差し)、1999年12月の江戸川(4コース・まくり差し)。
気になる生涯獲得賞金ですが、残念ながら正確な数字は公開されていませんでした。



ビッグタイトルがないことを考えると、推定5億円程度の賞金ではないかと。
高塚清一の年収(直近10年の獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2025年 | 152万円 | 1347位 |
2024年 | 892万円 | 1378位 |
2023年 | 1,273万円 | 1097位 |
2022年 | 1,262万円 | 1065位 |
2021年 | 1,237万円 | 1002位 |
2020年 | 1,191万円 | 996位 |
2019年 | 1,206万円 | 929位 |
2018年 | 1,120万円 | 978位 |
2017年 | 1,047万円 | 1050位 |
2016年 | 1,196万円 | 781位 |
2015年 | 1,235万円 | 728位 |
2014年 | 1,403万円 | 679位 |
直近10年は1,200万円前後を推移していましたが、2024年は900万円を割り込んでいます。
ボートレーサーの平均年収(1800万円)には届いてません。ただ、70代の後期高齢者として見ればかなりの高年収といって良いでしょう。


SG・G1など重賞レースの実績は?
A1級レーサーだった頃にSGは何度か出場していますが、SG制覇は一度も達成できていません。
G1についても地元記念や地区選が中心。2000年に新設されたG1競艇名人戦(マスターズチャンピオン)には7回出場し、第2回に準優進出を果たした以外はすべて予選落ちとなっています。
最年長勝利記録、最年長優出記録の保持者
高塚清一の歴代記録は「最年長勝利記録」と「最年長優出記録」の2つ。
最年長勝利記録(77歳10ヵ月19日)
最年長勝利記録は、2025年1月25日の平和島一般戦。
1コースからコンマ18のトップスタートを決め、そのままイン速攻を決めて1着。A1級レーサーもいる中、人気に応えて自身が持つ最年長勝利記録を更新しました。
最年長優出記録(76歳0ヵ月)
最年長優出記録は、2023年3月の浜名湖一般戦。
予選で5回舟券に絡む活躍を見せ、準優も2コースから粘りの走りで2着。注目された優勝戦は4着に敗れ、加藤峻二が持つ最年長優勝記録(71歳2ヵ月)は達成できず。
しかし、自らが持つ最年長優出記録(75歳6ヵ月)の塗り替えを達成しています。
亡くなる前の「引退の噂」について
本人が口にした「引退」についての発言や、ボート界における代謝制度(4期通算)の現状を解説します。
「引退」について語ったコメント


高塚清一に対する大きな関心事の一つが「引退時期」。2015年某日、ボートレース常滑の取材で本人の口から以下のように回答しています。
退職用紙を貰いに行ったこともあったけど、自分の中で何歳までということはないかな。でも、いつ辞めてもおかしくないよ。僕はSGを何度も獲ったわけじゃないし。植木くんみたいに4つも5つも獲って早く辞めたかったよ(笑)
引退時期については明言しておらず、現役を続けられる限り続ける。といった意図だったのかもしれません。



植木氏のように輝かしい実績はなくても、継続することの凄さを痛感させられる。
4期通算でクビの可能性はあった?
年 | 期 | 出走数 | 勝率 |
---|---|---|---|
2021年 | 前期 | 110回 | 4.74 |
後期 | 109回 | 4.73 | |
2022年 | 前期 | 99回 | 4.40 |
後期 | 111回 | 4.82 | |
2023年 | 前期 | 92回 | 4.61 |
後期 | 110回 | 4.42 | |
2024年 | 前期 | 104回 | 3.93 |
後期 | 101回 | 4.09 | |
2025年 | 前期 | 82回 | 3.80 |
競艇界には強制的にクビとなる「4期通算」というルールがあります。
一般的に知られているのは、4期の通算勝率が連続で3.80未満だった選手の引退勧告。ただし、このルールは登録33年未満の選手が対象。
高塚清一のように登録33年を過ぎたベテラン選手は、4期通算勝率が「4.80未満」に上がります。
このルールをもとに高塚さんの成績を確認すると、4.80を超えているのは2022年後期のみ。それ以外の期はいずれも基準値を下回っている状況でした。
とはいえ、近年はデビューしたての新人をカウントしていなかったので、現役を続行していてもクビの可能性は低かったと思われます。



4期通算を詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。


高塚清一の父親・嫁などプライベート情報
戦後間もない時代に生まれ、競艇の黎明期から現役で活躍してきた高塚清一。はたして、水面外ではどのような人生を歩んできたのか?
父親は元競輪選手
選手名までは分かりませんが、高塚清一の父はかつて競輪界で活躍したプロ選手。幼少期から父の仕事を見てきたこともあり、公営競技には馴染みがあったのでしょう。
競艇と出会った浜名湖のレース観戦も父に連れられたのがきっかけ。種目は違うものの、親子で公営競技レーサーとなったわけです。
若さの秘訣は「女房と酒飲んで寝ること」
過去の発言などから、高塚清一に奥様がいることは明らかとなっています。
平和島で現役最年長勝利記録を更新した時のインタビューでは、若さの秘訣について「女房と酒飲んで寝ること」と冗談交じりにコメント。
ボートレーサーは1ヵ月の半分も家を空ける職業。家族からの理解は不可欠となるため、奥様の献身的な支えがあってこそ継続できたのかもしれません。
それにしても、高塚さんの言葉には重みがあるw
体力維持のため運動は欠かさない


身体の鍛え方が”年齢に相応しくない”といった声も。
「宿舎ではいつもカラダを動かしている」と証言したのは、同支部の後輩レーサー笠原亮。
また、元レーサーの野添貴裕氏も「開催が終わった次の日に登山に行ったりする」とYouTubeチャンネルで驚きの逸話を暴露していました。
一般的に70代は足腰が衰え始めるお年頃なので、若者と一緒に戦っていること自体まさに奇跡。先100年、高塚さんのような選手は現れない可能性が高そう。
まとめ
70代後半にしてレースへ出場し続けたスーパーレジェンド「高塚清一」。
競艇が始まった初期の頃から第一線で活躍し、大きな怪我をすることなく約60年間も現役続行。また、当分更新されないであろう「最年長勝利記録・最年長優出記録」を更新。
グランプリ覇者より、ファン投票1位の人気選手より、高塚清一という競艇選手が成し得た功績は格が違います。
この先、見れなくなるのは非常に残念ですが、たまに過去のレース映像を見ながら酒でも飲みたいと思います。
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