2024年8月10日、角田大河騎手が21歳という若さで亡くなった。
死因については公表されていない。ただ、自宅ちかくで起こった電車の人身事故が関わっていると見られ、飛び込み自殺で死亡した情報が拡散されている。
また、2023年5月にスマホ持込みで騎乗停止処分。さらに、今月1日にも函館競馬場内に自動車で侵入し、重たい処分が下される予定だった。
<追記>
9月23日、同乗者への事情聴取が行われ「自主的に乗車はしておらず制止できる状況になかった」と証言。JRAは過失が小さいとし、厳重注意の処分に留めた。
公営競技の中では比較的”死亡リスクが低い”と言われている競馬ですが、それでも落馬が原因で亡くなった方は大勢います。その実態を知らない競馬ファンも多いはず。
そこで今回は、落馬した騎手に対して「非情な声」が発せられないためにも、過去に起きた死亡事故を紹介させていただきます。
記事後半に”事故レース”を載せているので、気分を害されたくない方は途中で離脱してください。
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競馬の死亡事故について
レース中および調教中に発生した死亡事故と、一命は取り留めたものの引退を余儀なくされた落馬事故一覧を紹介します。
競馬の死亡事故一覧
殉職者 | 事故年 | 享年 | 事故現場 |
---|---|---|---|
藤岡康太 | 2024年 | 35歳 | JRA(阪神) |
塚本雄大 | 2024年 | 25歳 | 地方(高知) |
柳田泰己 | 2022年 | 28歳 | ニュージーランド |
後藤浩輝 | 2012年 | 40歳 | JRA(東京) |
本多正賢 | 2011年 | 30歳 | 地方(川崎) |
佐藤隆 | 2006年 | 49歳 | 地方(浦和) |
竹本貴志 | 2004年 | 20歳 | JRA(中山) |
松井達也 | 2000年 | 35歳 | 地方(浦和) |
岡潤一郎 | 1993年 | 24歳 | JRA(京都) |
玉ノ井健志 | 1992年 | 20歳 | JRA(中山) |
藤井勝也 | 1990年 | 不明 | 地方(福山) |
斎藤仁作 | 1987年 | 不明 | JRA(東京) |
町屋幸二 | 1978年 | 不明 | JRA(新潟) |
佐藤政男 | 1977年 | 不明 | JRA(東京) |
坂本恒三 | 1977年 | 不明 | JRA(函館) |
松若勲 | 1977年 | 33歳 | JRA(京都) |
秋元松雄 | 1976年 | 不明 | JRA(中京) |
小泉明東 | 1969年 | 不明 | JRA(東京) |
小野定夫 | 1969年 | 35歳 | JRA(中京) |
石井正善 | 1969年 | 22歳 | JRA(阪神) |
志村功 | 1964年 | 不明 | JRA(中京) |
菅村恭一 | 1961年 | 不明 | JRA(阪神) |
柴田富夫 | 1960年 | 不明 | JRA(東京) |
茂木光男 | 1960年 | 22歳 | JRA(中山) |
目時重男 | 1960年 | 34歳 | JRA(中山) |
近藤武夫 | 1960年 | 38歳 | JRA(阪神) |
矢倉義勇 | 1959年 | 26歳 | JRA(東京) |
西橋康郎 | 1955年 | 19歳 | JRA(京都) |
若松幸治 | 1955年 | 不明 | JRA(小倉) |
大柳英雄 | 1955年 | 21歳 | JRA(阪神) |
鳥谷部実 | 1955年 | 不明 | JRA(中山) |
横山靖 | 1953年 | 33歳 | 国営(小倉) |
田畑志郎 | 1953年 | 不明 | 国営(東京) |
谷岡敏行 | 1953年 | 31歳 | 国営(阪神) |
吉田昌祐 | 1949年 | 不明 | 国営(東京) |
岩瀬三郎 | 1948年 | 不明 | 日本競馬(東京) |
武富三 | 1944年 | 不明 | 日本競馬(東京) |
村口繁一 | 1942年 | 不明 | 日本競馬(阪神) |
吉田弘 | 1940年 | 不明 | 日本競馬(小倉) |
茂木勢一 | 1938年 | 不明 | 日本競馬(中山) |
加藤義雄 | 1933年 | 不明 | 日本レース(横浜) |
2015年に亡くなった「後藤浩輝」元騎手の死因は、落馬ではなく”自殺”となります。
2012年5月のNHKマイルカップ、同年9月の中山第3レースで落馬し重症。2013年に復帰を果たしますが、2014年東京第10レースで再び落馬。約半年後に復帰を果たすも、怪我を苦に自ら命を絶ちました。
団体別の殉職者数
- 中央競馬:25名
- 地方競馬:5名
- 国営・日本競馬:10名
- その他:1名
日本レース・日本競馬会・国営競馬について補足しておくと…
1937年に日本競馬会が設立。しかし、GHQの占領下となった敗戦後、1948年に日本競馬会が解体命令の対象となり、緊急で法律を作って国営競馬として国が主催するように。その後、1957年に日本中央競馬会法が公布され、現在の中央競馬(JRA)が誕生しました。
ちなみに、日本にある2つの団体(中央・地方)が属する競馬場は以下の通り。
中央競馬(10場) | 札幌・函館・福島・新潟・中山・東京・中京・京都・阪神・小倉 |
地方競馬(15場) | 帯広・門別・盛岡・水沢・浦和・船橋・大井・川崎・金沢・笠松・名古屋・園田・姫路・高知・佐賀 |
年代別の死亡事故発生件数
- 1930年代:2件
- 1940年代:5件
- 1950年代:8件
- 1960年代:9件
- 1970年代:5件
- 1980年代:1件
- 1990年代:3件
- 2000年代:3件
- 2010年代:2件
- 2020年代:3件
記録を確認できる限りで死亡事故が多いのは、1950年代の8件・1960年代の9件。対して、1980年以降は3件以内に留まっているので、以前と比較すれば減少傾向といって良いでしょう。
ただ、2020年代は既に死亡事故が3件発生。これ以上増えないことを祈る他ありません。
落馬事故で引退した騎手
騎手 | 事故年 | 事故現場 |
---|---|---|
柏木健宏 | 2019年 | 地方(大井) |
鈴木麻優 | 2017年 | 地方(盛岡) |
高嶋活士 | 2015年 | JRA(東京) |
佐藤哲三 | 2012年 | JRA(京都) |
石山繁 | 2007年 | JRA(阪神) |
塚田祥雄 | 2007年 | JRA(函館) |
常石勝義 | 2004年 | JRA(小倉) |
北村卓士 | 1998年 | JRA(新潟) |
北川和典 | 1995年 | JRA(小倉) |
柴田政人 | 1994年 | JRA(東京) |
清水英次 | 1994年 | JRA(阪神) |
坂本敏美 | 1985年 | 地方(名古屋) |
福永洋一 | 1979年 | JRA(阪神) |
角田次男 | 1977年 | 地方(船橋) |
丸目敏栄 | 1971年 | JRA(中山) |
阿部正太郎 | 1956年 | JRA(東京) |
落馬によって現役を続行することができず、事故が原因で引退した騎手の一覧。
ただし、上記以外にも調教中に落馬したり、その他の理由で引退をした騎手および関係者は多数いると思います。
落馬事故はなぜ発生してしまうのか?
競馬の落馬事故について、元騎手で現在東スポの解説者をしている「田原成貴」さんが以下の要因を挙げています。
- 騎乗馬のつまづきや故障
- 騎乗馬の気性
- 騎乗馬が前の馬に乗りかかる
- 他馬による進路妨害
- 他馬の落馬に巻き込まれる
- 鞍ずれ、鐙((あぶみ))が割れる
最高速度60キロメートルに達する競技。そのスピードで落馬した場合、強い衝撃を受けるだけでなく、後続の馬に轢かれてしまうリスクも。
もちろん、落馬時の対応は騎手によって異なるでしょう。しかし、誰一人予期できない出来事であるため、落馬してしまったら無事を祈る他なし。
実際に落馬で重症を負った田原成貴さんはこうも話しています。
多くの場合は心の準備がないまま発生する一瞬の出来事で、落ちた後にどのような結果となるかは結局のところ運任せである。
競馬の騎手とはまさに命と隣り合わせの職業。
また、レースに騎乗すれば馬主やファンのために真剣勝負。そんな中、落馬しないよう注意することはできても、事故を完全に無くすのは不可能なのかもしれません。
殉職した競馬騎手&レース動画
落馬事故で命を落とした競馬騎手を紹介します。
藤岡康太(2024年4月6日)
騎手名 | 藤岡康太(ふじおかこうた) |
生年月日 | 1988年12月19日 |
デビュー戦 | 2007年3月3日 |
引退日(死没) | 2024年4月10日(35歳) |
通算勝利数 | 803勝(中央)・18勝(地方) |
G1・重賞勝利 | 2勝・25勝 |
初騎乗のレースで初勝利(JRA史上42人目)を達成した「藤岡康太」。父親・兄ともに競馬界に属する注目の騎手でしたが、2024年4月の阪神競馬で不慮の事故に見舞われます。
前を走っていた馬に接触し落馬。事故当初”頭部・胸部の負傷”と発表された4日後、意識が回復することなく死去。訃報は翌日に公表されました。
1959年以降にJRAで殉職した騎手は、藤岡康太さんを含めて20名とのこと。
塚本雄大(2024年3月24日)
騎手名 | 塚本雄大(つかもとゆうだい) |
生年月日 | 1998年10月18日 |
デビュー戦 | 2016年4月9日 |
引退日(死没) | 2024年3月24日(25歳) |
通算勝利数 | 318勝(地方) |
G1・重賞勝利 | 0勝・0勝 |
塚本4兄弟として活躍した高知競馬所属の「塚本雄大」。
デビュー当時から優れた才能を発揮した若手のホープ。JRAでも3着以内に入るなど好成績を収めていた中、命を落とす落馬事故が起きたのは2024年3月の高知第10レース。
大雨による馬場不良も影響したのか、3コーナー付近でバランスを崩し落馬。さらに、後続の馬群に巻き込まれる大惨事となり、この時点で既に意識不明の状態だったらしい。
すぐさま最寄りの病院へ緊急搬送されましたが、同日中(3月24日)に息を引き取りました。
高知競馬では初となった死亡事故です。
柳田泰己(2022年8月3日)
騎手名 | 柳田泰己(やなぎだたいき) |
生年月日 | 1993年11月2日 |
デビュー戦 | 2017年12月 |
引退日(死没) | 2022年8月9日(28歳) |
通算勝利数 | 162勝 |
G1・重賞勝利 | 0勝・2勝 |
ニュージーランドの北島マタマタにある厩舎で働いた後、2017年12月にデビューした「柳田泰己」。
大躍進となった2021年度は年間42勝を挙げ、同年1月に開催されたG2ウェストバリークラシックでは自身初の重賞制覇を達成。
順風満帆かと思われた2022年8月3日のケンブリッジジョッキークラブ第9レース。
最終コーナーを回った直線で落馬。その際、ヘルメットが外れる不運が重なってしまい、全身の骨折や頸椎損傷、さらには頭部の内出血などで意識不明に。
ワイカト病院に緊急搬送され処置を受けますが、意識が回復することなく、8月9日に28歳という若さで死亡。
竹本貴志(2004年3月28日)
騎手名 | 竹本貴志(たけもとたかし) |
生年月日 | 1983年11月4日 |
デビュー戦 | 2004年3月6日 |
引退日(死没) | 2004年4月2日(20歳) |
通算勝利数 | 1勝(中央) |
G1・重賞勝利 | 0勝・0勝 |
2004年にデビューを果たした元JRA所属(18期生)の「竹本貴志」。
2002年に競馬学校を卒業するも騎手免許試験で不合格。翌年の試験は骨折して欠席。3度目に挑んだ試験で合格し、ようやくデビューを果たしています。
初騎乗は2004年3月21日の障害競走。それから僅か1週間後の28日、中山第5レースの障害にて落馬。その際、頭部を強打したことで意識不明となり、脳挫傷およびびまん性脳損傷と診断されます。
意識が戻らないまま5日が経過した4月2日、20歳という若さで天国に旅立ちました。
岡潤一郎(1993年1月30日)
騎手名 | 岡潤一郎(おかじゅんいちろう) |
生年月日 | 1968年12月7日 |
デビュー戦 | 1988年3月5日 |
引退日(死没) | 1993年2月16日(24歳) |
通算勝利数 | 225勝(中央) |
G1・重賞勝利 | 1勝・5勝 |
デビュー年となった1988年に44勝を挙げ、最優秀新人賞に輝いた「岡潤一郎」。
翌年も圧巻の実力を発揮し、1989年中盤には5連続騎乗勝利を達成。G1勝利はエリザベス女王杯のみですが、短い騎手人生における通算勝利数は225勝。
死後に「武豊のライバルに成り得る騎手だった」と評価されている通り、ビッグレースで活躍する騎手になっていたはずです。
その未来を消し去った落馬事故は、1993年1月30日の京都第7レース。
左後脚を故障したオギジーニアスの転倒と共に岡潤一郎も落馬。また、ヘルメットが外れた状態で頭部を強打したうえ、後続馬からも惹かれる最悪の事態。
外傷性くも膜下出血、頭蓋骨骨折、脳挫傷、脳内出血で意識不明に陥ります。その後、肺炎を併発していまい、2月16日に24歳でお亡くなりになりました。
まとめ
今回の記事で「落馬事故で殉職した騎手」を調べた際、思っている以上に多かったのが本音。
以前なら落馬した騎手に対し「なにやってんだ」と怒りの感情を抱いていましたが、まさかこれほど亡くなっていたとは…。深く反省しています。
今後は騎手へのリスペクトを忘れず、競馬を楽しんでいくつもりです。
コメントお待ちしてます!