グランプリトライアル2ndの初戦、馬場貴也の転覆に巻き込まれて転覆。また、出場予定だった2日目11R、発熱のため欠場・途中帰郷となった。発熱の原因は不明。
三国開催のG1北陸艇王決戦において、約2年ぶりのG1優勝を達成。
艇界を代表するトップレーサー「中島孝平」。
本栖研修所(現ボートレーサー養成所)を卒業後、デビュー1年足らずでA級昇格。2年目には初優勝を達成し、ルーキーとは思えない実績を積み上げていきます。
そして、今現在もSGの顔としてトップ層で活躍。通算優勝回数は60回を超え、2度目のプランプリ制覇および賞金王が期待される存在です。
そんな中島孝平について、これまでに残した輝かしい競争成績をはじめ、パーソナルな部分も合わせて紹介していきます。
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中島孝平とは?
中島孝平は、福井県坂井市出身のボートレーサー。
84期生として本栖研修所に入所。1999年5月にデビューを果たし、2002年度の最優秀新人選手に選出されます。
その後も勝率を伸ばしていき、2007年にG1初優勝、2010年にはSGグランプリ制覇&賞金王を獲得。さらに、当時史上5人目となるG1完全優勝や、3連対連続記録の歴代1位記録を保持するトップレーサーです。
実績が凄すぎて紹介しきれないので、後ほど詳しく解説させてもらいます。
中島孝平の公式プロフィール
公式画像 | |
名前 | 中島孝平(なかじまこうへい) |
登録番号 | 4013(84期) |
生年月日 | 1979年11月8日 |
身長/体重 | 160㎝/51㎏ |
出身/所属 | 福井県/福井支部 |
デビュー日 | 1999年5月12日 |
中島孝平の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご確認ください。
卒業した中学校・高校はどこ?
中島孝平の出身校は、中学が「坂井市立三国中学校」、高校が「福井県立三国高等学校」。いずれも地元(福井県坂井市)の学校に進学しています。
中には”スポーツ推薦”で入所する選手もいますが、中島孝平にそういった情報はありません。在学中に所属していた部活に関しても不明です。
同期(84期)の主な選手
84期といえば「笠原亮」も艇界を代表する選手。2005年にSG初出場となった総理大臣杯(クラシック)で優勝し、当時はシンデレラボーイと呼ばれていました。
その他、SGモーターボート記念を制した「中村有裕」や、重賞未制覇ながら一般戦で活躍する「古結宏・前野竜一・向井美鈴」らも在籍。
特に注目したいのが「堀之内紀代子」。
2022年に”チルト3度”で話題を集め、デビュー20年を過ぎたあたりからファンの期待が増している女子レーサーです。
師匠は福井市部の「武田光史」
中島孝平の師匠は、同じ福井市部の「武田光史」。
実は、毒島誠の嫁「池田幸美」元選手の師匠でもあり、中島と毒島には嫁&師匠繋がりという意外な接点があります。
それにしても豪華な顔ぶれ!SGレーサー2人に、アイドル的存在だった池田幸美、若手の松村康太と小寺拳人。問題山積みの佐賀支部と違って、福井市部はなんか仲良さそうw
ハンセン病患者などへの寄付活動
中島孝平は本業だけでなく、寄付活動も活発に行っている選手です。
ハンセン病患者および回復支援のため、2011年にグランプリ優勝で得た賞金の一部を寄付。2014年にも東日本大震災の支援でチャリティーオークションに私物を出品。
昨年12月23日、住之江ボートレース場で「第25回賞金王決定戦競走」が行われ、福井県・坂井市出身の中島孝平選手が優勝され、賞金の一部を世界のハンセン病患者・回復者支援のために、ご寄付くださいました。
引用元:笹川保健財団
ボート界には不正受給や八百長をする人間もいれば、中島孝平のように寄付へお金を回す人間もいます。
もちろん、SGなどで結果を残すことが最も重要なことですが、以下の記事に名前が挙がっているような選手を応援したいとは思いません。
中島孝平の年収(獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2024年 | – | – |
2023年 | 75,105,000円 | 21位 |
2022年 | 66,820,000円 | 19位 |
2021年 | 77,763,000円 | 15位 |
2020年 | 42,320,000円 | 74位 |
2019年 | 32,620,000円 | 141位 |
2018年 | 86,562,000円 | 7位 |
2017年 | 50,468,200円 | 27位 |
2016年 | 47,931,000円 | 31位 |
2015年 | 63,740,000円 | 14位 |
2014年 | 44,990,000円 | 33位 |
2013年 | 110,780,000円 | 4位 |
2012年 | 60,900,000円 | 15位 |
2011年 | 45,400,000円 | 31位 |
2010年 | 193,810,000円 | 1位 |
中島孝平の年収(獲得賞金)は上記の通り。
直近10年の賞金は約6000万円を推移。これまで最も稼いだのは2010年の1憶3810万円。グランプリ制覇含む年間8勝を挙げ、初の賞金王を獲得しています。
中島孝平の坊主(脱毛)は病気?
以前から中島孝平を知っている競艇ファンは、容姿の変化に驚いている方も多いはず。突然の坊主は大きな話題となり、中には「中島孝平って病気なの?」と心配する声も。
2018年以降の変化
2018年オールスター出場時の頭皮は、髪の毛がまだフサフサしている状態。
約2年前のオールスター時より若干薄くなっているような。とはいえ、側面はまだまだ残っているように見えます。
長髪にして頭皮が隠れているものの、前年との比較では毛量が大きく減っています。
サイドを刈り上げ、トップだけ残したソフトモヒカン。短髪で頭皮の状態はよく分かりませんが、2ヵ月前のロン毛を卒業したということは…
一見、坊主にも見えますが、通常の坊主は明らかに違います。生えていない部分が所々に見受けられます。
中島孝平の最新ヘアスタイルです。頭皮の変化は分かりませんが、眉毛が無くなっているようにも…。
円形脱毛症の可能性が高そう
変化に気づいた当初は、身体的に影響のある病気を疑いました。
しかし、2023年3月には地元三国でG1優勝を果たし、肉体的な衰えは全く感じさせない走り。また、既に優出5回の活躍を魅せており、心配するような病気を患っているとは思えません。
考えられるのは、髪の毛が抜け落ちてしまう「円形脱毛症」。
円形脱毛症は、広く知られているその名の通り、頭部や眉毛、睫毛、ヒゲなどの体毛が特定の部分だけ抜けてしまう病気です。 決して特殊な病気ではありません。
引用元:すみクリニック
上記解説にある通り、頭髪をはじめ「眉毛」も抜ける病気となります。中島孝平の状態とほぼ合致するため、円形脱毛症である可能性が高そうです。
円形脱毛症は改善する病気ですし、男なら剃ってしまえばなんら問題なし!選手生命に関わる病気でなくて良かった…
中島孝平に嫁・子供はいるの?
具体的な詳細は不明ですが、中島孝平に嫁・子供がいるのは間違いなし。
その証拠に、2019年12月に蒲郡の公式Youtubeチャンネルで配信されたインタビューにて、お子さんがいる旨の発言をしています。
ちなみに、動画で「下の子」という表現を使っていたので、少なくとも子供は2人以上。また、遊ばせる場所から推測して、そこまで大きい子ではないかもしれません。
掲示板サイトの情報によると、結婚時期は「G1初優勝した2007年7月」の前後らしい。
中島孝平のデビューから現在まで
ここからは「中島孝平」がいかに敏腕レーサーなのか?その点について解説していきます。
デビュー期から4点台を残す大型ルーキー
年 | 1着数 | 勝率 | 優出/優勝 |
---|---|---|---|
1999年 | 6回 | 4.41 | 0回/0回 |
2000年 | 23回 | 5.10 | 0回/0回 |
2001年 | 44回 | 6.42 | 6回/1回 |
2002年 | 88回 | 7.07 | 13回/4回 |
1999年5月12日にデビューして以降、2ヵ月も経たないうちに初勝利を挙げ、僅か2年で初優勝を果たした超大型ルーキー。
驚くべきはデビュー年に勝率4点台を残したこと。艇界のスーパースター「峰竜太」でも3点台であり、B1昇格をいとも簡単に成し得ています。
さらに、レースに慣れた2年目から5.10、6.42と伸ばし続け、2002年にはトップレーサの証でもある「7点台」に到達。お世辞抜きで”ヤバすぎる新人”が艇界に舞い降りたのです。
地元三国でG1初優勝(2007年)
2007年7月に地元三国で開催された「G1三国モーターボート大賞」。
一般戦では無類の強さを発揮していましたが、G1で優出できたのは尼崎(2005年)と、三国(2007年)の2回のみ。そんな中、地元で優出2度目となった記念競走。
4日目までほぼオール1着で予選をトップ通過し、準優もトップスタートを決めて優出1号艇を手にします。
迎えた優勝戦。2~4号艇にはレジェンドレーサー「松井繁・池田浩二・服部幸男」。それだけならまだしも、5号艇小畑実成の前づけで進入は深くなり、少しでも出遅れたら食われる一戦。
過酷な状況において、若干27歳の中島孝平はコンマ12のトップスタートを決め、危なげないイン逃げでG1初制覇を達成しました。
当時の松井・池田・服部は”最強”と言われていた時代。今思えば、とんでもない快挙だったと痛感しています。
グランプリ制覇&賞金王獲得(2010年)
中島孝平が艇界の頂点に立った、2010年の住之江SGグランプリ。
2010年は唐津・鳴門で2度のG1優勝、SGでもモーターボート記念、チャレンジカップと優出を果たし、賞金ランキング5位で賞金王決定戦に初選出されます。※グランプリシリーズは過去に3度出場。
トライアル初戦で5着に敗れたものの、残り2走を2着、1着にまとめ、初出場にしてファイナルまで勝ち上がります。
勝てば賞金1億円を獲得できる優勝戦。実際のレース映像は以下をご覧ください。
断トツで人気だったのは、同年のクラシック覇者「濱野谷憲吾」。トライアルでも0台のスタートを決め、ほぼ全てのファンが優勝を予想していましたが…
まさかのドカ遅れ。
お隣の中島にとっては絶好の展開となり、1艇身ほど先行した状態から直まくりを敢行。1マークで石野貴之のまくり差しが入ったようにも見えましたが、何とか振り切って1着でゴール。
この優勝で1億円が上積みされ、年間獲得賞金は1憶9381万円。2位の今垣光太郎に4,000万円差をつけて賞金王に輝きました。
展開に恵まれたとはいえ、2008年以降のSGでは準優12回、優出5回と大暴れ。勝つべくして勝ったと言うべきでしょう。
2度目のSG制覇は2018年オールスター
2010年のグランプリ以降、優出止まりでなかなか勝てない日々が続き、準優・優出に進む回数も激減していきます。
「中島孝平の時代は終わったのか?」そうした声もある中で挑んだ2018年のSGオールスター。
前検でエース級の17号機を引き当て、初日からオール連対でトップ通過。準優のイン戦も難なく逃げ、オールスターでは初の優出を決めます。
0台を連発していた中島は、ここに来てコンマ17の平凡なスタート。一方、ダッシュ勢はコンマ10前半でスリットを通過し、大波乱もあり得る展開に。
しかし、モーターパワーも後押しして伸び返し、1マークでブロックに成功。バックストレッチでは独走状態となり、8年ぶり2度目のSG制覇を成し遂げました。
レース後の優勝インタビューで語った内容。
(道中は)頭の中が真っ白であまり覚えていません。
8年前のSG優勝以降、自分の実力が足りないのは分かっていたので、自分のやることだけをやっていこうと。まぁ、今節は(モーターが良く)楽しました(笑)
(今後の目標は?)グランプリが最終目標ですけど、まずまず一戦一戦大事にいきたい。
沢山の沢山の沢山の投票ありがとうございました。投票してくださった気持ちが力になるので、これからも頑張っていきたいと思います。
SGオールスターで周回誤認により即刻帰郷(2019年)
輝かしい実績を残してきた中島孝平ですが、あってはならない違反行為を犯してしまいます。
2019年SGオールスターの5日目4R。
周回短縮はなく通常通り(3周)の開催のおいて、3周目をゴールと勘違いして減速。この行為が”航法指示違反(周回誤認の疑い)”の判断され、即刻帰郷の処分を受けています。
この違反によって、オーシャンカップ以降のSG競争は選出除外に。その後、2021年のグランドチャンピオンまでSGは出場していません。
この時の中島孝平は別人のよう。舟券に一度も絡まず転覆…。体調不良などの原因があったのかも。
まとめ
最後に、中島孝平が残した記録を時系列で紹介します。
- 2003年:最優秀新人選手に選出
- 2007年:モーターボート記念でG1初優勝
- 2007年:3連対連続記録歴代1位(62連対)
- 2008年:史上5人目(当時)となるG1完全優勝を達成
- 2010年:グランプリ優勝でSG初制覇&賞金王
- 2010年:最優秀・最多賞金獲得・記者大賞を受賞
- 2018年:2度目のSG制覇(オールスター)
ご覧の通り、紛れもなくトップ中のトップ。しかも、未だに実力が衰える気配はなく、最高峰のSGであっても優勝候補に挙がる選手です。
ここ最近の調子は良さそうなので、2度目のグランプリ制覇に期待したいと思います!
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