2024年5月22日の鳴門一般戦において、通算44人目となる2500勝を達成。女子レーサーでは山川美由紀に次ぐ女子史上2人目の快挙。
競艇の女子戦がまだ黎明期だった頃から活躍を続け、35年以上のキャリアを持つベテランレーサー「日高逸子」選手。
2度の出産を経験して母親となり、家族に支えられながら熱い走りを見せています。
その波乱に満ちた人生はNHKなどでも取り上げられ、ファンやマスコミからは「グレートマザー」と呼ばれるようになります。
不遇だった生い立ち、女子の進出に風穴を開け続けた若手時代、相次ぐ同期の死、どん底のF3…。どれだけ試練が訪れてもあきらめず、這い上がってくる日高逸子について全てお話します。
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日高逸子とは?
グレートマザーという異名まで付けられた「日高逸子」とはどんな選手なのか?生い立ちやプロフィールなど、まずは基本的なことから解説していきます。
日高逸子のプロフィール
公式画像 | |
名前 | 日高逸子(ひだかいつこ) |
登録番号 | 3188(56期) |
生年月日 | 1961年10月7日 |
身長/体重 | 154cm/44kg |
血液型 | A型 |
出身/支部 | 宮崎県串間市/福岡支部 |
日高選手は昭和、平成、令和の時代を走り続け、2021年で60歳の還暦を迎えた女子レーサー。漫画「モンキーターン」の登場人物「青島優子」のモデルとなった選手といわれています。
幼くして両親が離婚…自分の生き方を探しに東京へ
日高逸子の両親は小学1年の時に離婚し、串間市にある祖父母の家で育ちます。小学生の頃から新聞配達のアルバイトや農作業など、勉強の傍らで働き続けていたそうです。
高校卒業後に地元で就職したものの「自分の進みたい道ではない」と感じて1年で退職、上京します。
東京では住み込みのアルバイトをしながら専門学校に通い、旅行会社や喫茶店で働いたりという日々を送る生活。ただ、この間も宮崎にいる祖父母への仕送りだけは絶えず続けたとのこと。
テレビに映った「年収1000万円」の文字
自分探しに明け暮れる東京での生活が続いていた中、一筋の光が差したのは22歳の時。何気なく見ていたテレビに映ったボートレーサー募集のCM。
画面に出てきた「年収1000万円」という文字。
競艇がどんなスポーツなのか、そしてボートレーサーとしてどうやって稼ぐのかも知らないまま、ただ「1000万円」という金額に惹かれてボートレーサー養成所へ願書を送ったといいます。
当時は応募条件のギリギリとなる年齢が22歳だったため、日高逸子にとっては最初で最後のチャンスとなる養成所試験。
そんな中、33倍の難関をくぐり抜けて見事に合格したのです。
自分の夢を見つけたかのように思えたボートレーサーへの道でしたが、それは過酷で非情な試練が続く、地獄の入口でもありました。
負けるな!退所を引き留めた同郷の教官
競艇のレースを1度も見たことはなかったそうですが、試験会場でボートを見た際、あまりの迫力に言葉を失ったという日高逸子。
入所後も水面での実戦練習は恐怖心との闘いが続きます。
まともに艇を走らせることもできないまま、同期たちに置いていかれるばかりの日々にすっかり自信を失くしていました。
入所から2ヵ月後、もうこれ以上頑張れないと思った日高は、誰でもいいから通り掛かった教官に辞めることを告げようと決心。そして、出会った教官(担当ではない)に日高選手は「辞めたい」と伝えます。
しかし、その教官からは意外な言葉が。「俺もお前と同じ、串間の人間だ。負けるな」
辞めようとする日高を引き留めたのは「大崎周一」教官。偶然にも幼少期を過ごした宮崎県串間市の出身だったのです。
入所時の作文で生い立ちや境遇を知っていた大崎教官は、日高に「お前には帰るところなんてないじゃないか。ここで頑張れ」と声を掛け、励ましてくれたといいます。
この期に卒業できた訓練生は入所時の人数の半分だったそうですが、恐怖心を振り払いながら人の何倍も練習を重ねた日高逸子。
厳しい養成所生活を耐え抜き、晴れてプロのボートレーサーとしてのデビューを果たします。
まさか大崎周一教官の写真が残っていたとは…。テレビ画面を記録していたブログ運営者さんに感謝!
日高逸子の年収(獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 女子順位 |
---|---|---|
2024年 | – | – |
2023年 | 26,136,000円 | 23位 |
2022年 | 30,531,500円 | 14位 |
2021年 | F3でB2級降格 | – |
2020年 | 21,640,000円 | 32位 |
2019年 | 35,931,500円 | 8位 |
2018年 | 34,704,000円 | 6位 |
2017年 | 27,753,400円 | 11位 |
フライング3本を犯し長期欠場した2021年以外、獲得賞金は3000万円前後をキープ。また、2016年以前も女子上位の年収をコンスタントに稼いできたトップレーサーです。
これほど優秀な成績を収めている日高逸子ですが、2024年で満63歳の超ベテラン。控えめに言って凄すぎますw
福岡ではじまった日高逸子の競艇人生
日高逸子は養成所を卒業後、当初は東京に残って選手生活を送るつもりでしたが、教官の勧めもあって地元に近い福岡支部への所属を決めました。
そして、デビューを飾ったのは1985年5月の芦屋競艇場です。
日高逸子の初勝利と初優勝
デビュー節の芦屋一般戦。初戦で2着と健闘し自信をつけた後、3走目に初勝利を挙げる順調な滑り出しを見せます。しかし、2節目となった若松では大敗が続き、自信も一瞬で打ち砕かれたそうです。
自宅に帰って大泣きしたそうですが、負けず嫌いで有名な日高逸子。
3節目の福岡からは再び奮起し好成績を収め、デビュー3年目にして桐生競艇で待望の初優勝を飾ります。
優勝戦は先輩レーサー「林珠実」選手と最終周回のターンマークまでもつれる展開となりますが・・
「最後に吹っ飛ばして勝っちゃいました」と本人が話すほどの気迫で勝ち取った初Vでした。
女子選手初のモンキーターンは独学で習得
活躍していた当時、女子レーサーの数が少なかったこともあり、現在のようなオール女子の開催はほとんどない時代。その為、男子選手との混合レースになる訳ですが・・
九州地区には荒っぽい男子選手が多く、女に負けられるか!といわんばかりにダンプで吹き飛ばしたり、意図的に転覆させるようなこともあったそうです。
ただ、負けん気の強さでいえば男にも勝る日高逸子。
力ずくの攻撃には技術で対抗するべく、当時はまだ男子でも使用する選手が少なかった「モンキーターン」を独学で身につけてしまいます。
全速で旋回できるモンキーターンを女子選手ではじめて修得し、実戦で見せつけた日高逸子。男女間のハンデがない競艇の世界において、生き抜くための大きな武器となったのは間違いありません。
結婚・出産・復帰。グレートマザーを支える家族
1996年、日高逸子は東京の専門学校時代に知り合った「邦博」さんと結婚します。
2度の出産を経験することになりますが、女性にとって仕事と家庭の両立が難しかった時代。
そんな中、競艇場に戻って活躍を続けることができたのは、専業主夫となってくれた夫・邦博さんによる「内助の功」があったから。
単身赴任から婿入り、そして「専業主夫」へ
日高逸子の夫である邦博さんは専門学校卒業後、出身地である新潟の企業に勤務していました。
結婚後も住まいは変わらず、福岡と新潟の別居生活を続けていましたが、日高逸子が長女を出産した1996年に福岡へ移住。仕事を辞め「専業主夫」となり、レーサーである妻を支える生き方を選びます。
全国に遠征し、開催中は外部と連絡がほぼ取れないボートレーサー。
競技と子育てを両立させるのは大変難しく、頼れる親もいない状況。夫婦のどちらかが現在の日常を変える必要があった中での決断だったといいます。
年収の高い日高逸子が競技を続けられるよう、自分が家庭に入って子どもの面倒を見るべきだと考えた邦博さん。当時では珍しい”専業主夫”を取り上げるメディアも多かったようです。
また、1ヶ月のうち7日程度しか返ってこない妻と、子育てなど家事全般をこなす夫。その様子を著者「日高邦博」により出版されました。
本のタイトルは「逸子さん、僕が主夫します!―競艇のグレートマザーに恋して」。
10年以上前に読ませてもらいましたが、邦博さんの行いを真似できる男性はほとんどいない。そう感じたのを記憶しています。なにより、逸子さんへの愛情の深さが素晴らしい!
2度の出産後はいずれも早期復帰
1997年3月に長女、1999年7月に次女を出産しました。そして、いずれも産後わずか3ヵ月という早さでレース場に復帰。
当時の競艇界には産休規定がありませんでした。出産のブランクによって収入の途絶えや、ランク落ちといった弊害が避けられない状況にあったことを意味します。
日高逸子の場合、夫が家庭を守ってくれるとはいえ、収入のためには1日でも早くレースに復帰する必要があったでしょう。幸い、復帰してからも以前の走りを取り戻すまで、それほど時間を要することはなかったようです。
特に長女の出産後においては、復帰わずか1ヵ月で大村のG3女子戦で優勝しています。
競艇界にもつくられた「産休」の概念
現在の競艇界において、子どもを産んでから競技に復帰する「ママさんレーサー」の数はずいぶんと増えました。
ただ前述のように、出産のブランクはそのまま欠場期間となるため、出走回数によっては最も低いB2ランクからの出直しを余儀なくされてしまうことも。B2級では月1回程度の斡旋しか受けられず、産後の収入減が問題視されてきました。
この状況を受けて、日本モーターボート競走会は2016年に出場規定を改正。
出産で長期離脱した女子選手については、仮にB2級となっても復帰前と同じランクの斡旋数が維持されます。
田口節子、平高奈菜、守屋美穂、平山智加など、2021年の女子賞金ランキング上位にも、出産を経て職場復帰した選手は多数います。
女子レーサーの競技レベルがどんどん上がっている中、ママさんレーサーとして競艇を続けられる環境が今後さらに整備されることを期待したいですね!
日高逸子が女子レーサー頂点に!全盛期の成績
現在、女子の競艇選手No.1を決めるプレミアムG1は2つ。
夏に開催されるレディースチャンピオン(女子王座決定戦)と、大晦日にファイナルを戦うクイーンズクライマックス(賞金女王決定戦)です。
日高逸子はG2時代の女子王座決定戦を含めて、女子最高峰のタイトルをこれまで3度獲得しています。
準優で山川美由紀との競り合い(1989年多摩川レディースチャンピオン)
日高逸子の戦いを語るうえで、避けて通ることができない女子レーサーがいます。1期後輩の”パワークイーン”こと「山川美由紀」。
日高逸子より先に2000勝を達成し、レディースチャンピオンは現役最多の4度優勝。1999年には史上はじめて男女混合のG1(四国地区選手権)を制覇しました。
公式画像 | |
名前 | 山川美由紀(やまかわみゆき) |
登録番号 | 3232(57期) |
生年月日 | 1966年10月24日 |
身長/体重 | 152cm/46kg |
血液型 | A型 |
出身/支部 | 徳島県/香川支部 |
これまで山川選手と数々の激闘を繰り広げてきました。
自身初のタイトル獲得となった1989年の女子王座決定戦(レディースチャンピオン)では、2人の火花散るぶつかり合いが準優勝戦で勃発。
1コースから逃げる日高逸子に対し、3コースからツケ回ってまくりを狙う山川選手。
1周1マークはほぼ互角の攻防となり、バックストレッチでは他の4艇を置き去りにした2人が艇を重ねて並走する展開。この時、内にいた日高逸子が先マイを決め、そのまま抑えきって1着でゴールしました。
優勝戦でも再び「日高 vs 山川」の対決が期待されたものの、スタートで山川選手がまさかのフライング。さらに、転覆艇も出る大荒れたレースとなってしまい…。
結局、1マークで山川選手の後ろにいた日高逸子が繰り上がっての「恵まれ」。実にあっけない形で、この年の女子王座決定戦を制することになったのです。
完璧なスタートで圧倒(2005年大村レディースチャンピオン)
「ツイてただけ」とレース後に本人が話した第2回の初優勝。それ以降、出産によるブランクや若手レーサーの台頭などもあって、今ひとつ結果が出せなかった女子王座決定戦での日高逸子。
2度目の戴冠となったのは、大村で開催された第18回大会でした。
インが強い大村水面で優勝戦の1コースに座ったのは、当時24歳だった「田口節子」選手。世代交代を狙う若手に待ったをかけたのが、43歳のグレートマザーでした。
思い切りのいいスタートでコンマ04のトップタイミング。
日高逸子はスリット後に早々と抜け出し、そのまま内に絞って1マークを先制。16年ぶりとなる女子王座V2を、今度は文句のつけようがない完勝で飾りました。
やっぱり母は強かった(2014年住之江クイーンズクライマックス)
2012年に賞金女王決定戦の名称で創設された後、「クイーンズクライマックスとして」として現在の大晦日に行われるようになった最初の大会が2014年。
この年、ここまで優出14回、優勝3回と久々に好調を取り戻した日高逸子。
あまり得意ではない住之江競艇でも前検から好気配を見せ、トライアル3走を「122」で1位通過。賞金女王が間近に見える1号艇を手に入れます。
迎えたファイナル。日高逸子らしいコンマ01のトップスタートを決めます。そのまま1マークを先頭でターンした後は後続を突き放す走りで、他の5選手を問題にせずイン戦に成功。
1着でゴールし、賞金女王の証であるティアラをはじめて戴冠しました。本人いわく…
「選手生活ではじめてのガッツポーズ」でだったそうです。
レース後には「引退を考えたこともあったけど、これでもうちょっと頑張れる」と話した日高逸子。グレートマザーの力をまざまざと見せつける圧勝劇でした。
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女子レーサーの可能性を広げる記録の数々
オール女子戦はもちろん、男子と戦う開催でも活躍し続けています。「競艇は女性でも互角に戦えるスポーツ」であることを実力で証明した女子レーサーの1人といえるでしょう。
オールスター(笹川賞)の常連!17年連続を含む20回出場
選考基準がファン投票であるオールスターに、日高逸子はこれまで女子最多となる20回出場。
特に、2003年の第33回平和島から2019年の第46回福岡まで、同一SGに17年連続選出されたのは女子史上1位。当然、2020年の第47回(住之江)でも、日高逸子には多くの票が集まっていました。
しかし、A1級で活躍する女子レーサーが増えたこと、さらにはファン投票で選出される女子選手の数に上限が設けられている規定もあり、女子補欠3位という順番に。
残念ながら18年連続の出場は叶いませんでした。
女子初となる施行者推薦でMB記念(メモリアル)出場
日高逸子が年間のSGに最も多く出たのは2005年の6回。この年にはモーターボート記念(現メモリアル)にもはじめて出場しました。
2005年は地元若松での開催だったため、主催者枠による推薦。また、翌年の地元開催ではない桐生競艇においても、MB記念に2年連続で選出されます。
当時はシード枠と主催者枠に加え、主催者以外の23場から1名ずつ出場選手が推薦されるルール。日高逸子は女子レーサー初となる施行者推薦を、デビューの地である芦屋競艇から受けての出場となったのです。
福岡支部の植木通彦、瓜生正義両選手がシード選出、そして福岡に3場(福岡、若松、芦屋)あることも幸いしたかもしれません。
養成所の卒業時に「東京ではなく、福岡で頑張れ」と勧めてくれた教官の言葉がここで効いたとも考えられるでしょう。
それらを差し引いても、MB記念に女子が単独で推薦されることは異例の快挙でした。
通算44人目・女子2人目の2500勝達成
2024年5月22日の鳴門第5レース。イン戦を押し切って1着とし、デビュー39年にして2500勝を達成しました。
2500勝達成者はわずか44人しか到達していないうえ、女子レーサーに限れば”山川美由紀”ただ1人。ヤバすぎる記録といって良いでしょう。
生涯獲得賞金は女子歴代1位の11億円超え
- 1位:日高逸子 ~ 11億1400万円
- 2位:山川美由紀 ~ 10億800万円
- 3位:寺田千恵 ~ 10億3000万円
- 4位:谷川里江 ~ 7億8000万円
- 5位:鵜飼菜穂子 ~ 7億2000万円
- 6位:角ひとみ ~ 7億0000万円
- 7位:海野ゆかり ~ 6億9000万円
- 8位:渡辺千草 ~ 6億1,500万円
- 9位:高橋敦美 ~ 6億1,000万円
- 10位:柳澤千春 ~ 5億8,500万円
※賞金額は日々変動してます。
日高逸子の生涯獲得賞金は、2020年末時点で約11億1400万円。歴代の女子レーサーで最多の賞金を稼いでいます。
女子で10億円を超えているのは、日高逸子・山川美由紀・寺田千恵の3選手。※寺田は2023年3月に10憶円を突破。
例えるなら、2020年賞金女王「平高奈菜」の獲得賞金(約5500万円)を毎年続けたとしても、20年ちかく掛かってしまう大変な金額です。
高いレベルを維持しながら、現役で好成績を残し続けた選手しか達成できない記録といえるでしょう。
日高逸子が引退危機…B2降格など様々な試練
10億円レーサーとなった日高逸子ですが、長い競技人生は決して順風満帆だったわけではありません。これまでに経験した数多くの挫折や悲しみは、どの選手よりも味わってきたといえます。
肺に水が…優勝目前でまさかの落水事故
2015年4月に戸田で行われたオールレディース優勝戦。
日高逸子はイン逃げが難しい戸田の水面もなんのその、1コースからきれいに1マークを回って先頭に立ち、あとはそのまま逃げ切るだけという状況でした。
しかし、2周1マークにキャビって大きく失速。なんとか体勢を立て直そうとしたものの、後ろから差してきた2号艇の鎌倉涼選手と接触してバランスを崩して落水。
しかもこの時、水面に投げ出されて危険な落ち方となり・・
救急搬送された日高逸子は意識のない状態で、その後の容体が心配されました。全身打撲に加えて肺にも水が入り、復帰にはしばらくかかるだろうという報道もあったほど。
そんな中、欠場したのは次節の若松1節のみ。
自ら退院時期を早めて2週間後にはレースに復帰し、大村のオールスターにも出場した日高選手。まさにグレートマザー!タフさも競艇への思いも全て一流レーサーです。
引退を本気で考えた3度のフライング
持ち味であるスタート力が”諸刃の剣”と化した2020年。選手生命さえも危ぶまれる最大のピンチを迎えることになります。
2020年後期が始まったばかりの5月2日、若松の女子戦でコンマ+07のフライング。自身初となる「非常識なフライング」で即日帰郷の処分を受けます。
期間2本目のFは7月の蒲郡。予選2日目にコンマ07でイン逃げを決めましたが、再度の1コースとなった最終日の一般戦でわずかに早い、コンマ+01の勇み足となりました。
F2は過去にも経験している日高逸子。8月にはF2持ちながら芦屋で優勝を飾っており、このまま期末まで問題なく状況をしのげるかと思われていたところ…
9月の福岡G3、4日目12レースでまさかの事態が起きてしまいます。
準優進出は当確だったものの、地元での優勝に向けては1コースからのイン逃げに失敗できない状況。好スタートを切ったかに思われましたが、わずかにタイミングが合わずコンマ01のスリットオーバー。
デビュー以来はじめてとなるF3となり、2021年は前期、後期ともにあっせん数の少ないB2級陥落となりました。
長期のF休みとなり、引退の二文字が現実的な状態に。
ただ、年末年始すらもレースが当たり前だった環境から解放され、はじめて家族揃ってお正月を迎える日々。そうした非日常の体験したことによって、本人はこのように語っています。
今までにない経験を沢山することができ、それが逆に大きなエネルギーになった
リフレッシュの効果もあって、復帰戦となった鳴門の一般開催ではさっそく優出5着。
「私が生きていく場所はここ(競艇場)だと思った」という日高逸子は、ブランクを感じさせない走りを見せてくれたのです。
若くして旅立った同期レーサーの分まで
56期のレーサーは男子と女子の比率がほぼ半分でした。日高逸子にとっては、同期の女子選手がたくさんいることでの心強さもあったでしょう。
写真の一番左に写っているのが、先ほどご紹介した「田村美和」選手。
日高選手の右側に写っているのが飯倉郁子さん、左側に写っているのが木村厚子さん。残念ながらこの2人は若くしてこの世を去ってしまいました。
飯倉郁子さんは結婚後に2人のお子さんを出産しましたが、1995年の大晦日、くも膜下出血に襲われて30歳の若さで急逝。
埼玉出身で、過去にはミス加須にも選ばれたほどの美人レーサーだった木村厚子さんは、2003年に津競艇場のレース中に命を落としました。木村さんも結婚、出産を経たママさんレーサー。
当時の事故は同期の日高逸子はもちろん、ファンにとっても衝撃的な出来事でした。
日高逸子の公式ブログ「私は あきらめない」にはこのように記されています。
郁子も厚子も亡くなってしまったけど…
子供達は スクスク成長しており
郁子の長男は29歳 長女は27歳と
30歳の若さで亡くなった郁子の歳に近づいている
厚子の子供達も結婚して…
私と美和は56期の女子2人になってしまったけど
2人で もう少し頑張らねば出典:私は あきらめない
志半ばで亡くなってしまった2人の思いも背負い、還暦を過ぎてもレース場で頑張り続ける日高逸子。天国にいる同期2人の存在は、この上なく強い味方に感じられていることでしょう。
日高逸子の公式ブログとツイッター
日高選手が運営する公式ブログ・ツイッターを通して、ボートレースやプライベートのことを定期的に更新しています。
公式ブログ「私は あきらめない」
2011年3月からはじまった日高逸子の公式ブログ。「私は あきらめない」というブログ名は公募によって決められました。
レースのことだけでなく趣味のゴルフや釣りなど、オフの時間のことや昔ばなしもたくさん書かれています。アップされている記事は笑いあり、涙ありの読みごたえたっぷりのブログです。
日高逸子の公式ツイッター
ブログより少し早くオープンしていた日高逸子のツイッターアカウント。最近はブログの更新通知として発信されているので、ブログの新着記事が気になる方はフォローしておきましょう。
「62歳までは頑張る」日高逸子の挑戦は続く
2つ年上の先輩だった「鵜飼菜穂子(48期)」が2020年10月に現役を引退し、現在は日高逸子が現役最年長の女性ボートレーサーとなりました。
2021年秋には体調不良で入院し、再び2ヵ月のブランクを強いられましたが、無事に11月から戦列に復帰。A1級へのカムバックも視野に入れながらの奮闘が続いています。
鵜飼選手が61歳で引退したことによって、日高逸子には大きな目標ができたといいます。それは「62歳までは現役を続けること」。
ただ、男子では70代の現役レーサーも活躍中です。その為、62歳とはいわずやれるまで現役を続けてもらい、還暦を迎えた女子レーサー初のG1タイトルに期待!
20年年以上前からのファンとして、この先も応援し続けるつもりです。
コメントお待ちしてます!