2024年8月18日、徳山ヴィーナスシリーズ第11戦において、優出1号艇からイン速攻を決めて優勝。2022年3月の津G3以来、約2年5ヵ月ぶりのVを飾った。
40代になってもモデル級の美貌を持つ「佐々木裕美」。筋金入りのアムラーであることから”艇界の安室ちゃん”と呼ばれることも。
結婚と出産を経てさらなる活躍が期待された矢先、夫であり同じボートレーサー「坂谷真史」の事故死。
大きなショックで引退も囁かれましたが、どん底を乗り越え、家族の支えもあって再び水面で戦っています。
選手としても母としても強さを発揮するシングルマザー。そんな佐々木裕美について、ファンが気になることを全てまとめてあります。
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佐々木裕美の可愛すぎる画像集
まず先に、容姿端麗な佐々木裕美のお姿から。美人レーサーランキングではほぼランクインするほど、美人かつ可愛い女子レーサーの1人です。
イベントで生の佐々木裕美を拝見しましたが、写真の数倍は美しい女性でした。
ここ最近、美人レーサーが急増中のボート界。美人 or かわいい子をお探しなら以下の記事が参考になります。
佐々木裕美とは?
佐々木裕美は1979年生まれ、山口県出身のボートレーサー。
最終学歴は県立柳井工業高等学校。85期として養成所に入所し、井口佳典・田村隆信・田口節子など多くのトップ選手が集結した「銀河系軍団」の一員です。
佐々木裕美の公式プロフィール
公式画像 | |
名前 | 佐々木裕美(ささきひろみ) |
登録番号 | 4045(85期) |
生年月日 | 1979年10月3日 |
身長/体重 | 162cm/46kg |
出身/所属 | 山口県/山口支部 |
デビュー日 | 1999年11月10日 |
佐々木裕美の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご確認ください。
競艇選手を目指したきっかけ
佐々木裕美がはじめて競艇と出会ったのは、小学校4年生の時に家族と行った徳山競艇場。
レースを見てカッコ良さを感じたそうですが、その思いが増したのは「女の子も乗れるよ」という言葉。女性もレースに出られることを知り「乗ってみたい」という夢に変わったといいます。
幼い頃からの思いを貫き通し、実際に夢を叶えてしまうなんて…。信念の強さ小さい頃から備わっていたのでしょう。
デビュー初勝利は丸亀一般戦
1999年11月、下関競艇場でデビュー。
記念すべき1走目は大外6コース進入。5コースから好タイミングで踏み込んだ永井聖美が攻める中、荒れた展開をついて2着の好成績を残します。
その後も6コースから舟券に絡む走りを見せ、2000年8月の丸亀でデビュー初勝利。
コンマ14のタイミングからスリット後に艇を伸ばし、1マークで力強いまくりを披露。そのまま先頭まで突き抜け、デビュー116走目でうれしい水神祭となりました。
初優勝は丸亀。同期「田口節子」に勝利
デビュー4期目となる2001年前期、B2級からの脱出に成功します。
そして、待望の初優勝は2003年5月の唐津女子リーグ。準優で5コースからまくりを決めて4度目の優出を果たします。
同じく初Vを狙う同期「田口節子」がインコース、佐々木は大外6コース進入となります。
スリットはコンマ07の好タイミング。5号艇淺田千亜希が凹んだことで内への絞り込みに勢いがつき、1マークで豪快なまくりを決めて初優勝を達成しました。
「安室ちゃんひと筋」イベントではコスプレも披露
大の安室奈美恵ファンとして知られる佐々木裕美。
引退後も憧れの女性であり、前夜祭などのイベントでは自前の安室ファッションでコスプレを披露することも。
30年近く追いかけ続けてきた安室さんの引退について「潔くていいと思う」と肯定的。また復帰してほしいという思いは一切ないそうです。
佐々木裕美の年収(獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 女子順位 |
---|---|---|
2024年 | – | – |
2023年 | 18,909,000円 | 53位 |
2022年 | 15,202,000円 | 76位 |
2021年 | 17,121,000円 | 50位 |
2020年 | 20,575,600円 | 38位 |
2019年 | 24,288,000円 | 17位 |
2018年 | 17,624,866円 | 38位 |
2018年以降の平均年収は約1900万円。ボートレーサーの平均は1800万円ほどなので、ちょうど中間あたりの収入を得ていることになります。
佐々木裕美の夫「坂谷真史」の事故死
佐々木裕美は2004年、同期の「坂谷真史」と結婚。直後に妊娠が発覚し、同年10月から産休に入っています。
長男出産後は夫と同じ福井支部に移籍。2006年からレースに復帰。わずか1期でB2級を脱するなど、再びトップ戦線への階段を駆け上がろうとしていた2007年2月、残酷すぎる事故が発生したのです。
元競艇選手「坂谷真史」とは?
名前 | 坂谷真史(さかたにしんじ) |
登録番号 | 4048(85期) |
生年月日 | 1980年3月10日 |
身長/体重 | 166cm/52kg |
出身/所属 | 福井県/福井支部 |
デビュー日 | 1999年11月11日 |
殉職日 | 2007年2月26日 |
通算成績 | 出走回数:1376走 1着回数:394回 優出回数:49回 優勝回数:14回 通算勝率:6.21 獲得賞金:1億5,810万円 |
坂谷真史(さかたにしんじ)は、佐々木由美と同学年の1980年生まれ。
1999年11月にデビューし、2節目の尼崎で初勝利をマーク。その後も勝ち星を重ね、2001年12月の徳山一般戦で初優勝を達成。田村隆信・金田諭・森高一真に続く、85期で4番目の水神祭となりました。
レディースチャンピオン前検日に入った事故の報せ
ママさんレーサーとなった佐々木裕美は、2006年11月の浜名湖で復帰後初優出を果たします。
夫の坂谷真史も2002年後期に初のA1級昇格を決め、2003年3月の戸田総理大臣杯(クラシック)でSG初出場。2007年には自身最高勝率(7.90)を残す活躍を魅せます。
夫婦生活もレーサー人生も順風満帆だった20072月、家族の運命を大きく変えてしまう事故が発生してしまうことに。
事故日は2007年2月26日の住之江G1
佐々木裕美にとって2度目の出場となった2007年G1女子王座決定戦。現地入りした前検日(2月26日)に事態は一変します。
「坂谷が出場中の住之江G1太閤賞で事故に遭い救急搬送された」という報せ。
すぐに欠場の手続きを終えて徳山から大阪へ向かいました。しかし、ケガの程度はかなり深刻な状態であり、到着した時は既に”坂谷が息を引き取った後”だったそうです。
優勝した松井繁の目には涙
坂谷が事故に遭ったのは最終日の3R。
2周1マークで他艇と接触して転覆したところに、後続してきた中澤和志の艇が激突。不運の衝突により頭部に致命傷を負ってしまいます。
当然ながら、致命傷を負わせた中澤和志に非はありません。ただ、人1人が亡くなってしまった事故。当事者となったことに責任を感じたり、心ない声が浴びせられる可能性が高い状況。
そんな中、優勝した「松井繁」は表彰式で以下のように発言しています。
我々選手は命をかけて、一生懸命走っています。
坂谷の殉職を悲しみつつ、中澤への配慮もあったのでしょう。うっすらと涙を浮かべた勝利者インタビューとなりました。
長期欠場から「住之江」で復帰
誰よりも尊い存在だった「坂谷真史」を失い、佐々木裕美は長期欠場に。
一時は”自分も後を追いたい”とまで考えたようですが、息子の存在と「旦那の事故を理由に辞めることはしたくない」という思いから、引退を踏み留まることができたとのこと。
佐々木裕美がレースに復帰したのは、8ヵ月後となる2007年10月。場所は夫が命を落とした住之江の水面でした。
完全に立ち直るのは難しいでしょうが、今も現役を続行していることに敬意を表します。
夫に衝突した「中澤和志」を恨んでいる?
坂谷真史が死に至った直接的な原因は、転覆から水面に顔を出したタイミングで中澤和志のボートが衝突したこと。
この件について佐々木裕美はどう思っているのか?
ネット上には「中澤和志を恨んでいる」といった悪質な動画をはじめ、中澤に非があるような声も。
ただ、競艇は常に命のリスクがある競技であり、選手およびほぼ全てのファンは理解していること。中澤が悪いという考え方そのものが間違っています。
以下のツイートは、2019年5月15日に中澤のG1優勝を祝福したもの。
中澤さん、おめでとうございます✨
— 佐々木裕美 (@ponpocopon622) May 15, 2019
紹介するまでもありませんが、佐々木裕美が恨んでいるというのは真っ赤なウソ。虚偽情報を発信する動画に関しては、名誉棄損で訴えてほしいぐらい。
佐々木裕美の再婚は?
美人レーサーとして男性人気が高く「佐々木裕美 再婚」というワードが検索の上位にくるのも納得できます。
しかしながら、現段階でその可能性は低そう。
今も天国から見守る夫の存在、家族や弟子など大切な人たちに支えられた仕事と家庭。本人のSNSからも家族や弟子に対する深い愛情を感じ取ることができます。
息子(凱君)のために作る愛情料理
料理写真が中心のインスタグラム。その日の料理や息子(凱君)のために作ったお弁当の画像が多数投稿されています。
驚くのは豊富なバリエーションと見た目鮮やかな彩り。”料理は好きなだけで決して上手ではない”と謙遜していますが、その辺の小料理屋さんと言われても疑わない腕前。
お母さんの手料理を毎日のように味わえる息子さんは本当に幸せですね!
母親目線で指導する弟子「福山恵里奈」
佐々木裕美には娘のような目で成長を見守る弟子がいます。2020年5月にデビューした126期「福山恵里奈」です。
弟子の成長を見るのが楽しみで、若い頃の一生懸命さを思い出すという佐々木。
デビューから6着続きで悔し涙を流した日もあったそうですが、2022年6月の多摩川で待望の初1着。
昨日は恵里奈ちゃんの水神祭のお祝いをしてきました😊 pic.twitter.com/iIlMd1wCHC
— 佐々木裕美 (@ponpocopon622) June 25, 2022
勝率も確実に上がっており、今後ますますの飛躍に期待が持てます。
レースがない日は自宅にあるペラ小屋で指導しているらしい。
天国にいる夫と家族への愛は変わらず
真史へ
— 佐々木裕美 (@ponpocopon622) February 26, 2019
あなたがお空へ旅立って、今日で12年
年を取ってく私をあなたは笑ってますか?
私は今年40歳ですよ
もう、1回り以上年上です
なんだ、かんだで仕事も続けてこれてます
あなたに守られてるからだと、いつも思ってます
凱は人を褒める天才です
あなたそっくりです pic.twitter.com/ytFL1OQSYm
坂谷真史の13回忌に発信したツイートは大きな反響を呼びました。
愛する人を突然この世から失った悲しみは今も残っているはず。それでも旦那への変わらぬ思いが「あなたに守られてるから」という言葉に表れているような気がします。
まだ幼かった凱くんも高校生。将来は両親の背中を追ってボートレーサーになりたいという夢を持っているそうです。
佐々木裕美の競争成績
佐々木裕美のモットーは「なるべく舟をぶつけない」。
残念ながら、同期(85期)では夫の坂谷真史だけでなく、中島康孝・小林晋もレース中の事故で殉職しています。
命を落とすレーサーがこれ以上出てほしくないという強い思いを胸に、クリーンな走りで結果を残す。これは山口支部の大先輩である「今村豊」さんから受け継いだと言われています。
事故回避行動で表彰を受ける
2011年9月21日、若松G3女子戦3日目にイン戦で臨んだレース。
外枠勢が好スタートで内を飲み込んでいく中、3号艇がターンマーク付近で振り込んで失速。そこに外から来た5号艇が乗り上げてしまいます。
もし、内にいた佐々木が普通に旋回していた場合、失速した2艇に真っすぐ突っ込み重大事故に発展していた可能性も。
しかし、機転を利かせて取った判断は「外側への回避」。レースは5着に敗れたものの、選手の人命を第一に考えて選んだこの行動を日本モーターボート競走会は高く評価。後日表彰を受けました。
私にとって何より嬉しい表彰。
— 佐々木裕美 (@ponpocopon622) December 3, 2021
最近大きな事故も多いし、更に気を引き締めてレースに挑みたいと思います。
最近元気ないレースばかりで申し訳ないですけど、がんばります。 pic.twitter.com/qrqbYTisrF
2度と同じ悲劇を生みたくない気持ちの表れ。「人命尊重を旨としてレースに臨む真剣な姿勢の賜」という言葉により一層の重みを感じます。
SG初出場&初勝利で大万舟券に貢献
佐々木裕美のSG初出場は、福岡で開催された2009年5月の笹川賞(オールスター)。
はじめて経験する最高峰の舞台でトップ選手を相手にまったく歯が立たず…。5レース走って「46666」と惨敗。
そんな中、5日目に5コースからトップスタートを決め、意地のまくり差しが炸裂。同期「田村隆信」のイン戦を見事に撃破し、初出場にしてSG初1着の水神祭を達成します。
SGで大きな爪痕を残したこの勝利は、当時のSG最高配当「199840円」という大波乱を呼びました。
区切りのV10は津オールレディース
2020年7月の丸亀ヴィーナスシリーズ以降、優勝回数は9回で足踏み状態。区切りの10回に到達したのは2022年3月の津G3オールレディースでした。
優勝戦は3カド進入で勝負に出た佐々木裕美。ほぼ同体のスリットとなった1マークは外に膨らんでしまいますが、先頭にいた1号艇大瀧明日香がフライングにより戦線離脱。
内にいる田口を抑え、2マークを先マイした佐々木がそのまま先頭に立ち1着でゴール。
「もう優勝できないかと思ってた」とインタビューで話した佐々木。決まり手が「恵まれ」だったとはいえ、田口を振り切った走りはお見事!
直近も優出する活躍が続いているので、近いうちに11勝目がやってくる予感。
デビュー23年、大村で1000勝達成
2000年8月の初勝利から1着を積み重ね、2022年8月29日の大村G3オールレディース最終日に1000勝達成。
佐々木は4カドからコンマ14のトップスタート。まくりにはいかず、内側がごちゃついたところを最内から差して激戦をものにします。
デビューから約23年。ようやく辿り着いた1000勝を祝って、レース後には同僚たちに囲まれて記念撮影が行われました。
まとめ
夫の坂谷真史さんを事故で亡くした直後は自暴自棄になりかけた佐々木裕美。水面に戻ってくるまでの気持ちの立て直しは、相当なエネルギーが必要だったことでしょう。
復帰後に勝率が大きく落ち込むことはなく、2016年にはG1中国地区選で優出も経験。女子界トップクラスの実力者なので、A1級への返り咲き、年末の賞金女王争いも夢ではありません。
天国から見守ってくれる坂谷真史さん、息子さんのために走り続けるシングルマザー「佐々木裕美」。これからも舟券を買って応援するつもりです!
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