2024年7月19日の下関ミッドナイト開催において、3コースからまくって久々の優勝。昨年8月ぶり、通算116回目のVを飾った。
G1近畿地区戦において2本目のフライング。最後の斡旋が終了する3月10日から90日間のF休みに入るため、5月のSGオールスターは選出除外に。
また、来季(2024年後期)は出走回数不足によりA2級降格が確定。
生涯獲得賞金は歴代4位の25億円超えの「今垣光太郎」。
他にも数々の記録を打ち立てていますが、そんな名選手もぼちぼち引退の文字がチラつく年齢。引き際を意識するコメントも囁かれる中、はたして競艇界を去る日はいつなのか?
また、デビューから現在までの道のりをはじめ、アイドルの娘たちや自宅など、気になるプライベートをまとめて紹介します。
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今垣光太郎とは?
今垣光太郎は石川県能美市出身、福井市部のボートレーサー。
座右の銘は「平常心」。緊張でメンタルを乱しやすいタイプであることから”レースで平常心を忘れないように”という戒めの意味があるそうです。
今垣光太郎の公式プロフィール
公式画像 | |
名前 | 今垣光太郎(いまがきこうたろう) |
登録番号 | 3388(63期) |
生年月日 | 1969年9月18日 |
身長/体重 | 161cm/52kg |
出身/所属 | 石川県/福井支部 |
デビュー日 | 1988年11月 |
今垣光太郎の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご確認ください。
師匠は父親の「今垣武志」元選手
今垣光太郎の師匠は、かつて福井支部を牽引した実父の「今垣武志」元選手。
幼い頃から父の姿を見て「この仕事しかない」と心に決めていたらしく、光太郎が競艇の道へ進むきっかけそのものでした。
親子で競艇選手となり、レース場では師弟関係となった2人。現役時代には「一生懸命走っている」と息子を称賛するコメントしたこともあります。
弟子は福井支部「木田峰由季」
今垣光太郎の弟子は同支部の「木田峰由季」。
ネットでは様々な憶測が飛び交っていますが、日刊スポーツが報じた記事にはこのような記載があります。
木田峰由季(27=福井)が優勝戦の1枠をゲットした。準優11Rでコンマ01の全速スリットから1Mを先マイ。そのまま悠々と逃げ切った。
ただ、師匠の今垣光太郎(48=福井)は4枠で4着となり優出を逃した。
「今垣さんとワンツーが決まったと思った。そこが一番悔いが残っています」と悔しそう。
引用元:日刊スポーツ
選手たちに直接インタビューしている情報なので、ヤフー知恵袋などより信憑性は高いはず。ただ、今垣本人の口から弟子の名前は公表されていません。
同期(63期)主な選手
2023年10月現在、63期で現役を続けているのは6名。
その中で(今垣以外)最も活躍しているのは、2001年のSG常滑ダービーを制した滝沢芳行。息子の「滝沢崚(124期)」も同じボートレーサーです。
歴代4位の生涯獲得賞金
2023年現在、今垣光太郎の生涯獲得賞金は25億円台後半。
引退選手を含んだ歴代ランキングでは4位に位置していますが、2020年に引退した山崎智也を上回るのは時間の問題。今村豊にどこまで迫れるかが今後の注目となりそう。
今垣光太郎の引退について
少し前から”引退の噂”は囁かれていますが、その日が訪れるのは予想以上に早くなるかも…
本人が語った「引退発言」の真相
イケメンで女性人気の高かった今垣光太郎もマスターズ世代の54歳。バリバリ現役で活躍中ですが、ネットでは「引退」を噂する声も上がるように。
その噂を耳にしだしたのは、2022年11月浜名湖周年の優勝インタビューがきっかけ。
最近はいつ引退するか考えるようになった
しかしこれは、期待を裏切れない思いから出た「退路を断つ」という意味。現役トップクラスの実績者ですから、一線級で戦えないなら潔く辞める、その覚悟の表れでしょう。
フライング2本でA2級降格
- 2024年1月21日:下関G1競帝王決定戦
- 2024年2月10日:G1近畿地区選手権
今年に入って上記2レース(予選)で痛恨のフライング。これにより、3月G1尼崎センプルカップを最後に90日間のF休みとなるため、2024年後期は出走回数不足で”A2級降格”となります。
今垣光太郎といえば、ほぼ全ての期で勝率7点を超えるA1級でもトップ層の選手。
2013年に事故率超過でB2級を経験していますが、その期を除いて2000年以降はA1級を維持していきました。それが今回のF2によりA2級に降格。
40代以下であればなんら問題はないと思います。しかし、御年54歳のベテランレーサー。この状況をどのように捉えているのか?
2024年2月、斡旋が全て削除➝復帰戦が組まれる
2月27日時点では、出場が決まっていた3月「G1尼崎センプルカップ」は出場するとばかり思っていたのですが…
翌28日に確認すると斡旋は全て削除。高額賞金のG1競争を辞退するのはよっぽどのことです。
もちろん、体調不良などによる欠場も考えられますが、さすがに開催まで約1週間前という時期は早すぎる。まさか引退?といった心配をされた方も多いでしょう。
そんな中、5月10日までに出場予定が更新され、約4ヵ月ぶりとなる復帰戦が決まりました!
良からぬ噂が的中しなくて本当に良かった。A2級に降格するとビッグレースの斡旋は減るでしょうが、ほぼ間違いなく2025年前期にはカムバックしてくるはず!
今垣光太郎の年収・自宅・家族など
自身が運用するSNSアカウントは1つもありません。
しかし、娘が芸能界で活躍しているおかげで、家族に関する情報はネット上に多数落ちていました。
今垣光太郎の年収(獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2018年 | 3626万4000円 | 78位 |
2019年 | 7057万9000円 | 18位 |
2020年 | 4442万8000円 | 64位 |
2021年 | 6044万3000円 | 30位 |
2022年 | 5027万1000円 | 51位 |
2023年 | 8328万8000円 | 15位 |
今垣光太郎の年収(獲得賞金)は上記の通り。
1億円超えは2010年(1億5734万円)から遠ざかっていますが、さすがはSG常連のベテラン!毎年3000万円以上の賞金を荒稼ぎしています。
嫁は一般女性の円さん
今垣光太郎の嫁は、1998年頃に結婚した2歳年下の円さん。お子さんは「李華(長女)・葵香(次女)・光貴(長男)・光陽(次男)の4人。
レース用ヘルメットに刻まれているのは、奥さんと子供たち4人の名前。
オフの大部分は普段会えない家族との時間に費やしているそうです。
自宅(豪邸)にあるのは700万円のオーディオルーム
石川県小松市にある今垣光太郎の自宅。閑静な場所に建つ豪邸は、過去に民放のテレビ番組で紹介されたこともあります。
自慢のオーディオルームには総額700万円相当の設備。普段はここでクラシック音楽を聴きながら瞑想しているらしい。
メンタルを大切にする今垣にとって、気持ちを落ち着かせて集中するための専用ルームなのでしょう。
2人の娘はアイドルとして活躍
娘2人(李華・葵香)は、キッズモデルや石川のご当地アイドル「JUMPIN’(ジャンピン)」で活動。
そして現在、李華(長女)さんはガールズユニット「miao」のセンターを務め、各地の音楽イベントなどに登場。2023年12月には初のワンマンライブを開催予定。
葵香(次女)さんも私立恵比寿中学の新メンバー候補に選ばれましたが、その後の活動状況は不明です。
息子たちは未来のボートレーサー?
競艇界に親子で活躍している例は多数あります。ただ、もし長男の光貴さん、次男の光陽さんのどちらかが選手になれば、競艇史上初の「3世代ボートレーサー」が誕生することに。
ちなみに、光貴(長男)さんはアルバイトをしながら養成所試験にチャレンジしているとか。
言い方悪いけど、親族がいれば優遇される意見もあるし。普通に合格する気がする…
趣味はなく”競艇バカ”の日常
「競艇バカになる」と自分で言うほど、常にレースのことを考える日々。また、趣味はないとも話しており、時間があれば体のケアをしているようです。
50代とは思えない引き締まった筋肉に加え、体の軟らかさも驚異的なレベル。決して手を抜かない姿が肉体からよく分かります。
デビューからSG制覇までの道のり
2023年でデビュー35周年を迎える今垣光太郎。
2世レーサーから独り立ちを果たし、福井支部のみならず艇界を代表するレーサーへ。デビューから現在までの道のりを追っていきましょう。
デビューは1988年秋の三国
1988年9月30日に選手登録、同年11月に福井県三国競艇場でデビュー。
今垣武志の息子ということで注目された中、デビューからしばらくは成績の上がらない日々が続きます。
最初の1、2年はレースに集中せず遊んでばかりだった
当時は「いつかA級になれれば良い」という程度の考えでしたが、いつしか「地元の期待に応えたい、もっと上のレベルに行きたい」という気持ちが芽生えてきたそうです。
蒲郡で初優出初優勝(1990年)
デビューから2年経った1990年10月、蒲郡一般戦で初優出を果たし、勢いそのままに初Vの水神祭も達成しました。
今垣にとって蒲郡は相性の良い水面。1997年以降の記録では、地元三国を除いて1着数、優勝回数がいずれも最多。SGも過去2回優勝(2002、2004年メモリアル)しています。
今も一般戦に出場する時は、オフィシャルサイトで優勝候補の一角に挙げられるほど。
三国G1優勝戦で親子対決(1993年)
ようやく掴んだ記念G1のタイトルは、1996年の下関「競帝王決定戦」。
優勝戦は6号艇から3コースに前づけ。内側2艇がスタートで遅れ、コンマ09のタイミングで飛び出した今垣は3枠から押し切って優勝。
当時全盛期だった植木通彦や、支部の後輩である石田政吾らを抑えてのG1初制覇となりました。
クラシックでSG初優勝(1999年)
1990年代後半からSG出走機会も増えていきますが、なかなか優出できず大きな壁にぶち当たります。そんな中、ようやく初優出を果たしたのは1999年のクラシック。
植木通彦、松井繁らを相手に、大外6コース進入の厳しい戦い。
しかし、インコースの田中信一郎が後手を踏み、4コース古場輝義がFに消える大波乱。
この展開を見逃すことなく、空いたスペースに渾身のまくり差し。これが見事に決まり、SG初優出にして初優勝を達成しました。
今垣光太郎のSG優勝歴
年月 | 開催場 | SG競争 ※現在の呼称 |
---|---|---|
1999年3月 | 児島 | クラシック |
1999年11月 | 平和島 | チャレンジカップ |
2022年6月 | 宮島 | グランドチャンピオン |
2022年8月 | 蒲郡 | モーターボート記念 |
2004年8月 | 蒲郡 | モーターボート記念 |
2008年8月 | 若松 | モーターボート記念 |
2009年6月 | 戸田 | グランドチャンピオン |
2010年11月 | 唐津 | チャレンジカップ |
2016年12月 | 住之江 | GPシリーズ |
1999年の総理大臣杯で初SGを達成し、同年のチャレンジカップも優勝。賞金ランキング上位から選出されるグランプリにも初出場。
その後は重圧から解放されたかのようにSGで大活躍。2016年のグランプリシリーズまで9回のSG優勝を達成しています。
メモリアル(MB記念)は自己最多の3勝をマーク。逆に出場回数が最も多いオーシャンカップはまだ優勝経験がありません。
全24場制覇を達成(2016年3月)
今垣光太郎が全24場制覇を果たしたのは、2016年3月開催の尼崎一般戦。
優勝戦は2コースから直まくりで勝利。8度優出しながらあと一歩届かなかった尼崎において、ようやく勝ち取った優勝。さらに、通算95回目にして史上15人目の全24場制覇となりました。
全24場制覇、ゴールデンレーサーの達成者は以下の記事をご覧ください。
G2ボートレース甲子園の初代王者に
2019年夏に開催が始まった「ボートレース甲子園」。その記念すべき第1回大会(浜名湖)の覇者に輝いています。
今垣は石川県代表として出場。手堅い走りで予選を勝ち抜き、準優は2着で優出。
優勝戦は内側3艇(桐生順平・峰竜太・中田竜太)が揃って出遅れ、会心のスタートを決めた今垣が4コースからまくって初代王者に輝きました。
悲願のグランプリ制覇は達成できるのか?
年 | 開催場 | 成績 |
---|---|---|
1999年 | 住之江 | トライアル敗退 |
2000年 | 平和島 | トライアル敗退 |
2001年 | 住之江 | 決定戦2着 |
2002年 | 住之江 | 決定戦4着 |
2004年 | 住之江 | 決定戦4着 |
2008年 | 住之江 | トライアル敗退 |
2009年 | 住之江 | トライアル敗退 |
2010年 | 住之江 | 決定戦3着 |
2011年 | 住之江 | トライアル敗退 |
2012年 | 住之江 | トライアル敗退 |
2014年 | 平和島 | トライアル1st敗退 |
2015年 | 住之江 | トライアル1st敗退 |
2019年 | 住之江 | トライアル1st敗退 |
25億円以上の賞金を稼いでいる今垣光太郎ですが、未だ黄金ヘルメットは被れておらず。
上記表の通り、グランプリには過去13回挑み、最高成績は2001年の決定戦2着。また、トライアルでの脱落が10回もあり、あまり相性の良い大会ではないのかもしれません。
はたして引退までにグランプリ制覇&賞金王に輝けるのか?
まとめ
引退を意識しておかしくない年齢とはいえ、この先も競艇ファンの期待に応えてくれるであろう今垣光太郎。
欲を言えば、優勝できていないオールスターやダービー、そしてグランプリの頂点に立つ姿が見てみたい。その実力は十分残っているので、1人のファンとして応援し続けるつもりです。
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