2024年4月20日、G1マスターズチャンピオンの準優勝戦でフライング(コンマ03)。これにより、6月の徳山一般戦終了後、G1への斡旋が6ヵ月間出場停止。
1990年代の競艇界を席巻した静岡のレジェンド「服部幸男」。
先輩レーサー相手に大暴れした若い頃は、絶対王者「松井繁」をも遥かに凌ぐ強さ。中でもSG最年少優勝記録(21歳9ヵ月)は、この先破られることはないはず。
現在は若干衰えた様子ですが、未だA1級で活躍中。静岡支部の重鎮として、一般戦を中心に実績を残し続けています。
そんな服部幸男について、元暴走族時代だった黒歴史をはじめ、SGの成績、嫁・弟子など全て解説します。
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服部幸男とは?
服部幸男は静岡県浜松市東区出身、静岡支部のボートレーサー。
最終学歴は中学卒業。競艇選手だった父親(服部正彦)の影響でレーサーを志し、1988年に入所した本栖研修所を勝率トップで卒業。
その後、暴走行為による6ヵ月の出場停止処分を受けるも、悪事を悔い改めレースに復帰。そこからSG最年少優勝など目覚ましい成長を遂げ現在に至る。
服部幸男の公式プロフィール
公式画像 | |
名前 | 服部幸男(はっとりゆきお) |
登録番号 | 3422(64期) |
生年月日 | 1971年1月5日 |
身長/体重 | 167㎝/56㎏ |
出身/所属 | 静岡県/静岡支部 |
デビュー日 | 1989年5月13日 |
服部幸男の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページでご確認ください。
きっかけは競艇選手の父・服部正彦
服部幸男の父親は23期の「服部正彦」元選手。
1976年の東海地区選手権、1984年の浜名湖周年など数々の重賞タイトルを制覇した名レーサー。幼い頃からそんな父に憧れて、競艇の世界に飛び込んだといいます。
勉強が嫌いだった幸男は17歳で高校を中退し、父が引退を決めた1988年の春に受験を決意。見事1発で合格を果たして本栖研修所に入所しました。
本栖研修所の成績
64期訓練生として本栖研修所に入所。
実地訓練では事故を繰り返して「落水王」と呼ばれる始末。ただ、レースセンスは群を抜いており、養成所リーグ勝率は7.49で堂々の第1位を記録します。
卒業記念競走では優出を逃たものの、レース後には服部幸男らしいコメント。
ここで勝つよりデビューしてから目立ちたい。だから優勝は狙っていなかった
負けず嫌いで知られる性格は当時から変わっていないようですw
暴走族所属(暴走行為)が発覚して6ヵ月の出場停止
1989年5月に地元浜名湖でデビュー。しかし、早々に不良時代の非行がバレ、6ヵ月の出場停止処分を受けてしまいます。
処分に至った理由は「暴走族所属と暴走行為の発覚」。
現代なら”引退勧告”もあり得る犯罪行為ですが、ギリギリ許される時代だったのでしょう。謹慎中に猛省し、暴走族とも決別したことで復帰を果たしました。
それにしても、協会側の素行調査が甘すぎ(笑)ちょっと調べれば所属していたことぐらい分かっただろうに…
同期(64期)の主な選手
2023年11月現在、64期の現役選手は服部幸男を含めて11人。
その中でも別格の存在といえる40億レーサーの「松井繁」。服部とはデビュー当時から切磋琢磨を繰り返してきた最高のライバルです。
ネットでは「敬遠の仲」といった不仲説を見かけますが、根も葉もないただの噂。
その証拠に、デビュー当時は「松井がいなかったら今の僕はない」と話すほどお互いをリスペクトしていた関係性。
服部幸男と松井繁のデビュー3年目の映像
— すぅ (@amazingturn) August 7, 2018
お互いが意識しあって素晴らしい関係を築いてるのが伺えます#永遠のライバル pic.twitter.com/DBPIHw9BJR
また、ベテランになった今でも仲良さげな様子。
2人とも偉大な選手ですが、同期で切磋琢磨できたからこそ今があるのかもしれません。
服部幸男の弟子は?
服部幸男の弟子は「佐々木康幸・深谷知博・三浦永理・長嶋万記」の4人。
オーシャンカップを制した佐々木康幸と、ダービー・チャレンジカップで優勝した深谷知博。さらに、女子界トップクラスの91期コンビ「長嶋万記・三浦永理」も揃って弟子入り。
服部は若手の育成に定評があり、弟子4人はビッグタイトルを獲得してトップに君臨する選手ばかりです。
佐々木康幸は師匠に対して「仕事に対する姿勢、自分への厳しさはマネできない。大きい人だなって思います」と話しています。
水上では先輩も後輩も関係なし
かつて「東海の若大将」と呼ばれていた服部幸男。整った顔立ちも相まって、テレビなどのメディアに多数取り上げられる時期もありました。
有名なのは1996年の競艇CMで発した「水の上では先輩も後輩もない」の一言。
自分で言ったとか言わされたとかいろんな説はありますが、実際は事前に用意された複数の候補から服部自身が選んだとのこと。
「後輩だからといって遠慮せずガチでいきたい思いがあった」というのが本音らしい。
服部幸男の嫁・息子・料理など気になること
謎多きボートレーサーの服部幸男とは、はたしてどんな人物なのか?ネット上で発見したプライベートの一面をまとめておきます。
いつ結婚した?嫁や子供は?
服部幸男の結婚や家族についてはネット上に確かな情報がありません。
唯一、ファンがSNSのコミュニティで流した書き込みによれば、2006年に6歳年下の品川史絵さんと結婚。同年5月17日に式を挙げたとされています。また、10月にはお子さんも誕生しているらしい。
余談ですが、永遠のライバル松井繁に対して「若い頃は先に結婚した松井より俺のほうがモテた」と自慢げに話していた逸話もw
それと、服部幸男とググった時に出てくる”息子”というサジェスト。
これだけ見ると「服部幸男の息子もボートレーサー?」と勘違いしそうですが、服部に父親以外の姻戚関係者はいません。
おそらく、父親「服部正彦の息子」であることが関係しているのでしょう。
服部幸男の趣味は?
最近のプライベートには大きな変化があった模様。それは「バイクの解禁」です。
服部はバイクで不祥事を起こした過去があり、30年ほど乗るのを自粛していたとか。現在は2台所有しているようで、バイクでキャンプに出かけることもあるのだとか。
同支部の若手には優しい先輩
服部幸男がメディアに登場するのはレース絡みのインタビューばかり。それだけに、2021年2月4日にアップされた蒲郡の公式チャンネル「勝ガマ」はとても貴重な動画となりました。
「撮れ高が足りない」と言って連れてこられ「百恵ちゃんの顔立てるわ」と言いながら登場するきわめてレアな内容に。
会話では柴田百恵の成長を喜ぶ言葉も聞かれ、後輩に優しいほんわかする一面も。
滅多に露出しない服部の登場で、20万回以上の再生回数を記録してますw
なぜ「服部幸男 料理」が出てくる?
服部幸男と検索した際、競艇とは無関係の「料理」が出てきます。ひょっとして、服部幸男は料理も得意なのか?と勘違いしてしまいそうですが…
名前が同じ呼び方の料理評論家「服部幸應(はっとりゆきお)」との混同によるもの。
服部幸應氏も「料理の鉄人」をはじめテレビ出演の多い著名人。「服部幸男」と誤変換してしまうネットユーザーが多いことから、Googleのロボットが勘違いしているのでしょう。
ちなみに、お互いのWikipediaには「服部幸應(服部幸男)とは別人です」という注釈がそれぞれ添えられています。
デビューから現在までの軌跡
東海の若大将から「首領」となった服部幸男。ここでは栄光も波乱もあったレーサー人生について、区切りとなる出来事を中心にまとめています。
史上最年少でSGダービー優勝
1992年に平和島で開催されたSG全日本選手権(ダービー)。
初日から連勝発進で予選を突破すると、安岐真人とのし烈な2着争いを制して初優出。優勝戦は大外6コースから得意のまくり差しを決めて抜け出し1着でゴール。
デビューからわずか3年5ヵ月。今村豊が持っていたSG最年少優勝記録を1年1ヵ月更新し、21歳9ヵ月でのSG初優勝を成し遂げました。
総理大臣杯・笹川賞の連勝で「坊主頭」に
SGタイトル4つのうち2つは1995年。
平和島開催の総理大臣杯(クラシック)では、連続6着という絶望的な状況から3連勝の巻き返しで優出。優勝戦は完璧なスタートを決めてまくり切り、この大会初優勝を達成します。
同年5月のSG笹川賞では「優勝したら坊主にする」と開会式で宣言。
ニュープリンスとして選出された服部幸男は、オール3連対の危なげない走りで優出を果たします。
SG2連覇が懸かる優勝戦は、激しいコース取りの中で4カド進入を選択。スリットを抜けると一気に内へ切れ込み、鮮やかなまくり差しで1着。
ファンの度肝を抜く走りでSG連続優勝を成し遂げ、大会後には約束通り頭をきれいに丸めました。
坊主姿を期待された方々すいません。隈なく探しましたが、丸刈り後の写真は見つからず…
1997年賞金王決定戦優勝&初賞金王
1997年の服部幸男は、3つのG1を制して賞金王決定戦に乗り込み、はじめてトライアル突破に成功します。
ファイナルでは今村豊が西島義則からインを奪う展開。コース取りから弾かれた服部は大外6コース進入となりますが、服部の真骨頂”まくり差し”が炸裂。
これが完璧に決まり、同一年に「新鋭王座&賞金王決定戦&賞金王」に輝く偉業を達成しました。
MVPの表彰式をすっぽかすw
1997年は賞金王とMVPに輝き、艇界の頂点を極めた服部幸男。
しかし、翌年2月に行われた優秀選手表彰式の会場に彼の姿はなし。その理由は「日を間違えていたから」と後に告白していますw
浜松の自宅で寝ていると「何してるんだ!」と関係者から電話。慌てて家を出ましたが、静岡駅に着いたところで「来なくていい。熱が出たことにしておく」と言われ、そのまま自宅に戻ったそうです。
2017年に全24場制覇達成
2017年11月3日、史上19人目の全24場制覇を達成。
残り1つとなった丸亀斡旋時は「いろいろ言われるので気にしない訳にもいかず、逆にプレッシャーを与えながら走っていた」らしい。
自身92回目の優勝は特別なものとなった様子。インタビューでは「ほっとしました」という言葉も聞かれました。
100V・2023年びわこで2500勝(2022年)
2022年8月の児島一般戦で通算100回目の優勝を記録。そして、2023年6月のびわこ一般戦では、もう1つの区切りとなる通算2500勝を達成しました。
2000勝レーサーは直近で177人いますが、2500勝はこの時点で39人目。紛れもなく”レジェンド”と呼ぶべき快挙でしょう。
服部幸男の通算成績
50歳を超えた現在でも強さを発揮しており、現時点で通算2531勝、優勝58回。また、その中身を知れば服部幸男の凄さを理解できるはずです。
生涯獲得賞金は20億円オーバー
順位 | 選手名 | 生涯獲得賞金(SG優勝) |
---|---|---|
1位 | 松井繁 | 40億1150万円 |
2位 | 今村豊 | 29憶4144万円 |
3位 | 今垣光太郎 | 26億2350万円 |
4位 | 山崎智也 | 25憶9690万円 |
5位 | 瓜生正義 | 25憶8840万円 |
6位 | 濱野谷憲吾 | 24億7630万円 |
7位 | 太田和美 | 23億2613万円 |
8位 | 植木通彦 | 22億6186万円 |
9位 | 田中信一郎 | 21億6530万円 |
10位 | 池田浩二 | 21億3755万円 |
11位 | 服部幸男 | 20憶4571万円 |
生涯獲得賞金は20億円を超え、賞金ランキングは歴代11位。現役レーサーに限定すれば8位に位置しています。
断トツ1位の松井繁、2位の今村豊の順位はしばらくこのままでしょうが、服部の11位付近は混戦模様。また、引退済みの選手が3名いるので、成績次第では更なるランクアップも可能です。
服部幸男のSG・G1・G2優勝歴
優勝年月 | レース | |
---|---|---|
SG (4勝) | 1992.10 | 全日本選手権(平和島) |
1995.3 | 総理大臣杯(平和島) | |
1995.5 | 笹川賞(浜名湖) | |
1997.10 | 賞金王決定戦(住之江) | |
G1 (19勝) | 1993 | 児島キングカップ(児島) |
1994 | 浜名湖賞(浜名湖) | |
1995.2 | 東海地区選手権(浜名湖) | |
1997.1 | 浜名湖賞(浜名湖) | |
1997.2 | 新鋭王座決定戦(尼崎) | |
1997.7 | 浜名湖賞(浜名湖) | |
1997.9 | 競帝王決定戦(下関) | |
1997.11 | 宮島チャンピオンカップ(宮島) | |
2001.2 | 東海地区選手権(津) | |
2001.4 | モーターボート大賞(下関) | |
2004.2 | 東海地区選手権(蒲郡) | |
2005.10 | 海の王者決定戦(大村) | |
2006.12 | 浜名湖賞(浜名湖) | |
2007.1 | 全日本王者決定戦(唐津) | |
2007.2 | 東海地区選手権(浜名湖) | |
2008.4 | 戸田グランプリ(戸田) | |
2009.3 | ダイヤモンドカップ(蒲郡) | |
2009.3 | 海の王者決定戦(大村) | |
2016.12 | 児島キングカップ(児島) | |
G2 (2勝) | 2009.4 | 競艇祭(大村) |
2013.3 | モーターボート大賞(蒲郡) |
服部幸男のSG・G1・G2優勝歴は上記の通り。
地元浜名湖のG1周年はこれまで4回制覇。変則開催となった1997年には、1月と7月両方で優勝する快挙も達成。また、クラシック選出につながる東海地区選手権も過去4回優勝しています。
服部幸男の年収(年別獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2024年 | – | – |
2023年 | 37,760,000円 | 121位 |
2022年 | 37,790,000円 | 106位 |
2021年 | 27,170,000円 | 245位 |
2020年 | 18,980,000円 | 531位 |
2019年 | 26,020,000円 | 254位 |
2018年 | 27,940,000円 | 169位 |
2017年 | 35,880,000円 | 71位 |
2016年 | 48,030,000円 | 30位 |
全盛期には年間1億円を超える収入があったものの、SG出場が途切れた2019年以降は生成が低迷。2021年前期には15年ぶりのB級転落で苦しい時期もありました。
しかし、2022年以降は徐々に勝率を上げA1級に返り咲き。2022・2023年いずれも3勝を挙げるなど、復調の気配が見えはじめています。
肉体的な衰えはあるでしょうが、再びSG・G1で輝ける未来を期待しています!
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