山崎智也選手は、2022年4月12日に引退届を提出。9日の周年(宮島G1)が現役最終レースとなりました。
一昔前の競艇界は男気溢れた選手ばかりでしたが、その空気を一変させるイケメンレーサーが登場します。
その選手は”艇界の貴公子”こと「山崎智也」。
ボートレーサーとは思えない顔立ちで、俳優やモデルでも十分通用しそうなルックス。
しかも、デビュー5年足らずで最高峰のSGで結果を残し、巧みなハンドル捌きで多くの女性ファンを競艇場に呼び込みました。
2010年には当時女子のトップレーサーだった横西奏恵さんと結婚。その後は2度の賞金王に輝き、生涯獲得賞金は25億円超え(歴代3位)という艇界屈指のトップレーサーです。
しかし、近年は持病の腰痛に悩まされて成績も徐々に低迷していき…。A1級の維持が難しい状況となった2022年4月12日、引退届を提出。
山崎選手は競艇界に爪痕を残した功労者の1人。忘れない為にもあまり手を加えない状態でお届けします。
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艇界の貴公子「山崎智也」とは?
山崎智也は、1974年3月に群馬県邑楽(おうら)郡邑楽町で生まれ、輝かしい実績を残してきた艇界を代表するボートレーサー。
生まれ持った端正な顔立ちから”女性人気”は高く、黄色い声援が絶えないモテ男として活躍しました。
山崎智也の公式プロフィール
公式画像 | |
名前(かな) | 山崎智也(やまざきともや) |
登録番号 | 3622(71期) |
生年月日 | 1974年3月11日 |
身長/体重 | 164cm/55kg |
血液型 | A型 |
出身/支部 | 群馬県/群馬支部 |
引退の理由(2022年4月12日)
2022年4月12日、山崎智也選手から引退届が提出されました。
これまでも数々の困難を乗り越えてきた過去があるので、また復活を遂げるはず。
そう思っていた矢先、4月4日から開催された宮島チャンピオンカップ(G1)を最後に引退宣言。その理由についてこう話しています。
グランプリを優勝した頃はただただ楽しかった。最近は勝っても楽しくない感じがしてた。ずっと楽しいからやってた仕事だったんだけどね。また、やる気になる時来るかもって続けてたけど、変わらなかったよ。
出典:日刊スポーツ
第一線で活躍してきた競艇選手として、燃え尽きたのかもしれません。
- 1992年:プロデビュー
- 1995年:G1初出場およぼ初勝利
- 1997年:SG初出場および初勝利
- 1998年:SG初優勝
- 2012年:初の賞金王
- 2015年:2度目の賞金王
上記以外にも数え切れないほどの実績を残し、競艇の発展に貢献してくれた1人といえます。引退するのはとても残念ですが、心から「お疲れさまでした」と伝えたい気持ちです。
高校中退で養成所に。師匠は「廣町恵三」
山崎智也は群馬県立舘林学校在学中に養成所試験を受験し、見事合格。高校を中退して本栖研修所(現ボートレーサー養成所)に入所します。
1年間の厳しい訓練生活に耐え、1991年に無事卒業。
地元の群馬支部に所属してすぐに弟子入りを志願したのが、群馬支部を代表するレーサーでSGにも数多く出場した「廣町恵三(31期・2007年引退)」でした。
デビュー後、地元で1番立派なペラ小屋を持っていた廣町さんを紹介されます。
「ペラ、旋回力、整備力、ハート、体力。このうちどれか1つでも優れていればA級にいける。でもSGを取りたいならすべてが必要だ」
廣町さんはまだデビュー前の山崎智也にこう伝えていたそうです。
艇界No.1のイケメン!女性集客に大きく貢献
山崎智也といえば抜群の男でも惚れてしまうほどのルックス。結婚した現在もなおイケメンレーサーランキングで上位に入るほど。
若い頃はテレビに引っ張りだこだった「窪塚洋介似?」などと言われることもあり、とりあえず女性ファンの多さは尋常じゃなかったと記憶しています。
1998年には選手代表として競艇CMにも出演。※画質はめちゃくちゃ粗いですが、山崎選手のイケメンっぷりは分かりますw
一緒に出演していたのは今村豊、濱村芳宏、烏野賢太、市川哲也という当時SGで大活躍していたレーサーの面々。やや控えめな感じに映っていますが、アップになった時の他を圧倒する表情は印象的!
独身時代には各地の競艇場で出待ちをする女性が殺到したそうです。
当時の競艇界が目指していた女性ファンの取り込みに、山崎智也は大きく貢献したのは間違いないでしょう。
モンキーターン「潮崎俊也」のモデル
人気競艇マンガ”モンキーターン”に登場する「潮崎俊也」のモデルとしても有名。
自身もこの作品が好きで愛読していたそうです。
というのも、山崎智也は、作者「合克敏氏」がこの作品の前に連載していた柔道マンガ「帯をギュッとね!」の大ファンであり、なおさらモンキーターンへの関心が強くなったのだとか。
ある日、ピットで取材中の河合氏と出会った際、ファンであることを伝えたら河合氏は大感激。
それ以降、最もお気に入りのレーサーが山崎智也になったという話もあります。
山崎智也を支えるボートレース一家
同世代のイケメンレーサー「濱野谷憲吾」選手が20代で結婚したのに対し、30歳を過ぎても独身だった山崎智也。
いつ、誰と結婚するのか?特に女性ファンの間で話題になっていましたが…
SG優出2回の「横西奏恵」と結婚
2010年12月、競艇界のビッグカップル誕生が大きな話題に。
山崎智也が選んだ相手は、当時現役女子最強レーサーだった「横西奏恵元」選手(76期・2012年引退)。78期の佐々木和伸選手と離婚後、シングルマザーとしてレースに出続けていました。
もともと親交のあった2人は2010年春に交際をスタート。
特別なきっかけはなかったそうですが、お互い連絡を取り合ううちに仲が深まり、夏にはもう結婚を意識しはじめたといいます。
そんな中、交際1年にも満たないスピード入籍。実力トップクラスの現役選手同士が結婚というまさかの出来事に、驚いたファンも多かったことでしょう。
横西奏恵(よこにしかなえ)とは?
横西奏恵さんについて少しだけ触れておきますね。
- 山崎智也と同じ1974年生まれ
- 1995年~2012年末の引退まで通算1,101勝
- 女子王座決定戦で優勝3回
- SG優出2回(2006年総理大臣杯、2011年笹川賞)
引退するのが早かったので、仮に現在まで続けていたら2,000勝は達成していたはず。
なぜなら、レディースチャンピオンを3度制覇しただけでなく、女子レーサーとして2人目となるSG優出まで果たした実力者。
2022年3月に遠藤エミ選手が優出までの約10年間、優出記録塗り替えた女子選手は1人もおらず。ある意味、遠藤選手がSG制覇した快挙も、横西さんらのおかげかも。
女子史上初のSG制覇を成し遂げた「遠藤エミ」については、以下の記事で詳しく解説しています。
史上初!夫婦でSGドリーム戦に出場
結婚発表から半年足らずの2011年5月。
夫婦の直接対決は「SG笹川賞(オールスター)」初日ドリーム戦。鈴木幸夫・弓子夫妻以来、SGでは史上2度目、ドリーム戦としては初となったの夫婦同時出走。
ファン投票1位選出の山崎は1号艇、4位選出の横西奏恵は4号艇。
山崎智也の先マイに対して濱野谷選手が差しを狙う形となりましたが、2艇の間に鋭いまくり差しを決めてきたのが横西でした。
バックストレッチで夫婦2艇が並走という出来過ぎた展開。
レース前には「ドリーム戦で夫婦ゲンカ」とメディアで報じられた構図そのままに、勝敗の行方は1周2マークにもつれこみましたが…
2マーク手前で内側から先に回った横西は、外にいる山崎をけん制しながらのターンで前に。そのままリードを広げて1着でゴール。
2マークの旋回が外に膨れた山崎は、道中で5コース今村選手と激しい2着争いを繰り広げましたが、一歩届かず3着。残念ながら夫婦でのワンツーフィニッシュとはなりませんでした。
この1着で弾みをつけた横西奏恵は見事に優出。
夫の山崎智也も準優に進み、夫婦でファイナル出走という快挙も見えていましたが、準優で3着に敗れて優勝戦には進むことができず。
娘は現役女子レーサー「山崎小葉音」
公式画像 | |
名前(かな) | 山崎小葉音(やまざきこはね) |
登録番号 | 5069(123期) |
生年月日 | 2000年10月7日 |
身長/体重 | 148cm/41kg |
血液型 | A型 |
出身/支部 | 徳島県/群馬支部 |
「山崎小葉音」選手は2018年11月、同期最年少の17歳でデビュー。
なかなか勝てない日々が1年以上続いた中、2020年7月の戸田開催で3艇フライングの「恵まれ」となってラッキーなデビュー初勝利。
同年9月の浜名湖で4コースから好スタートを決め、正真正銘の実力でデビュー2勝目を飾りました。
B1級に上がった2021年からはG2レディースオールスターにも出場、2022年大会ではうれしい初勝利。デビュー以来まだ優出こそありませんが、6着を取る本数は確実に減っています。
今後の成長がまだまだ期待できそうですね!
山崎智也のデビューからSG初優勝まで
山崎智也は1992年11月、地元の桐生競艇場でボートレーサーの第一歩を踏み出します。
初戦の結果は4着。当時は初々しい坊主頭だった山崎智選手も、現役を約30年間勤めあげました。
「師匠のプロペラで成績アップ」デビュー約2年で初優勝
山崎智也の初勝利はデビュー3ヵ月後の平和島一般開催。
そして、次のあっせんとなった桐生で初優出し、待望の初優勝はデビューから丸2年となる1994年10月。初勝利の地と同じ平和島での水神祭となりました。
「智也はペラ調整の飲み込みが早かった」と師匠である廣町さんが話している通り、その後の山崎智也は恐ろしい勢いで成長していくこととなります。
デビュー5年足らずでダービー優勝
山崎智也にとって選手生活最初のハイライトとなった1997年。一般開催で着実に勝率を稼ぎ、10月の全日本選手権(唐津)に初出場を果たします。
前月はいずれも優出2着の好成績を収め、上向きの調子で唐津に乗り込んだ山崎選手。
予選初日はまくり、2日目はまくり差しの連勝発進を決めて勢いに乗り「11252」で準優に進出。準優も4コースから冷静な内差しを決めて1着。SG出場2回目で優勝戦に進出します。
昔の競艇はコース取りが今より格段に激しく、この開催で枠なり進入となったのは6日間72レース中わずか1レース。
この優勝戦でも西田靖、当時兵庫支部を牽引した水野要の両選手が内枠を固め、3号艇だった山崎智也は同い年の濱野谷憲吾ともども5、6コースに追いやられます。
そんな中、4コースから抜群のタイミングで抜け出した服部幸男選手。
イン逃げを図る1コース西田選手を1マークで抑え切り…と思った瞬間、服部選手のカマシに乗った山崎はまくり差しを敢行。
この一撃で勝負を決め、そのまま先頭を譲らず1着でゴール。まもなくデビュー丸5年、まだG1も勝っていなかった23歳の新星が、SGダービー初優出初優勝の快挙を達成したのです。
山崎智也がトップレーサーと呼ばれる理由
山崎智也は見た目の人気だけでありません。実力も競艇界の歴史に残るレーサーであることは、これまで打ち立ててきた数々の数字からも分かります。
- 生涯獲得賞金は25億円超え
- SG、G1の優勝回数は歴代上位
- キャリア最多の年間V9
- ファン投票1位で優勝
生涯獲得賞金は歴代3位
順位 | 選手名 | 獲得賞金 |
---|---|---|
1位 | 松井繁 | 39憶2486万円 |
2位 | 今村豊(引退) | 29憶4144万円 |
3位 | 山崎智也(引退) | 25憶9690万円 |
4位 | 今垣光太郎 | 25憶2220万円 |
5位 | 瓜生正義 | 24憶7760万円 |
6位 | 濱野谷憲吾 | 23億7620万円 |
7位 | 植木通彦(引退) | 22億6186万円 |
8位 | 太田和美 | 22億3810万円 |
9位 | 田中信一郎 | 20億9900万円 |
10位 | 服部幸男 | 19億8780万円 |
山崎智也はデビュー27年目の2019年6月、史上3人目となる生涯獲得賞金25億円を突破。
最新の獲得賞金ランキングでも、最初に25億円を超えた松井繁、2番目に超えた今村豊さんに続く3位となっています。
SG戦線で少なくとも15年以上は活躍しないとこのランキングに顔を出すことはできません。単にSGを勝つだけでなく、勝ち続けられる実力を持った実力者と言えるでしょう。
3位以降は僅差のため、近いうちにランキングは降下していくと思われます。
SG、G1の優勝回数は歴代上位。地元記念は5回制覇
26億円近くを稼いでいるだけあって、賞金の高いSGやG1の優勝回数は歴代ランキングの上位に位置しています。
これまでのSG優勝回数は11回。
野中和夫さん(17回)松井繁選手(12回)に続き、瓜生正義選手(11回)と並ぶ歴代3位タイです。
ちなみに、グランプリを3度制した植木通彦さんもSGでは10回に留まっているので、生涯獲得賞金とSGタイトル数の両方で植木さんの記録を上回ったことになります。
さらに、G1でも現役2位となる41回の優勝を達成。地元桐生の周年G1では、最多となる5回のV(98、00、04、05、14年)を飾っています。
悪夢のFからキャリア最多の年間V9(2002年)
2001年12月のSG賞金王決定戦(住之江)は、山崎智也にとって悪夢のレースとなりました。
5カドから勢いをつけてスリットに向かったものの、タイミングを見誤ってコンマ05のスリットオーバー。
前年賞金王2着の雪辱を果たすどころか、SG優勝戦フライングによって「1年間SG出場停止」という重いペナルティを背負ってしまいます。
SG連続出場が18でストップし、2002年は主に一般戦で我慢の1年を過ごすことに…。
ただ、山崎智也はうっぷんを晴らすかのように各地の競艇場で勝ちまくり、キャリアハイとなる年間9回のVを達成。秋以降は福岡G1、びわこG2、戸田G1でも次々と優勝します。
2002年の1着率は54%という驚異的な数字。
格下相手のレースで無双状態だった山崎は、この1年でしっかりと足場固め。翌2003年はさっそく3月の総理大臣杯で優出2着、そして10月のダービーで3度目のSG制覇を達成しました。
史上2人目の「ファン投票1位で優勝」(2006年笹川賞)
ファンによる投票数がそのまま選出基準になる笹川賞(オールスター)。
選手の間では他のSGよりはるかに重圧が大きいという声もあるほど。出場権と舟券の両方でファンの期待に応えることが求められる舞台となります。
そんな中で山崎智也は、戸田で開催された「2006年の笹川賞にファン投票1位で選出」が決定。準優3着に敗れた2001年以来、2度目の最多票数獲得となりました。
初日ドリーム戦をインから軽快に逃げ切ると、その後も崩れることなくポイントを積み重ね、予選6走を「114211」で1位通過。
準優は1マークでヒヤリとする場面がありましたが、道中で逆転して1着をもぎ取り優出を果たします。
全国一インが弱い「戸田競艇」での開催。
優勝戦では西島義則選手の揺さぶりにも動じることなくインを主張。
ほぼ互角のスタートから山崎智也は1マークを先取りしますが、内側から4カドの原田幸哉選手が差しを入れて両者の艇が一瞬重なります。
それでも山崎智也は1マーク出口でさらに艇を伸ばして原田を振り切り、バックストレッチで抜け出しに成功。そのまま3周を走り切ってSG4度目の優勝を飾りました。
ファン投票1位で優勝したのは野中和夫以来の史上2人目。
山崎智也はファンからの熱い支持に最高の結果で応えた2人目のレーサーとして、歴史に名を刻むことになったのです。
妻と歓喜の抱擁!2012年賞金王初制覇
2012年、デビュー20年の節目を迎えた山崎智也。
4月のびわこG2秩父宮妃記念で2度目の優勝を飾ると、6月のグラチャンと8月のメモリアルでともに優出2着。ランキング12位でギリギリ賞金王決定戦(グランプリ・この当時は上位12選手)に進出します。
前開催まで優勝3回の好モーターを引くことができ、トライアル3走を「414」で切り抜けてファイナルに進出。
1億円を懸けた最後の戦いでは枠なりの4カドからスタートを切ります。
スリットはほぼ互角でしたが、機力上位の山崎はスリット後に艇を伸ばし、3コース太田和美を飲み込みます。
そして、1マークではインコースの松井繁と、差しを狙った2コース井口佳典選手の間にできたスペースに逃さず飛び込み、完璧なまくり差しで先頭に立ちます。
その後も落ち着いてターンマークを回り続けた、右手を高々と突き上げてゴールイン。
フライングも含めた10回目の挑戦で、悲願の賞金王決定戦優勝を果たしました。
ピットでは5日前に現役を引退した妻・横西奏恵さんが出迎え、人目もはばからず熱い抱擁を交わす2人。
「嫁さんに舞台を整えてもらって、もう優勝しかないと思っていた」とインタビューで答えた通りの結果となり、山崎智也はこの勝利で自身初となる賞金王のタイトルを手中に収めたのです。
2015年は「SG・G1計6勝」神がかりの大活躍
2015年の山崎智也はキャリア絶頂期といえる1年。
6回の優勝すべてがSGとG1で占められ、年間を通して記念開催を盛り上げた結果、獲得賞金は自己最多となる2億2900万円。
誰もが認める文句なしの強さで、3年ぶり2度目となる賞金王、MVP、記者大賞の3冠に輝きました。
イン逃げ3連発!オールスター3度目の優勝
この年はファン投票得票数3位で13年連続のオールスター出場を決めます。持ち前の操縦テクニックと平凡モーターを上位クラスにする整備力で、予選を「411241」でクリア。
特に、速攻から後続を寄せつけなかった予選最終日、華麗な旋回で今村豊選手を振り切った準優、どちらも好調をアピールするレース展開。
ファイナルも1コースからトップスタートを決め、内差しを狙う太田選手を競り落として1着でゴール。
「1号艇のプレッシャーを楽しもうと思った。年々こういう大舞台が楽しくなる」
レース後にこう話した山崎選手。SG通算8回目、オールスターでは3回目となる優勝は、年末のグランプリ出場をほぼ手中に収める大きなタイトル獲得となりました。
勢い止まらずSG連続V!グラチャン初優勝
SGの中でも特にレベルが高いといわれる「グランドチャンピオン」。
山崎智也は直近のオールスター優勝によるシードで出場となりましたが、さっそく2連対率46.2%の超抜モーターを引き当て、SG連続Vに向けて運も味方にします。
初日ドリーム戦で大外6コースから3着に食い込んで波に乗り、予選は「321214」の2位通過。準優でも1コースから危なげなく逃げ切って優出を果たします。
予選1位だった深川選手が準優で2着に敗れ、山崎選手は優勝戦も1号艇(1コース)で走ることに。
緊張する中、コンマ13のタイミングでしっかり合わせた後は2コース峰竜太の差し、3コース松井繁のまくりをどちらも許さず1マークを旋回。
あっさりと勝負を決めてSG9回目のVをオールスターに続く連覇で達成しました。
住之江グランプリ制覇!SG年間3勝目を達成
「5月のオールスターを勝って気持ちが楽になったという」コメントも聞かれ、絶好調モードの継続は変わらず11月末時点でSG優勝2回、G1優勝3回。
獲得賞金を1億2685万円まで積み上げ、もちろん賞金ランキング1位で12月の住之江グランプリに乗り込みます。
自動的に1号艇が与えられたトライアル2ndの1走目。1マークで桐生順平、笠原亮に絡まれますが、2マークでなんとか振り切って1着。
2走目も1コースからの進入でしたが、茅原悠紀にまくり差しを許して2着。3走目は大外6コースから5着でなんとかファイナル1号艇を死守。
ただ、今節3度目となるイン戦への不安も残る中、レースの行方が注目されました。
雨となったグランプリファイナル。ピット離れ後に6号艇茅原が2コースまで動き、進入隊形は「162/345」の3対3。
スリット過ぎから鋭く抜け出した3コース石野貴之に対し、内にいた茅原が許さず抵抗。
結果的にこのブロックがイン逃げを図る山崎選手には絶好の展開となり、競りかけられる相手もなく1マークを悠々とターン。
あとはソツのない旋回を続けて先頭を守り切り、スタンドの声援に応えながら2度目のグランプリ優勝。年間3つ目のSGタイトルを手にして、2012年以来の賞金王レーサーとなりました。
不調続きの昨今。引退の噂も…
山崎智也は2016年のグランドチャンピオンで11回目のSG優勝を達成しますが、グランプリはトライアル2ndで敗退。
2017年以降はSG優出が1度もなく、出場回数も減少の一途を辿っています。
得意だったはずの「桐生」で勝てず
不調に関して特に心配なのが、自分の庭であるはずの「桐生」で勝てなくなったこと。
優勝93回(2021年末時点)の中で約3分の1を占めている桐生競艇場。
SGで活躍するようになっても、お正月やGW、お盆の一般開催で凱旋して優勝というのが恒例だった時期もあります。
しかし、2021年GWの上毛新聞杯で優勝したのを最後に、桐生を7節走って優勝どころか優出もゼロ。2022年3月の一般開催では、2回のイン戦に両方失敗するという場面。
「桐生の1コースだったら勝って当たり前」といわれた鉄板の強さが影を潜め、地元ファンにとって非常に心配な状況が続きます。
不調の原因はボートレーサーの職業病「腰痛」か?
競艇選手は基本ボートに正座して乗りますが、レース中は空気抵抗を抑えるためにほとんどの場面で前傾姿勢を取ります。
専門家曰く、腰への負担が大きくなって痛みにつながるケースもあると指摘されていて、事実として急性、慢性を問わず腰痛が原因で途中帰郷するレーサーは少なくありません。
山崎智也も長年にわたって腰痛に悩まされている選手の1人。
絶好調だった2015年も、腰痛によって予選得点率トップだった桐生のお盆開催を途中帰郷しています。
特に近年は、予選の成績に関係なく戦線離脱することが増えている状況。それでも2021年は2回の優勝があり、スタート無事故も2010年7月以来継続中。
「不調=実力低下」でないことを願うばかり。
それでは人気は衰えず!山崎智也はオールスターの顔
SGに出るためには「1年間を通して安定した成績」が求められます。
調子が崩れるとSGから遠ざかっていく現実もありますが、唯一の例外といえるのが、選手の人気で選ばれるオールスターです。
もちろん、A1級の維持という大原則はあります。しかし、山崎智也は松井繁、濱野谷憲吾と共に20年以上に渡ってファンの熱い支持を受け続けた存在。
山崎自身もその期待に応える形で、これまで優勝3回、優出5回、予選突破14回という実績を残しています。
2022年のオールスターも4017票を獲得し、20年連続24回目の出場を決めました。現在では唯一連続出場が続いているSGとなっており、ぜひとも”強い山崎”に戻ってきてほしい。
まとめ
アイドルレーサーとして人気だった山崎智也も2022年で48歳。
師匠の廣町恵三さんからは「一流の女子レーサー横西奏恵を(結婚で)引退させたんだから、責任感じて頑張らないと」と、対談企画でハッパをかけられたことも。
「カミさんに『グランプリどころか、シリーズ戦も走れなくなったか』ってゲラゲラ笑われてしまった。まだまだ現役を続けるためにも、このままじゃ終われない」
そう語っており、再びSGタイトル獲得を目指す気持ちは衰えていない…と思っていましたが。
2022年4月12日、現役生活にピリオドを打ちます。
超一流レーサーでありながら、女性ファンの誘致にも多大なる貢献をした選手。
今思えば、A2級に降格も濃厚だったし、勝てない山崎智也を見るのは耐え難いので、引退時期としてベストだった気がします。
今後、どういった人生を歩んでいくのかは分かりませんが、競艇に携わってくれると嬉しいですね。約30年間、本当にありがとう!
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