フライング2本持ちの状態で挑んだ11月の住之江G1高松宮記念。
初日ドリーム戦2着を皮切りに、2日目以降は6戦6勝で優出1号艇獲得。優勝戦も難なく逃げ切り、通算59勝目、11度目のG1制覇を達成した。
また、優勝賞金1100万円の獲得により、峰竜太・平本真之を抑えて賞金ランキング4位に浮上。
8月27日開幕のSGメモリアル。コンマ01のフライングを犯してしまい、2日目にして賞典除外。また、今期2本目のFとなり、11月のSGチャレンジカップは出場不可となった。
現時点の獲得賞金は約8300万円。7000万円前後が予想されるグランプリは既にボーダーを超えている。
2024年7月28日に開催された第29回オーシャンカップ。伸び仕様のチルト1度で挑み、4カドまくりを決めて優勝。
2014年のグランプリ以来、通算2度目のSGVを達成した。
2010年後期からA1級を守り続け、誰もが認める岡山支部のエースとなった茅原悠紀。
99期で真っ先に頭ひとつ抜けた高勝率をマークし、デビュー6年目の2012年にG1優勝。そして、2014年には最高峰のグランプリでSG初制覇を達成しました。
先輩レーサーも絶賛するウィリーモンキーは艇界トップクラス。
SG戦線に欠かせない顔となった茅原悠紀について、これまでのキャリアやプライベートをまとめて紹介します。
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茅原悠紀とは?
茅原悠紀は岡山県出身、岡山支部のボートレーサー。
県立東岡山工業高校在学中にアマチュアボートの経験があり、小型船舶の免許を16歳で取得。その後、競艇の道を目指すために高校中退して養成所試験に挑み、5回目のチャレンジで念願のボートレーサーへ。
茅原悠紀の公式プロフィール
公式画像 | |
名前 | 茅原悠紀(かやはらゆうき) |
登録番号 | 4418(99期) |
生年月日 | 1987年7月11日 |
身長/体重 | 171cm/57kg |
出身/所属 | 岡山県/岡山支部 |
デビュー日 | 2006年11月11日 |
茅原悠紀の出場予定や期別成績は、オフィシャルサイトの選手ページをご確認ください。
競艇選手を目指したきっかけ
幼少期から父親と児島競艇場で何度も訪れていたそうです。ただ、その頃はレース観戦よりもキッズコーナーのテレビゲームに夢中だったらしいw
競艇という競技に興味を持ちだしたのは中学2年生あたり。舟の動きが立体的に見える1マーク側の観戦が特に好きだったとか。
スピード感や迫力だけでなく、モーター音や潮風に乗って匂ってくる排気に心地良さを覚え、レーサーになりたいという思いが強くなっていったと話しています。
ボートレーサー養成所の成績
茅原悠紀が養成所生活を共に過ごした99期は23名がデビュー。
養成所のリーグ成績は「勝率7.03・準優出4回・優出5回・優勝1回」。リーグ第2戦では5コースからまくりを決めて優勝を飾っています。
卒業記念競走は予選の妨害失格が響いて優出できませんでしたが、7点超えのリーグ勝率は全体2位。将来を期待された新人として卒業を迎えました。
同期(99期)の主な選手
99期で実績を残しているのは下出卓矢。茅原悠紀以外で唯一G1・G2の両方を優勝しており、SGにも3度の出場経験があります。
その他、養成所のリーグ勝率第1位だった水摩敦、ターン力に定評がある坂元浩仁もA1で活躍中。また、ボート界で1人しかいない青森県出身レーサー鹿島敏弘も同期生です。
99期で目立った活躍をしている女子レーサーはいません。
茅原悠紀の師匠・弟子は?
茅原悠紀に師匠の存在は確認できません。
しかし、持ちペラ制度時代に「イーグル会」という艇界屈指のペラグループがあり、新人時代の茅原はそのグループに所属していました。
総帥の黒明良光は茅原のデビュー前に引退していますが、林貢や小幡実成、川崎智幸といった先輩からの指導が成長に繋がったと想定されます。
一方、茅原悠紀が弟子として迎え入れたのは、121期のイケメンレーサー「坂本雅佳」。
児島のフレッシュルーキーに選ばれるほど評価されていたものの、2022年の年末に突然引退を表明。起業家の道に転身したと自身のSNSで明かしています。
茅原悠紀の年収(獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2024年 | – | – |
2023年 | 156,534,000円 | 4位 |
2022年 | 60,344,266円 | 31位 |
2021年 | 62,074,000円 | 29位 |
2020年 | 74,874,200円 | 15位 |
2019年 | 67,119,000円 | 19位 |
2018年 | 64,075,000円 | 18位 |
2017年 | 83,394,000円 | 10位 |
2016年 | 54,892,000円 | 22位 |
2015年 | 71,580,000円 | 12位 |
2014年 | 162,380,000円 | 2位 |
茅原悠紀の年収(獲得賞金)は上記の通り。
現時点で最高年収(1億6238万円)を手にした2014年は、SG初制覇となったグランプリ優勝含む年間10勝。賞金王は逃したものの、自身初の1憶円超えを達成しました。
その後も安定した高実績を残し続けており、艇界屈指のトップレーサーとして君臨しています。
茅原悠紀のプライベート情報
ネット上では格闘家「ぬりぼう」と顔が似ていると評判の茅原悠紀。他にも「嫁」「ランボルギーニ」「コンサドーレ」など、いろんなワードがネット上で関心を集める競艇選手。
水面を離れたところでも魅力あふれる茅原悠紀のプライベート。気になる話題を深掘りしていきます。
茅原悠紀の嫁・家族について
茅原悠紀のプライベートで最も検索されている「結婚・嫁」。
多数の文献を確認する限り、結婚しているのは間違いなさそう。ただ、嫁さんがどんな人なのか?子供の有無に関しては公表していないようです。
とはいえ、結婚したのが同じボートレーサーであれば、本人が言わなくても情報は洩れるはず。そういった情報がないということは、おそらく一般女性がお相手なのでしょう。
ちなみに、茅原悠紀の家族はご両親とお姉さんが1人。2019年3月頃、自身のインスタグラムで写真と共に投稿しています。
本人のSNSはインスタグラムのみ
本人が発信しているSNSはインスタグラムのみ。仕事のことは発信せず、私生活で起こった出来事がアップされています。
キャンプ・ドライブ・登山・釣り・ダイビング・読書など
茅原悠紀のオフはとにかくアクティブ!
幅広い趣味を持ち、レーサー仲間たちとかなり楽し気な様子。開催の合間やフライング休みの充実ぶりが画像だけでも伝わってきますw
愛車は5000万円超えのランボルギーニ
後の項目でも触れますが茅原悠紀は2014年のSGグランプリ覇者。
実はこの大一番を前に「グランプリを勝ったらランボルギーニを買う」という驚きの公約をしていました。
結果は1着で1億円をゲット。翌年、公約通りに購入した緑色の「ランボルギーニ・ウラカン」は推定3500万円。
さらに、2019年には2台目となる黒の「ランボルギーニ・アヴェンタドール・S・ロードスター」を購入。その額はなんと5000万円超えという情報も。
1000万円ぐらいだと嫉妬しちゃいますが、5000万円なら「すげ~」としか感じない自分がいるw
コンサドーレ札幌のパートナーアスリート
2017年からJリーグ「コンサドーレ札幌」のパートナーアスリートを務めています。
メディア取材でもコンサドーレのロゴやエンブレムの入ったユニホームを着用し、相互の価値を高め合うPRを行うのが活動の主旨。
そもそも、なぜ畑違いの活動をしているのか?
その理由は、一般財団法人BOATRACE振興会が、コンサドーレ札幌のオフィシャルパートナーを務めているから。上層部から頼まれてやってるのかもしれませんね。
北海道出身の119期・孫崎百世選手も同じくパートナーアスリートとして活動中です
茅原悠紀がSG制覇するまでの道のり
茅原悠紀のデビューは2006年11月(19歳)。
デビュー節の6走目で初1着の水神祭を飾り、わずか3期でB級を脱出。2010年後期から現在までA1級を維持し続けています。
勢いだけではなく、確かなターン技術でトップレーサーに成り上がった茅原悠紀。これまでのキャリアを追いながら強さの理由に迫ります。
B2陥落中につかんだ初優勝(2009年)
初勝利以降も着実に勝率を上げていきます。
しかし、優勝まであと一歩届かない焦りも影響したのか、2008年後半から失格を連発。2009年3月の徳山新鋭リーグ優勝戦では痛恨のFを犯し、事故率オーバーのB2陥落が決定。
そんな中で迎えた2009年12月の宮島一般戦。
予選をオール3連対で抜けると、準優もコンマ11のイン逃げで優出。優勝戦も読みづらい向かい風の中でトップスタートを決めて1着。
デビューから3年、10回目のチャレンジでようやく手にした水神祭Vでした。
運を味方に!徳山G1新鋭王座優勝(2012年)
茅原悠紀のG1初制覇は、2012年9月の徳山新鋭王座決定戦(現ヤングダービー)。
この年は1月にも第26回大会があり、茅原は優勝戦でイン逃げに失敗して悔しい2着。8ヵ月後すぐやってきたリベンジ戦となりました。
予選トップ通過は当時B1級だった佐藤翼。茅原は優勝戦2コースからのスタートに。
本番でインコースの佐藤はコンマ07というまさかのフライング。茅原は佐藤の早い飛び出しにつられることなく、コンマ10のトップスタートを決めて勝利を収めます。
佐藤のFにより決まり手は恵まれ。完勝とはいえませんが、運も味方につけて嬉しいG1初Vを手にしました。
2014年グランプリでSG初制覇
茅原悠紀は2012年のオールスターがSG初出場。2014年にはダービー2着など3度の優出を果たし、賞金ランキング12位で初のグランプリに選出されます。
トライアル1stを2位で通過。トライアル2mdはイン逃げ失敗がありながらも、ギリギリ6位に滑り込んで決定戦にコマを進めます。
優勝戦は以下の顔ぶれ。
白井英治が断然人気となる中、太田和美・菊池孝平がコンマ03のトップスタート。太田がまくり、菊地もまくり差しを敢行する混戦状態となります。
その乱れた展開をついて最内を差してきたのが6コースの茅原。
バックストレッチで先頭に立つと、後続艇を大きく引き離して渾身のガッツポーズでゴール。
現地で生観戦していましたが、まさかSG未勝利の茅原がグランプリで初制覇してしまうとは…。おそらく、この結果を予想できた人は極少数だったはず。
ちなみに、グランプリ覇者が賞金王になるのが通例。しかしながら、この年は獲得賞金が僅差だったため、茅原ではなく「菊池孝平」が賞金王に輝きました。
この年以外にも同様のケースは発生しています。詳しくは以下の記事をご覧ください。
オーシャンカップで2度目のSGV
2024年7月に開催された第29回オーシャンカップ。
予選を7位で通過し、準優3号艇は堅実な走りで2着。昨年グランプリ以来、今年初のSG優出を果たします。
チルト1度のセッティングで挑んだ優勝戦。
ほぼ横並びのスリットとなった中、強烈な伸び足で1マークを優勢に進めます。しかし、伸び返した山口剛に抵抗され、バックでは山口・茅原・椎名の三つ巴に。
ポジション的に茅原は不利かと思われた矢先、山口と椎名とやり合う絶好の展開。このチャンスを見逃さず、最内を差して単独1番手に浮上。
2周目以降は後続との差を大きく広げ、2014年のグランプリ以来、2度目となるSG制覇!
めっちゃ嬉しいっす!(前回のグランプリから)時間掛かりすぎましたね。勝てないなぁと思っていたんですけど(涙)久々なんでほんとに嬉しい。優勝した思いはみんなに伝えたいです。
優勝達成直後のインタビューにて、涙ながらに喜びを口にしました。
茅原ほどの実力者が10年も勝てなかったことに驚き。
茅原悠紀がトップに君臨し続ける秘訣
茅原と言えば「ウィリーモンキー」。
最近は馬場貴也にばかり注目が集まっていますが、先駆者は池田浩二、そして最も使いこなしているのは茅原悠紀というファンも多いです。
茅原悠紀が語るウィリーモンキーのコツ
茅原悠紀の大きな武器となっているのウィリーモンキー。
ターンマーク出口から伸びていくウィリーについて「自分の一部であり、誰にも負けない」と自らインタビューで話しています。
茅原いわく理想のウィリーは舳先が20~30センチ浮く程度。ボートの後方以外が接水していない状態で回れば、一番スピードが乗るのだとか。
ウィリーモンキーの使い手は「池田浩二・馬場貴也」など複数いますが、茅原悠紀のウィリーは「他の選手とひと味違う巧さ」と評価する選手は少なくありません。
記憶に残る超絶ターン(2015年津G1)
自身初の周年記念Vとなった、2015年津G1の優勝戦。
4カドからトップスタートを決めますが、まくりはわずかに届かず。道中2番手に上がるも、先頭の新田雄史とは5艇身以上の差がありました。
ほぼ勝ち目がない状況において、3周1マークで詰め寄ると、最終ターンマークで強烈なウィリーモンキーが炸裂。最後の直線で大逆転優勝を飾ったのです。
レースを振り返る動画で「最終2マークの入口では射程圏だった」と話している通り、成すべくして成った結果と言えるでしょう。
最終マークで「(新田雄史が)地元周年で嬉しい初優勝」と実況が言っちゃってますw
展示タイムは気にしない
周回展示を見る上で覚えておきたいのが「タイムを出す選手・出さない選手」がいること。
茅原は後者であり「オリジナル展示タイムは全然気にしない」と公言しています。
展示航走中は自分のターンをしっかり回ることだけに集中。タイムを出そうと思えば出せるそうですが、思い通りのターンをするのが理想形だと考えているようです。
数字よりも回り足を確認すべき選手もいるということ。仮にそういった選手の場合、タイムを過度に気にする必要はないでしょう。
まとめ
SG優勝賞金でランボルギーニを購入。そして、次は「家を買いたい」と公言していた中、10年越しに2度目のSGを制覇達成。家族も大喜びでしょうねw
それにしても、日を追うごとに強さを増している茅原悠紀。今後、スター街道をどこまで上り詰めるのか?最も注目すべき選手として見守ることにします!
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