練習中の事故により、ガールズケイリン「渡邉栞奈」が一時意識不明に。幸い命に別状はなく、自身のSNSで怪我の写真を寄せて報告。
※詳細については記事内で解説。
S級「野原雅也」選手が死去。事故・病気・自殺など様々な憶測がある中、死亡原因は公表されず。
期待の若手レーサー「成清龍之介」選手が死去。千葉県袖ケ浦市の市道で練習中、路肩に停車中の中型トラックに衝突。頭部外傷により21歳という若さで亡くなった。
4つの公営競技「競馬・競艇・競輪・オートレース」において、選手たちが目指すものは結果です。ただ、常に”命のリスク”と隣り合わせで戦っているため、最悪のケースでは殉職者が出てしまうことも。
ちなみに、全競技でこれまでに亡くなった選手数は以下の通り(競技中のみ)。
- オートレース:92名
- 競艇:32名
- 競馬:17名
- 競輪:7名 ※レース中
競輪で過去に死亡した件数は7件。
この数字だけ見れば「一番安全な競技」だと誤認してしまうかもしれません。
しかし、決してそんなことはありません。実際、事故後に引退を余儀なくされた選手や、身体に障害を負って寝たきり状態となった選手もいます。
そこで今回は、残念ながらお亡くなりになった競輪選手をはじめ、九死に一生を得たいくつかのケースを紹介します。
落車した選手を責めたい気持ちは分かりますが、命を懸けて戦っていることをお忘れなく。
※競艇の死亡事故は以下の記事をご覧ください。
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競輪界の事故について
死亡事故を紹介する前に、競輪という競技がなぜ危険なのか?そのことについて少し解説したいと思います。
競輪の最高速度は70㎞オーバー
競輪の平均速度は60㎞、最高速度は70㎞にも達すると言われ、一般道や首都高速の法定速度(60㎞)よりも速いスピード。
そのスピードで事故を起こしたらどうなるのか?
鉄に囲まれた自動車であっても死に至るケースはあるのに、競輪はプロテクタを付けただけのほぼ肉体。しかも、地面はコンクリート(またはアスファルト)。
70㎞で落車なんて…。想像を絶する衝撃なのは間違いないなく、考えただけでゾッとします。
落車で怖いのは頭部強打と擦過傷
レース中の落車で危険なのは、頭部を強打するとこによる頭蓋骨骨折や脳挫傷。後ほど紹介する死亡事故の死因にもなっており、損傷の程度によってはクモ膜下出血になるケースも。
そしてもう1つが「擦過傷(すりきず)」。落車して一時は身動きが取れないので、コンクリートと接している皮膚は擦り切れてしまうのです。
競輪選手のブログから引用した画像ですが、選手曰く「バンクでこけたらこんな感じになる」とのこと。見ているだけで寒気がしてきますね。
他の公営競技と比較して「最も怪我と隣り合わせの競技」といっても過言ではないでしょう。
ガールズケイリン(女子選手)の死亡者はゼロ
ガールズケイリンでは未だ死亡した選手は0名。
ギア比の制限によって男子選手よりは若干劣るものの、女子選手でも65㎞弱の速度に達します。命を落としてもおかしくない状況の中、これまで1人も死亡者が出ていないのは喜ばしい事実。
個人的には「ライン禁止」がプラスに働いているような。男子戦のような激しいぶつかり合いは基本ないので、仮に落車しても擦過傷で済んでいる気がします。
とはいえ、車より速いスピードで戦っている以上、お怪我を負ってしまう事故は度々発生しています。
死亡している男子選手がいることを考えると、亡くなった女子選手がいないのは今後も継続してほしい。
そして、競輪界を盛り上げる美女たちの活躍を期待しています!
記事のテーマ的にどうかと思いましたが、競輪界の美女レーサーに興味ある方はぜひ。
レース中に他界した競輪選手
大手スポーツメディア「スポニチ」によると、競輪の死亡事故は2008年時点で48件。その後も数名の選手が亡くなっているので、50名は超えています。
ただし、全ての記録は残っていません。その為、死亡原因等が分かる7名と、練習中に亡くなった1名のみ紹介します。
殉職日 | 選手 | 事故現場 |
---|---|---|
2021年2月 | 成清龍之介 | 公道練習中 |
2012年7月 | 坂本照雄 | 小田原競輪場 |
2010年2月 | 中垣輝光 | 広島競輪場 |
2008年9月 | 内田慶 | 一宮競輪場 |
2003年1月 | 服部雅春 | 伊東温泉競輪場 |
1998年7月 | 成島勇 | 立川競輪場 |
1992年5月 | 東内典之 | 福井競輪場 |
1967年4月 | 福島昭亮 | 岸和田競輪場 |
ネットに公開されている7名の死亡者数は近代競輪のみの数字。その他にも沢山いることはあまり知られていません。
成清龍之介(2021年2月 公道練習中)
イケメンレーサーとして女性人気が高かった「成清龍之介」選手。
事故によって亡くなったのは2021年2月24日。千葉県袖ケ浦市の公道で練習していた中、路肩に停車していたトラックに衝突。すぐに病院に運ばれたものの、その日に死亡が確認されました。
競技中に死亡した選手は多数いますが、成清選手のように練習中の死亡時は稀なケース。
夜間でトラックを視認できなかったならまだしも、事故発生時刻は午前10時20分頃。前方を確認していなかった可能性もあります。
21歳という若さ。また、2020年5月にデビューしたばかりだったので、なんともいたたまれない事故。
坂本照雄(2012年7月 小田原競輪場)
2012年の七夕(7月7日)に開催された小田原競輪場第9レース。
最終周回の直線、長正路選手が目の前で落車し、坂本照雄選手はそれを避けるためコース内側に進路変更。しかし、避けた先の写真判定用のミラーボックスに衝突して意識不明の状態となります。
その後、心臓マッサージなど懸命の処置を受けますが、近隣の小田原市立病院にて死亡。死因は、強い衝撃を受けたことによる外傷性心肺不全。
中垣輝光(2010年2月 広島競輪場)
2010年2月に開催された広島競輪場の第3レース。
最終周回の途中から他の選手との距離が開き始め、3コーナーあたりで接触などなく転倒。他8選手はゴールし、中垣輝光選手は落車による棄権扱いとなります。
倒れた時には心肺停止の状態となっており、病院に運ばれたものの死亡が確認されました。死因は、虚血性心疾患。前日に行われた検査では特に異常はなかったようです。
心臓疾患によってレース中に死亡した競輪選手は複数名います。ただし、競技と因果関係があるのかは不明。
内田慶(2008年9月 一宮競輪場)
2002年に宇都宮競輪でデビューし、実績を紹介しきれないほど活躍した「内田慶」選手。
2003年には現競輪界のスター「平原康多」選手を破り、ルーキーチャンピオンで優勝。さらに、全日本プロ選手権の個人戦で6連覇を達成するなど、最も期待されていた若手選手の1人。
経験を積めばグランプリ制覇も夢ではなかったでしょうが、2008年9月11日のオールスター競輪にて運命の日が訪れます。
最終マークに向けて後方から追い上げようとする中、捲ってきた選手と接触して落車。この時、前輪のワイヤースポークはほぼ全壊状態となってしまい、倒れ込むように顔面からバンクに激突。
想像もできないほど強い衝撃を受けたことにより、頭蓋骨を骨折し、落車直後から吐血をしてピクリとも動けない状態に。
すぐに搬送されましたが、外傷性クモ膜下出血によって死亡。
あまりにも若すぎる死…。同年代の選手、そして期待されたホープの訃報は今でも忘れられません。
服部雅春(2003年1月 伊東温泉競輪場)
2003年1月に開催された、伊東温泉競輪場の第2R。
ラインの番手でレースを進めている中、突然ふらつき始めます。結局、そのまま4着でゴールすることはできましたが、ゴール後のクールダウン中に転倒。
医務室に運ばれた時には心肺停止の状態で、約2時間後の病院で死亡が確認されました。
死因に関しては具体的な情報ありませんでしたが、事故によるものではないはず。ちなみに、服部雅春選手は同年1月6日に引退扱いとなっています。
成島勇(1998年7月 立川競輪場)
1998年に開催された立川競輪のレース。
最終コーナー付近で他選手と接触して落車してしまい、打ちどころが悪く頭蓋骨を骨折。病院に搬送されて処置を受けますが、事故の翌日に死亡。
亡くなったのはなんと22歳という若さ。通算成績は250戦61勝、優勝6回とまずまずの実績を残し、まさにこれからの若手選手。
レース映像はほとんど残っていませんが、競輪ファンとして悲しすぎる事故です。
東内典之(1992年5月 福井競輪場)
競輪の落車事故によって30歳で亡くなった「東内典之」選手。
事故が起きたのは1992年5月の福井競輪場。最終周回の2センターで前方を走る選手と接触して転倒し、激しく頭部を強打。この事故によって急性硬膜下血腫および脳挫傷で死亡。
東内選手の生涯成績は、802戦108勝(優勝18回)。失格20回、競争棄権31回と出場したレース数の割に多く、かなり強引なレース展開だったと想像できます。
福島昭亮(1967年4月 岸和田競輪場)
2008年に亡くなった内田慶選手と同じく、オールスター競輪の事故で死亡した「福島昭亮」選手。以下に挙げる通り、競輪界にとっては大きな損失となる事故だったようです。
- 日本選手権競輪:5着(1964年)
- オールスター競輪:4着(1964年)
- オールスター競輪:5着(1965年)
- 全日本競輪王戦: 7着(1965年)
- 全日本新人王戦: 3着(1965年)
- 久留米記念:優勝(1966年)
オールスター競輪でドリームレースにも選手されるほど、輝かしい実績を残していた1967年。同年4月のドリームレースで落車してしまい、頭部への衝撃によって頭蓋骨を骨折で死亡。
もし、福島選手が生きていたら、競輪史に名の刻む活躍を見せていたでしょう。
死亡事故になりかけた落車レース映像
上記に紹介した死亡事故以外にも、九死に一生を得たようなレースは沢山あります。
渡邉栞奈(わたなべかんな)
かわいい見た目と愛嬌の良さで人気のガールズケイリン選手「渡邉栞奈」。
2024年8月某日、練習中の事故で全身11ヵ所を骨折し、一時意識不明の重体に陥りました。幸い命に別状はないそうですが、事故後は日常生活すらままらない状態だったとか。
以下は自身のSNS(ツイッター)で報告した内容。
先日練習中の事故で怪我をしてレースを欠場しています。事故当初は意識不明の状態で命の危険もありましたが、幸い命に別状はありませんでした。
全身に骨折が11ヶ所あり、体にしびれがあったり、膝の曲げ伸ばしが難しかったり、日常生活すらままならない状態です。
まだ選手として復帰できるか分かりませんが、またレースを走ることを目標に精一杯リハビリに取り組んでいきます。
選手の復帰はまだ分らないとのことですが、とにかく命が助かって本当に良かった。
9月15日頃、退院してリハビリをしているらしい!時間は掛かるだろうがレース復帰に向けて陰ながら応援してます!
本間陵(2018年11月 神奈川新聞社杯)
最終周回に差し掛かる手前で前方の選手が転倒し、直前までその落車に気づくことができず。そして、倒れた選手に乗り上げて顔面からバンクに強打。
落車後、意識不明となって生死をさまよう状態に。
幸い、意識を取り戻して回復に向かっているみたいですが、競輪選手として活動することは難しく2020年に引退。
映像を見る限りでは、一歩間違えれば死に至っていてもおかしくない事故。命が繋がっただけでも良かったと言うべきではないでしょうか。
林雄一(2019年9月 共同通信社杯)
レース映像では無事に完走していますが、ゴール後の2センターで落車。当初は落車が原因で意識を失ったと思われていましたが、後に「心室細動」でことが判明。
心室細動とは、多数の無秩序な電気刺激によって心室が協調を失い、有効な収縮がみられなくなる不整脈で、死に至る可能性があり。 心室細動を起こした場合、数秒のうちに意識を失い、迅速に治療しなければ死に至る。
出典:MSDマニュアル家庭版
落車直後、林選手は心肺停止状態。
すぐに医務室で心臓マッサージによる蘇生を行うも、心拍が再開しないまま7分が経過。普通なら諦めてしまったもおかしくない中、肋骨が2本折れるほどの懸命な処置により、奇跡的に息を吹き返したのです。
ただ、心配に長時間酸素が送られなかったことで、思考・記憶・感情などに障害が残る「高次脳機能障害」となります。
この障害が残ったことで香織さん(妻)は「言っていることは支離滅裂で大丈夫かな」と言っていたそう。
しかし、約2ヵ月に渡る入院を経て、生死をさまよったとは思えないほど回復。同年12月には無事退院することができ、以下のツイートを投稿。
本日引退しました。
お世話になった神奈川選手会さんに挨拶行き、記念写真。隣は高校時代から切磋琢磨した同門の對馬支部長。色々とありがとね
2020年3月30日、引退を発表。現在ではすっかり元気になったようで、競輪の冠番組3つ、その他の関連番組にも出演する活躍中。
7分間諦めずに心肺蘇生してくれた元同僚の「中村浩士」。この選手がいなかったら、第二の人生を歩めてなかったかも。
オートレースでは選手以外の死亡例も
2022年4月3日、浜松オートレース場で死亡事故が発生しました。しかも、レースに出場している選手ではなく、会場で働く従業員という悲惨な事故。
浜松オートの死亡事故
事故の詳細は、レース開始直後、前方を走っていたバイクの後輪に接触し落車。レーサーはその場で転倒し、バイクは勢いのあるまま待機している従業員の方へ滑っていき、避けきれずに衝突。
YouTubeに公開されている動画をスロー再生すると、バイクが衝突した瞬間、人間が1回転する様子が見て取れます。
転倒したレーサーは右足を負傷するだけで済みましたが、市内の病院に搬送された従業員の方は死亡したようです。
まさか選手ではなく”従業員”が亡くなってしまうとは…。
公営競技で従業員が死亡したのは初
レース中におけるオートレースの死亡者数は、公営競技において断トツNo.1。ひとつの競技だけで既に100名近くの選手が亡くなっており、競馬・競艇・競輪より危険なのは周知の事実です。
しかし、そんなオートレースでも従業員が死亡したのは初。
落車するケースはよくあるので、コースと観客席の間には防護柵がどの会場も設置されています。
ただ今回は、従業員しか立ち入れないコースの内側。さすがに予見するのは難しく、たまたまが重なって悲劇となりました。
スタート直後で最高速度に達していないとはいえ、鉄の塊が人間に衝突すれば大惨事となるのは当然のこと。この事故を二度と起こさない対策を講じていただきたい。
まとめ
競輪をはじめ、競馬・競艇・オートレースに出場している選手たちが「命を懸けて戦っている」ことを忘れてはいけません。
もちろん、信用して購入した選手が落車などをすれば誰だってムカつきます。しかし、その事故によって死亡する可能性がある以上、無事であることを願ってこそ真のギャンブラーだと思います。
二度と起こらないことを祈って終わらせていただきます。
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