2023年7月9日に開催された戸田最終日において、デビュー初勝利を達成。101走目での水神祭となりました。
2022年9月にボートレーサー養成所を卒業し、プロ野球界から史上2人目となるボートレースへの転身した「野田昇吾」選手。
埼玉西武ライオンズを戦力外となった後、人生を賭けたチャレンジが実って第2ステージの幕開けとなりました。
苦しい減量や過酷な訓練生活を乗り越え、アスリートとして第2のキャリアをスタートさせた野田昇吾。野球選手時代から競艇デビューまでの道のりをはじめ、嫁「佳村はるか」について触れていきます。
上記画像は「エンカウント」の予想通りに購入したの舟券&払戻金。
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野田昇吾とは?
野田昇吾は、福岡県糸島市出身の元プロ野球選手。5歳で野球をはじめ、中学は伊都ベースボールクラブ、高校は名門「鹿児島事業高校」に進学し、チームを甲子園に導く活躍を見せます。
そして、高校卒業後も西濃運輸で野球を続け、2015年10月のドラフト会議指名を受けて埼玉西武ライオンズに入団。
剛速球を武器に抑えとして尽力しますが、2020年11月13日に戦力外通告。その後、トライアウトに参加するも手を上げる球団はなく、同年12月14日に引退を表明。
ボートレーサー養成所に入所したのは2021年10月。厳しい訓練を耐え抜き、2022年9月に卒業しています。
野田昇吾のプロフィール
公式画像 | |
名前 | 野田昇吾(のだしょうご) |
登録番号 | 5259(131期) |
生年月日 | 1993年6月27日 |
身長/体重 | 167cm/54kg |
血液型 | A型 |
出身地/支部 | 福岡県/福岡支部 |
野田昇吾の身長は167㎝。ボートレース界では平均レベルですが、プロ野球選手としては”最も低い”といっても過言ではない低さ。
この身長でプロへ上がり、150㎏ちかくの速球を投げていたなんて…。
少年時代の憧れは地元のエース「杉内俊哉」
野田昇吾が少年時代に憧れていたプロ野球選手は、地元福岡ダイエーホークスで活躍していた杉内俊哉投手(福岡県大野城市出身)。
小学生の時に投げている姿を見て「この人みたいになりたい」と目標になったそうです。しかも、高校卒業後に社会人野球に進んだのは、杉内投手がそのルートだったから(引用元:週刊ベースボール)。
杉内さんは175㎝ほどしかない身長で、年俸5億までのし上がった選手。野田はさらに低身長ですが、自分と似た境遇を感じていたのかもしれませんね。
声優「佳村はるか」と結婚!可愛すぎる美人妻
埼玉西武ライオンズ在籍時の2020年元日、声優の「佳村はるか」さんと結婚。
夫野田昇吾より7歳年上となる佳村さん。アイムエンタープライズに所属する大阪府出身の声優さんで、人気ゲーム「アイドルマスター シンデレラガールズ(城ヶ崎美嘉役)」などを務めています。
2人の馴れ初めは、アイドルマスターがパ・リーグとのコラボ企画を行った際、佳村さんが埼玉西武ライオンズの応援アイドルを担当。始球式にも登場しています。
これが野田選手と知り合うきっかけとなった?との噂も。
現在は妻と長男の3人家族
2021年7月、佳村はるかさんとの間に第一子(長男)を授かりますが、10月に養成所へ入所。
ボートレーサー養成所はほぼ軟禁状態の全寮制。その為、生まれたばかりの子が”昇吾パパ”の存在を忘れないよう、玄関に自分が写っているポスターを飾っていたようですw
養成所は合格するのと同じぐらい、厳しすぎる訓練でも有名。そんな過酷な状況を乗り切れたのは、奥さんとやり取りしていた手紙だったとか。
養成所卒業時の記者会見で以下のように話しています。
妻(佳村はるか)がいたからこそ、ここにいることができるんだと思います。この1年間を乗り越えられたのは家族の存在があったから。
佳村はるかさんとお子さんの存在は、厳しい訓練を耐え抜くうえで大きな糧となったはず。
野田昇吾の年収(獲得賞金)
年 | 獲得賞金 | 順位 |
---|---|---|
2024年 | – | – |
2023年 | 6,020,000円 | 1475位 |
2022年 | 640,000円 | 1599位 |
野田昇吾の年収(獲得賞金)は上記の通り。
デビュー2年目に約600万円の賞金を獲得していますが、舟券に絡んだレースはほぼなし。そうした成績でもそこそこ稼げるボートレーサーは恵まれているのかも。
年収1000万円を超えるのはB1級に昇格してからになるでしょう。
野田昇吾のSNS(ツイッター・インスタグラム)
自身が運営するSNSは「ツイッター・インスタグラム」の2つ。
ツイッター(@n_shogo23)
埼玉西武ライオンズ時代からのツイートが蓄積されているツイッター。
現役引退、ボートレーサーへの挑戦表明、養成所入所直前の心境、デビューと続いていく野田昇吾のキャリアを時系列で知ることができます。
シーズン中は古巣の選手が活躍した記事のリツイートも多数。ライオンズ愛はココにも溢れていますw
インスタグラム(shogonoda)
過去を遡るとライオンズ入団前、西濃運輸在籍時代の画像も閲覧可能。ツイッター同様、アスリートとしての日々を除ける貴重な情報源となります。
更新が再開された養成所卒業後からは、完全にボートレーサー目線での投稿が多め。これからは各地のレース場や同期、先輩選手たちとのショットも増えていくことでしょう。
プロ野球選手「野田昇吾」の成績
以下はプロ野球選手だった野田昇吾が残した実績。
年度 | 登板 | 勝敗 | 防御率 |
---|---|---|---|
2016年 | 22試合 | 0勝0敗0S | 3.93 |
2017年 | 38試合 | 1勝0敗0S | 1.98 |
2018年 | 58試合 | 1勝1敗1S | 3.51 |
2019年 | 23試合 | 2勝0敗0S | 3.66 |
2020年 | 3試合 | 0勝0敗0S | 0.00 |
学生時代は野球一筋だった野田昇吾。
高校時代には名門校で甲子園のマウンドも踏んだ実力者。 その後もエリート街道を着実に歩んで夢のプロ野球選手となったのですが…。競艇よりも厳しい世界において、活躍し続ける願いは叶いませんでした。
「鹿実に行きたい」少年時代の夢を叶えて甲子園へ
中学時代には地元チーム「伊都ベースボールクラブ」のエースとして注目を集め、卒業後は高校野球の名門「鹿児島実業(鹿実)」へ進学。
鹿実へ進んだ理由は、憧れの投手「杉内俊哉」の出身校だったことも関係しています。
とはいえ、鹿実は全国有数の強豪校。スカウトされるほどの実績はなかったのですが、運が良いことに中学最後の大会が鹿児島県開催地。そこで鹿実の監督の目に留まり、入学が決まったそうです。
甲子園は2年の夏と3年の春に出場し、計5試合に登板。3年生時にはAAAアジア野球選手権大会の日本代表に選出。見事に優勝メンバーの一員となりました。
埼玉西武ライオンズから3位指名
大学よりもう1つレベルの高いところで野球をしておかないと、プロでは通用しないんじゃないか、と。さらに言えば即戦力で通用しないと、プロでは無理かなと思っていました。
「プロで活躍するには高いレベルで経験を積む必要がある」そう感じた野田昇吾は、大学へは行かず社会人野球(西濃運輸)のルートを選択。
そこでスキルアップし、社会人野球の2大全国大会である「日本選手権」と「都市対抗」などで実績を積み上げます。
そして、社会人4年目となった2015年秋。10球団のスカウトが興味を示した中、ドラフト会議で埼玉西武から3巡目指名。ライオンズのユニフォームに身を包み、勝負の世界をプロへと移しました。
2017年、侍ジャパンに選出されてアジア王者に貢献
野田昇吾は1年目の2016年途中から一軍に昇格し、初登板は6月27日の日本ハム戦でした。
貴重な左の中継ぎとして初年度は22試合に登板。翌2017年には念願のプロ初勝利も達成します。 さらに、2017年のシーズン後には「アジアプロ野球チャンピオンシップ」の日本代表に選出。
プロの中でも侍ジャパンに選ばれるのは限られた選手のみ。大会でも2試合に登板してチームの優勝に貢献しています。
こんなにも期待された選手が、5年後には戦力外通告を受けてしまう世界…。現役選手の大変さを痛感しています。
ボートレーサーを目指したきっかけ
野田昇吾は現役引退後、千葉県内のスーパーマーケットで働きながら、2021年夏に新しい夢へのチャレンジを始めます。
彼が選んだ次なる舞台はボートレース。
プロ野球と同じく結果が命。そんな実力勝負の世界に再び身を置くため、長く険しい道のりの入口となる養成所試験に挑みました。
桐生順平との出会いで競艇を知る
野田昇吾が競艇という競技を知ったのは、埼玉西武ライオンズ在籍時。埼玉支部のエース「桐生順平」との交流がきっかけとなります。
公式画像 | |
名前 | 桐生順平(きりゅうじゅんぺい) |
登録番号 | 4444(131期) |
生年月日 | 1986年10月7日 |
身長/体重 | 160cm/53kg |
血液型 | AB型 |
出身地/支部 | 福島県/埼玉支部 |
福岡にいた頃は競艇について無知な状態。ライオンズ入団後に桐生と出会い、競艇のイロハを教えてもらったといいます。
まさかこの出会いが後の人生を大きく左右するとは…。本人を含め誰も想像していなかったはずです。
今では「桐生選手はターンの技術が素晴らしい」と話す通り、競艇界で憧れる存在。また、プロ野球引退後のキャリアに良い影響を与えてくれた恩人と言えるでしょう。
トライアウトで出会った「新庄剛志」からの言葉
競艇への挑戦を決めた理由にはもう1人、大物との出会いも。
2020年秋のプロ野球合同トライアウトに参加していた、北海道日本ハムファイターズのビッグボスこと「新庄剛志」さんです。
当時の新庄氏、野田昇吾と同じくプレイヤーへの復帰を目指してトライアウトに挑戦していました。会場で新庄さんから「本当に好きなことをやって人生を生きろ」と言葉を送られます。
その言葉が「もう一度プロスポーツ選手になりたい」と奮い立つきっかけとなり、ボートレーサーへ転身する決意を固めたようです。
20キロ以上減量して養成所試験に合格
野田昇吾がボートレーサーを目指したのには「自身の小柄な体格」も関係しています。以下はボートレーサー養成所の応募資格。
- 身長:175cm以下
- 体重:47~57㎏以内
- 視力:裸眼で0.8以上
養成所試験には「身長175cm以下」という応募条件があり、167㎝しかない野田は問題なし。ただ、当時の最高体重は75㎏もあったので、20㎏程度の減量が求められる状況。
普通なら諦めてもおかしくない減量を、走り込みや食事制限を行って半年で20キロ以上の減量に成功。
受験に必要な身体的な条件をクリアし、トップアスリートが対象となる特別推薦枠から30倍もの難関を見事に突破しました。
学科試験は中学卒業レベルですが、野球一筋だった野田選手は相当苦労したらしい(笑)嫁さんに助けてもらったとのこと。
131期生「野田昇吾」としてボートレーサーデビュー
2021年10月、第131期生としてボートレーサー養成所に入った野田昇吾。デビューに向けた厳しいサバイバルはこの瞬間から開始します。
入所時に在籍していた訓練生は52人。しかし、卒業できたのはなんと半分以下の25人。
心身ともに極限まで追い込まれる訓練生活を耐え抜き、2022年9月22日に「ボートレーサー野田昇吾(登番5259)」が誕生したのです。
養成所はパッとしない成績で卒業
131期の中では最年長となる野田昇吾。
養成所リーグ戦の勝率は4.87、2連対率32.84%、優出1回。25人中15位の成績となりましたが「そんなにうまくいかないと思っていたので、気にしていない」と本人は冷静に受け止めている様子。
修了記念競走では惜しくも優出を逃がし、最終日の特別選抜戦2着が訓練生として最後のレースに。
レース終了後「これが今の実力だと真摯に受け止め、野球と同じく目の前の課題を克服していきたい」とコメントを残しています。
福岡ではなく埼玉支部を選んだ理由
ツイッターに公開された「埼玉支部を選んだ理由」がこちら。
疑問に思っている方もいると思いますからもう一度お伝えします。
埼玉支部に決めさせて頂きました!
1番の理由として、今でも埼玉西武ライオンズが大好きで、野球を辞め、コロナ禍で一度もファンの方々に感謝の気持ちを直接お伝えできていません。
僕のこれからの人生のテーマは「恩返し」です。ファンの方々の存在があるからこその今の僕です。
ボートレースを今まで知らなかった方も是非一度、観戦してみてください。また野球と違った迫力があります。
まだ他にも理由はありますが、これからボートレースと埼玉をもっと盛り上げていけるように頑張っていきます!
引用元:野田昇吾の公式ツイッターより
以上の理由から、出身地の福岡支部ではなく「埼玉支部」を選びました。
埼玉西武ライオンズが大好きであること、そしてコロナ禍で感謝の気持ちを直接伝えることができなかったファンに対する恩返しが理由となっています。
それと、ボートレースの世界を教えてくれた「桐生順平」に対する恩義も含まれていることでしょう(憶測ですが)。
ちなみに、地元外の支部を選ぶ選手はたまにいます。例を挙げると、峰竜が好きすぎて福岡出身ながら佐賀支部を選んだ「定松勇樹」など。デビュー後すぐに弟子入りを志願し、峰の元でバリバリ活躍中です。
131期のチャンプは「石渡鉄兵」の長男
野田昇吾の話題ばかり報じられている131期ですが、実はめちゃくちゃ豊作の期。
中でも将来を期待されているのが、リーグ勝率1位&チャンプに輝いた「石渡翔一郎」。言わずと知れた、通算75勝(G1制覇3度含む)をしている「石渡鉄兵」の長男です!
また、6人いる女子レーサーにも、かつて兵庫支部で活躍した「登みつよ」の娘、登みひ果が養成所リーグの第6戦で優勝。
さらに、香川支部からデビューする大広咲季も第3戦で優勝、リーグ戦勝率も5.86の好成績を挙げています。
デビュー戦は2022年11月3日の戸田
野田昇吾のデビューは2022年11月3日の戸田一般戦。
若干出遅れたスタートとなりますが、4カド大塚雅治がトップスタートからまくっていく展開。野田は内側にできた隙をまくり差しで進入し、バックストレッチでは2着目に付けます。
しかし、2マークで先マイした艇をかわすことができず4着まで後退。4着でも上出来ですが、実力の差を感じたレースとなりました。
ちなみに、デビュー戦で4着に入り期待は高まったものの、未だ舟券には一度も絡めていません(2023年3月28日時点)。
101走目で初連対&初勝利を達成
2023年7月9日、地元戸田で開催された一般戦において、ついにデビュー初勝利を達成!
初白星を挙げたのは、最終日1RのオールB級戦。
5コースからコンマ07のトップスタートで飛び出すと、内4艇を飲む込む全速まくり。独走状態となった野田は何とか先頭を守り切り、悲願の水神祭を迎えることに。
実はこれまで一度も舟券入賞なし。よって、デビュー初勝利と共に初めて電光掲示板に名前が載りました。
B級戦とはいえ、素晴らしい全速まくり。次目指すのは予選突破ですね!
目標は「迷惑をかけないように…」
以下は「ボートレーサーとしての目標」を質問された際の回答です
明確な目標はないけど、まずは先輩レーサーに迷惑をかけないようにしたい。そして、1走でも多く走って、ボートレーサーとしての力を身に付けて、ファンの方に応援してもらえるような選手になりたいと思います。
引用元:Yahoo!ニュース
もっとデカいことを発言すると思ってましたが、謙虚すぎる回答にビックリ(笑)まぁ、プロ野球も経験した野田昇吾ならきっと結果を残してくれると信じています!
最後に、プロ野球選手からボートレーサーに転向したのは野田昇吾が2例目。
第1号となった早瀬薫平さん(群馬)は記念戦線で活躍し、SGでは2度の優出(1958年、1961年のクラシック)を記録しています。
はたして、この偉大な先人にどこまで追いつけるのか?これからの活躍を期待してます。
コメントお待ちしてます!
コメント一覧 (2件)
昇吾が省吾になっているところ多数。
しかしながら私みたいにこれまでボートに興味なかった人でも、とっつきやすい内容のブログでありがたいです。
野田をきっかけに行ってみようかなぁ?
ご指摘ありがとうございます。
野田選手のデビュー戦、まずまずの走りでしたね!ボートめちゃくちゃ楽しいのでぜひ!