脇本雄太とは?怪我による引退説&妻・愛車・年収・弟子など

競輪界の最強選手といえば「脇本雄太」の名前が多く挙がることでしょう。

自転車競技(ケイリン)でも世界トップクラスの実力。さらに、2022年の年間獲得賞金は3億円を超え、全公営競技選手において”歴代日本人No.1”の称号を手にしました。

そんな脇本雄太がNo.1の称号を手にするまでの道のりや、現在の気になるプライベート(嫁・愛車・年収等)を紹介します。

公営競技を語るには必ず知っておくべき選手の1人ですので、最後までご覧頂ければ幸いです。

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脇本雄太とは?

脇本雄太は2008年にデビューした94期の競輪選手。福井県生まれで、現在でも福井競輪場をホームバンクに置いています。

福井県の競輪選手は滋賀県の選手と共に福井支部に属し、近畿地区の選手となります。そのため、脇本雄太がレースに出走する際には、近畿地区の選手とラインを組んで1着を目指す事が多いです。

とはいえ、ラインの先頭で走る事が多く、車券に絡むかどうかの判断は調子を見ると良いでしょう。

脇本雄太の公式プロフィール

公式画像脇本雄太の公式画像
選手名脇本雄太(ワキモトユウタ)
生年月日1989年3月21日
出身/所属福井県/近畿
ホームバンク福井競輪場
登録期(番号)94期(014396)
身長/体重180.0cm/72.4kg
縁故選手脇本勇希
ニックネームワッキー

今後の出走予定や期別成績を知りたい方は、下記から競輪の公式サイトでチェックしてください。

競輪選手になったきっかけ

脇本雄太が自転車競技を始めるきっかけは「高校生の時に友人に誘われたから」。というかなりあっさりとした理由。

脇本雄太

好きな科学を学びたくて科学技術高校に進学したこともあり、自転車には全く興味がありませんでした。誘ってくれた友達と長く過ごしたいがために、入部したようなものですね

このようにインタビューで語っていることから、他競技の一流アスリートとは違った雰囲気を私は感じました。

そんなあっさりとした理由で自転車競技に入部した脇本雄太ですが、才能の片鱗を徐々に示していくことになるのです。

マンガのような輝かしい高校時代

自転車競技大会の様子
※自転車競技大会の様子

自転車競技を始めてわずか1年、脇本雄太は怪物級の高校生へと変貌を遂げます。

北信越地区を制覇後、全国大会(インターハイ)では2位でありながら記録更新の大快挙。続く国体においては怪我が完治していないコンディションで2連覇を達成。

まさに天性の才能を持ち合わせていた脇本雄太の快進撃は、ここから始まっていくのです。

競輪学校時代の成績

高校時代に優秀な結果を残しているため、入学する際の技能試験は一次免除。

競輪学校での戦績まとめ
  • 1着:19回
  • 2着:8回
  • 3着:8回
  • 着外:32回
  • 順位:11位
  • 卒業記念レース:3位

在校成績は11位、卒業記念レースは3位とトップの実力ではありませんでしたが、周りからの評価は…

入校後もジュニア世界選手権に選抜される等、天性の素質と競技者としての潜在能力は素晴らしい。競走訓練でも積極果敢に先行する強い姿勢を持っていて、将来輪界を代表する選手になる事は間違いない。

このように評価されていたので、将来の活躍を期待されていた逸材だったことは言うまでないでしょう。

同期(94期)で活躍している選手

坂本貴史(94期)
坂本貴史
岩本俊介(94期)
岩本俊介
根田空史(94期)
根田空史
山田庸平(94期)
山田庸平
松川高大(94期)
松川高大
阿部大樹(94期)
阿部大樹

94期生のメンバーを見ると、現在でもビックレースで活躍している選手はいますが、脇本雄太の実力はやはり別格。

G3レベルまでの優勝経験はあるものの、ビックレースとなると決勝に乗るのがやっとというイメージの選手達です。

とはいえ、上記で紹介した6名はレースによっては車券に絡んでくる可能性が高い選手なので、現在でも注目するべき実力者であることは変わりません。

脇本雄太の弟子

脇本雄太と脇本勇希
※脇本勇希と脇本雄太

脇本雄太の弟「脇本勇希」も115期生として競輪選手デビューを果たしており、弟子に迎えている事がわかりました。

まだビックレースでの目立った活躍は出来ていませんが、調子が良いときの自力は脇本雄太を彷彿させるモノがありますます。

脇本勇希の他にも「小松原正登・岸田剛」を弟子に取っており…

脇本雄太

勇希、小松原に続き岸田は3番目の弟子。3人は高校の自転車部の同級生だから自然とオレのところに来ました。岸田は大学に行ったからデビューが遅れましたけど。

※脇本雄太自身は師匠がいないようです。

脇本雄太の妻(嫁)・愛車・年収など

脇本雄太のプライベート情報をまとめました。現在の嫁や愛車から、気になる年収まで紹介していきます。

嫁は元美人レースクイーン柏木まりな

脇本雄太と柏木まりな

脇本雄太の嫁は、元レースクイーンで現在はMiiPR(ミープロ)というモデル事務所の代表をしている「柏木まりな」です。

上項で紹介してきた脇本雄太の”硬派で真面目な努力家”という印象からは打って変わり、キラッキラで派手な社長という印象を持つ柏木まりな。このギャップに初見の方は戸惑いを隠せないかもw

色々な意味で派手な衣装を着ている投稿なども多くありましたので、気になる方はSNSをチェックしてみてください。

愛車「マクラーレン」は4400万円!

2022年にYouTubeで公開されている動画では、脇本雄太の愛車は「マクラーレン600LTスパイダー」という高級車であることが紹介されています。

オプションも含め総額4400万円も掛かっているらしいですが、年間3億以上の賞金を獲得した選手と考えれば妥当かと…。

一流の競輪選手は豪華な車を愛用していることが多いですが、普段自転車に乗っているからこそ車体にはこだわりたいものなのでしょうね。

脇本雄太の年収(年別獲得賞金)

獲得賞金順位
2014年42,792,000円15位
2015年39,673,800円18位
2016年29,697,000円39位
2017年39,398,400円22位
2018年148,773,000円2位
2019年123,534,000円2位
2020年121,004,800円3位
2021年32,056,000円33位
2022年305,842,300円1位
2023年97,869,700円8位

2014年以降に脇本雄太が稼いだ賞金一覧です。

2018年以降は3年連続で1億円を記録し、2022年には公営競技初の3億円突破。※2021年は自転車競技に専念していたため減少。

競輪の収入だけでも平均年収は1億超え!他にもスポンサー料などを含めると、恐ろしいほどのお金を手にしていることが予想されます。

我々一般人には想像すらできない年収(笑)改めて夢がある職業だと思い知らされますね。

5人兄弟の大家族

脇本雄太は5人兄弟の3番目であり、10歳下の弟である勇希が競輪選手として活躍しています。

前述した通り2人は師弟関係でもあるため、切磋琢磨しながら日々トレーニングに打ち込んでいることでしょう。

なお、他の兄弟についての情報は見つかりませんでした。

脇本雄太のツイッター・インスタ

脇本雄太が運用しているSNSについて紹介します。

X(旧Twitter)

脇本雄太のX(旧Twitter)

2017年4月からXを利用しており、1.6万ものフォロワーがいることがわかりました。

内容としては自身の競輪に関するポスト以外にも、嫁の柏木まりなに関連するリポスト等も多く見られたので愛妻家なのが見て取れますね…。

他の競輪選手とのプライベート写真も多いので、競輪ファンであればぜひフォローしておくことをオススメします!

Instagram

脇本雄太のInstagram

Instagramのアカウントは発見できましたが、2019年10月15日の投稿を最後に更新されていませんでした。

なので、フォローするのであれば更新頻度が高いXの方が良いでしょう。

イケメン俳優のようにキメている写真はありましたので気になる方はぜひ!

デビューから現在までの成績

脇本雄太のデビュー戦から、現在までの成績を紹介します。初勝利・初優勝などの記念すべきレースは下記の通りです。

記念レース一覧
  • 2008年7月12日:デビュー&A級初勝利(福井競輪F2)
  • 2008年9月26日:A級初優勝(福井競輪F2)
  • 2010年1月29日:S級初勝利(京王閣競輪F1)
  • 2010年7月21日:S級初優勝(岐阜競輪F1鵜飼杯争奪戦)
  • 2010年7月1日:ビックレース初勝利(前橋競輪G1寛仁親王牌・世界選手権記念)
  • 2018年8月19日:ビックレース初優勝(いわき平競輪G1オールスター競輪)

上記の結果を見ると意外にも、ビックレース初優勝はデビューから約10年の月日が経過していたことがわかりました。

その10年の間にどのような事があったのか、詳しく見ていきたいと思います。

デビュー戦&初勝利は地元の福井競輪

競輪選手としてデビューしたレースは、2008年7月12日に開催された福井競輪のF2レース。地元開催ということもあり、本人にとっても気合の入るレースであったことは間違いありません。

初日・2日目は1着を勝ち取ることができましたが、決勝では惜しくも2着とデビュー戦完全優勝まであと一歩。という結果に終わりました。

初優勝も地元の福井競輪

脇本雄太が初優勝を飾ったのは、デビューから約2ヵ月後の2008年9月26日、福井競輪のF2レースにて。

デビュー戦以来の地元開催となるため、今度こそは優勝したいと本人も意気込んでいたシーズンでしょう。

結果としては現在のような先行勝負を初日から仕掛け続け、みごと完全優勝を果たすことに成功したのです。

数多くのビックレースを制覇

デビューからたった2ヵ月で初優勝を飾った脇本雄太ですが、自転車競技(ケイリン)でも活動をしていたためコンディション調整に苦戦を強いられていたのでしょう。

ビックレースには2010年から常連選手でしたが、2018年8月19日いわき平競輪のG1レース(オールスター競輪)を初制覇するまでには長い年月を要してしまいました。

しかし、この優勝を皮切りに「本命はとりあえず脇本雄太」という最強説が徐々に囁かれていくのです。

競輪グランプリ2022で悲願の王者に

競輪グランプリ2022で1着を勝ち取った脇本雄太ですが、そのレース内容はまさに最強の一言。

打鐘(ジャン)で後方から徐々にペースを上げていくと、残り半周地点では頭に踊り出てそのまま王者に。

あっという間の脇本劇場に、他選手は誰も付いていくことが出来ませんでした。

この優勝を経て獲得賞金3億円突破という前代未聞の偉業を達成し、公営競技界NO.1の漢へと上り詰めたのです。

不安視される怪我や難病

競輪グランプリ2022の優勝から、シーズンを通してタイトルの総なめを期待されていた脇本雄太。ですが、2023年のビックレースでは1度も優勝することができていません。

その原因は”怪我”と”難病

脇本雄太

グランプリ前くらいから、シビレが出てきたんです。症状もちょっとずつですが悪化している。ナショナルチームのドクターも分からないと。MRI検査をしたので、それをまた見てもらって…

インタビューでこのように回答しており、SNSでは多くのファンから心配する声が寄せられています。

一人の競輪ファンとして、最強”ワッキー”の完全復活を期待しています!

オリンピックで日本代表に選出

競輪界での圧倒的な活躍を紹介しましたが、脇本雄太は自転車競技(ケイリン)でも世界トップクラスの実績を残しています。

世界大会やオリンピックへの出場経験もありますので、詳しく掘り下げていきます。

リオ・東京大会の結果

脇本雄太はオリンピックに2度出場しています。

オリンピック出場歴
  • 2016年(リオデジャネイロオリンピック)
  • 2020年(東京オリンピック)

リオデジャネイロオリンピック2016の「ケイリン」では13位。東京オリンピック2020では、個人スプリント9位・ケイリン7位と2つの競技に出場。

いずれも優勝することはできませんでしたが、世界を相手に堂々とした走りを披露してくれました。

自転車競技でも世界トップクラスの実力

脇本雄太の自転車競技(表彰式)

オリンピックでは優勝を逃しましたが、2020年の世界選手権で男子ケイリン2位に入るなど日本を代表するメダリストであることは間違いありません。

主な結果は下記の通りです。

大会名順位
2009年UCIトラックワールドカップ5位
2014年アジア自転車競技選手権大会優勝
2016年トラック世界選手権5位
2017年UCIトラックサイクリングワールドカップ優勝
2018年UCIトラックサイクリングワールドカップ優勝
2020年UCIトラック世界選手権大会2位

このように幾度も優勝経験があるからこそ、日本を代表する自転車競技選手でもあるのですね。

ケイリンは引退し競輪に専念

東京オリンピック2020を最後に自転車競技を引退し、現在は競輪に専念しています。

世界と渡り合う脇本雄太を見れないのはとても残念ですが、今後は競輪の舞台で数多くのレースに出走してくれることでしょう。

まとめ

現競輪界最強の呼び声高い「脇本雄太」について紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?

コンディションの浮き沈みは激しい現状ですが、好調時の自力は現在でも”圧巻”の一言。一刻も早い難病の原因究明を祈るばかり。

競輪界を飛び越え、公営競技界No.1を手にした脇本雄太がいつ完全復活を遂げるのか。待望の瞬間がやってくるまで私は脇本雄太を応援し続けるつもりです!

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